田之倉利兵衛慈が罪を裁く
南町同心の阿部久太郎は、ならず者や仁平のような半端者を雇って、若い女を騙したり浚って江戸から離れた遠国へ売り払っていた。
仁平らの雇われ者を泳がせて阿部の不正を暴いた清次郎は、辺境や遠国で力を持つ商人達が影で暗躍していることに辿り着く。
ただ江戸の関所には、関所番や番士と呼ばれる 関所の責任者にあたる上級役人がいる。
その役目は大名や旗本が任命されていた。
定番人や下番は実務や警備の最前線を担う下級役人で、関所周辺に常駐していた。
人見女・ 改女は 関所を通る女性の身元確認や身体検査を行った女性の専門役人で、各々の役目は細かく別れていた。
商人だけでは関所の目は誤魔化せない。
入り鉄砲に出女は言葉の通り、江戸幕府が諸大名による謀反や逃亡を防ぐため、箱根などの関所で特に厳重に監視した「武器の流入」と「大名妻子の脱出」のこと。
誰かが警備の隙、または金銭を握らせて女達を通したのだ。
中には貧しさに漬け込んだ身売りもあっただろうが、不作で年貢が払えない田舎農家の話とは異なり、洗練された上方(京都・大坂・奈良など)で女達の失踪事件が続いていたことから、大がかりな組織の関与が疑われている。
大きな権力が絡んでいる可能性があった。上層部はその脅威が、江戸にも延びてきたのだと考えていた。
「阿部の取り引き相手の根城と、輸送経路は概ね掴むことが出来た。だが彼らが上玉と呼ぶ綺麗どころの行方は掴めていない。何らかの力が関与した痕跡があるが、関わった者が殺され事実が揉み消されている。だから俺達は、まだ手を退けないのだ」
清次郎の言葉に源も頷く。
「……そうだな。江戸は広く人も多い。俺達だけでは把握できていない場所も、かなり多くあるのは確かだ。今は北とか、南とかで手柄を競ってる場合じゃないよな」
「そうだ、そうなんだが…………。簡単に仲良くできない難しい問題もあるんだよ」
「身分がある武士は大変だな。俺は身近にいる大事な人達を守れるなら、ケチなプライド等即捨てる。この命に変えてもお菊だけは守るつもりだ。それだけじゃなく、同じ長屋の人もめ組の仲間達にも、あんたにも元気で生きて欲しいと思うよ」
「源……。あんたは本当に人が良い。でもだからこそ、みんなもあんたを助けるんだろうな」
「ウダウダ考えても答えは出ねえ。取りあえずは、できることから始めようぜ」
「ああ、そうだ。あんたの言う通りだよ」
江戸は政治の中心で、将軍のおひざもとと言われる。面積は、約40k㎡~70k㎡と広大。
大坂は経済・商業の中心で、天下の台所と言われる。面積は江戸の半分。
京都は文化・工芸の中心で、天皇のいらっしゃる都と言われる。東西約4.5k㎡・南北約5.2k㎡23.4k㎡。
広さだけでなく、人口も江戸が最大であった。
貧乏旗本の四男で、部屋住みの身分にあった同心の阿部(元は和田)は、御家人の家に婿入りしてから阿部を名乗っている。同心は給料が安く、100~120万程度だった。
基本給は安いが付け届けと呼ばれる賄賂や謝礼が豊富にあった。特に事件の捜査などを行う役回りでは町民から実入りがあり、暮らし向きはかなり裕福だったと言われている。
但し婿養子の阿部は、付け届けを舅や姑に臨時の謝礼を奪われており、自由に使える金が殆どなかった。反面で「出世しろ、世継ぎを作れ」と、息が詰まる思いをしていた。
鬱々としていたところに目を付けられ、悪に沈んで行った阿部。義両親も悪意がある訳ではなく、一人娘のことを心配して貯蓄等をしており、彼らだけが贅沢をしていたような事はないのだ。
調べを進めると、阿部を巻き込んだ一味には、伊折将勝の妻である絹江の父親(小笠原和道)も絡んでいた。正確に言えば彼の配下の者達が、金に物を言わせて一部の役人を買収したのだ。
目的は彼の三男(信幸)を伊折家に継がせる根回しをする金を捻出する為だった。うまく話が纏まるように賄賂を渡し、親族を味方に付ける気でいたのだ。
手段を選ばぬ方法は、全て信幸の為だった。
当然の事だが、小笠原家が罪に問われることになっても、伊折家は無関係ではあるものの、印象は良くない。時には関与していない証明が必要であったり、場合により連帯責任が生じたりと政治的に追い込まれる場合もあった。
高位の役職を狙うライバルは多い。
とは言え。
今も昔も、朝廷と渡り合える家は少ない。
伊折将勝は老中の一人として、一目置かれる存在である。
理由の一つとして、彼の友人に池田雨咲の父、勘定奉行の池田加寿豐がいる。公家の血を引き朝廷との関わりも深い家柄である。吟剣詩舞の師が一緒で、武家の姫と公家(貴族)の若者が結ばれたことがあった。反対を乗り越えた結婚の数代後も、両家の仲は良好である。
公家側が少し躍りに重心を置く、オタク体質であったのも強い。
更に池田家は、朝廷との交渉の他にも勘定奉行として財政の管理に秀でており、優秀な老中の伊折と池田は阿吽の呼吸で安定を築いていたのだ。
池田家は誰にも従う家ではない為、伊折が職を解かれれば、辞職する危険があった。江戸幕府には、どちらも欠かせない人材であるのに。
◇◇◇
町から少し離れた茶屋で北町奉行の近江儀三郎は、キリリとした目付きの老獪そうな男と団子を食べていた。
秘密裏に呼び出したのはその人物、将軍の側用人である田之倉利兵衛慈へ相談する為である。田之倉と儀三郎は儀三郎の父から紹介された幼い頃より懐き、今に至るまでずっと懇意にしていた。
儀三郎は隠密達から、南町奉行所の事情を事前に得ていた。それ故に、これからのことを案じたのだ。
「南町奉行所は私達とは方向性は違いますが、とても熱心な連中なんですよ。ねえ利兵衛慈おじさん、今回の一件、内密に処理できないだろうか?」
「わしに言われてものぉ。でもまあ、殿からある程度の権限は任されておるから、少し動いてみるか。ただ殿の耳にも詳細は入れるが良いか? 関心を持たれれば、軽くすまんかもしれんぞ」
「勿論構いません。でも私は利兵衛慈おじさんを信じています。いつも素晴らしい結果を生む尊敬する方ですから」
「っ、お前はいつも煽てる。まあ、任せておけ」
「ありがとうございます。感謝します」
「良いんじゃ。お前はわしの子供のようなもんじゃからの。だが悪事だけは働くなよ」
「フフフッ。勿論です」
二人は微笑み、その後も世間話をしてから別れた。お互いに地味な風情であり、何を話しても目立たせない雰囲気を持っていた。
片切進之介は知らない。
彼が一方的にライバル視している儀三郎は、進之介が老中になることを望んでいた。
なりふり構わないところもある強引な捜査が、彼の母の友人が関与していることも調べ上げている。いろんな情報を総合的に組み立て、協力しても良い人物だと考えたのだ。
◇◇◇
仁平を囲っている、中村座の興行主である若杉は、人身売買には関与していなかった。彼が性的興奮するのは男性であり、女性には興味もないし、そこまでの悪事を働く度胸もないと判断された。
その後に同心の阿部久太郎の義両親と妻、小笠原和道の妻(絹江)と嫡男(義明)、近江儀三郎、片切進之介が、側用人田之倉利兵衛慈の邸に文にて呼び出されたのだ。
結果として、牢に捕らえられている阿部久太郎と小笠原和道、仁平、他にも人身売買に関与した者は捕まった。
田之倉は阿部久太郎、小笠原和道、関所の役人には切腹を命じた。
ただ今回の事件を根本から解決する為に、今後も水面下で捜査を行うつもりである。その為彼らの死の真相は隠され、病死や行方不明、若しくは遠方で療養することで片付け、公で裁くことなく闇で処理することに決めたのだった。これには将軍の意向も加味されていた。
罪は犯したものの残された家族を守る為に、多くの罪人達は命令に従った。罪に応じてはたとえ家族と離れることになっても、江戸所払いや百叩き・罰金なども受け入れたのだ。
小笠原和道は表向き、病気により隠居したことになり、嫡男の義明が後を継ぐことになった。
和道は妻と義明に頭を下げた。
「お前達には迷惑をかけて済まない。俺は野望を満たす為に、悪事に手を染めてしまった。信幸が不憫で、日の目に当ててやりたかったのだ。田之倉様は内密に処理をして下さると言う。俺の遺体は捨て置いても構わんが、どうか信幸とその母(絵美)には辛く当たらないでくれ。この通りだ。頼む」
いつも自信満々な和道が、泣きながら懇願する姿に絹江と義明は言葉を失くした。側室母子への嫉妬と同時に、強い後悔も押し寄せる。
(私が信幸らを蔑ろにしなければ、この人もここまでしなかったのかもしれない。思えば無理に離縁されることもなく、これまで安泰に生きられたのはこの人のお陰でもあるのだ。胸にはいろんな思いもあるけれど、叶えてあげましょう)
「俺は……信幸を邪険にしない。特別に優遇は出来ないが、なるべく力を貸し会話を持つことにするよ」
「ありがとう……それで十分だ。無責任だが、後のことは頼む」
切腹の後も信幸達に死の真相は知らされることなく、急な病により腕の良い医者の元で療養したが、亡くなったことと告げたのだ。療養所は遠方にある為、亡骸はその地で葬った話もしていた。
真実は切腹の後、小笠原家の墓に埋葬している。本来は罪人は入れられないが、母子は相談して決めたのだった。
「咎められる者がいるのならば、それを指示したのは正妻である私の責です。義明は気にせず職務に当たりなさい」
「私に負担がかからぬように、そう言って下さるのですね。……今の私は無力です。ですがいつか、立派に小笠原家を背負う覚悟で御座います。感謝しますぞ、母上」
二人は絵美と信幸を追い出さず、信幸には一人立ちして生きられるよう、義明の側で仕事を与えた。信幸と絵美は、正室らに認められたことで周囲との会話も増え、前を向けるようになった。和道を亡くした悲しみを乗り越えて、懸命に生きていると言う。残された義明と絹江もまた、和道の思いを汲んで周囲を思いやって生きていくのだった。
反対にこちらは…………。
阿部家にも嫡男がいる。こちらは当主の急死扱いで、その子が同心となる予定だ。
多くの者が別れや罪に悲しむ中で、阿部久太郎だけは酷い言葉を家族にかけた。
「俺は阿部家に来るべきでなかった。婿養子の身分はなんと辛い日々だったことか。あのまま暮らせばどうせきっと狂っていたから、ここで死ぬなら丁度良い。フハハハハッ」
「そ、そんな……貴方はそんな風に、うっ、うっ」
巻き込んだ家族に謝罪一つなく、彼は自分の人生の悲惨さを呪いながら逝くことになった。何とも後味の悪いことか。
関所の役人は転勤扱いとなり、表向きは他の場所で勤めることになった。当然隠密が変装して入れ替わっている為、接触した者を捕まえていく方向だ。
「これは将軍様も承知のこと。皆の者よ、本日の事、努努他言はせぬように」
「「「「はっ、御意のままに」」」」
その場にいた者はその言葉を聞き、深く頭を垂れた。田之倉の采配で、一族郎党が住み家を失くし路頭に迷うところだったが、公にしないことで救われた者が多くいたことを誰もが気付いたからだ。
片切進之介もその力に羨望を強く抱き、そして悔しさを噛み締めた。今の自分にこのようなことは出来ないと。
近江儀三郎は終始笑顔で、断罪を眺めていた。
◇◇◇
今回の捜査で呉服屋の針子、お紀代は保護された。30両の金で、京都の島原にある中店(中堅クラスの女郎屋)に売られていたところを発見されたのだ。
捜査の協力と、今後の働く場所を斡旋して貰うことを条件にして。
そして仁平は、美しい顔と演じることを田之倉に評価され、囮として生かされた。




