第3話 元聖女、前借りを願う
開拓都市ホープロードの城壁沿いに、一軒の木造平屋が建っている。
通りに面した二つの大窓と、『雲外蒼天』の名を記した木製の看板。その隣には『仕事常時受付中!』と威勢のいい文字が躍っていた。もとは別の商売に使われていた建物らしく、外観には街の商店めいた親しみやすさが残る。
ただし、立地はあまりよくない。すぐそばにそびえる巨大な城壁が陽光を遮り、昼近くになっても店先は薄暗い。窓から入る光だけでは足りず、室内では壁に据えられた魔導灯がいくつも灯っていた。
正面入口の先には、三十人ほどを収容できる共用ホール。高い天井の下、壁際には待合用の椅子と依頼掲示板が並ぶ。奥の受付カウンターを挟んだ向こう側には、職員用の事務机や書類棚も備えられていた。
ここはギルド『雲外蒼天』。ホープロードで仕事を請け負う、数あるギルドの一つである。
「ええと……アパッチさんの魔物討伐の応援依頼は、今日までですね。報酬の受け取りは明日以降、と……」
カウンターの奥から、柔らかな声が聞こえてくる。
帳簿に向かっているのは、受付と管理業務を担当するルルティア。淡い茶色の髪に澄んだ青い瞳を持つ、小柄で可憐な少女だ。ピンクを基調とした衣装にはリボンがあしらわれ、頭には同じくリボンの付いたベレー帽をかぶっている。
几帳面な字で帳簿の一行を埋め、処理済みの依頼書を脇に重ねる。
「カレルさんの調査依頼は……まだ少しかかりそうですねぇ」
今度は行方不明者が相次ぐ地域の調査依頼。添付された地図と内容を照らし合わせ、未処理の書類を収める棚へ戻そうとした、そのとき。
正面入口の扉が、ほんの少し開いた。
隙間からまず白金色の長い髪が覗き、続いて薄紫色の丸眼鏡を掛けた女性の顔が現れる。髪には赤い差し色が入り、黒を基調とした法衣には金色の装飾。胸元には立派な聖印が輝いていた。
女性は受付の奥にいるルルティアを窺うと、音を立てないように扉を閉める。
広いホールにほかの人影はない。目指すは建物の奥にあるギルドマスター室だ。壁際を選ぶように進み、受付カウンターの脇から職員用スペースへ。机に向かったままのルルティアの背後を、そろり、そろりと通り抜ける。
あと少し。
ギルドマスター室の扉に指が掛かり、女性の口元に安堵の笑みが浮かびかけた、そのとき。
「なにしてるんですか? グロリアさん。もうお昼ですよ」
扉を開けかけた姿勢のまま、女性――グロリアはぴたりと動きを止めた。数秒の沈黙を挟んでから背筋を伸ばし、今初めて声に気づいたような笑顔で振り返る。
「……あ、あはは。ルルちゃん、お仕事お疲れさま。今日も頑張ってるわねぇ」
「おはようございます。今日はずいぶん早く出かけられたんですね」
「そ、そうなのよ。ほら、早起きは三文の得って言うじゃない? たまには朝から活動するのも悪くないかなぁ、なんて」
「そうですねぇ。ところで、またギャンブルですか?」
グロリアの笑顔がぴしりと固まった。
「……いやぁ、ルルちゃん。いくらなんでも、朝からギャンブルに行くほど私も暇じゃないわよ」
「そうなんですか? では、どちらへ行かれていたんです?」
ルルティアが帳簿を閉じる音だけが、二人の間に響く。グロリアは口を開きかけたものの、すぐには言葉が出てこない。
「……まあ、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、様子を見に行ったというか……」
「やっぱりギャンブルだったんですねぇ」
「違うのよ! いや、違わないんだけど、今日はちゃんと勝算があったの!」
途端にグロリアの勢いが戻り、事務机まで詰め寄ってくる。
「聞いてよ、ルルちゃん。昨日の閉店までずっと当たりが出ていなかった台があったのよ。つまり、相当な枚数を吸い込んでいるわけ。そこで今日、朝イチから設定変更が入っている可能性を考えれば、狙わないほうがおかしいでしょう?」
「はぁ……」
「しかも隣の台は朝から出てたのよ? あれだけ出てるってことは、店側もちゃんと設定を入れてる証拠じゃない。私の読み筋は決して悪くなかったわけよ」
机の端に腰を預け、自信満々に語るグロリア。ルルティアはその熱弁を最後まで聞いてから、一つだけ尋ねた。
「それで、勝ったんですか?」
「…………」
威勢よく動いていたグロリアの口が閉じた。
「……勝負には負けたけど、読みは悪くなかったわ」
「負けたんですねぇ」
「だから、違うのよ! 今日はたまたま結果が伴わなかっただけで、期待値としては十分だったの。そもそも朝イチの台選びっていうのは、一日を通して収支を考えるものであって、目先の勝ち負けだけで判断するのは……」
「グロリアさん。それで、いくら負けたんですか?」
穏やかな声に言葉を遮られ、グロリアは薄紫色の丸眼鏡を通してルルティアを見返す。
「……まあ、ちょっとね」
「ちょっと、ですか?」
「……そこそこ?」
ルルティアは何も言わない。ただ、返事を待っている。
「……全部」
「まあ……また全部使ってしまったんですねぇ」
「……面目ないです」
さっきまでの威勢はどこへやら、グロリアはしおらしく頭を下げた。ルルティアも困った顔こそしたものの、それ以上責めはしない。
「あ、でもね! これは一時的な損失であって、次に同じような機会があれば十分取り返せる可能性が……」
「グロリアさん。今日は何かご用事があったんですか?」
再び言葉を遮られたグロリアは、机の上を見たり、ルルティアを見たり。口元の笑みまでどこか頼りない。
「……いやぁ、そのね。ちょっと相談があるんだけど」
「はい。なんでしょう?」
「ルルちゃんって、いつも頑張ってくれてるじゃない? 受付も経理も、ギルドの管理もほとんど一人でやってくれてるし。本当に助かってるのよ。いつもありがとうねぇ」
さっきまでとは打って変わった明るい声。グロリアがにこにこと顔を覗き込むと、ルルティアも素直に微笑んだ。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
そして机の書類を揃え始める。グロリアの笑顔はそのままだが、声だけが次第に小さくなっていった。
「それでねぇ……その、ものは相談なんだけど……」
机に身を乗り出し、両手を胸の前で合わせる。
「……ちょっとだけ、お給金の前借りとか、できないかなぁ……なんて」
紙の端を揃えていたルルティアの手が止まった。
「前借り、ですか?」
「そう! ほんのちょっとでいいのよ。次のお給金から引いてくれればいいし、なんなら利子をつけてもいいわ。いや、利子はちょっと困るけど……まあ、その辺りは相談ということで!」
期待に満ちた眼差しを向けられ、ルルティアは少し困った顔をする。それでも返ってきた声は、いつもどおり穏やかだった。
「グロリアさん。お仕事なら、あちらにたくさんありますよ」
小さな手が示す先は、共用ホールの依頼掲示板。魔物の駆除に護衛、荷物の運搬、調査、採集と、さまざまな依頼書が所狭しと貼られている。
グロリアは掲示板に目を向けたまま、なんとも言えない顔になった。
「……ねぇ、ルルちゃん」
「はい」
「もうちょっと、こう……楽してお金を稼げるお仕事ってない?」
ルルティアは一拍置いて、にっこりと笑う。
「それを探して、朝からカジノに行かれたんですよね?」
「…………」
何も言い返せないまま、グロリアは依頼書の並ぶ壁を見つめていた。やがて肩ががっくりと落ちる。
「……ルルちゃん、厳しくない?」
「ふふ。お仕事、頑張ってくださいね」
ルルティアは帳簿を開き、先ほどの仕事へ戻った。グロリアもそれ以上粘らず、共用ホールの掲示板へと向かう。
壁を埋める依頼書を前に、深いため息が一つ。
「……はぁ。世の中、そんなに甘くないわねぇ」
「そうですねぇ」
背後から返ってきたのは、いつもどおりの柔らかな声。
「……聞こえてた?」
「はい。よく聞こえましたよ」
グロリアは苦笑いを浮かべ、もう一度掲示板へ向き直った。




