第11話 元聖女、駄弁る
朝のギルド『雲外蒼天』には、依頼掲示板の前から賑やかな声が響いていた。
「う~ん、今日はどれにしようかなぁ~」
橙色の大きなとんがり帽子をかぶったレネットが、貼り出された依頼書を順に眺めている。隣では、緑の外套を羽織ったエストが、包帯だらけの顔を掲示板へ近づけていた。
「おお、こちらの荷物運搬などいかがでござる? レネット殿なら得意分野でござろう!」
「あっ、それ、この前やったよ~。荷物をまとめて、転移でひょいって運んだの!」
「ほう! さぞ早く片づいたでござろうな!」
「うん、あっという間~。でも最後の一つだけ、違う倉庫に飛ばしちゃって~」
「はっはっは! それはまた、どうしてでござるか!」
レネットは掲示板から離れ、両手を並べて四角い建物の形を作った。
「同じような倉庫が二つ並んでたの~。こっちだと思って飛ばしたんだけど、本当は隣だったんだよねぇ。依頼主さんに『荷物がないぞ!』って言われちゃった」
「なるほど。転移先の指定が曖昧になったのでござるな」
エストは掲示板の空いた場所を指で示し、二つの倉庫の位置をなぞる。
「建物の形だけでなく、周囲の地形や目印も一緒に思い描くとよいでござるよ。似た建物でも、場所を取り違えにくくなるはずでござる」
「あ~、そっかぁ。倉庫のことしか考えてなかったかも~!」
「それと、転移の際に詠唱を取り入れるのも一つの手でござるな。術式の安定につながるやもしれぬ。参考になりそうな本があるゆえ、今度貸すでござるよ」
「え~、詠唱~?」
レネットは途端に困った顔になった。
「私、長い言葉を覚えるの苦手なんだよねぇ~。いつも詠唱なんてしないし」
「では、普段はどのように転移先を定めているのでござる?」
「えっとね~。行きたい場所を、頭の中でぽわ~って浮かべるでしょ? それから魔力をぐる~って集めて……最後に、きゅっ!」
大きく広げた両手をゆっくり回し、最後に胸の前できゅっと縮める。得意げなレネットとは対照的に、エストの動きが止まった。
「そしたら、ぽんって飛べるの~!」
「…………なるほど!」
「わかった~?」
「わからん!」
「ええ~っ!?」
「はっはっは! 実に興味深いでござる! 転移魔法は才能に恵まれた者にしか扱えぬ。拙者にも使えぬ魔法ゆえ、ぜひ詳しく聞きたいのでござるが……その『きゅっ』が何をしているのか、さっぱりでござる!」
「う~ん、きゅっは、きゅっだよ~?」
レネットはもう一度、両手を縮めてみせた。
「うむ! やはり、わからん! はっはっは!」
「だから、本は難しいんだってば~」
「いやいや、読む前から諦めるのは惜しいでござるよ。詠唱のところだけでも――」
「え~、そこだけ~?」
二人の話は、依頼を選ぶことも忘れて続いている。
そのやり取りを、受付カウンターにぐったりと身体を預けたグロリアが眺めていた。
黒い法衣の袖をカウンターに広げ、頬をその上に載せている。白金色の長い髪から赤い差し色が覗き、薄色の丸眼鏡は鼻先まで下がっていた。
「……若いっていいわねぇ」
受付の奥にある事務机では、ルルティアが帳簿と依頼書を照らし合わせている。淡い茶色の髪にリボン付きのベレー帽、ピンク色の衣装という可憐な姿で、朝から忙しなく書類をさばいていた。
「ねぇ、ルルちゃん。あの二人、ほんと馬が合うわねぇ」
「そうですねぇ」
ルルティアは顔を上げず、確認を終えた書類を脇へ移した。
「歳が近いからかしら。それとも同じ魔術師だから? ほら、エストくん、ああいう話になると止まらないじゃない」
「学院にいらした頃から、魔術のお話がお好きだったそうですし」
「そうよねぇ。魔術師としてはあんなに優秀なのに、今じゃ剣ばっかり振ってるんだから。もったいないわぁ」
「エストさんがご自分で選んだことですからね」
「まあ、そうなんだけどぉ……」
掲示板の前では、エストがまた声を上げて笑っている。レネットは帽子のつばを持ち上げ、なおも身振りを交えて説明していた。
「それにしても元気ねぇ。見てるだけで疲れちゃう」
「グロリアさんだって、お若いじゃありませんか」
「いやいや、あの勢いにはついていけないわよぉ。ルルちゃんもあの子たちとそんなに歳が違わないのに、なんだか若さを感じな――」
グロリアの顔のすぐ横に、一本のペンが突き刺さる。
「ひゃっ!?」
跳ね起きたグロリアが受付の奥を見ると、ルルティアがにっこりと微笑んでいた。
「い、いや違うのよ、ルルちゃん! その若さでしっかりしてるなぁ、大人びてるなぁって話で! 私よりずっと頼りになるし!」
ルルティアは笑顔を崩さない。
「……ほんとよ?」
「もう、グロリアさんったら……」
小さくため息をついたルルティアは席を立ち、カウンターに刺さったペンを引き抜いて事務机へ戻った。グロリアはそっとカウンターから身体を離す。
「そうそう。この間の転移者の暴徒狩りの依頼、覚えています?」
「あぁ、なんかあったわねぇ。街の外で略奪してた連中でしょ?」
「はい。あの依頼、レッドリージョンが引き受けて、もう完了したそうですよ」
「ふ~ん。まあ、あの手の仕事はマルちゃんのところに任せておけば大丈夫でしょ」
グロリアはずり落ちかけた丸眼鏡を押し上げ、今度はカウンターの縁に軽く肘を置いた。
「それから、そのマルガレータさんなんですけど。この間お会いしたとき、近いうちに三人でお茶でもどうですかって誘われたんです。グロリアさんにも伝えてほしいそうですよ」
「あら、いいじゃない。最近ゆっくり話してないものねぇ」
「では、お返事しておきますね」
「お願いねぇ」
グロリアは掲示板の前へ目を向けた。
「はっはっは! レネット殿、やはり一度はその魔術書を――」
「え~、まだ言ってる~!」
包帯だらけの少年は相変わらず楽しそうだ。グロリアの口元が緩む。
「……エストくんのことかなぁ?」
ルルティアも一度だけそちらを見た。
「……かもしれませんねぇ」
二人の間に小さな笑いがこぼれたところで、入口の扉が開いた。
「やあ、みんな。ただいま」
入ってきたのは、戸口を狭く見せるほど大きな男だった。日に焼けた褐色の肌、太い腕。赤い髪を後ろでまとめ、擦り切れた袖なしの着流しをまとっている。
いかつい顔つきとは裏腹に、その声はのんびりと穏やかだった。
「あら、アパッチくん!」
「グロリアさん。久しぶりだねぇ」
「お帰りなさい、アパッチさん」
「ただいま、ルルちゃん」
聞き慣れた声に、掲示板の前の二人も振り返る。
「おお、アパッチ殿! お帰りでござる!」
「アパッチくんだ~! おかえり~!」
「うん、二人とも元気そうだねぇ」
アパッチは大きな顔をほころばせ、ギルドの中へ入ってきた。




