少女と幼女
鏡のように磨かれた黒曜石が敷き詰められた床の上に、流れ出す血の如く鮮やかな絨毯が敷かれている。
細長い部屋の壁にはづらりと調度品が並べられ、どこかの美術館かと見紛う光景が広がっていた。
一片の乱れも無い静謐な空気の中、絨毯の上に跪いた男が一人、つらつらと言葉を紡いでいる。
「……以上で、報告を終わります」
帝国軍の軍服を纏った中年の男が語ったのは、帝国を取り巻く戦況について。
停戦合意が為されてから一週間、双方共に目立った動きは起こっていない。
「うむ」
と、男の遥か頭上から、重厚な声が響いた。
その声を発したのは、白い髭を生やした壮年の男。
やり過ぎな程絢爛に彩られた衣装を纏い、色とりどりの宝石が散りばめられた玉座に腰掛ける男こそ。
ジルバール帝国初代皇帝、ジルバール・ザグレス。
「しかし、急な停戦には驚きましたな。多少やり返されたとはいえ、まだまだ我らに分が――」
「貴公は、余の方針に不満でも?」
愚痴を零すような男の言葉が、強い口調で遮られる。
「いえ、め、滅相もありません」
言葉そのものが質量をもったかのような迫力を前にして、歴戦の軍人が冷や汗を流す。
全盛期を過ぎたとはいえ、たった一人で帝国の礎を気付いた実力に衰えは見えない。
皇帝が一言命じれば、男の命など埃を払うように消し飛んでいるだろう。
「ならば良い。今後とも務めを果たせ」
「は、はっ」
顔を青褪めさせた男は、みっともなく何度も頭を下げながら退出していった。
「済まぬ、随分と待たせたな」
重厚な扉が音を立てて閉まるのを確認した後。
皇帝はおもむろに玉座の背後へ話し掛けた。
その口調は、先程までとは打って変わった優しげなもの。
「いえ」
金の前髪を払いつつ現れたのは、大きな眼鏡を掛けた白衣の女性。
普段と全く変わらない乱雑な格好は、厳粛な謁見の間に相応しいとは言い難い。
「先日の件は申し訳ありませんでした、陛下のご期待に添えず」
博士の誇る優性部隊は、相次いで敗北を期していた。
裏切り者に隊員を二人も撃破され、虎の子である紅蓮の戦乙女までもが行方知れず。
普通なら、叱責の一つもあって然るべきだろう。
「そのような些事、どうでも良い」
が、皇帝の声に怒気は含まれていなかった。
「余が求めているものは、俗に塗れた栄華などではない」
「承知しております」
遠くを見つめながら言葉を紡ぐ皇帝へ、博士は深々と頭を下げる。
「ならば、成果は出たのか?」
「有望な贄が一体。まだ断言は出来かねますが」
その報告に、今まで鉄面皮を保っていた皇帝の表情が僅かに動く。
「では急ぐが良い、最早我らに時間は残されていないのだから」
右の掌を向け、皇帝は博士へ直々に命を下す。
皇帝から直接賜った宣告は、帝国において他の全てへ優先する。
「御意」
それはまた、命を果たす為に他の全てを用いても良いという是認でもあった。
重々しく頷いてから、博士は音も無く姿を消した。
「世界が先か、余が先か……」
うわ言のように呟きながら、皇帝は精緻な硝子細工の刻まれた天井へ視線を彷徨わせる。
その顔には、薄らと笑みが浮かんでいた。
※
「お前もついて来るって!?」
唐突な申し出に、マツリは口をあんぐりと開かせる。
その背中には鉄球が背負われ、今まさに旅立とうとしていた所だった。
「決めたのよ、自分の目でちゃんと見るって」
たった数日の間に、シェイリスの認識は百八十度ひっくり返った。
自分が今まで思っていた、母から教えられていた世界は、現実から大きく離れていたと分かったから。
質実剛健とされた帝国軍は決して清廉潔白ではなく、楽園と謳われた帝都から逃げ出す民もいる。
何が本当で何が嘘なのか、こうなれば徹底的に見極めなければ気が済まない。
「本当に宜しいので? その……」
「手酷い裏切りだって分かってるわ。でも、黙ったままじゃいられないのよね」
はっきりと言い切ったシェイリスへ、グレイスは静かに首を振る。
「そうではなく…… ええと、マツリさんは、貴女の仇では?」
「勿論忘れちゃいないわ」
刺すような視線を向けられ、マツリは不意に顔をしかめる。
しかし、その緊張は長く続かなかった。
「でも何故かしらね、今はあんたを見てもそんなにムカつかない。完膚なきまでに叩きのめされて、色々すっきりしたのかもね」
そう言って、シェイリスはふふっ、と微笑む。
「だからって、慣れ合う気は無いわ。別にあたしは、あんたの友達にも手下にもなった気は無いから!」
びしっ、と人差し指を付き付け、シェイリスは高らかに宣言した。
「ったく、面倒な奴だな」
これから同行しようとする相手へ、最初から喧嘩を売るような言動を取るとは。
どれだけ不器用で、どれだけ真っ直ぐなのか。
ぶっきらぼうに呟きつつ、マツリは頬を緩めていた。
「あんたに言われたくないわよ」
「何ぃっ!」
「何よ!」
「案外、似た者同士かもしれませんね」
殴り合いかけた二人を引き離して、グレイスは溜息を付く。
この分では、これからも気苦労が多そうだ、と。
「どこがだ!」
「どこがよ!」
眉を顰めて反論する二人の呼吸は、判で押したようにぴたりと一致していた。
※
旅立つマツリ達の見送りには、殆どの村人が集まっていた。
「お世話になりました、何とお礼を言って良いか」
「気にすんなって、好きでやったことだ」
次々と礼を告げる村人達を前にして、マツリは居心地悪そうに頬を掻く。
「奴らの本拠地は既に壊滅させてあります、復讐に怯えることも無いでしょう」
逃げ延びた帝国兵達を放っていては、再びこの村が襲われかねない。
彼らが拠点にしていた古びた砦は、マツリの手によって完全に消滅させられていた。
「何から何まで、本当に」
「だぁぁっ、頭なんか下げてんじゃねぇっての」
頬を真っ赤に染め、逃げるようにマツリは首を振る。
心底照れ臭そうにしながらも、その顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。
「行っちゃうの? 旅人さん」
「ごめんね。でも、これが今生の別れじゃないから」
寂しげに瞳を潤ませる少年へ、シェイリスはしゃがみ込んで頭を撫でる。
「……どういう意味?」
「会おうと思っていれば、また会えるってこと。きっとね」
「旅人さん…… うん、分かった!」
涙をごしごしと拭い、少年は力強く頷く。
その瞳は、歩き出したシェイリスの背中を真っ直ぐに見つめていた。
「……またね」
誰に聞かせるでもないシェイリスの呟きは、吹き抜けた涼風に掻き消されていた。
※
村人達の歓声を背に出立し、マツリ達は荒涼たるあぜ道を進んでいく。
「で、行先は決めてあるの」
「さぁ、特に決めてねぇな」
あの村を訪れたのも、端に道に迷っただけのこと。
帝国を倒すという目標はぶれずとも、具体的な計画は無いままだ。
「呆れた、全くの無計画なんて」
あまりに能天気過ぎる答えに、シェイリスは眉を顰める。
「じゃあ、お前に案はあるのか?」
「そうね……ジョベイルに向かうのはどうかしら」
「聞いたことの無い地名ですが」
聞き慣れぬ名前に、グレイスは首を傾げる。
帝国軍の拠点がある場所なら、大方は記憶している筈なのに。
「確かに、特に目立ったところは無いただの田舎ね。でも、私にとっては違う。あそこは……私の故郷だから」
「呑気に里帰りかよ、今はそんな場合じゃ――って」
怒りも露わに反論しかけたマツリが、不意に瞳を見開かせる。
シェイリスの生まれた場所、それはつまり。
「その街には、一つの施設があるの。帝国が誇る天才によって建立された、一つの研究所が」
視線を空へ彷徨わせながら、シェイリスは静かに語り出す。
「つまり、そこが」
「帝国軍第一研究所。優性部隊発祥の地であり、私が私になった場所よ」




