第3章 8
「レディ! 本当に申し訳ございません!」
「あ……ええと。いえ……」
土下座しそうな勢いのヒスイさんに気押されながら首を振る。
「ええと……私、このような劇場は初めてで。……慣習にも疎いものですから……。そのように受け取られる方がいるとは思わなくて」
「いえ、これが浅はかなだけです。レディには全く落ち度はございません」
「ちょっとお兄様!」
「お前は黙っていろ」
「ヒスイ。妹を教育しておくよう何度も言っただろう」
(ああ……注目を浴びてるな)
ただでさえ目立つアゲイト様が、真顔で怒っているし。
ウィリデ商会の兄妹は声が大きいし。
周囲の人たちからの、好奇の視線を感じる。
紺色のドレスにしたのも、小説をイメージさせるからという以外に目立ちたくないという理由があったのに。
これでは意味がない。
(早く席に戻りたい……けれど……無理そう)
ちらとアゲイト様を見たけれど、怒りを収める様子はなく。
これは……頑張って、私が言うしかないのだろうか。
(言う? 私が? 無理……でも、言わなくちゃ)
楽しく劇を観るためだ。
一度深呼吸をすると私はヒスイさんへ向いた。
「あの……ウィリデ商会の方ですよね。いつも母がお世話になっています」
ヒスイさんはハッとした顔で私を見た。
「大勢の方が見ていらっしゃるので……。このような場所で騒ぎになり変な噂が出回ると、私もアゲイト様も困りますから。収めておいてもらえますか」
興味深げに私たちを見ている他の客たちを見渡す。
「もしも母が今日のことを知ったら……怒ってウィリデ商会との取引を止めると思いますので」
ずるい言い方だと思うけれど。悪い噂はなるべく立てない方が良い。
恐らくヒスイさんは、私が誰なのか分かっているだろう。
この髪色はお母様譲りだし、顔も似ているから。
ウィリデ商会は貴族との取引が多く、うちが取引を止めたとなれば他の家にも影響が出るかもしれない。
(ゲームのヒスイさんは、お店の評判が下がり売上が落ちることをとても嫌がっていたから)
「は。――ご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした。全てこちらの責任です」
表情を引き締めると、ヒスイさんは深々と頭を下げた。
「もちろん、レディにもアゲイト様にも、私の責任でこれ以上迷惑をかけません」
「よろしくお願いします。……アゲイト様、席に戻りましょう」
「あ、ああ」
アゲイト様を促して、私たちはバーから立ち去った。
(……緊張した……)
心臓がドキドキしている。
初対面の人に、あんな風に言えたのは初めてだ。
「――ごめんね、本当は俺が守らなくちゃいけないのに。バーにも行かない方が良かったな」
アゲイト様の声が聞こえた。
「……いいえ……バーは、楽しかったです」
前世では、舞台を観に行く時はいつも一人だったから。
開演前や幕間に、バーで楽しそうにしている人たちを羨ましいと思いながら見ていた。
自分が、あっちの側になれるとは思っていなかった。
「そうか。それなら良かった」
「……さっきの方々と親しいのですか」
「いや」
尋ねるとアゲイト様は首を振った。
「あの兄妹は野心家でね。妹は、あわよくば貴族に嫁入りしようと狙っている。兄の方も貴族と縁者になれる可能性があるからあまり強く諌めない」
「……そうなんですか」
「迷惑とはいえ俺もこういう平民が来る場所で遊んでいるし、適当にあしらっておけばいいと思ってたんだけど。ベリル嬢に迷惑がかかるなら改めないとならないな」
アゲイト様は立ち止まると私を見た。
「ベリル嬢は大人しいと思っていたけれど、ああいう風に駆け引きすることもできるんだね」
「え……えと、その……。早く席に戻りたいと思って」
「そうか。あのヒスイにあそこまで謝罪させたベリル嬢はカッコよかったよ」
アゲイト様の言葉に、顔がかあっと熱くなる。
「……ありがとう……ございます」
なんとかお礼を言うと、アゲイト様は微笑んだ。
後半の舞台もとても素晴らしかった。
恋人ローズに危険が及ぶことを知った主人公は、彼女に別れを告げる。
最後の夜、店内の片隅で見守る主人公の前でローズが歌うアリアは絶品で。
主人公への愛と別れの切なさを込めた歌は涙が止まらなかった。
ローズと別れ、逃げるために船に乗ろうとする主人公を政治家の手下が狙う。
あわやというその時、ローズが現れて「証拠を持っているのは私よ!」と叫んだ。
主人公を逃したあと、逃げ回るローズだったが海に落ちてしまう。
主人公が乗った船を見つめながらローズは海の中へと消えていった。
恋人の死を知り復讐に燃える主人公は、手に入れた証拠を元に政治家を追い詰め断罪する。
全てが終わり港町へ戻ってきた主人公は、ローズが沈んだ海へ赤いバラを投げ入れる。
月明かりに照らされた波間へと赤い花びらは消えていき、静かに幕が降りた。
「今日は来てくれてありがとう!」
終演後、楽屋へ行くとマリアさんが出迎えた。
「どうだった?」
「すっごく、良かったです」
役者さんたちの演技も、演出も。
全部が良くて、最高だった。
「ありがとう! 初日だからちょっとあやふやな所もあったんだけど……まだローズになり切れていなかったし」
「……そうなんですか? ローズそのものだと思いましたけど……」
「本当? どの辺がそう見えた?」
「ええと……。アリアを歌っている時に主人公への想いが、胸が痛くなるくらい伝わってきて……。ああ、本当にローズの歌を聴いているんだと思ったら、涙が止まらなくなってしまいました」
「まあ! ありがとう!」
マリアさんは目を輝かせると、私にぎゅっと抱きついてきた。
「そう感じてくれるなんて嬉しいわ!」
「――マリア。お前が抱きついていい相手じゃないぞ」
呆れたようなアゲイト様の声が聞こえた。
「何よ、いいじゃない」
私を抱きしめたままマリアさんはアゲイト様に向かって舌を出すと、私に向いた。
「ねえベリルちゃん、また観に来てくれる? 後半になれば演技も演出も更に良くなるわ」
「……はい、ぜひ」
「ですって。またよろしくね」
アゲイト様を見るとマリアさんはにっと口角を上げた。




