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岡っ引きの源さんは、今日も朝帰り  作者: ねこまんまときみどりのことり


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雅紀と光圀

 水戸で生まれた雅紀は、権中納言(ごんちゅうなごん)こと徳川光圀に幼い時から可愛がられた子供の一人である。


 光圀は病で亡くなる人を見る度に、「医術の進んでいる異国でなら、治ったかもしれないと思うと辛くなるんじゃ。日本は金のある者しか医師にかかれんし、医師になるにも金がかかるから数も少ないままだしの。独占状態であるが故、切磋琢磨もせん。

 かくいうわしも、配下の者に聞くだけで、実際の現場が本当に駄目なのかどうかも分からん。これでは嫌みな口だけジジイだな。なあ雅紀よ。将来でもし、お前が医師になることがあれば、身分に関係なく、いろんな者を癒してくれると欲しいのぉ」



 雅紀は主治医に習いながら、痛み止め用の乾いた薬草を薬研に入れて、円盤上の薬研車ですり潰していく光圀を見るのが好きだった。雨上がりの庭のような、草の濃い臭いも気に入っていた。


 ※薬研(やげん)……江戸時代から使われる伝統的な器具。舟形の容器に薬草を入れ、車輪状の(すり潰す)道具で、前後に転すと硬い生薬や乾燥ハーブを細かく粉末状にできる。



 光圀は医学や薬学に深い関心を持っていたが、蘭学に詳しかった訳ではない。

 多忙を極めた彼は、もっぱら聞き役でしかなく、配下からの報告で現状を確認していたと言った方が近いかもしれない。


 この時期はまだ鎖国が定着したばかりであり、蘭学自体が日本に根付いていなかった。

 その為当時の光圀は、中国から伝わった医学や薬草を用いた民間医療を、市井へ熱心に普及していた時期だった。


 雅紀も彼の考えに同調し、武士家の次男であるも貧しい民を救う光圀の行動に感銘を受けていた。

 まるで祖父と孫。そして彼らを影ながら守護する田野倉は、雅紀の父のような存在であった。特に田野倉は雅紀の家で働いていた為、常に表に顔も出していた。


 北町奉行の近江儀三郎と、田野倉の繋がりも光圀のことが関係している。

 近江家は光圀の父である徳川頼房の乳母(三木武佐)の父が、近江の広済寺の住職であったという縁で光圀とも交流が続いていた。その光圀に信を置かれ、彼の使い等を頼まれていた田野倉も、近江家とは顔見知りとなっていたのだ。

 気分転換にと言われ、田野倉と雅紀も光圀の供となり、旅に同行したこともあった。近江家はその頃からの付き合いである。



 気が付けば、幼い時の雅紀の中心には、いつも光圀がいたのである。


 次男の気楽さから光圀に可愛がられ田野倉らと共に外の世界を知り、仏教と医学に触れて人が生きる素晴らしさ、逞しさを間近で見てきた雅紀。


 雅紀は秘密裏(実際にはバレバレ)に、田野倉と相談して薬師の真似事もしていた。

 勿論本物の老薬師を代表に置き、室内では老薬師の弟子達から学びを与えられていた。


 薬草の材料は、光圀の持つ領地の一つから補充していた。人々から隠されたような場所にあるその小さな裏山は、光圀の忠臣の一人が管理していた。

 光圀所有の薬草園で栽培していたので税金はかからず、人件費が僅かにかかるだけ。


 光圀亡き後は田野倉に譲り、その後は田野倉の好きにして良いと契約も交わしていた。本来はない特例であったが、世話になった令を金銭ではなく、寂れた山で与えると言うことで周囲の同意も得られたようだ。長い時を中山家よりも、光圀と過ごした(仕えた)方が多かったかもしれない田野倉。勿論譲渡後の税金は納めることにはなるが、子のない田野倉からすれば、痛いものではなかった。


 元より中山家当主は、その関係を微笑ましく応援していた。更に雅紀を大事にして貰え、深く頭が下がる程感無量なのであった。



 



 光圀は産業の振興、水道の敷設や貧民救済に尽力した民の為に動く人物だった。領内の武士の殉死も禁止し、人命尊重に重きを置いた。


 光圀は殉死しようとする家臣に対し、「前藩主への忠義であっても、後を継ぐ私に対しては不忠義(裏切り)ではないか」と説得したと言う。

 殉死する家臣の多くは、藩政の中枢を担う優秀なエリート武士であり、藩の将来の人材を守る為でもあった。


 特に水戸藩第2代藩主となってすぐに着工した、三戸市内下市地区の井戸水問題(渋水で飲み水とならず、深刻な水不足だった)を暗渠構造を利用した高度な土木技術で解決した。

 大幅に衛生環境が向上し、水質の悪さによる健康被害や病気のリスクが大幅に減少した。



 後の将軍となる、綱吉を支持した光圀だったが、彼の制定した極端な動物保護政策となる『生類憐れみの令』他、極端な法令に失望、批判し対立後に隠居に追い込まれた。その後に『大日本市』の編纂の着手していくことになる。


 光圀は動物が嫌いだった訳ではなく、自然との共存を図っていた。現に水戸藩の軍用馬を育成する為の牧場を開設し、熱心に育成を行っていたのだ。


 ただ綱吉が出した極端な動物保護令に対し、光圀は「水戸領内においては鳥獣殺生は自由、人に害をなす犬は打ちすえてよい」と公言し、厳格な法令に反対していた。

 鷹狩り等では犬や馬等を大事に扱う為、嫌いではなかったのだ。




 そんないろんな経験をした光圀は、自分の意見に近く孫のように一緒に過ごした雅紀が大好きだった。このまま彼に将軍を任せたい程に。


 不可能なことは分かっている為、彼に密かな財産を託そうとする光圀。野心なき雅紀は、孤独な実力者に愛されていた。



「爺、今日も市井まで学んで来よう。一緒に行くかい?」

「勿論で御座います。及ばずながら私めも、医学を学びまするぞ!」

「そうかい? 無理しないようにな」



 雅紀が通う民間の療養所は、光圀が手をまわした有能な医師や医学生が揃っていた。彼らの助手達も手練れの隠密である。


 将来を将軍や大名を看ることになる人材(光圀の息のかかった者に限るが)を2年単位でそこに派遣し、市井を理解させる取り組みだった。

 雅紀は学ぶ。優秀な知識を学んだ者達に交ざり、将来の夢に向かって。偶然ではなく隣の建物は薬師が店を経営している、とても良い環境にある。



 そして医師を探すお菊と雅紀は、偶然の出会いを果たすのであった。







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