第1章 3
「ベリル嬢。卒業おめでとう」
殿下は笑顔で言った。
「……ありがとう……ございます」
私はドレスの裾をつまみ膝を曲げた。
「――君の所作はいつ見ても綺麗だね」
殿下が小さく呟く。
顔を上げると優しい眼差しが私を見ていた。
婚約破棄の手続きをして以来、殿下とは会っていなかった。
最後に会った時は悲しそうな表情だったけれど、今は口元に微笑をたたえている。
(けりがついてスッキリしたのかな)
私みたいな出来損ないを婚約者に選んでしまって。
全然成長できない私を庇ってくれていたけれど、内心は殿下も失望していたはず。
その私との婚約関係が終わり、肩の荷が下りたから私へも笑顔を向けられるのだろう。
「ベリル・セルリアン嬢」
目の前に手が差し出された。
「私と一曲踊ってくれますか」
(――え?)
驚いて殿下の顔を見た。
周囲からざわめきが起きる。
(踊る? 私と?)
「え……あの……」
「せっかく練習したのに、一度も披露する機会がないのは寂しいからね」
お妃教育の一環で、殿下とは定期的にダンスの練習をした。
私が人前で上手くふるまえないせいで、婚約者として公の場に出ることはなかったから、人前で踊ったことはない。
(そうよね……せっかく練習したのに……でもこんな大勢の前でなんて……)
殿下が元婚約者にダンスの申し込みをしたせいで、視線が集まっているのを感じる。
(無理よ……こんな所で踊るなんて)
でも……殿下からの申し込みを断ったら、不敬になってしまう?
(どうしよう)
ここから逃げ出したい。家に帰りたい。
だけど……断ったら失礼だし。
差し出された手を前に頭の中がぐるぐるしていると、殿下の顔から微笑が消えた。
(あ……)
婚約破棄の手続きをした時と同じ、寂しそうな顔。
(……また、この顔をさせてしまった)
私のせいで。
(ダメだ。……これで、最後なんだから……)
「――光栄です」
覚悟を決めて腕を伸ばす。
手を重ねると、殿下の顔に笑顔が戻った。
殿下にエスコートされながら、ダンスに興じる人々の中へ入っていく。
大勢の気配と香水の香りに身体がこわばる。
(どうしよう……やっぱり無理)
不安で手が冷たくなってくるのを感じる。
「練習だと思って踊れば大丈夫。ベリル嬢はダンスが上手だから」
手袋越しに温度と緊張が伝わったのか、殿下が言った。
「……はい」
「もし失敗しても、私がリードするから安心して」
向き合うと、殿下はそう言って微笑んだ。
音楽が流れ出した。
互いの手を組み、殿下の手が背中に回る。
(練習と同じ、練習と同じ……)
言い聞かせながら一歩を踏み出すと、自然と次の足が出た。
(良かった……身体は覚えてる)
練習通りに動けているかは分からないけれど、殿下の動きについていくことは出来ているようだ。
「そのドレス、よく似合っているね」
耳元で殿下の声が聞こえた。
「……ありがとうございます」
「本当は私が贈りたかったけれど、残念だな」
「……申し訳……ございません」
学校の卒業パーティで婚約者がいる女性は、相手からドレスを贈られるのが慣わしだ。
私も本当は殿下から贈られる予定だったが、婚約破棄によりなくなってしまったのだ。
(きっともう準備は始まっていたよね……)
生地やレースの手配、仕立て。
それらには多くの人の手や時間がかかるのに。
婚約破棄のせいで無駄になってしまった。
(ドレスだけじゃない……ダンスの練習や、お妃教育だってそうだ)
婚約してから二年半の間に関わってきた人たちの時間が全て、無駄になってしまった。
(ああ、もう……本当に私は)
情けない。
(それに悪役令嬢としての役目すら……果たせていない)
ゲームでのベリルは、殿下とアクアのルートを選んだ時に障害となる役目だ。
孤児院育ちで母親は平民のヒロインに、その血筋の低さや彼らに近づくことを責め立てる。
殿下のルートの場合は、あまりにもヒロインへの仕打ちが酷いと、一年先にベリルが卒業する今日、この場所で。
殿下から婚約破棄を言い渡されてゲームから退場するのだ。
(実際に破棄を言い渡されたのは王宮の一室で、国王陛下からで……。それにヒロインには会ったこともないし)
クラスメイトとも上手く話せないのに、一年生に絡む事などできるはずもない。
今日この場にヒロインもいるのかもしれないが、今の私に周囲を見る余裕はない。
(本当に、『ベリル』とは全く違う)
主人公をいじめる悪役だったけれど、強い意志を持ち何でもはっきり言えるベームのベリルが、私は好きだった。
その好きなベリルになれたのに――。
(あ、ダメだ)
視界が滲みそうになる。
(殿下と踊っているのに泣いたりしたら……)
「あっ」
足がもつれ、ぐらりと身体が前に倒れる。
(しまっ――)
思わず目をぎゅっとつぶる。
とん、と何かに身体がぶつかった。
「大丈夫?」
私を抱きとめて殿下が言った。
「……は、はい……申し訳……ございません」
(どうしよう!)
こんな、大勢の前で殿下と踊るのに失敗するなんて。
「ごめんね、今のは私がリードしそこねた」
殿下が言った。
「……いえ……殿下は……何も……」
私が余計なことを考えていたせいだ。
「いや。……君を支えられなかった私のせいだよ」
少し寂しそうな声が聞こえた。




