泣いたお菊
如何にも荒くれ者の男達が、か弱い女性達に向かって剣を抜く非道。
男達は余裕を持って、嘲笑うように近付いていく。
「オラオラッ! 怪我する前に言うことを聞いた方が身の為だぞ」
「はぁ? ふざけるんじゃないわよ、不細工な顔ね。人柄が顔に出てるせいね。悔い改めなさい!」
「このガキが! 減らず口叩いてねえで、こっちに来いや!」
「誰が行くもんか。やつけてやるんだから!」
お菊は後ろに匿われている間に、近所を歩くお婆さんに杖を借りて身構えていた。
青葉の父親は、藩の武芸指南役を勤めており、後継の兄もかなりの腕前であった。幼い時より兄妹一緒に切磋琢磨していた為、怯むことはない。
浪人は彼女の構えに目を見張り、咄嗟に距離を取った。
(こいつ、思ったより技持ちかもしれん。舐めてかかれんぞ!)
「久し振りの戦いに、ちょっと気分があがるな」
相手は6人もいるのだが、青葉は一切緊張していない。雨咲のことを信用していたこととお菊に会えたことが、彼女のテンションを上げていた。
本当はお菊に会う前だったこともあり、「悪事を働く奴らを、日本橋に置いておけない」と思い、彼らに着いて行ってコッソリ始末する気でいた腰元達。品川から日本橋に来て、まだ5日目のことであった。
けれど思いがけず、探す前にお菊と遭遇した為、急遽角材に得物を変えて応戦していた。青葉にしてみれば、小物より角材の方が扱いやすかった。
逆に雨咲は暗器のような、油断を誘う得物が得意である。
(重いわね。でも訓練は積んでいるから、こんな奴らくらい敵ではないわよ)
れんげは正体を雨咲にしか晒しておらず、出来れば穏便にと済めば良いと思っていたので、役人が介入するのは丁度良いと思っていた。
(お菊様は岡っ引きに育てられ、同心と共にいることが多いと聞いております。こやつらを捕まえれば、お菊様達の手柄にもなりましょう。そして今後の接触にも有利です)
各々の目論みが進む中、サクサクと浪人達をぶっ叩き、殴り倒していく。
その際にわざとらしく「うわ~、止めろ!」とか、「キャアー、やだぁ」とか、「怖いです~、来ないで!」とか、腰元達が余裕であることを周囲には悟らせないよう工夫もバッチリである。
そんな声の中で「私に任せておいて。絶対守るから!」と、活気よく杖を振り回すお菊。
浪人達は「ぐえっ(喉を突いて来たぞ!)」「うげぇ(みぞおちを入ったぞ)」「あう、イテェ(男の急所に当てるとは!)」「あー!(足裏に釘か? まさか)」「うぅ(弁慶の泣き所に!)」と、先に倒れた。
残るは町人風の格好をした、40代で一見優しげな風情をした冨樫だけである。ただ先程のゲスな台詞で、彼の魂胆は周囲の者に聞かれていた。
浪人達は既に腰元達が倒していたが、お菊は冨樫の前で杖を何度も振り回し少しずつダメージを加えるものの、まだまだ弱らせるまでには至っていなかった。
「くそっ、こんな筈ではなかったのに。女ごときに倒されるとは、情けない浪人どもだ」
自分は脆弱なせいで用心棒を雇っているのに、捨て台詞を吐いていた。
「もう諦めて観念しな、おじさん。もうそろそろ、お父ちゃん達がここに来るんだから」
啖呵を切るお菊に、あからさまに鬱陶しそうに顔を向け周囲を見回す冨樫は、キョロキョロと周囲を探っているようだ。
(邪魔だな、この子供。でも……一番弱そうだ)
腰元達と腰元達の護衛、そしてお菊の護衛達が逃がす筈はない。
けれど…………。
弱そうな冨樫に些か油断していたお菊は、僅かな隙を突かれ羽交い締めにされた。
「きゃあ、離せ変態!」
「静かにしろよ。俺はいつでもお前を殺せる」
気付くとお菊の首に、小刀が当てられていた。白くて細い首筋から、鮮血が一筋流れた。
「っ、油断したわ」
「そうだ。怪我しないように、黙ってろ。そこの駕籠屋、俺達を乗せろ。逆らえば子供を殺す。さっさとしろ!」
「ひええっ、どうしよう」と慌てる、道の端で休憩した駕籠屋の二人。
更に血の量が増える為、雨咲が乗せてと駕籠屋に告げる。
「責任は私が取ります。二人乗せるのは重いだろうけど、頼むわね」
「「はい、わかりやした」」
筋肉隆々の駕籠屋は冨樫とお菊を乗せ、すだれを開けたまま出発した。
「えっほ、えっほ」
駕籠屋が動き出した刹那に、冨樫は「うぎゃ」と声をあげて小刀を手を放した。
隙を逃さず、お菊は駕籠から飛び出した。
「心配かけてごめんなさい。私は無事よ」
笑顔で駆けて来る姿に、周囲はホウッと安堵の息を吐いた。
「でも……突然どうしたんだろう、あのおじさん。いきなり声をあげて小刀を落としたのよ」
雨咲は泣きそうな顔で駆け寄り、お菊の首の傷に手拭いを押し当てた。
「きっと貴女の気迫に恐れをなしたのよ。少々反応が鈍かったけれどね」
そう言って、無理矢理笑顔を作った。
お菊も少しだけ考えてから、「そうだね、きっと」と笑った。
笑ってはいたけれど、身体の震えは隠せずにいた。雨咲は思わず抱きしめ、「守ってやれなくてごめんね。私が油断したばかりに」と呟く。
「何で貴女が謝るの? あのおじさんは私の敵だったのに。あんな奴に遅れを取ったなんて、不覚だったよ。もっと鍛えなきゃね」
その強がりに後から後から、涙が溢れる雨咲。彼女の後ろでは、青葉と葛樹も涙ぐんでいた。
れんげは(どうしましょう。私は生きていられるかしら)と、報告書のことを考え胸が詰まっていた。
ちなみに。
袖を隠して手持ちの痺れ薬付き吹き矢を放ったのは、れんげとお菊の隠密達である。3人から同時に打たれ、暫くは呼吸も苦しいことだろう。
進之介がお菊に付けている隠密達も、(どうしよう。報告しなきゃ駄目か!)と顔を青くし絶望感を漂わせていた。
その後に通報受けた源や清次郎達が到着。
浪人達と冨樫は自身番(番屋)と呼ばれる、江戸の町々に設置される場所(詰め所)へ連れて行かれ、調書を取った後吟味所(取り調べを専門に行うための屋内施設)へ連行した。
※重罪事件などで、より詳細な尋問や必要に応じて拷問が行われる場合は、牢屋敷内の吟味所等が使用された。
仁平へ確認したところ、冨樫が人拐い事件に繋がっていることが判明し、更に捜査は進展していくのだった。




