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「こんなことやられたら、うちは商売どころじゃありませんよ」
苦笑いしながら、吉田さんはいった。
吉田さんは、吉田金型製作所の社長さんだ。彼の経営する製作所では、うちの事務所が顧問契約をしている会社が販売する携帯電話やスマホの金型を造っている。
「クライアントとしても、吉田さんの会社を潰そうだなんて思っていないんですよ。吉田さんのところは技術レベルも高いですし、いろいろと無理なお願いにも応えていただいていますから」
その吉田さんの会社が、金型製作の特許についてクライアントと争う姿勢を見せた。
争点となっている金型製作方法というのは、従来のプレス方法よりも軽量かつ複雑な形状を非常な強度で製作出来るもので、とても薄く、デザイン性に富んだ携帯を造ることが出来る。
その製作方法はクライアントが吉田金型製作所に技術指導したものだ、というのがこちらの主張だ。もちろん特許も取ってある。
ところが、その技術は自社で開発したものだというのが吉田さんの主張だ。だから特許使用料(私たちプロは実施料という)を払う必要もないし、逆にクライアントを通じてその技術を使用している他の製作所に使用料を請求したいという。
顧問弁護士事務所としてはそんなものに応じるつもりはさらさらなく、不当な請求だとしか思えないし、思わない。
当然、吉田さんにはその訴えを取り下げるようにお願いした。しかし吉田さんは、件の金型製作方法はあくまでも自分の会社が編み出したものだから、裁判ではっきりさせたいという。
だから、はっきりさせてあげることにした。いくつかのおまけを付けて。
金型製作の特許以外に、私たちは二件ほど特許侵害で裁判所に差止め請求を出す準備がある。
「故意過失要件の立証責任は被告側にありますので、吉田さんが私たちの訴訟内容について否定されるのでしたら、ご自分で自己の行為の具体的様態を明らかにしなければならないんです。特許法の一〇三条と一〇四条の二、それから民事訴訟規則七九条の三に基づいて」
私は吉田さんが事態をよく飲み込めるように、噛み砕かずにいった。法律的な内容を理解出来るかどうかと、事態を理解出来るかどうかというのは別問題なのだ。この場合、吉田さんが法律を理解してくれる必要はまったくない。裁判に訴え出ようものならどういうことになるかさえ理解してくれればそれでいい。
ありがたいことに吉田さんは物わかりがよく、「商売どころじゃない」という言葉につながった。
「うちは特許の侵害なんかしちゃいないし、むしろ逆だっていってるんですよ」
いかにも町工場の社長という風情の吉田さんは、うちの事務所の応接室では悲しいくらい浮いて見える。
携帯電話の製造というと、たいていの人はハイテク工場を思い浮かべるものだ。確かにチップや基盤のラインの方はそうなんだけど、ボディのもととなる金型の製作は町工場で行われていることが多い。
日本の町工場は優秀だ。無痛注射針や手術用のマイクロ鋏、望遠鏡や顕微鏡などの光学機器、さらには小さな鈴に至るまで、あんなものを造れる工場は世界中どこにもない。
残念なのはその製法が一子相伝だったりする上に、特許を取っていないことが多いことだ。
「それは裁判所が判断します。ただ判決が出るまでに、だいたい二年くらいかかりますが」
これがだめ押しになる。
自分が起こしたものも含めて、三つもの訴訟を抱えてやっていける町工場はない。あっという間に体力が尽きる。
「わかりました。訴訟は取り下げます」吉田さんは頭を掻きながらいった。「ですからそちらの方の訴えも控えていただきたい」
「もちろんです。クライアントも吉田さんとの訴訟合戦なんて望んではいませんから」
これは本当だ。クライアントが望んでいるのは、町工場は町工場らしく大企業の意向に従っておとなしく仕事をしてくれること。訴訟なんかで煩わされたいとは思っていないのだ。
「じゃあ、先方にもよろしくお伝えください」
部屋を出て行くとき、吉田さんの唇が「くそ女」と動くのがちらりと見えたけど、それは褒め言葉として受け取っておく。
こうして私はまたひとつ、事務所の期待に応え、クライアントに降りかかる混乱を未然に防いだ。




