第18話 羽柴充――Good old
「お客さんとして来たの久しぶりかも」
嬉しさを隠せない顔でカウンター席についたリンは、二つ結びにした髪をゆらゆら揺らして前のめりになった。
「酒田さん!今日のオススメサンドイッチなに?」
「トマトと水菜のサンドイッチですよ。トマト、ハム、水菜、レタス。隠し味に粒マスタード」
「じゃあそれとエッグサンドで!みーくん休憩は?」
「今から入るー」
「じゃあハムサンドとミックスも!」
嬉々として注文するリンに酒田は微笑ましげな生温かい笑みを浮かべ、ちらちらと横目で俺を見る。
「羽柴さん、ミックスのキュウリはどうします?」
「……お前」
「食べます。入れて下さい、酒田さん」
「分かりました」
酒田に言い返す前にきっぱりと返答したリンは『食べるよね?』とでも言いたげな視線を俺に向けてくる。
「ん、食べる」
「よし!」
満足そうに頷くリンが可愛くて可愛くて仕方がない。
サロンを外してリンの隣に座る俺を見た久住は、慣れた様子でカウンターから出て一時的にフロアスタッフになった。
結局、佐伯を帰らせることに決めたのは久住だった。
何でも、接客について注意をしたら食って掛かって来たらしい。
そんな風に久住に言い返したというのも何となく腑に落ちないが、興奮していたこともあって早退するように告げたとつい先ほど久住から言われた。
図らずも思い通りになったことに複雑な気持ちは抱けど、リンに余計な負担を掛けずに済むのだから万々歳だ。
ランチで頼んだサンドイッチを完食してリンがアイスティーを飲み干すと、タイミングを見計らっていたのか久住はリンと俺に視線を向けた。
「羽柴、鈴子と一緒にあがれ」
久住なりに思う所はあったのだろう。
リンが入らなくなって、新しく入れたアルバイトは女で。
後ろめたい気持ちがあったのかどうかは知らないが、いつになく気の利いた久住に複雑な気持ちしか浮かんで来ない。
けれど、リンは緩く首を振り俺に向かって問い掛ける。
「大丈夫です。だって、今日みーくん夕方までだよね?」
「……ん。夕方からタキが入る」
シフトを覚えていたらしい。渋々肯定の返事をすればリンは満足そうに頷く。
「みーくんが昼にあがったら、夕方まで久住さんと酒田さんだけになっちゃう」
だから大丈夫です。一人で帰れますし、続けざまにそう言って、リンはカウンターの席を立つ。
何だよりんちゃん、すげー格好いいじゃんか。
ランチを終えたらサッと立ち上がり帰る姿勢も、久住の提案をきっぱり断る様子も惚れ直す程に格好良い。
久住はリンの言葉を聞いて、ふっと薄く笑みを浮かべる。
「つくづく思うが――鈴子、何で羽柴だったんだ?」
また余計なことを口にしやがって。
舌打ちしそうになっている俺よりも先にリンは久住の問いに答えた。
「そう聞かれることが不思議でならないんですけど……龍もタキも同じことを聞いてくるんですよね」
「りんちゃん、それいつ?」
「え、いつだったかな……覚えてない位には前だと思う」
「あいつら……」
俺の知らない所で何て言う質問をしてくれてんだよ。
苦々しく濁る表情は変えようとしても変わらなくて。リンは何て答えたのか、そればっかりが気になって。
「それで、どう答えたんだ?」
久住も気になったのはそこらしい。――そういえば、久住はリンに対しては妙にお喋りになる気がする。
「どうって、別に……」
ごにょごにょと言葉を濁すリンは、心なしか顔が赤く染まっているようにも見えた。
「じゃあ、逆に聞くけど――何でみーくんは私だったの」
「え、なに、俺?」
「うん」
「そんなの……」
リンが良いと思ったからだ。
笑って、泣いて、一緒に居て。
そうしたいのがリンだったから、リンじゃないと駄目だって思ったから。
珍しくからかうようににんまりと笑ったリンは俺の顔に人差し指を伸ばして、やんわりと頬を突く。
「きっと、同じこと思ってるよ。こういうのって、わざわざ口に出して人に言うことじゃないのになぁ」
久住を横目で見ながらそう言って、リンはショルダーバッグを肩に掛けた。
「久住さんも早く彼女作って落ち着いたらどうですか」
いつも絡まれているお返しとばかりに久住へ言い返したリンは、茶目っ気溢れる表情で唇に弧を描く。
「簡単にできるものじゃないだろう」
「じゃあ、万年発情期発症中のバカ猿をどうにかして下さい。片っ端から大学生に手を出してるんですけど」
「……悟が俺の言うことを聞くと思うか」
久住から少しの諦めと後悔の片鱗が覗く。
リンは仕方なさそうに、それでも確かな口調で答えた。
「聞かせるのが『兄』です。――大丈夫ですよ、多分もう聞くと思います」
タキとリンの間に何があったのかは知らないが、少し――いや、大分妬けるが、リンがそう言うのなら恐らくタキも気持ちに余裕ができ始めているんだろう。
俺よりずっと敏感に滝川兄弟の間にある空気を察知しているリンが、格好良くて頼もしい。
あー……やっべェ、抱き締めてぇ。
煩悩しかない思考回路は素直に欲求に従おうとリンにゆっくり手を伸ばす。
「酒田さんそんな影から見てないで、さっさとレジお願いしまーす」
ぺし、と俺の手を払いながらリンは目を細めカウンターの向こうにいる酒田を見咎めた。
「りょ、了解です」
へらへらと笑い出てきた酒田はリンに浅く頭を下げ、追い討ちを掛けるようにリンは酒田へ顔を顰める。
「ユリちゃんに言いますよ、酒田さん真面目に仕事してないって」
「うっわ、勘弁して下さい……」
いつの間に知り合ったのか、酒田の彼女とリンは仲が良いらしい。
頑なに俺には会わせたがらない酒田が、リンにはいとも簡単に彼女を引き合わせたそうで。
横から俺の財布を差し出せば、リンは苦笑いで受け取る。そこからランチ代を払って財布を俺に返して来た。
何度やっても慣れないらしい、そういう所が好きで堪らない。
「ご馳走さまでしたー。酒田さん、久住さん」
「鈴子の出勤は……明後日だったか」
「はい。明後日の朝からですね」
「それまでゆっくり休め」
久住に浅く頷きを返して、酒田の会釈に笑みを浮かべ、リンは俺に向き直る。
「じゃあね、みーくん。午後も頑張って。ご馳走さまでした」
「いえいえ。りんちゃん晩ごはんなーに」
「いま聞く?楽しみ無くならない?」
「えー。じゃあ楽しみにしとく」
「うん、そうして」
店を出てひらひらと手を振れば、恥ずかしそうに振り返して来る。
そんな小さな動作でも可愛くて仕方がなかった。
まだ昼過ぎで明るいものの、リンが一人で歩く姿は妙に不安に思えてしまう。
――ああ、これが……過保護ってやつか。
徐々に自覚を持ち始めたことに気付いて、これもリンのおかげだと思うと――こそばゆいような誇らしいような気持ちが浮かんで来て困った。
「仕事になんねぇよ、リンのばか」
早く帰りたい。そればっかりが頭に浮かんで、久住から睨まれるまで数十分も掛からなかった。




