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コミュ障なせいで婚約破棄された悪役令嬢 遊び人キャラに愛されています  作者: 冬野月子


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第4章 4

 屋敷の図書室に入るなり、ベリル嬢の目が輝いた。

 視線が素早く本棚を往復する。

 我が家の蔵書は個人宅にしては多い方で珍しい物も多いから、興味津々なのだろう。


(次に来る時は本を選んでもらおう)


 俺は書斎の椅子にベリル嬢を座らせると、その前に一枚の絵を置いた。


「これが母親だ」


 額縁の中にはこちらを見る、今の俺と同じくらい、二十代半ばの母親の姿がある。


(……そうか、そんな年で死んだのか)


「これは死ぬ二年前くらい、病気になる前に描かれたものなんだ」


 俺の記憶にある母親は、もっと青白い肌をしていた。

 絵の中の、俺と同じ色彩を持つ彼女は、幼い頃は思わなかったが俺と似ているように思う。


「……この傷は……?」


 ベリル嬢が指し示したのは、絵の上から斜めに切り付けられた、深く長い一本の傷跡だ。


「俺が付けた」


 答えると、ベリル嬢は驚いたように俺を見上げた。


「母親が死んだのは俺が七歳の時だ。病気になって、領地の空気が良い場所で療養することになったんだけど、俺はそれを知らなくて。捨てられたと思ったんだ」


 俺は肖像画へ視線を落とした。


「――子供だったから伝えない方がいいと判断したんだろうけどね」


 俺に伝えられなかったのは、周囲の気遣いなのか本人の意向だったのか。

 今更確認する気にはならないけれど、あの時の俺にとってショックな出来事だった。


「腹が立って、手元にあったこの絵をナイフで傷付けて。しばらく経って死んだと聞かされて、後悔したよ」


「……子供だからって、真実を伝えないのは……違うと思います」


 ベリル嬢は静かに口を開いた。


「真実を知らずに、そのままお母様と会えなくなってしまうのは……辛すぎます」


「――そうだね」


「それで……この絵を描き直すという事ですか?」


 ベリル嬢の細い指が絵に触れた。


「いや。この絵は、俺の記憶にある母親と違うんだ。もっとあの人らしい顔に……いや、ごめん」


 俺は頭を掻いた。


「会ったことのないベリル嬢に頼んでも仕方ないよね」


 変なことを頼もうとしているのは分かっている。


 記憶の中の母親は日々朧げになっていくが、唯一手元にあるこの肖像画と違うということは分かる。

 このまま記憶の中の顔を忘れて肖像画の顔が母親の顔になってしまうのは嫌だ。


 ベリル嬢が、人の内面を引き出せる絵を描けると聞いて――本当の母親の顔を残せるかもしれないと、思ったのだ。


(けど、会ったこともない人間の内面なんて描けるはずないか)


「――そうですね……」


 我ながらバカなことを聞いたと思っていると、しばらく思案していたベリル嬢が持ってきたスケッチブックを手に取った。


「まずは、アゲイト様のスケッチをさせてもらっていいでしょうか」


「俺?」


「はい、アゲイト様とお母様は似ていらっしゃるようなので。アゲイト様を描きながらお母様のお話を聞ければ、描けるかもしれません。あ、あちらの椅子に座っていただけますか」


 腰を下ろすと、早速ベリル嬢はスケッチブックを開き鉛筆を走らせはじめた。


「……お母様は、桜がお好きでしたよね」


「ああ」


「他の花もお好きでしたか」


「そうだな。専用の庭を持っていた」


「優しい方でしたか」


「さあ、どうだろうな。可愛がられた記憶はないから、冷たい人間だったかもしれない」


「え……」


 ベリル嬢は手を止めると俺を見た。


「母親は俺に興味がなかった。気を引こうとしたこともあったが、迷惑そうな顔をされて諦めた。――病気だと俺に教えなかったのも、どうでも良かったからかもしれない」


「……そうでしたか」


「父親と一緒にいる所も見たことがないし、社交にも出ていなかったようだから。人間に興味がなかったのかもしれないな」


 いつも庭で、花を眺めていた。

 特にサクラがお気に入りで、花が咲く季節は一日中、飽きないのが不思議なくらい眺めていた。


「――アゲイト様は、お父様とは仲がよろしいのですか」


「良くも悪くもないな。会話はほとんどないけどね」


「ご兄弟もいないのですよね……」


 ベリル嬢は視線をスケッチブックへ戻した。


「……アゲイト様は、お一人なんですね」


 再びベリル嬢の手が動き出す。


(一人、か)


 確かに、父親と家族らしい交流をした記憶はない。

 この家にいる意味が分からなくて、学校を卒業するとすぐに一人暮らしを始めた。


(彼女からしたら、理解し難いだろうな)


 ベリル嬢のところは、家族仲が良さそうだ。

 彼女が描いた絵からも家族への愛情が伝わる


(愛情――ああ、そうか)


 俺はあの愛情が欲しいと思ったから……彼女に絵を描いて欲しかったのか。

 得られなかった母親からの愛情を、絵の中だけでもと。


(情けないな。……そんなこと、ベリル嬢に伝えられるか?)


 十六年前に死んだ人間のことを、こうして未だに引きずっているなど――男らしくもない。


 俺を見ながらスケッチを描いていたベリル嬢は、やがて紙に向かい集中し始めた。

 俺の存在を忘れたかのように、真剣な顔で鉛筆を動かし続ける。


 静かな図書室で、ただ紙の上を鉛筆が擦る音だけが聞こえる。


(静かだが……嫌いじゃないな)


 俺は静寂が嫌いだ。

 両親から相手にされず、独りで過ごしていた子供の頃を思い出す。

 街に住むのも、夜遅くまで外を行き交う人々の気配を感じるからだ。


 だが、こうして鉛筆の音だけを聞きながらベリル嬢を眺めている時間は悪くないと思った。


「――こんな感じ、かな」


 ベリル嬢が顔を上げた。


「描けたの?」


「試作ですけれど……」


 俺は立ち上がると、ベリル嬢の背後からスケッチブックを覗き込んだ。


 女性がこちらを見て座っていた。

 唇は柔らかな弧を描き、優しく微笑んでいる。

 懐かしい母親の――。


(いや、これは存在しない記憶だ)


 一度もこんな笑顔を見たことがないが――そうだ、ずっと、望んでいた。

 俺に向けられる、母親としての顔を。


「……いかがでしょう」


 不安そうなベリル嬢の声が聞こえた。


「――そうだね。すごく、良く描けているけど。あの人はこんな風には笑わないかな」


 そう答えると、ベリル嬢は俺を振り返った。


「――アゲイト様のお母様が、優しい方だったらという願望を込めてしまいました」


 少し照れたように、微笑みながらベリル嬢は言った。


(――ああ、彼女は)


 どうして俺が望むものが分かるのだろう。


「もう少し、描いてみます」


 ベリル嬢は前を向くとスケッチブックを手に取った。


「ああ」


 その背中に、胸の奥から何かが急激に湧き上がるのを感じて。


 俺は背後からベリル嬢を抱きしめた。


  *****


 ふいにアゲイト様に抱きしめられて――頭の中が一瞬真っ白になった。


「ありがとう」


 耳元で声が響く。

 それから――頬に柔らかなものが触れる感触。


(……え)


 それがアゲイト様の唇だと気づいた瞬間、かあっと全身が熱くなった。


(ひゃああ!?)


 パニックになって、逃げ出そうとすると更に強く抱きしめられる。


「ベリル嬢は、こうやって抱きしめられるのは嫌い?」


 それでも逃げようとすると、アゲイト様の声が聞こえた。


「えっ、いえ、その。……な、慣れなくて……」


 家族以外の誰かに抱きしめられるなんて――前世を含めても、初めてだ。


「元の婚約者にされたこともないの?」


「あ、ありませんっ」


「そうか、良かった」


 アゲイト様が笑ったような気配を感じる。


「じゃあ、これから慣れてね。ベリル」


 再び頬に唇が触れた。

 痛いくらいにドキドキする心臓の音だけが、耳の中で響いている気がした。

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