第4話 元聖女、魔術師に呆れる
「ねぇ、ルルちゃ~ん」
ギルド『雲外蒼天』の共用ホールに、グロリアの間延びした声が響く。
依頼掲示板には魔物の駆除、護衛、採集と、さまざまな依頼書が所狭しと貼られている。グロリアはその前に立ったまま、いまだに一枚も手に取ろうとしない。
「なんですか、グロリアさん?」
受付カウンターの奥では、ルルティアが帳簿を整理していた。
「今、どんな依頼があるの?」
「……目の前に貼ってありますよね?」
「見てるんだけどねぇ。いっぱいありすぎて、よくわかんな~い」
両手を広げて掲示板を示すグロリアに、ルルティアは小さく息をつく。
「ねぇ、ルルちゃんが選んでよぉ。私に向いてそうなやつ。できれば簡単で、危なくなくて、報酬がたっぷりもらえるお仕事がいいわねぇ」
「そんなに条件のいいお仕事は、なかなかありませんよ。それにグロリアさん、さっきはお給金を前借りしたいとおっしゃっていたじゃないですか」
「だからこそよ! 今の私には、手っ取り早くお金になる仕事が必要なの。ルルちゃんなら何か知ってるでしょう?」
グロリアは受付へ戻ると、長身を折り曲げてカウンターに両肘をついた。薄紫色の丸眼鏡の奥からルルティアを覗き込み、甘えた声を重ねる。
「お願いよぉ。私の可愛いルルちゃんなら、きっと見つけてくれると思うのよねぇ」
「もう……しょうがないですねぇ」
ルルティアは困ったように笑いながら帳簿を閉じ、椅子から立ち上がった。
「でしたら、いくつか候補を――」
「おはようございまーす!」
勢いよく開いた正面扉から、声と一緒に飛び込んできたのは一人の少年だった。
あちこちに跳ねた茶髪に、金色の紋様が入った緑の外套。腰には細身のレイピアを下げている。
だが、それ以上に目立つのが、顔から首、両腕まで巻かれた白い包帯だった。血の滲んだ箇所さえあるというのに、包帯の隙間から覗く口元は楽しげに笑っていた。
「グロリア殿! ルル殿! 本日もよい朝でござるな!」
「おはよー、エストくん。……って、もうお昼だけどねぇ」
「おはようございます、エストさん」
少年――エストは昼だという指摘を意に介さず、片手を高く上げて二人に応じる。グロリアはカウンターから身を起こし、改めてその包帯姿を眺めた。
「相変わらず包帯でぐるぐる巻きねぇ。あんた、それで前見えてるの?」
「気合でござる!」
「……答えになってないんだけど」
エストは得意げに胸を張る。直後、喉の奥から小さなうめき声が漏れたが、本人は何事もなかったように姿勢を正した。
「エストさん、今日も挑戦してきたんですか?」
「うむ! 見事にボコボコにされたでござるよ! はっはっは!」
ルルティアの心配そうな問いに、返ってきたのは妙に晴れやかな敗北報告だった。
「なんで偉そうなのよ。……それにしても、あんたも懲りないわねぇ。何回マルちゃんに挑めば気が済むの?」
「無論! 一太刀浴びせるまででござる!」
「はぁ……あんたねぇ、魔術師としてはあんなに才能があるのに、よりにもよってマルちゃん相手に剣で勝負しようなんて……」
「拙者は剣士でござる!」
間髪入れずに言い切る少年に、グロリアは額へ手を当てた。
「はいはい、そうだったわねぇ。でも、もったいなくない? 名門エトリア魔術学院の期待の新星だったんでしょう?」
「『魔術に愛された天才』とまで呼ばれていたんですよね、エストさん」
エストは自分の昔の評判を聞いても、包帯の隙間から歯を見せて笑うばかりだった。
「いやはや、そのように呼ばれていた時期もあったでござるな! はっはっは!」
「……あんたねぇ。普通はもうちょっと惜しむものじゃないの? せっかくの才能を放り出して、毎日そんな姿になってるんだから」
「何をおっしゃる、グロリア殿! 才能の有無など、今の拙者には些細なことでござる!」
エストは笑うのをやめ、まっすぐグロリアへ向き直った。
「拙者はマルガレータ殿に惚れたのでござる! あのお方と結婚するためなら、いくらでも剣を振るう所存!」
「……ほんっと、変なところで一途よねぇ」
マルガレータは、大手ギルド『レッドリージョン』を率いる、ホープロードでも屈指の実力者である。
三年前、「私に一太刀入れた者と結婚する」と公言して以来、挑戦者との勝負を受け続けていた。魔術は禁止、武器は自由。本人は木剣で相手をするが、いまだ誰も条件を達成していない。
「それでもエストさんの挑戦には毎回付き合ってくださるんですから、マルガレータさんも大変ですねぇ」
「そうねぇ。マルちゃんもよく飽きないものだわ。あんた、ほとんど毎日通ってるんでしょう?」
「無論でござる! あのお方が拙者の挑戦を受けてくださる限り、何度でも参上する所存!」
「それで毎回そんな姿になって帰ってくるんだから、世話ないわねぇ」
「いやはや、面目ない! しかし、マルガレータ殿の剣技はまこと見事! あのお方と剣を交えるたびに、己の未熟さを痛感するのでござるよ!」
エストは嬉々として剣の軌道を空中になぞろうとするが、包帯の巻かれた腕は途中までしか上がらない。そこで身振りは諦めても、マルガレータの強さを語る声は一向に衰えなかった。
「そもそも、あんたは真剣を使ってるのに、マルちゃんは木剣でしょう? それで毎回ボコボコにされるんだから、どうしようもないわよねぇ」
「はっはっは! あの方の強さには感服するばかりでござる!」
「……褒めてる場合なの、それ?」
グロリアの呆れ声にも、エストは笑うばかり。隣で聞いていたルルティアは、彼の腕に滲む血を見て顔を曇らせた。
「でも、エストさん。毎回そんなにお怪我をされて……もう少し身体を大切にしたほうがいいと思いますよ?」
「ご心配、かたじけない! されど、拙者は今、魔術を封じて剣の道に専念している身。マルガレータ殿に一太刀浴びせるまでは、修練を怠るわけにはいかぬのでござる!」
「修練はいいけど、身体がもたないんじゃ意味ないでしょうに。まったく、頑固なんだから」
「それにしても、マルちゃんもよく毎回相手をしてくれるわねぇ」
「うむ! 本日も快く勝負を受けてくださったでござる! 最後には『また来い』とまで言っていただけたのでござるよ!」
「あら、それはよかったですねぇ」
「かたじけない! 次こそは必ずや一太刀浴びせてみせるでござる!」
気合いを込めて拳を握った途端、エストの肩がぴくりと跳ねた。
「……痛たた」
「ほらぁ、無理するから」
エストがそろそろと腕を下ろすのを見て、ルルティアが口を開いた。
「そういえばエストさん、今日はどうされたんですか? いつもでしたら、そのまま治療に行かれる頃ですよね」
「うむ! 実は近頃、治療費がかさんできたゆえ、そろそろ仕事でもしようかと思って参ったのでござるよ!」
「……あんた、治療費がなくなるまで挑戦してたの?」
グロリアの丸眼鏡の奥で、目が大きく見開かれる。
「いやはや、面目ない! なかなか財布が追いつかぬもので! はっはっは!」
「笑い事じゃないでしょうに……。そこまでして毎日挑まなくてもいいんじゃない?」
「何をおっしゃる! 拙者は今、日々の修練に確かな手応えを感じているのでござる! ここで立ち止まるわけにはいかぬ!」
再び胸を張りかけたエストは、途中で動きを止めた。そっと腕の位置を直す様子に、グロリアは呆れ半分の苦笑を浮かべる。
ルルティアは受付の帳簿を閉じて、二人に向き直った。
「それでしたら、ちょうどよかったですね。グロリアさんも今、お仕事を探していらっしゃるところなんですよ」
「おお! それは好都合! では拙者もご一緒いたそう!」
「えっ、私と?」
「うむ! 二人であれば、受けられる依頼の幅も広がるでござろう! グロリア殿、何卒よろしくお願いするでござる!」
包帯だらけの身体を丁寧に折り、エストはグロリアへ一礼する。途中でまた傷が疼いたのか、少々ぎこちない礼になったものの、その声はどこまでも明るい。
グロリアは口を開きかけ、結局何も言わずに閉じた。
「……なんでうちのギルドメンバーって、金欠者ばっかりなのよ!」
ルルティアの手が止まり、穏やかな青い瞳がグロリアへ向けられる。
「……な、なによ」
「いえ、なんでもありませんよ」
いつもと変わらない柔らかな笑顔。それを前に、グロリアは口元を引きつらせた。
事情を知らないエストだけが、二人を交互に見ている。
「……む? どうかしたでござるか?」
「……なんでもないわよ」
グロリアは顔を背け、再び依頼掲示板へ向き直った。




