第4章 1
初夏の風が心地よい、晴れた昼下がり。
屋敷の庭園を望むテラスで、私は妹マリンのスケッチをしていた。
「それで、昨日のサロンはどうだったの?」
一通り描き終わり、休憩しているとマリンが尋ねた。
「……自分からは話しかけられなかったけど。人の話を聞いているのは楽しかったわ」
昨日はお父様と一緒にサロンへ行ってきた。
サロンとは文化的なことについて語り合う集まりで、個人の邸宅へ招待される。
両親が招かれていたが、お母様が数日前に足を捻挫してしまい、外出するのは難しいからと代理で私が行ったのだ。
お父様の隣でただ座っているだけだったが、周囲で交わされる会話は興味深く、飽きることなく聞くことができた。
私が第一王子と婚約破棄されたことについて何か言われたら嫌だなと思っていたけれど、主催の夫人が根回ししてくれたらしく、それに触れられることがなかったのも嬉しかった。
「人が多い所でも楽しかったなんて、お姉様も随分進歩したわよね。アゲイト様とお出かけしているからかしら」
「……そうかもしれないわ」
アゲイト様とは、週に一回ほど外出している。
主にアゲイト様おすすめのお店や観光スポットで、先週はマリアさんの舞台にもまた連れて行ってもらった。
そのおかげで人が多いところに慣れたのだろうか、確かに以前より疲れを感じることはなくなっている。
「それにしても、意外よね」
「え?」
マリンの言葉に首を傾げる。
「初めてのデートで夜遅くまで帰ってこないなんて、やっぱり遊び人なんてダメじゃないと思ったけれど。お姉様楽しそうに帰ってきたんだもの」
「あれは……」
あの時は、たまたま街でマリアさんと遭遇して、思いがけず舞台を観ることになり帰りが夜遅くなったのだ。
(夢みたいな一日だったな……)
少しトラブルはあったけれど、とても楽しい出来事だった。
「全然寝込まなくなったし、アゲイト様と相性が良かったのね」
「相性……いいのかな」
「だってお出かけが楽しいのでしょう?」
「……でも、アゲイト様が楽しいと思っているかは……」
アゲイト様は色々なことを知っている大人で、私は学校を卒業したばかり、しかもコミュ障だ。
そんな私の相手など、面倒だと思っているかもしれない。
「嫌だったら毎週一緒に出かけないわ。向こうから誘ってくるのでしょう?」
「……親同士が決めたことだから、仕方なくつき合っているのかも……」
「もう。お姉様はもっと自分に自信を持ってって、いつも言っているでしょう」
少し怒りながらマリンは言った。
「お姉様にもいい所がたくさんあるんだから」
「私のいい所?」
そんなの、あるの?
「例えばいつも穏やかで優しくて、人の悪口を言わないでしょ。それに読書家で色々なことを知っているし、洞察力があるわ。絵だってすごく上手いし……」
「も、もういいわ。分かったから」
止まらないマリンに恥ずかしくなってきたので慌てて言葉を遮った。
――絵は確かに、人より描けるだろうけれど。
それ以外はいい所として挙げるほどでもないと思う。
「そういう謙虚なところもいい所よ」
にっこりとマリンは笑った。
「謙虚なんかじゃ……」
「お嬢様」
侍女がやってきた。
「アゲイト・オーランジェ様がお越しです」
「……え?」
アゲイト様が? ここに?
何の約束もなかったはず……。
「お渡ししたいものがあるので立ち寄ったとのことですが、いかがなさいましょう」
「ここに来てもらえばいいんじゃない」
マリンが言った。
「……そうね。通してくれる?」
「かしこまりました」
渡したいもの? 何だろう。
不思議に思っていると、やがて箱を手にしたアゲイト様が現れた。
「ごきげんよう、アゲイト様」
「やあ。姉妹でティータイム……ではなさそうだね」
私の手にあるスケッチブックを見てアゲイト様は言った。
「お見合い用の肖像画を姉に描いてもらいますの」
マリンが答える。
「お見合い? マリン嬢の?」
「ええ。隣国の侯爵家からで、最初は姉に話が来ましたの」
「……ベリル嬢に?」
アゲイト様の顔が険しくなった。
「外交を司る家で、お妃教育の経歴を買われたのですわ。でも姉は社交的ではありませんし、婚約者候補がいますから。代わりに私が話を受けることになりましたの」
殿下との婚約破棄から三ヶ月以上経った。
オーランジェ公爵家を始めとして、いくつかの家から婚約についての打診があったが、他国からというのは意外だった。
外交官の妻になるには、語学力や政治・経済の知識といったものが必要になる。
大抵それらは結婚後に学ぶことになるが、私はお妃教育で既に身につけているからちょうど良いとなったらしい。
けれどそれらの知識以上に大切な社交力が、私には全くなかった。
対してマリンは社交力はもちろん、語学力や他の学力も高い。
外交官の妻としての知識もマリンならばすぐ覚えられるだろう。
当人も外交の仕事にはかなり興味があるようで、「その縁談、私が受けたい!」と自ら望んだのだ。
そこで先方へ釣書を送ることになり、添える肖像画を私に描いて欲しいと頼まれ、今日はスケッチをしていた。
「へえ……。見てもいい?」
アゲイト様は私の手元を覗き込んできた。
「……はい」
スケッチブックを手渡す。
「すごい上手いね。よく特徴が出ている」
「……ありがとうございます」
「最近、お見合いには写真が主流だって聞いたけど。肖像画なんだ」
肖像画は実物より美化されて描かれる事が多いため、いざ本人と会うと別人ではないかと揉める事もある。
最近は技術の発達により鮮明な写真が撮れるようになったので、お見合いには写真が使われる事が多くなった。
「写真も送りますけれど、肖像画も添えるんですの」
マリンが答えた。
「写真は色がありませんし、それに見た目しか写りませんもの。姉の絵は内面まで表してくれるので、私の人となりを知ってもらうのにいいかと」
「……へえ。人の内面を……」
「お姉様。せっかくだからアトリエに案内して差し上げたら?」
マリンは私を見た。
「……そうね」
「いいの? 絵を描いている途中なんだろう」
「これは絵を描く前の素材用なんです。一通り描けたので、もう大丈夫です」
色々な角度や表情のマリンを描いた。
これらを参考に肖像画を描くのだ。
「じゃあ見せてもらおうかな」
「はい」
私は立ち上がると、アゲイト様を案内しながらアトリエへ向かった。




