第17話 羽柴充――Calmly
休憩時間を利用して店に来た龍は、ホットミルクを飲みながら俺へ簡素な問い掛けをした。
「なんかあったか」
愛想の欠片もないぶっきらぼうな言い方をして、更には俺を睨み付けている。
睨んでいる自覚はないだろうが、目付きが悪いと知らない人間からしたら喧嘩を売られていると勘違いしてしまうだろう。
「――いんや、べっつにぃ?なんかあったように見える?」
「見えるから言ってんだろうが」
「へぇ、見えるんだ」
素直に感心した。
意外と変化には敏感らしい。
睨み付けているかのような龍の視線は次いで俺の後ろに動いた。
一瞬、眉間に皺が寄る。
普段よりもずっと力強く。
「鈴子はどうした」
「今日は休み。なんで?りんちゃんに会いたかった訳?」
「……帰りに鈴子の所に寄る、いいな?」
「だーめ」
「ミツル」
「ダメだよ。龍のお節介は知ってるけどりんちゃんに構っちゃダーメ」
確かに、リンのおかげで落ち着いた部分はある。
それでも、恐らく龍の目的は佐伯の一件をリンに確かめることで――俺は秘密にしている以上、龍とリンを近付ける訳にはいかない。
それに――
「龍もタキもりんちゃんに構いすぎ。俺らのことはなぁんにも気にしなくてイイから」
線からはみ出そうになる、その感情は許せない。
一歩間違えたら確実にリンに傾くであろう龍とタキ。それだけリンが豪胆で頼られやすいということだ。
「……あげないよ」
「誰も欲しくねーよ、あんな捨て身な女」
――それがリンの良い所だと、よく知っているくせに。
「とにかく、リンには俺から言う。暫くは黙ってろ」
佐伯をもう一度だけ一瞥して、龍は深く溜め息を吐き出す。
それは了承したように見せ掛けて、呆れている風でもあった。
リンが傷付くその前に俺がどうにかしなければ龍は先に動くだろう。
「冷静になってみたら少し引っ掛かるとこもあるし――とりあえずは探る」
頭に血が上りっぱなしで苛々していたせいなのか、気付けなかったものがある。
「りんちゃんさまさまだよ、ホントに」
切り替えて、頭を冷やせ。
――そうすれば見えてくる。
真っ白な腕を晒してグラスを磨いていた久住は、怪訝な表情でにやりと笑う俺を見つめていた。
佐伯はよく気が付き、よく働く。
認めたくはないが、新しい従業員として申し分ない女だった。
小さなドジはいくつもするが、それ以外では充分に働いていたし、何よりも客受けが良い。
明るく溌剌とした接客、たまに踏む小さなドジ。
主に異性からの人気を獲得し、高い年齢層の常連客がちらほらとつき始めた。
リンと違う所を挙げるなら、客の種類が判断できなくて変人でも丁寧に構ってしまう所だろうか。
勘違いした客を相手してしまうことが多く、要領が悪いようにも見えた。
益にならない、損になる、そう気が付いたらリンは即座に対策を練り実行するが、佐伯は始終相手をしてしまう危なっかしい所がある。
危機感が薄いという言葉が一番しっくり来るだろう。
「ありがとうございましたー!」
浅く頭を下げながら、佐伯は笑顔で客を見送る。
長い間居座っていた三十代半ばの男性客は漸く席を離れ、会計を済ませて名残惜しそうに出ていった。
佐伯に向かって露骨に何度も声を掛けている辺り、他の店でも似たようなことをしているのだろう。
余りにも過剰に構ってしまうのであれば久住が注意するだろうが――
「佐伯、少し良いか」
佐伯の甘い接客態度に対する久住の許容範囲は、どうやらここまでだったということらしい。
「はい!」
「話がある」
淡々とそう告げて、久住は佐伯をカウンター内へと呼んだ。
久住と佐伯が引っ込むのと入れ違いに裏から現れた酒田は、苦笑いを顔に浮かべてぎこちなく俺に会釈をする。
昼前のこの時間、店内に客は二人くらいしかいないが酒田はランチの仕込みを任されているからそれなりに忙しいはずだ。
客が帰ったテーブルを拭いていた手を止めて、苦笑しながら此方を見ていた酒田に渋々近付いた。
「なに」
「りんごさんから店に電話がありました」
ぴしり、と固まった俺の顔を見て酒田が気まずそうに頬を掻く。
「……それで?」
先を催促するように酒田を一際強く睨む。
酒田は口を引き結び、次いで白状するかの如く項垂れながらリンにしたらしい返答を吐いた。
「ランチの時間に来るそうで『分かりました』とだけ返事しました」
「お前は賢いと思ってたんだけどなぁ」
「すみません……」
「分かってんだろ?この状況でリンが店に来るってのがどんな意味か」
「はい」
「……何で止めねーの」
実際、酒田を責めても仕方がない。
リンが来ると言った以上、それはどうすることもできない。
来るなとは言えなかった。
言って不安にさせたくない。
リンは俺が来るなといえば『どうして』と問い掛けることさえいまだに悩んでしまうだろう。
そういう、他人に干渉することに極端に慣れていない恋人だから。
更に言えば、来るなと言って何も聞かずに『分かった』と返事をされたら今度は俺が落ち込みそうで。
「……まぁ、酒田に言ってもしょうがないってのは分かってるんだけど」
「羽柴さん……」
「んー?」
「大人になったんですね……」
「酒田ァ。お前、段々と馴れ馴れしくなってるよな」
感動したのか感心したのかは知らないが、なぜか涙ぐみだす酒田とは卒業してから――いや、リンと会ってから確実に距離が縮んでいた。
「なんか、りんごさんと羽柴さん見てると羽柴さんも一緒なんだなって」
「はぁ?」
「人間味豊かって言うか、人間らしいって言うか……」
「人間じゃなかったのかよ」
理解できない酒田の思考はこの際無視することにして、とりあえずリンと佐伯を鉢合わせないようにどうにかしたい。
「まぁ、疑わしいとこはあるし――帰らせるなら佐伯だろ」
鉢合わせないためにはどちらかを帰す必要がある。
リンを帰す――来させない、という選択肢はないのだから、佐伯を早退させるしかない。
「酒田、裏の様子見てこい」
「分かりました」
すぐに踵を返し言うことを聞く酒田の従順な所は、学生時代から全く変わっていなくて妙にそれが可笑しく思えた。




