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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(下)

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   フロエ=ノル=アイラ


 始めは、ただ暴力に晒されるだけだった。

 見える場所は避けて、日々に支障が出ない様な痛めつけ方をされていることには後になって気付いて、ほっとした。

 絶対にジークへ知られちゃいけない。これ以上、何も失って欲しくない。ヒースおじさんみたいに振舞う姿に皆は無理をするなと言ったけど、ジークの根っこは何にも変わっていなかったから、大丈夫なんだと思った。だから、もう何も奪われない。この痛みに耐えて、相手が疲れて、呆れるまでじっとしていればいい。だんだん、慣れてきた。痛みが強い時の誤魔化し方も上手くなったし、ちょっとだけ女の子の身体になってきた私は男の子の深入りできない逃げ口上も使えた。


 なんだ、全然大丈夫。本当にそう思って、安心していた。


 でも、本当の苦しみは後になってやってきた。


 痛みを与えられることは減った。

 汚れは拭ってしまえば誤魔化せる。

 ずっとずっと奥深くを穢されているだけだから、前よりも知られる心配はなくなった。


 ヴィレイはその頃から、小さな紙切れを渡してくるようになった。


『契約書だ。コレ('')の報酬だよ。期限を書いてあるから、その期間は好きにしていろ』


 持っていなければジークの事をバラすと言われて、私は受け取った。

 そんな私を見る度、彼は口にした。


『まるで娼婦だな』


 せせら笑う声を聞く度、契約書を受け取る度、どんどんと汚れていく自分を感じた。

 身体を売って、報酬を受け取る。本当、ただの娼婦と変わらない。

 普段は勝手に知らせを寄越すのに、時折期限が迫っても現れないことがあって、気付けば自分から彼を探して、接触して来易い状況を作るようになった。あんな契約書にどんな意味があるかなんて分からなかったけど、もし、万が一にでもジークの存在が知られたらと思えば、開き直っていることなんて出来なくて……。


『そんなに相手をして欲しかったのか? あぁ、本当に汚らわしい女だよお前は』


 薬を飲まされるようになった。

 あれだけ嫌で嫌で仕方なかった事に、心がどんどんと麻痺して、擦り切れて、心の底からおかしくて、笑い出すようになった。


 笑って、泣いて、笑って、泣いて、命じられるまま身体を差し出して、汚れていく。


 冬に町へ出稼ぎへ行くと決まってそういうことが起きる。

 ジークや、周りの大人の監視から外れて、表向きちょっとした家のお手伝いを住み込みでさせてもらっていることになっていた私の様子に……幸いにも気付ける人は居なかったから。


 夜中にくすねた刃物を見詰めている時間が増えた。


 全部諦めて、全部捨てて、終わらせてしまいたかった。


 昔のように傷を付けられることはなくなったけど、この浅黒い肌の内側に蛆の群よりも醜悪で汚らわしいものが詰まっていると思えば、すぐに切り裂いて全てを取り除いてしまいたくなった。本当に、全身の皮膚の下を蟲が這い回る夢で目が覚めたこともある。

 それでも日々ヒースおじさんみたいになっていくジークを見ていると、駄目だと思い留まることが出来た。

 ジークは強くなった。

 昔は私と喧嘩して負けることもあった癖に、重たい木箱を口笛吹きながら運んでしまう。

 どこからか流れてきた山賊もたった一人で退治したりした。


 ジークを見ていると私は救われた。

 いつの間にか、今の彼を守っているのは自分なんだと考えている日もあった。

 思い知らされるのは大体その翌日で、慣らされた薬で嬌声をあげる自分に全て終わった後で喉が焼けるほど嘔吐を繰り返し、せめて全部吐き出せたらと願いながら自分の汚らしさを思い出す。

 それでもあの日よりはずっと良かった。

 薬の抜け切っていなかった夜に、疲れ切って横になっていた私をジークが心配して様子を見に来たその時、私は彼に欲情してしまった。

 私は本当に、どうしようもなく穢れた人間なんだと思った。額に触れた固い手へ、心配そうに見てくる優しい目へ、無防備に晒される首元へ、声変わりしてきた男の子の声を聞く度、お腹の奥が疼いて仕方なかった。自分の救いを自ら穢してしまったように思えて、ジークが私から目を離した隙に逃げ出した。そんな時に限って、ヴィレイは現れる。本当に自分たちは監視されているんだって、逃げ切ることなんて出来ないんだって笑えてきた。

 でもちょうどいいと思った。うんざりだった。死んでしまいたかった。でも折角なら、この男を殺してからでもいい。なのに彼は言った。私の血が持つ力と、命の使い方と、自分の諦め方を。


 言われた通り、皆が私を探して出払ったのを待ってから、こっそり家に戻った。

 ずっと待ち続けて、このまま誰も帰ってこないんじゃないかと不安になった頃、戻ってきたジークに向けて言った。

 ごめんごめん、ちょっとした悪戯だから、なに、そんなに心配したんだごめんねー。


 だれも私を怒らなかった。


 ジークは私を気遣わしげに見るだけで、言葉を無くして、周りの大人たちも同じように、ヒースおじさんが死んでからずっと、大人しくなんでも言われるまま働くようになっていた私の我侭に安心していた。別にそれは、自分のしていることを気付かれないように、予定外の反応が来ないようにしていただけで、別に……。


 何度も、何度も、やってやった。

 誰も怒らなかった。

 馬鹿にしても、怒ってみても、一人で空振りしてるみたいに何にもなくて、おかげでヴィレイと会うのが楽になった。


 そんなことを繰り返す度、どうして自分が生きているのか分からなくなっていった。

 もう考えるのだって疲れた。どうせ死ねない。どうせ何も変わらないし、誰も気付かない。気付かれた所で何? 誰かどうにか出来るの? 遅いよ。とっくの昔に私は汚れきった娼婦で、男を見れば股を濡らす気持ち悪い生き物になっちゃってるんだから。

 自分を諦めてしまえば、とてもラクになった。

 身体を売ることも慣れた。最初は躊躇っていたよくわからない薬とか、儀式とか、はいはいってやっていればその内終わる。どうでもいい。私の価値なんて、そんな程度しか残ってない。


――気持ち悪い。


 ジークをおちょくって、騙して、嫌がらせするとちょっとすっきりした。

 いいじゃん、どうせ私なんてそんなもんなんだから。


――気持ち悪い、


 私が守ってあげてるんだから、ちょっとくらい困らせたっていいじゃない。

 周りからすれば迷惑だろうけどさ、いつか世界を救ってあげるから、それでいいじゃない。

 ほら、こんな傲慢で自分勝手な人間なんだ。救われる価値なんてないから、誰も私に気付かない。


――気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、


 初めてジークでシた時は信じられないくらい気持ちよかった。

 布団を被って大笑いして、お腹が痛くなるくらい笑って、その日はずっと眠れなかった。


――誰か気付いて私に気付いてこんな穢れきった女を見て怒りの声をあげて糾弾してここに売女がいるぞと指差して棒で打って薬で理性を無くして涎を垂らす私に光の中から声をあげて殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して、お前に泣き叫んで赦しを請う価値なんて無いんだって言って思い知らせて私は、私は、もう後戻り出来ないくらいぐちゃぐちゃで大昔に目指した結末に向けて這いずって行くしか出来ないの無理なの吐く息すら皆と違うの身体を流れているのは赤い血なんかじゃなくてあのどろどろとして臭くて気持ちの悪いものが巡っていてそれを必死になって紅で染め上げているだけなんだから!!!!!!!!!!!!!!


 なのに彼は言った。

 私を救おうと。

 どうして?

 どうして私を殺してくれないの?

 何もかもを知っていて、こんな私をどうして諦めないなんて言えるの?

 そんなの、裏切りでしかないのに。


 彼女は言った。

 救われない自分で居ることを諦めろって。

 穢れた身体だからじゃない。

 こんなにも穢れ切った心で、堂々と自分を宣言できる光の中から、同じ場所に立って笑っていろって。

 そんなの、晒し者にされるより辛いのに。


 だけど…………そう、



『月が綺麗だからな』



 あの日、久しぶりに空を見上げた。

 そんなものがある事さえ忘れていた。

 夜空に浮かぶ満月は、確かに、綺麗だって思った。


    ※   ※   ※


 地面に蹲っていた。

 膝を抱えて、ちっちゃくなって、喉が震えるのを堪えきれず嗚咽する。

 目から涙がぼろぼろ流れて、拭っても拭っても止まってくれなくて、真っ白な雪に覆われた景色の中、『機神』の一撃で吹き飛ばした剥き出しの地面に私だけが居た。


 寒くて、身体がガクガクと震えた。

 笑え。笑ってしまえ。ほら、これでもう後戻りなんて出来ない。

 彼が最も大切に想っていた人を殺した。絶対に許せない。もう聖女を再臨させる必要さえない。そうだ。こんなことまでやって私は自分を捨てて逃げるんだ。救う価値なんてなかったんだってようやく気付く。笑え。笑え。笑え。笑って、お願いだから、笑って誤魔化せてよ!!


「――――ふ」


 音が、した。


「ふふっ、あっははははは!」


 瓦礫を蹴り倒して、砂埃を巻き上げ、人影が二つ姿を現す。

 一人は、私の攻撃に巻き込まれた教団の人で、もう一人は、


「ようやく泣かせてやった!! あっはははは! そうよっ! みすぼらしいアナタにお似合いの顔よ! そうやってもっとわんわんと泣き叫びなさいな! 悪女気取って得意気にしてるより百億倍は似合っているじゃない!! ふふっ、あーもう最高っ!!」


「ア、リエス……?」


「そうよ間抜け。なぁに? アナタ如きがこのアリエス=フィン=ウィンダーベルを討ち取れると本気で思っていたのかしら!? ウィンダーベル家は随分前からこの一帯にも陣取っていたのよ。大昔の地図だけじゃアテにならなかった所だけど、現地でここ一帯の地下洞窟を調べて、いざと言う時に備えて補強作業をするくらいの時間はあったのよ。えぇ、私とお父様との約定によってね。暇を持て余した有能な人材というのは、有り得ないと分かっていても出来る備えをするものよ。あらもしかしてこの私を追い詰めたと思っていたの? やぁね、私はここへアナタを誘導していたのよ? それにアナタは私が一人で相手をしていたと思っていたようだけど――」


 物音がした。

 敢えてさせたのだと、遅れて気付く。


 遺跡の影から、木々の隙間から、あるいは雪の中に伏せていた、私たちとそう歳の変わらない『弓』の術者たちが、手をあげたアリエスの背後へ集まってくる。


「デュッセンドルフ魔術学園学生小隊、ナーシャ=リアルド以下十七名、ここに」

「よろしくてよ」


「え……え?」


「あら私がたった一人でイレギュラーと教団の有象無象を相手に大立ち回りをしにきたなんて、そんな脳まで筋肉で出来ていそうな女に思われていたのかしら?」


 再び手を降ろせば、瞬く間に姿が見えなくなる。

 一人、ナーシャと名乗った人が何か躊躇っていたようだけど、強く言われて下がっていく。


「全員再び耳を塞ぎなさい」


 言って、アリエスが私へ歩み寄ってくる。

 襟首を掴まれて、顔を寄せられるまで、私はまるで反応できなくて、


「お兄様はきっとアナタを救うわ。アナタが心の底から幸せを感じて、どうしようもなく楽しくて堪らなくなって、そうやって笑う日がきっと来る。だから、私はね……アナタを泣かせに来たのよ。アナタが心の底から苦しんで、どうしようもないくらい悲しさに打ちひしがれてめそめそと涙を流せるように、そうなるアナタの傍に私が居られるように、私はなるのよ」


 普段の彼女からは想像も出来ない、真っ直ぐな目がそこにはあった。


「私もアナタほどじゃないでしょうけど、どうしようもないことをしてきたのよ。あまつさえ、最近までそれを忘れていたわ。えぇ、ハイリアという名の兄が、かつて居たのよ」

「どう、いう……」

「その兄には、同じ歳の親友が居たの。親同士が……因縁はあったんでしょうけど、それなりに仲は良かったから、何度も会う内に、私が嫉妬するほど仲良くなって――けどある日私の誕生日のプレゼントを、私の言った我侭を聞いて山奥へ探しに入った日に、事故で死んでしまったのよ」


 意味が分からなかった。

 何の話をされているのか、第一、ハイリアは今も……、


「私のお母様は心を病んでいてね、自分の子の死を受け入れることが出来なかった。私も、自分のせいだって半狂乱よ。それをお兄様は、ジーク=ノートンは、自分の居場所を捨てて身代わりとなった。お父様から聞いたの。自分で全部思い出せればよかったのに、私はどうしようもないから……。幾つか薬物と催眠を用いて、私とお母様の心が落ち着くまで記憶を操作したそうよ。結局、兄の死を受け入れることが出来なかった私たちは、目の前で兄のように振舞う人をそうだと思い込んで、自分に嘘をついていることさえ忘れて、罪悪感の分だけ愛したのかもしれないわね」

「……分からない。だってジークは」

「今のジークは別人。もう本人だって知ってるわ。ちょうど同じ頃に、父親が新大陸から拾ってきた記憶喪失の男の子。詳しい所はお父様も知らないそうだけど、ヒース=ノートンは彼こそがこの時代を変えてくれるって言っていたそうね」


 ヒースおじさんは昔から世界中を旅していた。

 いろんな冒険譚を聞かされた。歴史の真実だとか、隠された謎だとか、夢物語のようなことをとても楽しそうに話す人で、私もジークもそれを聞くのが楽しかった。


 ううん、ジーク……今の、私にとってのジークが何者かなんてどうでもいい。

 というか、なんで私、こんな話を聞いてるの……。


「分からない?」

「な、なに、が」

「私がアナタから救いを奪ったのよ」


 アリエスは、多分ため息をつこうとした。けど重く吸った息を押し留めて、それを言葉にする。


「お兄様がお兄様にならなければ、アナタの元には今のジークとお兄様が残ったよ。さぞ最強だったでしょうね。えぇ、ぼんくらなジークはともかくお兄様なら、今のアナタになる前に全て綺麗に解決してくれていたでしょうことは明らかよ、絶対そうなのよ。でも、私は私の為にアナタから救いを奪って、アナタはそんな目をするようになっている」


「……だからなに、そんなの、そんなもしもの話なんて関係なくって」


「あるのよ。あると言わせなさい。今、アナタの抱えるものの僅かでも、私が背負う言い訳になるんだから……っ!」


 もう、何を言われているのか分からなくなってきた。

 頭が痛い。奥底からズン、ズンって踏み鳴らされるような痛みが来る。


 なんでこんなことを言うの。

 そんなことを言われても、苦しい理由が増えていくだけじゃない。

 私は救われたくなんてない。そんな絶望欲しくない。


安心なさい(''''')


 いっそ冷酷に笑って、アリエスが言ってくる。 


「私はアナタを救わない。それはお兄様の役目よ。言ったじゃない。私がするのはアナタを泣かせること。アナタが馬鹿をする度に頬を張って、泣いても泣いても許さず叱り続けてあげるわ。仕方ないじゃない? アナタがそうやって捻くれたのは私の責任でもあるんだから。それだけよ」

「意味分かんない。なんでそんなことするの。関係ないよ。だって、私はアナタと何も――」



「そう。私とアナタは…………っ、んっ、んんっ、と、友達だからよ」



「………………え?」

 頭の中が真っ白になった。

 何を言われたのかが分からない。


 なんでアリエスは顔を赤くして、咳払いなんてして、こっちの様子を伺ってくるの。


 ぽかんと見詰めていたら、急に不安そうな顔をしたけど、遠く離れた場所から歓声が地鳴りのように響いてきたのを聞いて、途端に笑顔を得る。


「ふふっ、ええ! そうよ! 友達! マブダチというやつね! 光栄に思うがいいわ!」

「いや……わかんないし……」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 盛大なため息に目を丸くした。

 こんな、アリエスらしくない仕草に、私はつい言葉を待ってしまって、


「私はねっ! 今まで取り巻きは居ても友達なんて居なかったのよ! すべてが自分より下で、相手もそれを分かって近寄ってくるの。親しく振舞ってくる人も居たけれど、大体が年上というか、お父様くらいの人ばっかりだったし、お兄様は愛しているけれど家族の情だもの……友情とは別よ。でもアナタは、私が初めて得た、私と対等に話してくる同年代の女の子よ」

「リースとか……」

「本気で言ってるのかしら? アレは天然でそうなる時があるだけで分は弁えている方よ…………別に友情を求めてくるのなら与えてあげないこともないけど」

「ティアはっ、ティアとはいっつも口喧嘩してたしっ」

「業腹だけど、アレは私のそういう所をある程度見抜いて意図的にやってる節があるの。第一年増じゃない。本当に気に入らないわ」

「じゃ、じゃあっ!」

 尚も反論する私の両頬を片手で押し潰してきて、下がろうとしたら掴まれたままの襟首を寄せられる。

 逃げようも無いほど近くから、なぜか屈辱そうにするアリエスが、一度ぐっと目を瞑って睨みつけてきた。

 真っ赤な顔で、

 震えた声で、

 なのに物凄く偉そうに、


「意図的でもなくっ、天然だけでもなくっ、あたり前に私を対等において来たのはアナタが初めてなのっ! 大人しく私の友達になりなさいよ! 光栄に思うならまだしもぐだぐだ言葉を重ねさせるだなんてなにこれ私を挑発してるのそうなのねっ!!!!」


「身分弁えろっていつも言ってたくせに! どーなのっ、私奴隷階級なんだよ!? 天下のウィンダーなんとかのくせにいいの!!」


「そうよ弁えなさいよいつまで逃げ続けるの大人しく私の親友になればいいのよ!」


 なんでこっそり一段扱いあがってるの。


「だから私は……そんなんじゃなくて、それに、もう……」

「どうでもいいわよ優柔不断ね! そうやって死にたいけどやっぱ生きようとか繰り返してきたんでしょう! 別にいいわよ世界を守って死にたいなら死になさいよ! 自分を穢れた女だって思うなら思ってなさいよ! 別に私はそれでも構わないわ! どうせ私はアナタしか友達居ないんだからっ、そういうアナタしか知らないんだから今更じゃない!」


 なんでもう友達ってことになってるのっ!


「死ぬんだよ!? 聖女の再臨だとか、世界を救うとか言って私は死ぬのに良いって言うの!?」



「いいわよ別に!!」



 は……はあ!?


「なんで!? え……なんで!?」

「語彙が足りない女ね教養を身につけなさい」

「いきなり冷静に言わないで」

「別に死ぬなら死ぬで好きにしなさいよ。それと友達であることは別じゃない。なによ……そんなに私と友達になるのが嫌なの……」

「拗ねた顔しないで鬱陶しい」

「ここまで言ってるのに!? 大体アナタねっ、勘違いしてるようだけど別に死ぬのを阻まないなんて言ってないわ!」

「どういうことなの!?」

「好きにすればいいけど私が死なれるのは嫌だったら当然阻むわよいい加減になさい」

「私が本気でいい加減にしろって言っていいよね」


 もう訳が分からない。

 相手をするのも嫌。

 どれだけ言われたって、私は同じ所には立てないよ。

 それに時間だって、もう無いんだから。


 遅いよ。


 何もかも遅いんだよ。


 私はアナタみたいで居たかった。


 堂々と光の中で自分を宣言できる、ジークと一緒に正義を謳える、皆の前で顔を背けたりしないでいいアナタみたいであればどれだけ良かったか。


 疲れた。

 もう疲れた。


 こんな誤魔化しで流されたって、きっと後になって後悔するから、


 だから、もう聞きたくない。

 もう、見たくない。


「っ!!」


 目を伏せて、顔を背けたら、急にアリエスが咳き込み始めた。

 そんな嘘で騙されたりなんて、


「もう限界ですアリエス様」

「リアルドの……いえ、っ、今はまだ――ごほっ、っっ、は、ぁ、っっっっ――――――」


 ごぼり、と大量の液体が足元にぶちまけられた。

 堪えることも出来なくなったのか、崩れ落ちて、何度も何度も、空気の漏れた咳をする。


「ぇ…………」


 見れば、アリエスは真っ青になって、服を真っ赤に染めて、身を震わせていた。

 釘付けになる私を、這いずる様にして顔をあげたアリエスが、挑戦的に笑って言う。


「ほら……アナタも、好きに、しな、さ…………」


 彼女の背後で、真っ赤になった剣を抱えて震えている人が居た。今の出来事じゃない。私が攻撃する直前、確かに二人はぶつかっていて、だから、この傷はずっと前から……。教団の、名前も知らない人。夫婦で加わっていて、息子が殺されたとか、いつか聞いた――目が合って、彼は糾弾されたみたいに武器を放り出して、嗚咽し始めた。


 こっちを向けと、服を引かれた。


「選び、なさい……、何もせず、後悔、するか、何かして、こう、っ……後悔、する、か」


 こんな時なのに、冷酷そうに笑って。


「少なくとも、アナタは今まで自分へ、降りかかってきた理不尽へ、泣いてもいいし、怒ったって、いい、のよ――」


 崩れかけた自分を必死に保って、言った。


「その感情だけは……この、私が、アナタの友達として、誰にも、文句、な、んて……い…………言わせ、ない……」


 そうして、私を包むように抱き締めた彼女が、力無く倒れていくのを、


 多分、衝動的に、何も考えられないまま、


 支えて、


 そして、


「っっっっっ!!!」


 光が周囲を包む。

 誰かが厳重に張り巡らせていた障壁すら吹き飛ばし――その事実に今更気付いて――手を、伸ばした。


 その手を、女が縋りつくようにして掴んできた。

 這い上がってくる。

 顔の見えないその人が、それでも狂ったように笑っているのが分かって、でも今更振りほどくなんて出来なくて……。そう、儀式だとか、調整だとか、そんなこと最初から必要なくて、ただここに通り道があるのだと呼びかけるだけでよかった。聖女だなんて呼ばれている、狂った女がやってくる。全部を、容赦なく、隅々まで、徹底的に、塗り潰されてしまう。


 だから、これで――


 これで――



《そう、これで――聖女を捕らえる事が出来た》



 声が響く。

 湧き上がるのは紫色の魔術光。


 『魔郷』(イントリーガー)。


 違う。


 イレギュラー。


 違う。


 ティア=ヴィクトール。


 そう。


《私は元々、神様の器として作られた失敗作。代償にイレギュラーを得たけど、本質はそこ。フロエと、ハイリアと――私には、聖女を身の内へ収める能がある》


 知った声がやってきて、酷く不快そうに横合いから女の手を掴み、引き剥がしていく。

 小さな手は、ティアは、これでもかってくらい乱暴に、絡め取ろうとする手へ身を巻き込まれながら、いっそ冷たく笑っていた。


《正規品と違って長くは持たないけど、たっぷり時間稼ぎはしてあげる。この女の狂気が知りたければ、伸びた大樹の根に触れればいい。聞かせてあげるから。()聞こえるよね? ふふっ、便利ねこの力――――――――――――――――――――――――――――――――――――あぁ、もう鬱陶しいっ。それほど時間はないよ。開放されたら、世界中がこの気持ち悪い感情に晒される。協力してよね、一人で相手するには度を越して――――――――――――――――――っっっっ!!》


 聞こえる声に雑音が混じる。

 水面の下から響くような篭った声が、ひたひたとこちらへにじり寄ってくるのを感じた。

 手を掴まれた時より更にはっきりと、悪寒すら感じる気配に身を抱いた。


 再び聞こえてきた声は、先ほどとは比べ物にならないほど疲れ切っていて、


《………………そろそろ限界。今度は、約束……守、って……ね………………――――》


 閉じた。


 変わりに、私が望んだ片鱗だけでも叶えられたのか、その為にこそティアの疲労へ繋がったのかは分からないけど、


「血が止まって……っ、いえ、今のは……?」


 ナーシャという人にも聞こえていたみたい。

 そして、


「分かったわよ……。悪かったわね、施しだとか言って……」


 少しだけ血の気が戻ったアリエスが、冷や汗を浮かべながら、拗ねるように言ったのだった。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 『盾』の張った防壁から漏れ入ってくる水が足元を濡らす中、王城の向こうにゆっくりと伸び上がっていく大樹を見た。

 紫色の魔術光はここからでは見えないが、声は確かに聞こえてきた。

 皆へ聞かせた声と、こちらにだけ送ってきたものがある。

 途中からは断片的なものとなったが、現状は把握した。今に限らず、今後への大きな変化については、一時頭から追い出す。

 リースが彼女を導きに、ジークがヴィレイを、アリエスとティアがフロエを抑えてくれるのであれば、俺が進むべき場所は一つだ。

 巻き終わった包帯と、徐々に弱まってきている水流を感じながら、目を瞑る。


「約束しよう。今度こそ必ず君を助け出すと。そして、必ずフロエを、心の底から笑わせてやる」


 立ち上がった。

 ハルバードを手に取り、王城を見やる。


「総員! 攻勢の準備に入れ! 水の勢いが収まり次第、敵の中央を食い破り王都ティレールへ突入する!!」


 やがてその時は来た。



「進撃せよッ!!」








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