第9話 元聖女、転移魔術師と再会する
開墾途中の土地に片膝をつき、グロリアは地面に片手を添えていた。
もう片方の手には金色のロザリオ。閉じた瞼の下で祈りを捧げる彼女を、淡い光が包んでいる。輝きが土へ染み込むように広がり、やがて静かに薄れていく。
「ふぅ……これで浄化完了っと」
五箇所目の浄化を終え、グロリアはゆっくり立ち上がった。
「いやぁ、たいしたものでござるな! 気のせいか、先ほどまでの淀んだ空気も、随分と澄んだように感じるでござる」
「あ~、疲れたぁ~」
肩を回すたびに、こきこきと小さな音が鳴る。グロリアは顔をしかめ、最後に大きく息を吐いた。
「じゃあ、さっさと報告しましょうか」
「そうでござるな!」
東の空はすでに白み始めている。二人は切り株や掘り返された土を避けながら、野営地へ向かう道に出た。
「もう眠いったらないわ。さっさと帰って、お風呂に入って寝たい……」
「拙者はまだまだ元気でござるよ!」
「でしょうねぇ。あんた、さっきからずっと楽しそうだもの」
包帯だらけのエストは足取りも軽い。隣では、グロリアがあくびを噛み殺している。
「そういえば、グロリア殿は詠唱をされないでござるな。何か理由があるのでござるか?」
「ん~? まあ、元聖女だからねぇ」
「ふむ?」
「詠唱とか祝辞って、要するに女神様から力をお借りするためのお伺いなのよ。もちろん、ちゃんとした意味はあるんだけどね」
グロリアは眠たげな顔のまま、少し考える間を置く。
「例えばよ? 同じ家に住んでる家族に、家具を動かすのを手伝ってもらうとするじゃない。そのたびに仰々しく頭を下げて、正式なお願いをする?」
「いや、そこまではせぬでござるな」
「でしょ? そんな感じよ」
「なるほど……?」
エストは包帯に覆われた顔を傾ける。どうにも腑に落ちないらしい。
「まあ、そういうものだと思っておきなさい」
「承知したでござる!」
それでいいのかと思うほど元気な返事。グロリアが何か言いかけた、そのときだった。
「へくしゅっ!」
すぐ目の前で甲高いくしゃみが響き、何もなかった空間に橙色の閃光が弾ける。
足元に琥珀色の複雑な魔法陣が浮かび上がるのは、ほんの一瞬。光の粒が散ったあとには、大きなとんがり帽子をかぶった少女が立っていた。
十三、十四歳ほどに見える、小柄な少女。帽子のつばから赤茶色の髪がこぼれ、丸い飾りのついた橙色の帽子の下には、橙色と白を基調とするフリルやリボンのある旅装が覗く。背中には、その身体に不釣り合いなほど大きな鞄。
グロリアとエストが足を止める一方で、少女はきょろきょろと周囲を見回している。
「あれぇ……ここ、どこだろ~?」
ようやく二人の姿に気づくと、少女の顔がぱっと明るくなった。
「あっ! マスター!」
「うわっ、レネット!?」
驚くグロリアめがけて駆け寄り、そのまま勢いよく抱きつく。
「ただいま~!」
「はいはい、おかえり。ちょっと、帽子が当たってるってば」
「あっ、ごめんね~」
レネットは慌てるでもなく帽子のつばを片手で押さえ、少し身体を離す。嬉しそうな笑顔はそのまま、今度はエストのほうへ。
「エストくんも久しぶり~!」
「おお、レネット殿! 久方ぶりでござるな!」
少女の名はレネット。ギルド『雲外蒼天』に所属する転移魔術師である。
くしゃみなどの些細な拍子に、本人の意思とは関係なく遠方へ飛ばされてしまうことも珍しくない。もっとも、見知らぬ土地へ着いたからといって、レネットが困り果てることは少ない。観光を楽しみ、土産物まで買って帰ってくるのが常だった。
「あっ、そうだ。はい、お土産~!」
背負っていた大きな鞄を地面に下ろすと、レネットはその場にしゃがみ込んだ。帽子のつばを持ち上げ、荷物の間を探ることしばし。取り出した小さな包みを、グロリアへ差し出す。
「あら、ありがとう。今回はどこまで行ってたの?」
「港町のドブロだよ~!」
「ドブロ……ああ、聞いたことあるわ。あの辺かぁ……また遠いところに行ってたわねぇ」
「うん! 海がすっごくきれいだったよ~。これ、向こうで売ってたお菓子なの」
「ほう! 遠方の名産品でござるか!」
エストも包みを覗き込む。レネットは大きな鞄からもう一つ取り出した。
「エストくんの分もあるよ~!」
「おお、かたじけない!」
エストが嬉しそうに土産を受け取る傍らで、レネットは鞄の口を閉じる。
「それにしても、今回は帰ってくるのに時間がかかったわねぇ」
「そうなの~。帰ろうと思って何回も飛んだんだけど、なかなか近づけなくて~」
「意識して飛ぶと、そんなに距離が出ないものねぇ」
「うん。続けて使ったり、一緒に飛ぶ人が増えたりすると、もっと短くなっちゃうの」
「ふむ。行き先を決めて飛ぶのは、なかなか大変なのでござるな」
「そうなの~」
レネットは笑顔であっさり頷く。苦労話をしているとは思えないほど、いつもどおりの調子だ。
「……ほんと、便利なんだか不便なんだか」
グロリアは呆れ顔で笑い、土産の包みを法衣の内側へしまう。
「あっ、そうだ。マスターたちは何してたの~?」
「アンデッド退治のお仕事よ。ようやく片づいたから、これから報告に戻るところ」
「よい修練になったでござる!」
「私はさっさと帰って寝たいわ……」
エストの晴れやかな顔とは対照的に、グロリアはすっかり疲れ顔。レネットはそんな二人を見比べ、にこりと笑った。
「あ~、じゃあ私も一緒に行く~!」
大きな鞄を背負い直したレネットが、さっそくグロリアの手を取る。
「はいはい。じゃあ行きましょうか」
エストも二人の隣へ並ぶ。朝日が差し始めた開墾地を背に、三人は野営地への道を進んでいった。




