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オオカミ姫の守護騎士  作者: オガタカ
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第六話

 剣道場の中に足を踏み入れたエレナは感嘆の声を上げた。


「はぁ……駆の家の道場も広かったが、この剣道場も負けてないな」


「剣道は特に強い学校だからな。設備面で、他の部活と比べて優遇されているんだよ」


「ここは駆の家の道場と違って、床は畳なのだな」


 エレナは足もと一面、剣道場の床に敷き詰められた畳を珍しそうに見ている。

 駆は道場に一礼すると靴と靴下を脱ぎ、素足で畳の上に立つ。息を吸うと汗のにおいと共に微かに若草の青臭い匂いが胸に広がった。

 剣道場ではすでに防具を着て準備を整えた中丸と、真人と凛音、そして女子剣道部を束ねる未来と、男子の剣道部員、女子の剣道部員が待っていた。


「すいません。待たせてしまいましたか?」


「いや、僕も準備を整えたところだ。ゆっくり準備をしてくれ」


「分かりました」


 きょろきょろと剣道場を見回すエレナの手を引いて、駆は中丸の元へ行く。駆は中丸の言葉に頷くと、所在なさげに立つエレナに真人たちが座っている一角を指し示した。


「俺は準備をしてくるから、エレナは真人たちと一緒に観戦してくれ」


「うむ。頑張るのじゃぞ!」


 エレナは首を縦に振ると、真人たちの元に駆けていく。


「おーい! エレナちゃん、こっちに来なよ!」


 後ろではエレナを呼ぶ凛音の声が聞こえる。きっと大きく手でも振っているに違いない。

 そんなことを考えながら、駆は着替えるために男子剣道部の部室に入った。



「いや――、楽しみだな」


「そうだね。全国レベルの試合が今から始まるんだもんね」


 駆が剣道場の中にある部室に入っていくのを見て、真人が笑う。

 真人の言葉に、凛音も足を崩して同意を示し、同時に、駆から離れて一人で立つエレナに声をかける。


「おーい! エレナちゃん、こっちに来なよ!」


 ぶんぶんと手を振りながら呼びかけると、小走りで近づいてきたエレナは、凛音と未来の間に腰を下ろした。


「ねぇねぇ、凛音ちゃん。この可愛い女の子はどちらさま?」


 未来は隣に腰掛けた外国人の少女を見て、首を傾けると凛音に声をかけた。


「エレナちゃんです。駆のお爺さんの友達のお孫さんで、留学生だそうですよ」


「え、エレナじゃ。よろしく頼む」


 凛音に紹介され、エレナは隣に座る未来に慌てて挨拶をする。

 未来はそんなエレナの様子に微笑む。


「私は宇野部未来。女子剣道部の部長をしてます。よろしくね」


 そして未来は何かを思い出そうとするかのように、視線を上に向けた。


「えーと……エレナちゃん。もしかして今日の朝にお皿割った?」


「え、えっ? なぜそれを?」


 未来に言葉に、エレナは驚きで目を見開く。未来は口元に手を当てクスクスと笑うと、


「私の家は駆君の家の隣なの。今朝、外で素振りをしていたら、お皿の割れる音と女の子の悲鳴が聞こえたから気になっていたんだけど……貴女が、駆君の言っていたお客さんなのね」


「あうぅぅ……」


 皿を割ったことを知られていたことが恥ずかしかったのか、エレナが未来の話を聞いて顔を羞恥に染めて唸る。

 凛音はそんなエレナをチラリと見ると、未来に話しかけた。


「未来先輩は、駆と佑ちゃん……どっちが勝つと思いますか?」


「うーん……。状況によるかな?」


「……というと?」


 凛音の質問に、未来はしばらく無言で考える。


「駆君がスポーツとしての剣道をするつもりなら……中丸君が勝つと私は思うな」


「そうですか!」


 未来の答えに、凛音は納得したように何度も頷くと、隣に座る真人を見て意味ありげな笑みを浮かべる。


「真人、勝負しない? 賭けるのは勝つのは駆か、佑ちゃんか。景品は駆のアルバイト先のパフェで」


「別にいいけど……俺は中丸先輩に賭けさせてもらうぜ」


 真人は口の端を歪める。それは勝利を確信した顔だった。


「駆は去年の大会で三位だったけど、中丸先輩は一位。つまり高校生最強。更に毎日部活をしている中丸先輩と違って、駆は全くと言っていいほど部活に参加してない。これはもう中丸先輩が十中八九勝つね!」


「そうかもねぇ」


 中丸の勝利を力説する真人に、未来は微笑みながら頷く。


「駆―っ! 頑張れー!」


 剣道場にエレナの応援が響く。その叫び声につられ、中にいた生徒は皆、部室の扉に目を向けた。

 そこには防具を身につけ、籠手と竹刀を脇に抱えた駆が立っていた。



「お待たせしました。さあ始めましょう」


「すぐにかい? 準備運動は?」


「この後にアルバイトが入っているので……それに試合中に温まると思うのでいりません」


 駆は中丸の申し出を断ると、竹刀を構えて腰を落とす。中丸も納得したのか、駆と向かい合うように竹刀を構え、腰を落とした。

 その間に旗を持った審判を務める剣道部員が入り込み、


「今から中丸佑治と桜木駆の試合を始めます!」


 そう口にして数歩後ろに下がる。

 駆と中丸はどちらからともなく立ち上がると――


「始めッ!」


 試合開始の合図と共に同時に打ちかかった。

 互いの竹刀が空中で激突して、乾いた音を立てる。

 初撃で仕留められなかったことに対し、面の中で舌打ちをして、駆は体重をかけた左足に力を入れてその場に踏みとどまった。

 しかし中丸は最初から打ち合う事は想定していなかったのか、身体が傾き、構え直した竹刀がぶれる。

 中丸がバランスを崩したのをチャンスと見て、駆は足を踏み込む。そのまま鍔迫り合いにもって行こうとして、


「ッ?」


 悪寒を感じて咄嗟に足を踏み出した勢いのまま横に跳ぶ。その一瞬後、駆がいた所を竹刀が走った。


(あぶねぇ……バランスを崩したように見えたのは、胴をなぎ払うための誘いだったか!)


 すぐに体勢を整え、反撃に転じようと中丸に向き直ろうとする駆。

 しかし駆が向き直ったその時、目に映ったのは自らに肉薄する中丸だった。


「面ッ!」


 気がついたときには駆の頭を衝撃が襲い、すぐ横を中丸部長が走り抜ける。


「面あり、一本!」


 その瞬間、審判が旗を揚げて一本を宣言する。剣道場に中丸を応援する女子剣道部員の歓声が響いた。


「……ふぅ」


 駆はだらんと腕を下ろすと、深いため息をつく。

 全体的な技術力、スポーツの剣道として一本を取る技については、圧倒的に中丸に分がある。だが目や瞬発力、小手先の技術は幼い頃から祖父に剣術を叩きこまれていたため、駆は中丸とでも互角以上に戦える実力は持っていた。

 しかし、駆にはこの試合に対する熱意は無い。勝敗など駆にとって些細なことだった。

 駆と中丸は、再び元にいた位置に戻ると竹刀を構える。

 剣道の試合は二本先取したら勝ちである為、一本を取られてもまだ試合は終わらない。


「始めっ!」


 審判が試合再開のコールをする。勢いよく打ちかかってくる中丸の竹刀を反射で凌いだ駆だったが、その攻撃の重さに竹刀を持つ左手が抜ける。

 スローモーションの世界の中、中丸が駆の面を狙って竹刀を振り上げる。バランスを崩した状態の駆では、その攻撃を防ぐことも、避けることもできない。


(ああ……負けたな)


 迫る竹刀を見ながら、駆の心を諦めが支配していく。これ以上の抵抗を行う気もなく、竹刀を持つ手を駆が下げようとした時、


 頭の中を、剣道と聞いて目を輝かせたエレナの姿が過った。


 瞬間、駆は反射的に大きく足を踏み込んだ。それは『エレナに負けるところを見せたくない』、という意地から出た行動だったのかもしれないし、『エレナの期待に応えたい』、という思いから出た行動だったのかもしれない。

 とにかく『窮鼠猫を噛む』に近い、追い詰められながらも前に出るという駆の非常識な行動の結果、その行動に対応できなかった中丸の攻撃は面を掠るだけに止まった。

 中丸が驚愕で目を見開く。

 一瞬の隙に、駆は無意識に中丸を突き飛ばし、がら空きとなった胴に竹刀を叩き込んだ。


「ど、胴あり! 一本!」


 審判のコールに、剣道場がどよめきに震える。


「すごい、すごいぞ! 頑張れ、駆!」


 立ち位置に戻った時にエレナの声が聞こえ、駆が顔を向けると、凛音と未来に挟まれたエレナが、両手を上げて声を上げているのが見えた。

 無邪気に喜ぶその姿に、駆の顔に自然と笑みが浮かぶ。そしてそれと同時に、


(勝ってみるのも……悪くないかもしれない)


 そんな感情が頭をもたげる。


(部長に勝つためにはどうするべきだ?)


 駆は目の前に立つ中丸を眺める。

 去年の全国覇者だ。おそらく同年代で、中丸に剣道で勝てる者はいないだろう。


(そう、剣道では勝てない……でも、剣道の形式に捕らわれなければ?)


「始めっ!」


 駆が考えていると、審判が試合再開を指示する。

 それと同時に駆は身体を右に向け、竹刀を立てて構えた。

 八相の構え……一見野球の打者にも見えるその立ち姿、見慣れないその構えに、周囲の生徒が困惑する。

 本来、剣道で一般的に使われている構えは、正眼の構えと言い、竹刀の先端を相手の目に向ける攻守共に優れたスタンダードなものだ。

 対して八相の構えは、多人数を相手にしたとき、長時間の戦いが予想されるときに多く使われる実践的な構えの一つだ。その為、一対一、更に試合時間が設けられている剣道で使われることはほぼ無い。

 中丸もその構えに困惑しているのか、これまでのように試合の開始直後に打ち込んでくる様子はない。

 剣道場を静寂が支配する中、駆がジリジリと少しずつ間合いを詰める。

 そして中丸のリーチに駆が足を踏み入れた瞬間、中丸が動いた。駆は予想通りの状況に内心でほくそ笑むと共に、剣術を教えてくれた祖父との会話を思い出していた。





『いいか、駆。強い剣士が絶対持っているもの……それは相手の選択を制限する力だ』


『選択を……制限?』


 まだ身体ができていない小学校の頃、祖父が稽古の休憩中にそんな話を始めた。祖父は意味が分からないと首を傾げた幼い駆に、首元まである長い顎鬚を撫でながら頷く。


『そうだ。例えば一対一の状況で、相手が八相の構えで迫ってきたとしよう。駆、お前ならどう動く?』


 祖父の質問に、駆は頭を捻る。


『八相の構えは……長い時間刀を構えていられるのが長所だよね?』


『そうだな』


 駆の言葉に、祖父は同意を示す。駆は言葉を続ける。


『という事は、長期戦になれば相手の思う壺。……だからといって、簡単に打ち込んだら防がれて、切り返されるかもしれない』


『なら、どうする?』


『僕だったら急所――丸見えの喉元に突きをいれる……かな?』


『その通りだ』


 祖父は駆の言葉を聞いて、手を叩く。祖父の態度から、自分の答えがあっていたと知り顔をほころばせる駆だったが、祖父はいきなり苦虫を噛み潰したような表情で駆を見た。


『だが……強い剣士というものは、お前がそう考えることを予測して動く。喉元への突きは確かに脅威だが、くることが分かっていれば容易く捌ける。……意味は分かるか?』


『つまり……相手が弱点を見せたら、それは誘っているかもしれないってこと?』


『そう。そして、お前もわざと弱点や隙を見せることで相手の行動をコントロールできる』


『……分かるような、分からないような』


 祖父の言葉に駆は眉を寄せる。祖父はカラカラと笑い、皺だらけの手で駆の頭を撫でた。


『駆ならすぐに理解できる。お前も光照(みつてる)……父親に似ているからな。アイツは相手の考えを読んだ駆け引きが上手かった』





 今の状況は、あの時……祖父と話していた状況と全く同じだ。


(俺の構えは八相。短絡的な相手だったら、がむしゃらに打ちかかってくるだろうが……)


 相手は冷静沈着な中丸部長。彼なら冷静にこの構えの隙を――


(がら空きの喉元を狙ってくるッ!)


 中丸の手元から、光を連想させるような鋭い突きが喉元に迫る。しかし、それは想定の範囲内だ。

 喉元に迫った突きを、駆はギリギリまで引きつけ、際どいタイミングで横に避ける。狙いすました突きが避けられたことに驚いたのか、中丸が息を飲む気配がしたが、くるのが分かる攻撃を避けるのは駆にとっては難しくない。

 突きで伸びきり、隙だらけの中丸の身体。

 駆は竹刀を振り上げると、中丸の面へ間髪を入れることなく打ち込んだ。


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