第13話 元聖女、食われる
「ソレイユちゃーん! どこにいるのよぉ!」
グロリアの声に驚いた鳥が、頭上の枝から飛び立った。
ホープロード近郊の森は、昼間でも木陰が濃い。枝葉の隙間から落ちる陽光が、落ち葉の積もった地面にまだらな模様を描いている。太い木の根を避けながら進むグロリアの後ろでは、エストがしきりに辺りへ呼びかけ、レネットが大きな帽子のつばを持ち上げて樹上を探していた。最後尾のアパッチは、幾本もの杖を収めた背負い鞄を担いでいる。
「ソレイユ殿ー! 聞こえたら返事をするでござるー!」
威勢のよい声は森の奥まで届いたものの、返ってくるのは鳥のさえずりばかりだった。
「……もう。あの子、どこで寝てるのかしらねぇ」
「やっぱり寝てるの~?」
「たぶんねぇ。あの子、一度眠ったらちょっとやそっとじゃ起きないし」
レネットはそれを聞いて、また木の上を探し始めた。
「いやぁ、今日は日向ぼっこにはいい天気だからねぇ」
「アパッチくんまで納得しないでよぉ。こっちはわざわざ捜しに来てるんだから」
グロリアは肩越しに文句を言ったが、アパッチはいつもの穏やかな顔で歩いている。その背中から覗く杖の一本に目を留め、グロリアは思い出したように懐の依頼書を開いた。
「そうそう。今回のブラックベア、討伐報酬とは別に素材も持ち帰っていい契約みたいなのよ。つまり、毛皮を売ればさらに儲かるってわけ!」
「ほう! それはよい話でござるな!」
「でしょう? ブラックベアの毛皮は高いのよぉ。ただでさえ強い魔物だから、傷をつけずに仕留めるのは難しくてね。綺麗なものほど値が上がるし、無傷に近ければもう倍率ドンよ!」
「……ばいりつどん?」
聞き慣れない言葉に、レネットが帽子の下で目を丸くする。
「要するに大儲けってこと! だからエストくん、できれば毛皮を傷めないようにお願いねぇ」
「承知したでござる! もっとも、相手が相手ゆえ、加減できるかはわからぬが!」
「そこは頑張ってよぉ!」
上機嫌で依頼書を畳んだところへ、アパッチがのんびりと口を挟んだ。
「いやぁ、それなら俺の新しい杖は向いていないかもしれないねぇ。火炎魔法だから」
グロリアは足を止め、アパッチの顔を見上げた。
「……お願いだから、せっかくの毛皮を丸焼きにしないでよね?」
「ははは。どれくらいの火が出るか、まだわからないからねぇ」
「だから心配なのよ!」
グロリアは杖から目を逸らし、再び森の奥へ向けて声を張り上げた。
「ソレイユちゃーん! お返事しなさーい!」
しばらく進むと、木立の途切れた明るい場所に出た。頭上には太い枝が張り出しているものの、葉の間から柔らかな日差しが届いている。四人は周囲を見渡したが、枝の上にも木の根元にも、人の姿は見当たらなかった。
「むむ……。これだけ呼んでも出てこぬとなると、捜し方を変えたほうがよいかもしれぬでござるな」
「ねえ、マスター。ソレイユちゃん、どうやって見つけるの~?」
レネットに尋ねられたグロリアは、待っていましたとばかりに口元を緩めた。
「んっふっふ……。まあ、こうなるんじゃないかと思ってたのよねぇ」
法衣の内側から取り出したのは、紐で口を縛った小さな革袋。中身の重みで膨らんだ袋を見て、エストが身を乗り出す。
「グロリア殿、それは何でござるか?」
「私のとっておきよぉ」
グロリアが紐を解くと、燻した乳製品の香ばしい匂いが辺りに漂った。袋には一口大のスモークチーズがぎっしり詰まっている。
「あっ、スモークチーズだぁ! いい匂い~!」
「そう! 略してスモチ! ソレイユちゃん、これが大好きなのよ。匂いに気づけば、きっと向こうからやって来るわ!」
エストは返す言葉を失い、レネットも目をぱちぱちさせている。アパッチだけが、面白そうに革袋を眺めていた。
「いやぁ、グロリアさん。野良猫を餌付けするんじゃないんだからねぇ」
「い~え、あの子にはこれが一番なの!」
グロリアはチーズを一つ取り出し、手を頭上に掲げて歩き始めた。
「そ~ら、おいでおいで~! おいしいおいしいスモチだよぉ~! ソレイユちゃ~ん、スモチがあるわよぉ~!」
チーズを振るたび、丸眼鏡の奥の目が得意げに細まる。後ろの三人は顔を見合わせたものの、誰も彼女を止めようとはしなかった。
「ほらほら、おいで~! 今ならいっぱいあるわよぉ!」
そのとき、頭上の葉が激しく揺れた。
少し離れた枝が大きくしなり、茂みを割って人影が飛び出す。細い枝へ着地したかと思う間もなく次の木へ跳躍し、四人の頭上を一気に駆け抜けていった。
「むっ、何者――」
エストの声が終わるより早く、影はグロリアの背後へ回り込んでいた。枝を蹴った身体が、掲げられたチーズ目がけて落ちてくる。
「ぎゃあああっ!?」
突然腕を引かれ、グロリアが悲鳴を上げた。振り向くと、何者かがチーズを持つ手に食らいついている。口にはチーズばかりか、グロリアの指まで収まっていた。
「ちょっと、ソレイユちゃん! 手! 私の手まで食べてるってばぁ! 離しなさいよぉ!」
必死に腕を振り払うと、食らいついていた身体がようやく離れた。宙へ放り出された相手は勢いを利用して身を翻し、軽やかに地面へ着地する。
長い茶色の髪に、眠たげな目元。髪の間から尖った耳が覗く、若く美しい女性だった。白い羽根と宝石を飾った大きな紫色の帽子に、同じく紫を基調とした狩人衣装。腰にはボルトの弾倉を備え、装飾の施された連射式クロスボウを携えている。
その整った顔立ちに似合わず、彼女は奪ったスモークチーズを夢中で味わっていた。
「……あぁ~、びっくりした。もう、何するのよぉ……」
グロリアは唾液まみれの右手をハンカチで拭った。指先まで念入りに拭き終える頃、ソレイユはチーズを飲み込んでいた。
「……グロリア。おかわり」
当然のように差し出された手を見て、グロリアの顔が引きつる。
「まず謝りなさいよぉ! あんた、人の手まで食べようとしたのよ!?」
ところが、ハンカチをしまおうとした一瞬の隙に、今度は革袋がグロリアの手元から消えた。ソレイユはいつの間にかそれを抱え、次のチーズを選んでいる。
「あっ! ちょっと、それ私の!」
「……おいしい」
「……聞いちゃいないわねぇ、この子」
「ソレイユ殿! ご無事で何よりでござる!」
エストの声に、ソレイユはチーズを口にしたまま顔を上げた。レネットも嬉しそうに駆け寄り、アパッチはその後ろで二人の再会を見守っている。
「ソレイユちゃん、見つかってよかったぁ~!」
「……エスト。レネット。アパッチも」
ソレイユは三人を順に見て、わずかに目元を和らげた。エストが感心したように先ほどの跳躍を褒めると、短く「……ありがと」と返し、また革袋へ手を伸ばす。
「いやぁ、スモークチーズで本当に出てくるとはねぇ。グロリアさんの言ったとおりだったよ」
「当たったのはいいけど、私の手まで食べられるなんて聞いてないわよぉ……」
グロリアがまだ湿った指先を確かめていると、ソレイユが不思議そうに一行を見渡した。
「……それで、みんなどうしたの?」
「あんたを捜しに来たのよ! 依頼を受けてから、もう丸二日も経ってるのよぉ。ルルちゃんも心配してたんだから、いったい何してたのよ!」
「……おひさまが気持ちよかったから、木の上で寝てた」
あまりにもあっさりした返事に、グロリアの口が半開きになった。
「……まさか、それだけで丸二日?」
「……丸二日」
ソレイユは手元のチーズを見下ろし、少し考えてから納得したように呟いた。
「……道理で、お腹が空くはず」
「そういう問題じゃないでしょうがぁ!」
グロリアの大声に、ソレイユはようやく食べる手を止めた。
「ソレイユちゃん、ルルちゃんがどれだけ心配してたと思ってるの? 何事もなかったのはよかったけど、帰ってこないならせめて連絡くらいしなさいよぉ!」
「……ルル、心配してた?」
「そりゃそうよ。あの子、あんたが戻らないってずっと気にしてたんだから」
ソレイユは革袋を抱えたまま少し黙り、ぽつりと答えた。
「……帰ったら、謝る」
「そうしてちょうだいねぇ」
レネットが隣にしゃがみ込むと、ソレイユは彼女に向けて小さく笑った。
「……みんな、来てくれた。嬉しい」
「当たり前でござる! 同じギルドの仲間でござるからな!」
エストの張りのある声に、ソレイユは静かに頷いた。そうして大切そうに革袋を抱え直すと、残りのスモークチーズへ手を伸ばす。
グロリアはその姿を見つめ、深いため息をついた。
「はぁ……まったく、この婆ちゃんは……」
ソレイユが顔を上げた。
「……婆ちゃんじゃない」




