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アストラル・レコード  作者: 藍沢義也
19/21

押さえつけた記憶

僕は山道に浮かんでいた。


お馴染みのあの感じ、幽体離脱だ。


でもそれは本物ではない。

これは夢なのだとなぜかはっきり分かっていた。


あの沢へと続く道。


なぜここにいるのだろうと思っていると、子供が二人歩いてきた。


あっと思う。


一人は子供時代の僕だった。そしてもう一人は……。知らない女の子だった。


「雨が続いていたから、水かさが増えているだろうって」と僕が言っていた。「気を付けろって父ちゃんが言ってたよ」


「大丈夫よ、そんなの」と女の子が答えた。


やがて二人は、例の渓流に着いた。

村の子供達の遊びスポット。


「ほら」と少女が言った。「全然平気じゃない」


いつもの沢だった。


それから子供達は水着になると、川で遊び始めた。


僕は川上に注意を向けた。嫌な感じがする。


僕は上流に向けて飛んだ。


「これは……」


そこでは、流木が重なりあって水の流れをせき止めていた。その天然のダムに溢れんばかり水がたまっている。


水圧で、今にもその流木のダムは決壊しようとしていた。


まずいぞ。


一本の木がぎしっと折れたかと思うと、それは一気に崩壊した。


鉄砲水だ。


押さえつけられていた水の流れは、まるで意思を持った怪物みたいに子供たちに襲いかかった。


「逃げろ!」と僕は叫んだ。


それが聞こえたのかどうか分からないが、子供の僕が顔を上げ、押し寄せてくる水流に先に気が付いた。


「わぁ!」と叫んで河岸に走る。


間一髪のところで、上半身は水を逃れ岩にしがみつくことができた。


振り返ると、飲み込まれた少女の頭が見えた。

手を伸ばして届くような距離ではない。


水龍は、一瞬で少女を連れ去った。


浮かんでは消え、消えては浮かぶ少女の頭を見ながら、子供の僕は泣き叫んだ。


夢はそこで終った。


僕の胸も張り裂けそうだった。


そうだ。これだ、この記憶。

はっきりと思い出した。


どうしてこんなに衝撃的な事を忘れていたんだろう。いや、それがあまりに強烈な記憶だったからか。

だから封印した。自分を守るために。


ここが元凶だったのだ。

記憶は閉じ込めたけれど、思いまでは消せない。

何も出来なかった、助かられなかったという思いだけが残った。


それ以来、僕には何も出来ないというその思考だけが僕の人世を作ったのだ。


あの少女はどうなったのだろう?


僕は朝が来るなり、母親をつかまえた。


「この前の、僕が溺れかけたって話なんだけど」


朝食の支度をしていた母は、とうとつな質問に明らかに戸惑っていた。


「なんだい、急に」


「その時、一緒にいた女の子がいたでしょう」


「ええ」


「その子はどうなったの?」


「流木に引っ掛かったおかげで一命はとりとめたって話だったけど」


それを聞いて、僕はほっと安堵した。

よかった。


「その子はそれからどうなったか知らない?」


「さぁねぇ、その後引っ越してしまったのよ、その一家は。もう家も取り壊されているねぇ」


「そうか……」


「それがどうかしたの?」


なんでもない、と僕は言ったけれど、どうにも気になっていた。

まだ大切な何かを忘れているような……。


「名前!」と僕は言った。


「わ、何よ、大きな声出して」


「その子の名前分からない?」


とんでもない事を思い付いてしまった。全く根拠はない。そうなんだけど……。


「その子ってさ、"ユキ"って名前じゃなかった?」


「ええ?覚えてないわねぇ」


「なんとか思い出してよ」


「そんな事言われてもねぇ。……あ」


「なに」


「母さん、あんたが子供の頃にね。毎日育児日誌つけてたのよ。そこに書いてあるかもしれない。当時、毎日のように遊んでいたからね」


でかした、母よ!


「それ、今見てくれない?」


「ええー?」

母親は面倒くさそうに顔をしかめた。「ご飯の後でいいでしょ?」


「頼むよ、ご飯ならやっとくから」


僕のごり押しに、母親はしぶしぶと台所を離れ、しばらくしてから一冊の古ぼけたノートを手に戻ってきた。

No.3と書いてある。


「多分、この辺だと思うけど」


母親が椅子に座ってぱらぱらとページをめくっている間、僕の心臓は早鐘を打っていた。


ただの勘だ。

だけど、それがもし正しければ……。


「ああ、あったあった。書いてある。その子の名前ね……しおりちゃん」


冷静に考えてみれば、あの少女がユキのわけはなかった。


それなら僕の事を知っていたはずなのだから。

それを隠す必要はない。きゃー久しぶりー、で済む話だ。


しかし、どうしてもあの女の子の事が気になっていた。


しおりちゃん。

僕の人生の基板となっていた無力感を作り出したエピソードに同席していた少女。


会ってみたいと思った。


朝食後に庭の草むしりを手伝っていた折りに、何気なくちちおやに尋ねた。


「父さんは、僕と一緒に川で溺れた子の消息なんて知らないよね」


「しおりちゃんのことか」


「え……?」

鎌を動かず手が止まった。「どうして名前知ってるの?」


「忘れないさ」と父親が言った。「俺が病院に運んだ」


「父さんが?」


「ああ。救急車を待つより早かったからな」


父親は立ち上がると、ぐいっと腰を伸ばした。それから、胸ポケットからタバコを取り出して火を付けた。


「それだけじゃない。それからも何度も会っている。今も定期的に」


「そうだったんだ……」

最初から父親に名前を聞けばよかった。「で、元気にしてるの?しおりちゃんは」


父親はすぐには答えず、ぷかぷかとタバコをふかした。


「なぁ、ヤマト。これはほんとうはお前に言いたくなかったんだ」


「…………」


「しおりちゃんな、あれから目が覚めていないんだよ」


絶句した。


そんな……。


「ずっと……?」


「ヤマト、あの事故はお前のせいじゃない。だけど……お前はそうは思わないだろ?だから言わずにいたんだよ」


なんてことだ。


僕は彼女が眠っている間、事故の事を忘れて、のうのうと生きていたわけだ。


「どうして今は教えてくれたの?」


父親は首を捻った。


「なぜかな。今は言ってもいいような気がした」


「あの子の居場所、知ってるんだよね」


ああ、と父親は言った。「隣町の総合病院にいる」


僕は鎌を置いて立ち上がった。


「車貸してくれないか」

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