第八話
静岡県の西部に位置する地方都市、夜坂市。三方を山に囲まれ、太平洋と面する位置にあるこの都市は人口一一万人と、周囲の都市の中でも最も人口が少ない。
しかし周囲の都市の人々は週末や休日になると夜坂市に訪れる。それというのも夜坂市には、小さいながらも夜坂ランドと呼ばれる遊園地や、地上四八階、二三〇,五メートルの高さを誇る夜坂タワー、そして近隣には太平洋の生物を展示している水族館があるからに他ならない。
夜坂市に隣接する都市に暮らす人々は、ある人は家族サービスに、ある人は息抜きに夜坂市に訪れるのだ。
しかし、なぜ四方を海と山に囲まれた交通的に不便なこの地方都市に、ここまでの施設がいくつも建てられているのか。
それは夜坂市の山間部に建てられている国立夜坂研究所の存在が大きい。
国立夜坂研究所は夜坂市の面積、約八%を占める広大な敷地と、政府の莫大な資金援助によって最新の設備を持つ、日本で最も大きい研究機関と言われている。
この研究所の功績は大きく、数年前に東南アジアで発生した感染症のワクチンを開発したことや、特定の性病に対する予防薬など、数々の結果を出してきたことは有名である。
そして研究所は毎年、地域の支援という形で莫大な資金援助を夜坂市に行っている。
夜坂市に建てられている娯楽施設、観光地の大半は研究所の「地域支援」という名目によって資金援助された資金で建てられているのだ。
故に夜坂市の人々は研究所に嫌悪感を抱かない。むしろ好意を感じている。
研究所の本性も知らず……
研究所が何を目的として設立され、これまで何を行ってきたのか。……それを知るのは、夜坂市でも、そして政府の中でも数えるほどしかいなかった。
夜坂市の山間部に隣接する第三研究施設の地下。
カード認証、指紋認証、網膜スキャンなどの強固な警備システムを潜り抜けたその先……会議室と印刷されたプレートがつけられている室内に、眼鏡をかけ、白衣を身に纏った一人の女性が入っていった。
年の頃は二〇代後半ほど、明るい茶髪を後ろで縛っている。見た目の割に落ち着いた物腰を感じさせる彼女は、U字に並べられたテーブルを囲う三人の顔を見て、不機嫌そうに顔をしかめた。
そんな彼女を見て、テーブルに片足をのせて煙草をふかしている白人の大男が鼻で笑う。
「なんだ? 妖魔開発責任者様は機嫌が悪そうだな」
「当たり前でしょう。真夜中のこんな時間にいきなり呼び出されたんだから……寝ていた仮眠していたこっちの身にもなってほしいわ」
「――の割に、着るもん着てるじゃねぇか」
そう言って男は、会議室に入ってきた女性の上半身から下半身を舐めまわすように眺める。女性が男の目線を手で払っていると――
「早く座れ、叶。 招集した幹部はお前が最後だ」
席に座る黒髪の女性が苛立ちを含んだ声で呟いた。
「そうね。ごめんなさい、朝美。貴女がせっかちなのを忘れていたわ」
叶はそう言うと朝美と呼んだ女性の正面の席に腰掛け、皮肉気に口の端を歪める。
「それで所長補佐と警備部長……そして期待の新人くん」
叶はテーブルの端の席に座る青年に目を向けるが、青年は叶を一瞥すると興味もなさそうにそっぽを向く。
その様子に叶は苦笑すると、目線を朝美と呼んだ女性に向けた。
「こんな時間に妖魔計画に関わる幹部たちを集めるなんて……一体何が起きたの?」
その目には正面から見た者を怯ませるような光が宿っていたが、朝美は動揺の色を見せることなく叶を見据える。
「非常事態だよ。お前らを集める理由なんてそれ以外ない。私だってお前たちと顔を合わせたくない」
朝美は目の前に置いてあったリモコンを手に取ると、会議室に置かれているプロジェクターの電源を入れる。叶たちの目は映像が投影されているスクリーンに集められた。
「これは……っ!」
スクリーンに映された映像。その映像に叶は呆気にとられた。
それはある少女を中心に捉えた写真だった。監視カメラからとったのか、彼女の顔は見下ろすように映っており、彼女がカメラに気づいている様子はない。彼女は何かを抱えているようだが、この映像からは何を抱えているのか分からなかった。
朝美はリモコンをテーブルに戻すと、心なしか低い声で説明を始めた。
「これは一週間ほど前に夜坂市に向かうフェリーに設置された監視カメラの映像だ。自動顔認証システムに引っかかったコイツの顔を分析して、驚いたよ。コイツは二年前に私とヴォルフラムがあの方に与えられた目標だった」
「でも今は――」
「そうだ。あの方に確認したら、今現在、コイツは必要ないそうだ。だが、次の実験のことも考えて、素材として目の届く所に置いておきたいらしい」
そこで朝美は一つ咳ばらいをすると、態度の悪い大男に顔を向けた。
「ヴォルフラムにはコイツの捜索と、場合によっては捕獲を任せる。手足は多少もぎ取っても構わないが――」
「ま、待ちなさい!」
そんな朝美の言葉を叶が遮った。朝美はため息をつくとテーブルに手をつき立ち上がっている叶を睨みつけた。
「……不満か?」
「当たり前でしょう!」
そう叫ぶと叶はゆっくりと椅子に腰を下ろす。その顔には疲労の色が見え隠れしている。
「朝美……貴女は今、私たちがどういう状況にあるのか分かってる? マルティ……あの娘が研究所から脱走してもう一カ月。いつあの娘が私たちのやっていることを世間に流すのか、分からない状況なのよ!」
「あの裏切り者については問題ない。他市への交通機関には私たちの息が掛かっているし、インターネットの情報についても、我らが完全に監視している。あのバカは夜坂市から出ることもできないし、我らの情報を外に出すこともできない。ただ――」
そこまで口にすると朝美は一呼吸いれて、会議室に集まった幹部たちの顔を疑いのこもった眼差しで見た。
「お前ら……おかしいとは思わないか? いくらあのバカが元幹部だったとしても、裏切ってから一カ月、我らの捜索網に掛かりもしないなんて」
「まぁ……確かに市内の防犯カメラはおろか、市内に潜ませている私兵や妖魔兵士の監視、捜索の目を一カ月も逃れ続けるのは強運だな」
ヴォルフラムは欠伸交じりに朝美の意見に賛同を示す。
「私は……この研究所内にあのバカの逃走を手助けしている裏切り者がいると思っている。それも研究所の捜索、監視の術を知っている高位の職員……お前らのような幹部クラスの人間がな!」
「つまり……俺たちを疑っていると?」
朝美の言葉に青年が呟く。朝美はそんな青年を鼻で笑うが、青年は形のよい眉を細めただけだった。
「当たり前だろう。私はお前ら四人を信頼したことなどない」
「奇遇ね、私も貴女を信用したことは無いわ。四人……ってことは、信頼できない対象には貴女自身も含まれているのかしら?」
「馬鹿が。昼夜問わず訓練施設に入り浸っている、あの人形の小娘に決まっているだろ」
朝美は叶を見て不快そうに顔を歪めると、吐き捨てるように口にしてプロジェクターの電源を切った。
「とにかく、ヴォルフラムはあの娘を見つけて連れて来い。私と和己は変わらず、裏切り者を探して処分する。お前は……引き続きあの方の研究を補佐しろ」
「貴女に言われずとも、私はあの男を手伝うわ」
朝美と叶は、そう言うと互いに睨み合う。
その視線には確かに信頼というものは欠片もなく、敵意と嫌悪感に彩られていた。
「もういい、連絡はこれで以上だ。解散しろ」
しばらく叶と無言で向かい合っていた朝美だったが、おもむろに席を立つとそう言って会議室で出てゆく。
そして朝美に続くように、まず和己と呼ばれた青年が、次にヴォルフラムが次々と出て行き、会議室には叶だけが取り残された。
叶はため息をつくと眼鏡を机の上に置き、懐から携帯を取り出して指を動かす。
やがて叶は目頭を指で押さえ携帯を操作する手を止めると、天井を見上げた。
「あの子が巻き込まれなければ……私はそれでいいのよ」
その呟きを聞いた者は誰もいなかった。




