第6話 元聖女、開拓地へ赴く
開拓都市ホープロード。
王都アクロポリスに匹敵する規模を誇るこの都市は、幾重もの防壁に囲まれている。
かつては未開拓地へ進出するための小さな前線拠点に過ぎなかった。魔物の襲撃を防ぐために壁を築き、その内側に人々が住み着く。人口が増えて土地が足りなくなれば、さらに外側へ新たな防壁を築く。
そうして拡張を繰り返した結果、街は上空から眺めれば幾重もの輪が重なる、奇妙な姿となった。
魔物の討伐と素材の売買、鉱山の開発と鉱石の採掘、農地や居住地を広げる開拓事業。それらを支える商人や職人が集まり、街にはカジノや娼館といった歓楽施設まで軒を連ねている。
富を得て立派な屋敷を構える者がいる一方、借金に追われ、危険な仕事に身を投じる者も少なくない。新たな土地を求めて城門をくぐり、二度と帰らぬ者もいる。
それでも人々は集まり続け、今日も都市の外縁では新しい防壁の建設が進んでいた。
そんなホープロードの開拓地側。
街の明かりも遠ざかった夜道を、二人の男女が歩いている。
「はぁー……。なんで私がこんな時間に出歩かなきゃいけないのよ」
グロリアは夜空に向かって煙を吐き出した。
乱れた白金色の長髪には鮮やかな赤のインナーカラーが混じり、黒く染め直した聖衣の裾が歩くたびに揺れる。片手には火のついたハーブ煙草、もう片方には道を照らす松明を握っていた。
「仕事でござるからな! それがしは夜の開拓地も悪くないと思うでござるよ。昼間とはまた違った趣があるでござる!」
隣を歩くエストは、実に楽しそうだった。
緑を基調とした服装に、腰には細身の刺突剣。顔を含む全身のいたるところに包帯が巻かれており、その素顔をうかがうことはできない。
「どこがよ。暗いし、臭いし、魔物は出るし。趣なんかより寝床が欲しいわ」
「はっはっは! なかなか風情のある場所ではござらんか!」
「あんたは何でも楽しそうでいいわねぇ。私は今頃、お酒でも飲んで寝てるはずだったのに」
グロリアは恨めしそうにエストを見たが、当人は気にも留めず、周囲の暗がりへ顔を向けている。
街道の両側には背の高い草が生い茂り、ところどころに伐採された木の切り株が残っていた。地面には荷車が通った深い轍が刻まれ、その先は闇の中へと続いている。
遠くから、獣とも魔物ともつかない鳴き声が響いてきた。
「おや、あちらに何かいるでござるな」
エストが道の脇を指す。
草むらの奥で二つの小さな光が揺れていた。しばらくこちらをうかがっていたものの、やがて音もなく闇の中へ消えていく。
「放っときなさい。こっちに来ないなら関係ないわ」
「追いかける必要はござらんか?」
「ないわよ。仕事でもないのに魔物を相手してたら、いくら時間があっても足りないでしょうが」
「それもそうでござるな!」
エストがあっさり引き下がったため、グロリアはそれ以上何も言わず、煙草をくわえ直して歩き始めた。
やがて、街道の先に点々と明かりが見えてくる。
開拓予定地に設けられた野営地だった。
木杭と縄で囲まれた敷地には大小さまざまなテントが並び、その脇には荷車や農具、切り出された木材がまとめられている。夜も更けているため、人の姿はほとんど見当たらない。
「ようやく着いたわね。あー、疲れた」
「拙者はまだまだ歩けるでござるよ!」
「はいはい、元気で結構」
野営地の入口には、槍を手にした見張りが二人立っていた。
近づいてくる二人に気づき、そのうちの一人が前へ出る。
「止まれ。こんな時間に何の用だ?」
「ギルド『雲外蒼天』から来たわ。アンデッドの件で依頼を受けてるの」
グロリアは法衣の内側から一枚の書類を取り出し、見張りに差し出した。
「はい、依頼受領書。確認してちょうだい」
見張りは書類を受け取り、もう一人が差し出した松明の下で内容を確かめる。
「……雲外蒼天。アンデッドの討伐と土地の浄化か。確かに」
書類を返しながら、見張りはエストにも目を向けた。
顔を隙間なく覆った包帯と、腰の細剣。その姿に少し戸惑った様子を見せたものの、特に何も言わず、書類を確認した相棒に声をかける。
「責任者を呼んでくる。ここで待っていてくれ」
「はいはい、よろしくね」
見張りの一人が野営地の奥へ向かう。
グロリアは入口の脇へ移動し、エストもその隣からテントの列を眺めた。
野営地は静まり返っている。
ほとんどのテントは明かりが消えており、布越しにいびきや寝息が聞こえてきた。入口には泥のついた作業靴が並び、縄に掛けられた作業着が風に揺れている。
あるテントの前では、粗末な衣服を着た男が毛布にくるまって眠っていた。足首には古い枷の跡が残っている。その隣には、使い込まれた衣服を丁寧に畳み、荷物を枕代わりにしている者の姿もあった。
ホープロードの開拓現場には、自ら土地や仕事を求めてやってきた自由民のほか、借金を返すために働く奴隷や、刑罰によって送り込まれた犯罪者も数多い。
罪の重い者ほど危険な開拓地へ送られ、魔物の襲撃や作業中の事故で命を落とすことも珍しくなかった。
「皆、よく眠っているでござるな」
「昼間は働き詰めなんでしょうしね。寝られるときに寝ておかないと、身体がもたないわよ」
エストはテントの間に積まれた大量の農具や資材へ顔を向けた。
「それにしても、随分な人数でござる。農地を造るというのも大仕事でござるな」
「そりゃそうよ。木を切って、石をどかして、土地をならして。そのうえ魔物まで出るんだから、楽な仕事じゃないでしょうね」
「ふむ。そこへアンデッドまで現れたとなれば、さぞ困っていることでござろう」
「だから私たちが呼ばれたんでしょうが」
グロリアが煙を吐き出したところへ、先ほどの見張りが戻ってきた。
その後ろから、がっしりとした体格の中年男が歩いてくる。厚手の上着を羽織り、片手にはランタン。無精髭の残る顔には、隠しようのない疲れがにじんでいた。
「あんたらが雲外蒼天の?」
「そうよ。グロリア。こっちはエスト」
「エストと申す! よろしくお願いするでござる!」
男は勢いよく挨拶したエストを眺め、それからグロリアへ視線を移した。
「……噂には聞いていたが、本当に変わった連中なんだな」
「何よ、その噂」
「変人ばかり集まってるギルドがあるってな。腕は確からしいらしいが」
「あら、ちゃんと腕がいいってところまで伝わってるじゃない」
グロリアが得意げに笑う。
男もつられて苦笑したが、すぐに表情を引き締めた。
「まあ、腕が確かなら文句はない。こっちは一刻も早く作業を再開したいんだ」
「それで、アンデッドはどんな状況なの?」
「最初に見つかったのは三日前だ。作業を終えた連中が戻ってくる途中、農地にする予定だった場所で動く死体を見つけた」
「一体だけ?」
「最初はな。だが、その後も次々と出てきやがった。今じゃ夜になると何体もうろついてる」
「死体は人間? それとも魔物?」
「両方だ。骨だけの奴もいれば、腐った肉をぶら下げた奴もいる。普通の農具じゃどうにもならん」
エストは腰の細剣に目を落とした。
「ふむ。骨だけの相手は、少々厄介でござるな」
「そりゃそうよ。あんたの剣じゃ、突いたところで骨の間をすり抜けるでしょうに」
「はっはっは! まったくもってそのとおりでござる!」
「笑い事じゃないでしょうが」
グロリアは呆れ顔でエストを見上げた。
現場責任者は二人を交互に見たあと、困ったように口を開く。
「……本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫よ。こう見えても元聖女なんだから」
グロリアは胸を張った。
「アンデッドの相手なら専門分野よ。討伐だけじゃなく、土地の浄化も必要なんでしょう?」
「ああ。倒したところで、また出てくるんじゃ意味がないからな。今は作業を全部止めてるが、このままじゃ工期に響く」
「被害は?」
「今のところ死者は出ていない。ただ、最初に見つけた連中の中に怪我人がいる。幸い大した傷じゃなかったが、これ以上は危険だと判断した」
「それなら早めに止めて正解ね」
グロリアの返事に、男の険しい顔がわずかに緩む。
「こっちも人手が余ってるわけじゃない。死人が出れば、ますます仕事が進まなくなる」
「そうでしょうね。それで、出現場所は?」
男はランタンを野営地の向こうへ向けた。
「あの先だ。伐採を終えて、これから土地をならそうって場所だった。夜は危ないんで誰も近づけていない」
明かりの届く先には、切り株と掘り返された土が広がっている。さらに奥は深い闇に沈み、その様子をうかがうことはできなかった。
「魔物との戦闘があった場所なの?」
「何度もな。ここを開くまでに随分と討伐した。死骸は片づけたつもりだったんだが……」
「ふうん」
グロリアは煙草を口から離し、男が指した方角を眺めた。
魔物との戦いが繰り返された土地には、血や死骸から生じた穢れが蓄積することがある。アンデッドが発生しているとなれば、単に動く死体を退治するだけでは済まない。
「思ったより、面倒そうねぇ」
「拙者は腕が鳴るでござる!」
エストが嬉々として細剣の柄に手を掛ける。
「はいはい。まずは現場をちゃんと調べてからね。あんた、また怪我しても知らないわよ」
「ご心配には及ばぬ! この身に刻まれた傷の数々も、剣の道を歩む証でござる!」
「その包帯代、誰が払ってると思ってんのよ……」
グロリアのうんざりした顔などお構いなしに、エストは胸を張って豪快に笑う。
現場責任者は呆気に取られた様子で二人を見比べたが、結局何も言わなかった。
やがて会話が途切れると、野営地に静けさが戻ってくる。
風に揺れるテントの向こうには、夜の闇に沈んだ開拓予定地が広がっていた。




