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「いやあ、それは限りなく黒だねえ」
事務所に戻って報告すると、三井さんはパソコンから顔を上げていった。
「調子に乗っちゃったなあ、そいつ」
「最後は飲みに行こうって誘われましたからね。うんざりですよ」
私は大げさに顔をしかめて見せた。
「でもさあ、どこにも小宮山さんが先にその書類を書いてましたって証拠はないんでしょ?それじゃどうにもならないよ」
私も、鹿島さんは黒だと思う。でも裁判で黒だと証明するには、証拠が必要だ。証拠がなければ、どんなに黒くてもそれは白と変わらない。それどころか、黒光りして白に見えちゃうこともある。そして鹿島さんが、ひいてはクライアントが白だということは、事務所の、ひいては私の勝ちということになる。
「おばあさんがあんまりうるさく食い下がってくるようだったら、開発をする上での参考意見としてうかがわせていただきましたっていって、いくらか包んで持って行けばいいんじゃない?」
私は気が進まないながら、もう一度鹿島さんに会う約束を取り付けた。本当は法務部と話をしたかったけれど、鹿島さんが私からの連絡を自分に回すようにいい含めておいたらしい。
「じゃあ、一緒に夕食でも食べながら話そうよ」
私は不承不承、了解した。面白い人ではあったけど、私は口説かれるつもりはまったくない。
鹿島さんが待ち合わせに指定してきたのは、ビルの最上階にある夜景の見えるレストランだった。
「正確な日付はわかりませんけど、すごく微妙なんですよ」
食事のオーダーが済んだところで、私は話を切り出した。
「鹿島さんが小宮山さんにお会いしたのと前後して、四ッ折りスマホの特許が出願されているものですから」
鹿島さんはしきりにお酒を勧めてくる。
「同じような時期に同じようなことを考えてる人間がいても、不思議はないんじゃない?大学でも一緒に研究してたんだしさ」
同期だっただけっていったのよ、あなたは。
「それはそうなんですけど、客観的に見ると、おや?と思う点がなくもないんですよね」
「それはなに、僕があいつの発明を盗んだっていってるの?」
クライアントの一員であるあなたに、私がそんなことをいうわけがない。
「そうじゃありません。ただ、先方が納得出来ないようなタイミングだと申し上げているだけです」
「それはちっとも客観的じゃないよね。小宮山の方の主観的ないい分だろ」
もっともらしいことをいう。しかし、時間軸上に事実を配置していって、それを俯瞰したものには客観性がある。私はそういうものの見方に慣れている。
「文句いってるのが奥さんだか誰だか知らないけどさあ、言い掛かりを付けるのやめて欲しいんだよね」
鹿島さんは二杯目のワインを注文した。
「僕はそんなの認めないよ。証拠がないじゃないか、なんていう馬鹿なセリフを吐くつもりもない。その上で訊くけど、君はどっち側の人間なの?」
私はクライアントと契約を結んでいる事務所の弁護士だ。クライアントの利益を守ることが私の仕事だ。
「僕は全然意識してないけどさ、小宮山の話を聞いて、それにインスパイアされた点はあるかも知れない。だから小宮山の奥さんに多少お礼をしたりするのは構わないよ。ただ会社を通じてっていうより、個人的にって形だけどね」
小宮山さんのことは、会社にはあくまでも伏せておくつもりか。
「奥さんも、もう亡くなられています」
「ああ、そう、ご愁傷さま」
食事の手も止めずに、鹿島さんはいった。
ここまでが、私の仕事だ。顧問弁護士としてこれ以上追求する義務はない。顧問弁護士の仕事は、クライアントの利益を守ることだ。
「食べなよ」
食事にまったく手を付けていない私に、鹿島さんはナイフを振ってうながした。
私は機械的に食事をとり始めた。
私も、おばあさんに「ご愁傷さま」っていったっけと思いながら。




