↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】期限付きの白い結婚のはずが、年下公爵様の成人の日に『期限なんて最初からありません』と言われました  作者: フトダマノミコト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/24

第18話 十二歳、王の前で(ユリアン視点)

 十一歳の秋の終わりに熱を出したとき、ユリアンは夢を見た。


 リゼットが馬車に乗って、行ってしまう夢だった。

 どれだけ呼んでも、リゼットは振り返らなかった。



 目を覚ましたとき、リゼットは傍にいた。


 一晩中、手を握っていてくれたのだと分かった。

 その指先は冷たくて、目の下にはうっすらと隈ができていた。



 熱が下がってから、マーサが教えてくれた。


 叔父上は、医者を呼ぶことを許さなかったこと。

 リゼットが、離縁のときにもらえるはずの慰謝料から払うと、自分の名前で借用書を書いたこと。



「奥様は、迷いもなさいませんでした」



 マーサの声は、少しだけ震えていた。



 ユリアンは、毛布の中で拳を握りしめた。


 離縁のときの慰謝料。

 それは、リゼットがこの家を出たあとに、ひとりで生きていくためのお金だ。


 行き場のないリゼットが、たったひとつ頼りにしているはずのもの。

 それを、リゼットは何のためらいもなく差し出した。



 ユリアンのために。



(……許さない)



 叔父上を。

 リゼットにそんなことをさせた、無力な自分自身を。



 その日、リゼットが何気なく零した帳簿の話を、ユリアンは聞き逃さなかった。


 ロウゼン商会。

 毎月の、不自然な支払い。


 リゼットが書いてくれた数字の列を、ユリアンは枕の下にしまった。

 その夜から、ユリアンは眠る時間を削って、屋敷の古い帳面を調べ始めた。




 王宮の謁見の間は、天井が驚くほど高かった。


 十二歳を迎えた貴族の子息たちが、一人ずつ名前を呼ばれ、玉座の前に進み出る。

 多くの子どもは緊張で声を震わせ、決められた挨拶だけをして下がっていった。



「アーデルハイト公爵、ユリアン殿」



 名前を呼ばれ、ユリアンは前に進み出た。


 玉座に座る国王は、穏やかな目をした初老の男性だった。

 父上とは、若い頃に親しかったと聞いている。



「よく来たな、ユリアン。父君のことは残念だった。……達者にしておるか」


「はい、陛下。お心遣い、感謝いたします」



 ユリアンは、深く頭を下げた。


 それから、顔を上げて、まっすぐに国王を見た。



「陛下。恐れながら、お聞きいただきたいことがございます」



 謁見の間が、ざわめいた。


 十二歳の子どもが、儀礼の場で王に直訴するなど、前代未聞のことだった。

 控えていた侍従が慌てて前に出ようとするのを、国王が片手で制した。



「……申してみよ」



 ユリアンは、懐から書類の束を取り出した。


 リゼットが書いてくれた数字の列。

 そして、半年かけて自分で調べ上げた、公爵家の支出の記録。



「後見人である叔父、オズワルド・アーデルハイトが、架空の商会を通じて公爵家の財産を横領している疑いがございます。こちらが、その証拠です」




 謁見のあと、ユリアンは国王の私室に呼ばれた。


 国王は、ユリアンが差し出した書類に、長い時間をかけて目を通した。

 やがて顔を上げると、深いため息をついた。



「……よく調べたものだ。十二の子どもが、ひとりで」


「ひとりではありません。最初に気づいたのは、私の妻です」


「妻、か」



 国王は、少しだけ眉を上げた。



「オズワルドが用意した、形だけの奥方だと聞いておるが」


「形だけではありません」



 ユリアンは、即座に言い返した。


 国王は、目を瞬かせた。

 それから、ふっと口元を緩める。



「よかろう。この件は、王宮の監査官を送って調べさせる。オズワルドの権限も、今日から制限しよう」


「ありがとうございます」


「それから、ユリアン。そなたの働きに、褒美を取らせたい。何か一つ、望みを申してみよ」



 ユリアンは、その言葉を待っていた。


 この半年、ずっと考えていたことだった。



「では、陛下。私と妻との婚姻契約を、書き換えていただけますでしょうか」




 国王は、しばらくの間、黙ってユリアンを見つめていた。


 それから、声を上げて笑った。



「はは……十二の子どもが、何を言い出すかと思えば。まさか、今すぐ妻と本当の夫婦になりたいなどと申すのではあるまいな」


「いいえ」



 ユリアンは、静かに首を横に振った。



「今すぐではありません。私が成人したとき、妻が出ていかなくてもいいようにしたいのです」


「……ほう」


「妻は、成人の日に離縁することになっています。そうなれば、妻には帰る場所がありません。実家は、妻を売るようにして嫁がせた家です。離縁されれば、また別の家へ売られるでしょう」



 国王の顔から、笑みが消えた。



「妻は、私のために、自分の将来のお金を差し出しました。……私は、それに報いたいのです」



 ユリアンは、膝の上で拳を握った。



「それに、私は妻を、手放したくありません」



 国王は、長いこと黙っていた。


 窓の外で、鳥の声がした。

 やがて国王は、深く息を吐いた。



「……そなたの父も、そういう目をしていたな。母君を妻に迎えると決めたときに」



 国王は、机の上の羊皮紙を引き寄せた。



「よかろう。ただし、条件がある」


「はい」


「そなたが成人するまでの六年間、一度たりとも奥方に無理を強いてはならぬ。白い結婚を守り、奥方が健やかに暮らせるよう、全力を尽くすこと。……そして六年後、奥方がどうしてもそなたの元を去りたいと望んだときは、その心を力で縛らぬこと」



 最後の条件に、ユリアンは一瞬だけ言葉に詰まった。


 けれど、すぐに頷いた。



「お約束いたします」



 力で縛るつもりはない。

 リゼットが自分から、ここにいたいと思えるようにすればいい。


 そのための時間が、六年ある。



(六年あれば、きっと)



 国王は、羊皮紙にペンを走らせ、印章を押した。


 ユリアンは、それを両手で受け取った。

 手が、かすかに震えていた。




 王都からの帰り道、ユリアンは一軒の店の前で馬車を止めさせた。


 リボンや髪飾りを売る、小さな店だった。



「坊ちゃま、何をお探しで?」



 付き添っていたマーサが、不思議そうに尋ねた。


 ユリアンは、店の棚に並んだリボンを一つずつ見ていった。

 赤、桃色、緑、黄色。


 そして、一本の淡い青色のリボンの前で、足を止めた。



 リゼットの瞳と、同じ色だった。



「これをください」



 包んでもらったリボンを、ユリアンは大切に胸に抱えた。


 マーサが、何かを察したように目を細めて微笑んだ。



「奥様、きっとお喜びになりますよ」


「……うん」



 ユリアンは、窓の外を流れる景色を見つめた。


 屋敷に帰ったら、リゼットに会える。

 十二日ぶりに、あの声を聞ける。



 懐の中の羊皮紙のことは、まだ言わない。


 今言ったら、リゼットはきっと困ってしまう。

 十二歳の子どもの言うことだと、笑って本気にしないかもしれない。



(だから、待つ)



 リゼットが、自分を見上げるようになるまで。

 リゼットが、自分を子どもではなく、ひとりの男として見てくれるまで。



 玄関で出迎えてくれたリゼットは、少し痩せたように見えた。


 ユリアンが「ただいま」と言うと、リゼットは心の底から嬉しそうに笑った。



「では、いつか教えてくださいね」



 秘密だと言ったユリアンに、リゼットは優しくそう言った。


 ユリアンは、まっすぐにリゼットを見て頷いた。



「はい。いつか、必ず」



 その「いつか」まで、あと六年。


 十二歳の少年は、その日を、心の中で静かに数え始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。