第七話
「アルバイト?」
エレナはそう言うと首を傾げる。
中丸先輩との試合も終わり、何処に向かうのかをエレナに聞かれた駆は、アルバイトと答えた。しかしどうやらエレナはアルバイトという言葉を知らないようで、頭の上に疑問符を浮かべている。
「簡単に言ったら仕事だな」
「仕事? 駆は学生なのに仕事もしているのか?」
「まぁ、仕事と言っても喫茶店のお手伝いみたいなものだけど……」
エレナは駆の言葉に、何かを考えるかのように顎に手を当てる。
「ん? どうかしたのか?」
「え、いや……駆は侍で学生なのに、仕事もしているのだな……と」
「学生は認めるが、侍ではないな」
エレナの冗談に呆れながら歩いていると、後ろにいる凛音と真人の声が聞こえる。
「はい! さっさと歩く!」
「くそぅ……なんでこうなった」
元気な凛音に対して、真人の様子は一転して暗い。駆は二人を横目で見ると、二人に聞こえないようエレナに囁くように尋ねた。
「なぁ、エレナ。あの二人……なんかあったのか?」
「うむ。どうやら剣道の勝敗で賭け事をしていたようじゃか……見た限り凛音が、駆が勝つのに賭けていたようじゃな」
「ああ、なるほど」
駆はエレナの言葉に納得して頷く。
確かにこの二人なら、あの試合を賭け事に使ってもおかしくない。
「パフェ……ゴチになりますっ!」
「うわぁぁっ! 俺の財布の中身がぁぁ……!」
エレナの言う通り、どうやら勝ったのは凛音のようだ。
結局あの試合で二本を先取して勝ったのは駆だった。
中丸部長に突きを誘導させて、その攻撃の隙を狙う作戦。賭けと言っても過言ではなかった作戦だったが、駆はその賭けに勝った。突きを放った直後で隙だらけになっていた中丸の面に一本を入れたのだ。
(別に……勝つ必要はない試合ではあったんだけどな)
駆はそう思いながら隣を歩くエレナを見た。
実際、試合の序盤では駆は中丸部長に勝つ気など全くなかった。それなりに頑張り、それなりにいい試合をして、中丸部長には満足してもらおうと考えていたのだ。
そんな駆を心変わりさせたのは、試合を見ていたエレナの存在だった。
観戦していた生徒の大半が中丸部長を応援するか、試合の行方をただ見守っていたのに対して、エレナは最初から最後まで全力で駆のことを応援していた。
(久しぶりに全力で戦った気がするな。肩は痛いけど……まぁ)
駆は久しぶりに酷使したために、痛みを訴える左肩を撫でながらエレナを見た。
「ん~♪ んぅ~♪」
隣でエレナが、今にもスキップを始めそうなほどの上機嫌で鼻歌を歌っている。
(全力で戦っただけの価値はあったかな)
少なくともエレナをがっかりさせることはなかったはずだ。
「お前ら……店に来るのはいいけど、騒ぐなよ」
「はーい」
駆は振り向くと、歩道で騒いでいる二人に釘を刺す。
マスターは温和な人なため、騒ぎ立てても嫌な顔一つすることはないが、他のお客さんの迷惑にはならないでほしいものだ。
そんなことを話しているうちに駅前の喫茶店に着く。
「ここだ」
「ここが……駆の働いている喫茶店か?」
エレナが駆の足を止めた建物を見て「あれ?」、と呟く。
それは駅前に立ち並ぶビルの一つだった。駆はエレナの疑問に答えることもなくビルの中へ足を踏み入れる。
「説明するよりも、見た方が早い。さあ、いらっしゃいませ」
「お……おお!」
ビルの一角、周りが鉄筋コンクリートでありながら、レンガで仕切られた一際異彩を放つ店に駆は扉を開けてエレナを招き入れる。
店に足を踏み入れたエレナは、店内を見渡し、驚きと感嘆の混じった息を吐いた。
そこはビルの中とはとても思えない、中世のヨーロッパを思わせるレンガ造りの内装がされていた。これが駆の働く喫茶店「Sigh」だ。
英語でため息、吐息の意味を表す「Sigh」という店名は、店長であるマスターが、人々にのんびりとしてもらいたいと思ってつけたらしい。駅前という好立地と落ち着いた店内の雰囲気によって、知る人ぞ知る隠れ家的な名店と言われているとか。
「いらっしゃ……なんだ、駆君かぁ。凛音ちゃんに真人君、あと……あらあら? 可愛い娘じゃないの、駆君この娘は?」
扉につけてあるベルの音を聞き、店の奥から後ろ髪を三つ編みにして、濃い化粧、ロングスカートを見につけた中年のおじさんが現れる。
「……へ?」
いきなり出てきた女装した中年にエレナは戸惑いを浮かべた。だが、それも仕方がない。
駆がこの喫茶店で働き始めて一年、初めてこの喫茶店に足を踏み入れたお客さんの中で、この女装したおじさん……「Sigh」マスターの浜井さんを見て平然としていた者は数えるほどしかいない。
しかし、見た目はおかしくても、一度でも話してみると温厚で面倒見がよく、人付き合いが上手い人だと気がつく。「Sigh」の常連さんには、マスターと世間話をする為だけに店に通っている人もいるぐらいだ。
「この娘はエレナです。祖父の友人のお孫さんで、今は留学生として家で一緒に暮らしているんです」
「エレナです。初め……まして」
駆の紹介に合わせてエレナが頭を下げる。今日だけで多くの人に自己紹介をしたのだろう。エレナの口調には、戸惑いは浮かんでいても慌てた様子は一切ない。
そんなエレナを、マスターを愛おしいモノを見るように目を細めて、頬笑みを浮かべた。
「まぁ、日本語が上手なのね。さあさ、席に座って! 駆君は着替えてきたら、お客さんのオーダーを取って来てね」
「分かりました」
エレナたちをマスターに任せて、駆は店の奥の更衣室でこげ茶色のエプロンや黒いズボンなど、地味ながらも静かな雰囲気の店の制服に着替える。
更衣室を出ると、丁度マスターが厨房に入ってくるところだった。その手に伝票が握られているのを見ると、エレナたちの注文はマスターが取ったようだ。
マスターは駆を見つけると腰をくねらせながら歩いてくる。最初見た時、マスターのこの歩き方は不気味で仕方がなかったが、今ではもう慣れたものである。
マスターは駆に伝票を渡すとウインクする。
「イチゴパフェとチョコレートパフェ、コーヒー二つと紅茶一つよ。飲み物は私が作るから、パフェを任せてもいいかしら?」
「分かりました」
駆は返事をすると戸棚からパフェに使うガラスの容器を取り出す。その容器にコーンフレークを敷きつけていると、後ろからコーヒーの芳ばしい香りが流れてきた。
マスターこだわりのコーヒーは、店の看板の一つだ。芳ばしい香りに、ほのかな苦み、渋みと雑味は一切なくさっぱりとしている為、コーヒーを飲みなれてない人でもその味わいを楽しめる。
「聞いたわよ、駆君。あの中丸君と試合をしたんですって?」
「ええ、凛音が話したんですか?」
流石、全国に名を轟かすイケメン剣士中丸部長。もしかしたらこの夜坂市に中丸のことを知らない人はいないのかもしれない。
駆はコーンフレークを敷き終えると、マスターに返事をしつつ、冷凍庫からアイスクリームを取り出す。
マスターは駆の言葉にニコリと頬を緩める。
「いいえ、話してくれたのはエレナちゃんよ」
「エレナが?」
「そうよ。駆君が中丸君を倒した時のことを身振り手振りも交えてね。いいわねぇ、青春!エレナちゃんキラキラした目で『駆は侍だ!』、って言っていたわよ?」
「……侍じゃないって、言っているんですけどね」
そう言って駆は困ったように肩をすぼめる。
マスターは紅茶の準備をしながら、そんな駆に近づくとその笑みを一転、真面目なものに変えた。
「それと……駆君とエレナちゃん、同棲してるそうじゃない。部外者の私がこんなこと言うのは迷惑かもしれないけど、青春の過ちに手を染めちゃだめよ? 少なくとも自分の力で生活できるくらいにはならないと! エレナちゃんは可愛いけど……」
「な、何を言っているんですか! って、ああ!」
マスターの想像の斜め上を言った心配に、駆は持っていたアイスクリームを掬うスプーンを床に落とす。
マスターはそんな駆を見て、
「……動揺しているわね」
探るように呟いた。
「してませんって! 少なくともエレナをそういうふうには見てません! エレナは……ほおっておけない……妹みたいな存在といえばいいのか」
「うふふ……冗談よ」
少なくとも駆には、エレナを恋愛対象やパートナーとして見ているつもりはない。
駆の弁解にマスターは含むようにして笑うと、表情を曇らせた。
「でもね……親友だと思っていても、その相手がいつの間にかそれ以上の大切な存在になっていることは実際あるわ。その事は忘れないでね」
「わ、分かりました」
(もしかして……マスターの実体験だったりして)
急速にテンションが下がったマスターの様子に、駆はそんなことを思いながら、アイスや生クリームを絞り、クッキーをトッピングする。
パフェの準備を終えた駆にマスターがトレイを手渡す。そのトレイにはコーヒーと紅茶が湯気を立てていた。
「それじゃ、駆君。これもあの子たちに、持って行ってくれるかしら」
「はい」
差し出されたトレイにパフェをのせて、駆は厨房を出る。
テーブルではエレナと凛音が店に置いてあるファッションの雑誌を広げて、楽しそうに笑っていた。
「えー。エレナなら、この服も似合うよ!」
「うむぅ……そうかのう?」
「そうだよ! ほら、この服だったら駆も視線も釘づけだよ!」
「なっ! この服、へそが出ているではないか! ……だが釘づけ――か」
駆の知らぬうちにエレナと凛音は仲良くなっていたようで、エレナは頬を赤らめて、凛音は雑誌を指さしながら話している。
凛音の隣では、真人がこの世の終わりのような顔をして、机の下で財布の中身を確かめている。財布の中身を数えているのか、ぶつぶつと呟いているのが何とも不気味だ。
「あ、きたきた。おーい、駆! こっち、こっち」
駆が持っているトレイに、自分が頼んだパフェが乗っているのを見つけたのか、凛音が駆に手を振る。駆はエレナたちのテーブルに足を向けた。
「お待たせしました。お飲み物とイチゴパフェ、チョコレートパフェになります」
「あ、チョコレートパフェとコーヒーは私! エレナがイチゴパフェと紅茶で、真人がコーヒーだよ」
駆は凛音の言った通りに注文された品物を置いていく。
「あ、あの……」
エレナの前にイチゴパフェと紅茶を置いた時、エレナの顔が申し訳なさげに曇った。一瞬、怪訝に思った駆だったが、すぐにエレナの心意を理解して顔を振る。
エレナは駆が働いている時に、居候であり、お金も持っていない自分がメニューを頼んだことを気にしているのだ。だが駆にとって、それは気にすることではない。
店に初めて訪れたお客さんには、とびっきりのサービスをする。それが「Sigh」のマスターなのだから。
「エレナ、俺のことは気にしなくていいぞ。俺は好きで働いているんだ」
「しかし儂は……」
「どうせ、マスターに『お代はいらないわ!』、とか言って、半ば無理やり注文させられたんだろ? マスターは言い出すと人の話は聞かないぞ。諦めて、御馳走になれ」
「……ありがとう」
駆が小さなスプーンを手渡しながらそういうと、エレナは差し出されたスプーンを受け取って微笑んだ。
「ごゆっくり」
駆は少し頭を下げると、店の奥で手を上げる中年の男性に注文を取りに行く。
注文を取り、マスターに伝える。マスターが料理を作るのを手伝いながら、新たな注文を取る。注文されたモノを運び、店を出るお客さんの会計を行う。
「また明日ね。駆、エレナ!」
「あぁ……俺の財布……」
駆のアルバイトは、夕方の六時から始まり、日にもよるが大体一〇時に終わる。しばらくエレナと「Sigh」に置いてある雑誌を見ながら話していた凛音だったが、二時間ほどたったところで、いまだにしょげている真人を連れて店を出て行った。
「エレナは帰らなくてもいいのか? もし帰るのなら、鍵を渡すけど……?」
凛音たちの食べたパフェやコーヒーの皿を下げるときに、席に座り続けるエレナにそう声を掛ける。
エレナは頬笑みを浮かべると、その首を横に振った。
「いや、儂は駆が許してくれるのなら、一緒に帰りたいのだが……駄目か?」
「駄目ではないけど……暇じゃないのか? あと二時間は待たないといけないぞ」
「二時間程度どうってことはない。それに儂は暇などとはこれぽっちも思ってないぞ」
「……そうか。ならいいんだ」
上目づかいで屈託のない笑顔を浮かべるエレナ。
駆はエレナの言葉に頷くと、他のお客さんの対応に向かう。
エレナは注文を取りに行く駆のことをじっと見つめていた。
「ごくろうさま、駆君。もう上がってもいいわよ」
凛音たちが帰宅して約一時間。厨房で皿を洗っていた駆に対して、マスターが不意にそう言った。マスターのその言葉に、駆は壁に掛けてある時計を見て「え?」、と声を上げる。
「まだ、一時間残っていますけど……?」
時計の針は夜の九時を指している。通常駆のアルバイトは、九時半に店が閉まり、片づけが終わる一〇時まで続く。
駆の言葉にマスターは腕を組んだ。
「あのねぇ、駆君……これ以上エレナちゃんを待たせたら、男をとして失格よ。エレナちゃん、何も食べずに貴方のことを待っているんだから」
「なんでも注文してもいいって、言ったんですけどね」
何気なく放った言葉だったが、その言葉にマスターの目が非難するように細められる。
「駆君……エレナちゃんにそんなこと言っても、あの娘が遠慮するだけって分からなかったの?」
駆の動きが止まる。
「駆君も分かっているとは思うけど、エレナちゃんはとても良い娘よ。自分が駆君の家に泊まっているお客さんだと十分に理解して、行動しているわ」
マスターは棚の中からタオルを取り出すと、皿を洗い終えた駆に手渡した。
「エレナちゃんは貴方に迷惑を掛けないように行動しているのよ。そんな娘が、働いているあなたの隣で、自分が働いてもいないのにのうのうと食事をとれると思う?」
「……そうですね」
(確かに……エレナに好きにメニューを頼んでもいいって言っても、エレナの性格を考えると、俺に遠慮して注文を取ることはしないだろうな)
駆はマスターからタオルを受け取ると、大きく息を吐く。そんな駆にマスターは口元を綻ばせると、厨房に置いてあった紙袋を駆に差し出した。
「これは?」
差し出された紙袋を見て、困惑したように駆はマスターを見る。紙袋の中にはタッパーに入れられた肉じゃがや野菜炒めなどが入っていた。
「今から家に帰って夕飯を作るのは大変でしょ? ワンちゃんのご飯も入っているから、よかったらもらって」
「あ……ありがとうございます!」
頭を下げて、駆は紙袋を受け取る。
「はいはい。私にお礼を言っている暇があるのなら、早く着替えて、エレナちゃんを迎えに行ってください」
「分かりました」
駆は頷くと更衣室へ入っていく。
「Sigh」のマスター……浜井は駆が更衣室に消えると小さく息をついた。
「駆君……君は気付いているのかな?」
そう口にして浜井は苦笑いを浮かべる。
浜井の頭に浮かぶのは駆の連れてきたエレナという外国人の女の子だ。
最初は人形のような外見の可愛らしい駆君の彼女さん。そんな認識でしかなかった。
しかし彼女と会話をするうちに、彼女が何かを隠していることに気がついた。時代劇にでてくる役者のような話し方をする彼女だが、その流暢な日本語が彼女自身の話と、彼女と駆の関係の話になると、途切れ途切れになったのだ。
(気付いて……いるんでしょうね、駆君は優しいもの。エレナちゃん……彼女はどう見ても訳アリの女の子よ。彼女に深く関わってしまったら、間違いなく何かに巻き込まれてしまう……それを承知で駆君は、あの娘と関わっているんでしょう?)
エレナと話していると、どうもエレナは駆に何かしらの恩義を感じているかのように時折話す。つまり彼女には、恩人である駆にも話せない、または知られたくないことがあるという事だ。
「まぁ……だからこそ駆君は、エレナちゃんをほっとけなかったんでしょうね」
やはり駆君は優しいわね、と思いながら、浜井は首にかけた何かの花の模様が彫られているペンダントを手に取ると、遠くを見るような目でそのペンダントを見つめた。
「――が心配するのも頷けるわね。誰でも助ける優しさ……それは美徳でもあるけど、相手と自分を狂わせる毒でもあるから」
浜井はそう口にすると目を閉じる。
しばらくして背後でした扉の開く音に浜井が後ろを振り返ると、学校の制服に着替えた駆が更衣室から出てきたところだった。
「エレナは学校に興味はあるか?」
バイトを終えて二人で並んで帰る途中、ふと駆は隣を歩くエレナに話しかける。
エレナは悩むようにしばらく夜空を見上げると、コクンと首を縦に振る。
「学校というものに興味は……ある。儂は城……いや家からはあまり出たことはなかったからな」
「勉強は家庭教師とかを雇っていたのか?」
「うむ。街からは遠い場所に住んでいたのでな、勉強などは友人と一緒に、家の中で行っていたのだ」
そしてエレナは「制服というのも可愛いしな」、と小声で呟く。
エレナの言葉に駆は顎に手を置いて唸った。
「エレナは学校に通えるとしたら……通いたいか?」
その言葉を聞いて一瞬エレナはキョトンと目を丸くしたが、すぐに苦笑を浮かべ首を横に振った。
「まぁ……駆たちと一緒に勉強するのは楽しそうじゃな。じゃが、学校に行くには身分を証明しなければならぬし、少なくないお金も必要なことくらい儂にも分かる。今は駆と一緒に過ごしていることだけでも、十分に幸せじゃ」
エレナはそう言うと、小走りで駆の横を走り抜けてゆく。
そのまま十歩ほど行ったところで立ち止まると、エレナはクルリと振り向き、喫茶店から出る際に駆から半ば強引に受け取った紙袋を掲げた。
「早く帰らぬか、駆? 家で平八が腹をすかして待っておる!」
「……そうだな」
エレナの言葉に頷くと同時に、駆は心の中である決意をする。
夜道を照らす街灯の薄明りの中、振り向いたエレナの顔は微かに赤く染まっているように見えた。




