第11話 夜会と異母妹
秋の終わり、王都で大きな夜会が開かれることになった。
王太子殿下の婚約披露を兼ねた、王宮主催の夜会だ。
国中の貴族が招かれ、もちろんアーデルハイト公爵家にも招待状が届いた。
「リゼットも一緒に来てください」
招待状を手にしたユリアンが、当然のように言った。
リゼットは、思わず目を瞬かせた。
「私も、ですか?」
「公爵夫人ですから」
「でも、私は……」
形だけの妻だ。
来年には、離縁する。
王宮の夜会になど出れば、また周囲に何と言われるか分からない。
「リゼットが行かないなら、僕も行きません」
ユリアンは、にこりと微笑んだ。
穏やかな顔なのに、なぜか一歩も引かない圧を感じる。
「……公爵様が欠席なさるなんて、それこそ問題になります」
「では、一緒に来てくれますね」
結局、リゼットは頷くしかなかった。
夜会の日、マーサたちは張り切ってリゼットを着飾らせた。
用意されていたのは、夜空のような深い紺色のドレスだった。
裾には銀糸で細やかな刺繍が施され、動くたびに星のようにきらめく。
「こんな立派なドレス、いつの間に……」
「旦那様が、ずっと前からご用意なさっていたのですよ」
マーサが、目を細めて微笑んだ。
「奥様の髪と瞳の色に合うようにと、何度も仕立て屋を呼んで。……本当に、熱心でいらっしゃいました」
髪には、あの日もらった淡い青色のリボンを結んだ。
鏡に映った自分は、まるで別人のようだった。
(似合わないかもしれない。私なんかが、こんなドレス)
不安な気持ちで階段を下りると、玄関ホールでユリアンが待っていた。
黒の正装に身を包んだ姿は、ため息が出るほど美しかった。
けれどリゼットの姿を見た瞬間、ユリアンはその場で固まった。
「……公爵様?」
「……」
ユリアンは何も言わない。
ただ、紫色の瞳を大きく見開いて、じっとリゼットを見つめている。
(やっぱり、似合っていないのね)
リゼットが俯きかけたとき、ユリアンがゆっくりと階段の下まで歩み寄った。
そして、手を差し出して、かすれた声で言った。
「綺麗です。……本当に、綺麗です」
その耳が、ほんのりと赤く染まっていた。
王宮の大広間は、まばゆい光にあふれていた。
ユリアンと並んで足を踏み入れた瞬間、周囲の視線が一斉に集まるのが分かった。
「まあ、アーデルハイト公爵様よ」
「なんてお美しいのかしら。来年には成人なさるのでしょう?」
「隣にいらっしゃるのが、例の……?」
「ええ。期限付きの奥方ですって。ずいぶん年上なのね」
ひそひそと交わされる声が、嫌でも耳に入ってくる。
リゼットは、ユリアンの腕に添えた手に、思わず力を込めた。
(分かっていたことよ。気にしない)
そう自分に言い聞かせていたときだった。
「まあ、お姉様!」
甲高い声が、背後から響いた。
振り返るより先に、その声の主が誰なのか分かった。
「……クラリス」
淡い金髪を華やかに巻き上げ、薄桃色のドレスを身にまとった異母妹が、そこに立っていた。
七年ぶりに見るクラリスは、相変わらず愛らしかった。
けれど二十二歳になった今も、まだ嫁ぎ先が決まっていないと、リゼットは風の噂で聞いていた。
クラリスはリゼットをちらりと一瞥したあと、すぐにユリアンへと視線を移した。
その瞳が、獲物を見つけたように輝く。
「はじめまして、公爵様。クラリス・ベルナールと申します。お姉様の妹ですの」
クラリスは優雅に膝を折り、上目遣いにユリアンを見上げた。
ユリアンは、表情一つ変えなかった。
「……どうも」
それだけだった。
クラリスは一瞬、戸惑ったように目を瞬かせた。
けれどすぐに気を取り直し、甘えるような声を出す。
「まあ、そっけないのね。お姉様と七年も一緒にいらしたなら、私とも家族同然ですのに」
そして、わざとらしくリゼットのほうを見た。
「それに、お姉様は来年には離縁なさるのでしょう? そうしたら、公爵様の隣が空いてしまいますわね」
周囲の令嬢たちが、くすくすと笑う。
リゼットは、唇を噛みしめた。
「お姉様も、もう二十五でしょう? 離縁されたら、どこにも行くところがないものね。お母様が、ちゃんと次のお相手を見つけてくださっているから安心して」
クラリスは、心底楽しそうに微笑んだ。
「でも公爵様、ご安心くださいな。お姉様の代わりなら、私が――」
「必要ありません」
静かな声が、クラリスの言葉を断ち切った。
ユリアンだった。
声を荒げたわけではない。
むしろ、いつもより穏やかで、丁寧な口調だった。
それなのに、周囲の空気が一瞬で凍りついた。
「誰かがリゼットの代わりになることは、ありません。……それから」
ユリアンは、紫色の瞳でクラリスを見下ろした。
氷のように、冷たい瞳だった。
「僕の妻の名前を、軽々しく口にしないでください。不快です」
クラリスの顔が、さっと青ざめた。
周囲の令嬢たちも、笑みを凍りつかせたまま固まっている。
ユリアンはもうクラリスには目もくれず、リゼットのほうへ向き直った。
そして、さっきまでとはまるで別人のように、柔らかく微笑んだ。
「リゼット。一曲、踊っていただけますか」
楽団の奏でる円舞曲に合わせて、ユリアンはリゼットを導いた。
腰に回された手が、驚くほどしっかりと体を支えてくれる。
リゼットがステップを間違えそうになっても、ユリアンは何事もなかったように軽やかにリードした。
「……いつの間に、こんなに上手になったのですか」
「リゼットと踊るために、練習しました」
さらりと言われて、リゼットは言葉に詰まった。
見上げると、すぐ近くにユリアンの顔がある。
紫色の瞳が、リゼットだけを映している。
「公爵様。さっきは、ありがとうございました。……でも、あんな言い方をしたら、公爵様の評判に」
「構いません」
ユリアンは、リゼットの手を握る指に、少しだけ力を込めた。
「リゼットを笑う人間の評判なんて、僕はどうでもいいです」
胸が、苦しいほどに鳴っていた。
音楽のせいだろうか。
それとも、慣れない夜会で緊張しているからだろうか。
(違う。これは、そういうものじゃない)
リゼットは、自分の心に蓋をするように目を伏せた。
この子は、八つも年下で。
自分は、来年には出ていく、期限付きの妻で。
(勘違いしては、だめ)
ユリアンは、そんなリゼットをじっと見下ろしていた。
そして、曲が終わっても、しばらくの間その手を離さなかった。
大広間の片隅で、クラリスは扇を握りしめていた。
扇の骨が、みしりと音を立てる。
「……許さない。お姉様のくせに」
その呟きを聞いていたのは、彼女の背後にそっと近づいた、口髭の男だけだった。
「ずいぶんと、悔しそうだね。ベルナール嬢」
オズワルドは、にこやかに微笑んだ。
その目は、まったく笑っていなかった。




