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正義の味方  作者: わだだわ


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6/12

 しばらく稼働していないとはいえ、工場内にはまだ鉄と油の臭いが立ちこめていた。灯りのスイッチを入れると、電灯からはわずかにぶうんという音がする。

 ないな、ここには。

 直観とかそういうものではなく、工場内の様子に基づく推測だ。

 コイリングマシンとか、端面研磨機とか、私が仕事上やむなく覚えてしまった機械たちが並べられた工場内には、落ち着いて書類を書けるようなスペースはない。それどころか、机ひとつ見あたらないのだ。所狭しという感じがするのはその機械のせいばかりではなく、実際に建物自体が狭いからでもある。

 私は一応、工場内を見て回った。

 こういう町工場でものを作っている人は、往々にして設計図を描かない。頭の中で線を引いて、そのまま機械に向かっていきなり完成品を作り出してしまう。その様子はまるで魔法だ。

 ときどき外部から持ち込まれる設計図は、一瞥をくれただけで丸めてほったらかしにされていたりする。

 老境を迎えた男性と、まだ若い息子、そしてそのお嫁さん。ここで忙しく立ち働いていた人たちがいまはもうこの世にいないかと思うと、胸に迫るものがある。

 でもそれは、私にはどうでもいいことだ。私が感情に流されて判断力を鈍らせることはない。私の仕事に必要なのは冷静さであって、アドレナリンではないのだ。

 あの書類がクライアントの特許取得より早く書かれていたという証拠がなければそれでよし、もしあるのなら私はクライアントの損害を最小限に抑えなければならない。そのために、およそ考えつくありとあらゆる手段を講じる。

 法律というのは強者の味方でもなければ弱者の味方でもない。法律は中立公正なのだ。そして有利に扱われたいと思ったら、そのために行動しなければならない。息子さんはおそらく、それを知らなかったのだろう。

 私は機械の裏まで見てみたけど、見つかるのは私のストッキングに穴を開けてやろうと待ち受けるらせん状になった金属の切り屑だけだった。

「なにもありませんね」

 部屋に戻って、私はおばあさんに告げた。もちろん、こういう時の枕詞、「残念ですが」を忘れずに。

「そうですか、どうしたらいいんでしょうねえ」

「事務所の方で、息子さんのお名前で特許申請されていないか調べてみます。それから悦子さんの名前でも調べてみますね」

 そういって立ち上がろうとしたとき、玄関のドアが開く音がして、「ただいま」という声が聞こえた。

 廊下を駆けてくる音に続いてがらりと障子を開けたのは、あの小さな男の子だった。

「こんにちは、お邪魔してます」

 私は振り返って、笑顔で挨拶した。

「こんにちは」

 男の子は小さな声で応えると、おずおずと部屋に入って来ておばあさんの横に座った。私の横を通るときに、わざわざ遠回りをしてだ。

 見た目はこの年齢の子供なりに可愛い。だけど態度は可愛くない。両親を亡くしていることを差し引いても、あれはない。

 おばあさんは、「ジュース持って来てあげようかね」といって台所の方に行ってしまった。ジュースくらい自分で取りに行かせればいいのに。そうやって甘やかすから、こういうガキに育つんだ。

 それでも私は、声のトーンを少しだけ高くして話しかけてあげた。

「今日は幼稚園だったの?」

「うん」

 あたりまえだ。こんな子供が平日昼間に一人で行く場所など他にない。ましてや頭に黄色い帽子をかぶって、水色のスモックを着ているとなれば。

「なにをして遊んできたのかな」

「お絵描きとシーソー」

 それだけで一日潰せるとしたらたいした才能だと思ったけど、子供というのは自分の記憶の表層にあるものだけを話すのだろう。

「お姉ちゃんは?」

 ここで「おばちゃんは?」といわれても、私は笑顔を崩さなかっただろう。たとえはらわたが煮えくり返っていたとしても。

「お姉ちゃんはね、おばあちゃんに頼まれたお仕事をしに来たの」

 私の返事に、男の子はぶんぶんと首を横に振った。

「どうして泣いてるの?」

「え?」

「お姉ちゃん、どうして泣いてるの?」

 そういって、上目遣いに私の顔を窺う。

 おいおい、それはいったいなにごっこだよ。最近の子供はどういう教育をされてるんだ?

 こう見えても私はお仕事の真っ最中で、あなたのお父さんが遺したっていう設計図が残念ながら無意味だと確信したところだ。仕事に燃えるキャリアウーマンここにあり。

 それを、なにを血迷ってこのガキは。

 それでも私はそんな気持ちを表に出したりはしない。他所様(よそさま)の子供がどんな教育を受けていようが私の知ったことではないし、この子と会う機会だってもうないだろう。そんな子供のことを気にしてなどいられない。

 おばあさんが台所から戻ってくるのと入れ替わりのタイミングで、私は席を立った。

「私はこれで失礼します」

 おばあさんは、「持ってってください」と醤油せんべいを何枚か持たせてくれたけど、どうしろというんだ、こんなもの。


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