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【完結】期限付きの白い結婚のはずが、年下公爵様の成人の日に『期限なんて最初からありません』と言われました  作者: フトダマノミコト


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第21話 迎えに来た旦那様

 松明の光が、夜明け前の薄闇を切り裂いていく。


 黒い馬は、まっすぐにベルナール家の門へと駆け込んできた。

 その後ろに、王宮の紋章をつけた騎士たちが続く。十騎、いや、それ以上。



「な、なんだ……!?」



 グラウバー伯爵が、杖を取り落としそうになった。


 カトリーヌの顔から、さっと血の気が引く。

 オズワルドは、凍りついたようにその場から動けなくなっていた。



 黒い馬が、馬車の手前で止まった。


 馬上の人影が、ひらりと地面に降り立つ。



 黒い髪。

 夜明けの光を受けて、深く光る紫色の瞳。



「……ユリアン」



 リゼットの唇から、掠れた声が零れた。


 ユリアンは、まっすぐにリゼットを見ていた。

 リゼットの両腕を掴んでいる使用人たちに、一瞬だけ視線を移す。



 それだけで、使用人たちはびくりと肩を跳ねさせ、慌ててリゼットから手を離した。



「リゼット」



 ユリアンが、名前を呼んだ。


 いつもと同じ、穏やかな声だった。

 けれどその声を聞いた瞬間、リゼットの足は勝手に動いていた。



 もつれる足で、駆け出す。


 ユリアンは、両腕を広げてリゼットを受け止めた。

 大きな腕が、リゼットの体をすっぽりと包み込む。



「……っ、ユリアン」


「遅くなって、すみません」



 耳元で、低い声がした。


 リゼットの背中に回された腕が、かすかに震えていた。

 リゼットは、ユリアンの胸に顔を埋めた。



「ごめんなさい。約束、破ってしまって……叔父様には近づかないでと、言われていたのに」


「リゼットは、何も悪くありません」



 ユリアンは、リゼットの髪にそっと頬を寄せた。


 淡い青色のリボンが、二人の間で小さく揺れる。



「約束を破ったのは、リゼットを騙した人たちです。……それに、ちゃんと書いてくれていたでしょう? 必ず帰ってくる、と」



 ユリアンの声が、少しだけ柔らかくなった。



「だから、迎えに来ました」




「こ、公爵閣下! これは、何かの誤解で……!」



 我に返ったカトリーヌが、引きつった笑みを浮かべて前に出た。



「リゼットは、自分の意思で家に戻ってきたのです。公爵閣下とは、昨日で離縁なさったと伺いましたので、こちらで新しい縁談を」


「離縁は、していません」



 ユリアンは、リゼットを片腕に抱いたまま、静かに言った。


 カトリーヌに向けられた瞳は、氷のように冷たかった。

 リゼットに向けていたものとは、まるで別人のように。



「僕とリゼットの婚姻契約は、六年前に国王陛下のお許しをいただいて書き換えています。リゼットは、今もアーデルハイト公爵夫人です」


「な……っ」


「つまり、あなた方がしたことは、公爵夫人の誘拐と、重婚の強要です」



 カトリーヌの顔が、真っ白になった。


 グラウバー伯爵が、慌てたように後ずさる。



「わ、私は何も知らん! 白い結婚のまま離縁された女だと、そこの男に聞かされただけで……!」



 伯爵が杖で指し示したのは、オズワルドだった。


 オズワルドは、ようやく動けるようになったのか、じりじりと門のほうへ後ずさっていた。



「叔父上」



 ユリアンの声が、オズワルドの足を止めた。



「どちらへ行かれるのですか」


「わ、私は……私はただ、ベルナール家に頼まれて、間に入っただけだ。何も知らない」


「そうですか」



 ユリアンは、穏やかに微笑んだ。


 その微笑みに、オズワルドの顔が恐怖に歪んだ。



「では、王宮でゆっくりお話を聞かせていただきましょう。……公爵家の財産の横領について。それから」



 ユリアンは、そこで一度言葉を切った。


 そして、静かに続けた。



「九年前、父上と母上の馬車の車軸に、細工をさせたことについても」




 その場の空気が、凍りついた。


 オズワルドの顔から、最後の血の気が引いていった。



「な、何の……何の話だ」


「御者が見つかりました。叔父上に金で雇われ、車軸に細工をしたと、すべて話してくれましたよ」



 ユリアンの声は、どこまでも静かだった。


 怒鳴ることもなく、責め立てることもなく。

 ただ、事実だけを淡々と告げていく。


 それが、かえって恐ろしかった。



「……っ、くそっ!」



 オズワルドが、門に向かって走り出した。


 けれど、二歩も行かないうちに、待ち構えていた騎士たちに取り押さえられた。

 地面に組み伏せられ、両腕を縛られる。



「離せ! 私は前公爵の弟だぞ! アーデルハイトの血を引く者だ!」


「父上と母上を殺した人間が、その名を口にしないでください」



 ユリアンは、地面に這いつくばるオズワルドを見下ろした。


 その瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。



「連れていってください。陛下が、お待ちです」



 騎士たちに引きずられていくオズワルドの叫び声が、夜明けの空に虚しく響いた。




 騎士の一人が、ユリアンの前で膝をついた。



「閣下。ベルナール家の者たちは、いかがいたしましょう」



 カトリーヌが、ひっと短い悲鳴を上げた。


 そのとき、屋敷の中から、甲高い声が響いた。



「公爵様!」



 クラリスだった。


 寝間着の上にガウンを羽織っただけの姿で、玄関から飛び出してくる。

 ユリアンの姿を見つけると、泣きそうな顔で駆け寄ってきた。



「公爵様、違うのです! 私は、何も知らなかったの! 全部、お母様と叔父様が勝手に……!」


「クラリス!? あなた、何を……!」



 カトリーヌが、信じられないという顔で娘を見た。


 クラリスはそれにも構わず、ユリアンに縋りつこうと手を伸ばした。



「お姉様を連れ戻しに来てくださったのね。でも、もういいのです。お姉様なんかより、私のほうがずっと公爵様にふさわしいわ。若いし、可愛いし、それに――」



 その手が、ユリアンの腕に触れる寸前だった。



「触らないでください」



 ユリアンは、半歩身を引いた。


 クラリスの手が、空を切る。



「昨夜、扉越しにリゼットに何を言ったか。屋敷の使用人が、すべて証言してくれるそうですよ」



 ユリアンの言葉に、クラリスの顔が凍りついた。


 振り返ると、玄関の陰に、怯えたような顔の侍女が一人立っていた。

 八年前、厨房にリゼットを呼びに来た、あの年若い侍女だった。


 侍女は、リゼットと目が合うと、小さく頭を下げた。



「……その者たちも、王宮へ。ベルナール伯爵にも、後ほど陛下からお呼び出しがあるはずです」



 ユリアンが告げると、騎士たちは無言で動き出した。


 カトリーヌが金切り声を上げ、クラリスが泣き叫ぶ。

 グラウバー伯爵は、何度も「私は関係ない」と繰り返しながら、騎士に腕を掴まれていった。




 騒ぎが遠ざかると、門の前には、ユリアンとリゼットの二人だけが残された。


 東の空が、少しずつ明るくなっていく。



 ユリアンは、自分の外套を脱いで、リゼットの肩にかけた。


 一晩中、冷たい部屋にいたせいで、リゼットの体はすっかり冷え切っていた。



「寒かったでしょう」


「……少し」


「帰りましょう。マーサが、温かいスープを作って待っています」



 ユリアンは、リゼットを抱き上げた。


 軽々と。

 まるで、羽根でも持ち上げるように。



「ユ、ユリアン、歩けます」


「だめです。今日はもう、一歩も歩かせません」



 ユリアンは、リゼットを黒い馬の上に座らせると、自分もその後ろに跨った。


 背中に、ユリアンの胸の温もりを感じる。

 手綱を握る両腕に、すっぽりと包み込まれる。



 馬が、ゆっくりと歩き出した。


 夜明けの光が、二人の行く先を照らしていた。



「……ユリアン」


「はい」



 リゼットは、小さく息を吸った。


 昨夜、北の小部屋で、ひとりきりで気づいた気持ち。

 言わなければ、と思った。



「会いたかった、です」



 背後で、ユリアンが息を呑む気配がした。


 手綱を握る腕に、ぎゅっと力がこもる。



「……僕もです」



 掠れた声が、耳元で響いた。


 それきり、二人は何も言わなかった。

 けれどリゼットの背中に回された腕は、屋敷に着くまで、一度も緩むことはなかった。

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