2話
……はっ!
「う、うわぁぁぁああーー!!」
勢いよく目を開き、反射的に胸元へ両手を当てる。刺されたはずの場所を探るように触った。
あれ? ナイフがない。
それどころか、体は動く。息もできる。胸を押さえても、あの猛烈な痛みはない。
(嘘……私、生きてるの?)
けれど、次の瞬間。脳裏に、先ほどの光景が鮮明によみがえった。
胸に突き刺さるナイフ。
身体を貫いた鋭い痛み。
抜けていく力。
そして、死を覚悟した瞬間の恐怖と絶望。
ゴクッ。
恐怖で喉が鳴る。
「私、少し前にナイフで胸を刺されて、前世を思い出しながら、確かに死んだ……」
なのに、どうして生きているの?
もしかして、ここは天国?
私はゆっくりと周囲を見渡した。
薄暗い部屋。
入口の扉の横にぶら下がった古びたランタン。
壊れた家具。
布団すらない粗末な寝台。
そして、鼻につくカビの臭い。
「……はぁ」
どう考えても天国じゃない。
ここは、あの子が帰ってきてから数日間、そして最後の日まで閉じ込められていた地下室だ。
(小説に書いてあった内容、そのままだ……)
そう。ここは、WEB小説『彼女の愛する人達』の世界。生まれてすぐ、病院の手違いによって取り違えられた少女、アーシャル。
これは彼女が本当の家族のもとへ戻り、愛されていく物語。そして私は、そのアーシャルと家族に癒やしの力を奪われ、物語の冒頭であっさり殺されてしまうモブキャラ、ミサノ。
すでに地下室へ閉じ込められているということは、私の癒やしの力が家族に知られているということだ。
(もっと早く戻っていたら……。アーシャルが帰ってくる前なら、逃げ出すチャンスだってあったかもしれないのに)
でも、今の私には前世の記憶があるし、この小説の内容もある程度ならわかる。
(だったら……逃げ出すチャンスは、きっとあるはず)
グッと拳を握る。
その瞬間、ズキッ! と身体のあちこちに痛みが走った。意味でに受けてきた暴力の痕。ただ、家族に愛されたくて必死に手を伸ばしていただけなのに、返ってきたのは拒絶ばかりだった。
(大嫌いな人たち)
死の瞬間の痛みも、恐怖も、絶望も。
私にとっては、ほんのついさっきの出来事のように鮮明だった。
怖い、怖すぎる。早くここから逃げ出さなくてはいけない。そのためには、もっと具体的に小説の内容を思い出さなければ。
でもいまは、身体を休めるほうが先だ。
私は痛む身体を寝台に横たえた。しばらくすると、疲れからか瞼が重くなってくる。
うとうとし始めた、そのとき。コン、コン、コンと部屋の扉を叩く音がして、ガチャリと部屋の鍵が開く。扉がゆっくりと開き、私は家族の誰かが来たのかと身を固くしたが、入ってきたのは手にトレーを持ったメイドだった。
「ミサノ様、お食事をお持ちしました」
メイドはそれだけ告げると、中央の汚れたテーブルへトレーを乱暴に置き、ガチャリと鍵をかけて出ていった。
私はベッドの上で遠ざかっていく足音を聞き、体を起こしてテーブルの上のくしゃくしゃな紙に包まれた固いパンと、クズ野菜の入った薄いスープを見つめた。
(この食事……地下室に閉じ込められてから、そんなに日にちは経っていない?)
くしゃくしゃな紙で包まれたパンを手に取った。
(これって、新聞紙じゃない)
私は新聞紙を取り、今日の日付を探した。
「西暦二六九年七月五日……」
七月……私は必死に小説の記憶をたどる。
確か、アーシャルが屋敷へ戻ってきたのは四月頃。アーシャルが怪我をする、お茶会が開かれたのは五月。
(ふうっ。癒しの力をアーシャル、家族に見せたあとか)
その力を見た数日後、アーシャルは私に
『ミサノ、私たち友達になりましょう』
と言った。その言葉をきっかけに教会、舞踏会、お茶会に私を連れていき。
耳元で『あの人、怪我しているわ。可哀想ね』一人で寂しかった前の私は頷き、癒やしの力を使う。癒しの力で傷が治った人々は喜び、皆アーシャルに感謝した。
(そのことに私は気づかず。アーシャルが、みんなが優しくしてくれると勘違いして、言われるまま力を使ったのよね)
粗末だった食事は豪華な料理へ変わり、地下室を出て、綺麗な部屋まで与えられた。
しかし、物語の第一章の中頃。アーシャルは無色無臭で口にしても気づかない魔女の粉を手に入れ、私の食事に混ぜた。
その粉は人の魔法を奪う粉。
何も知らない私はみんなが優しくなったことを、新しい部屋になったことを、豪華な食事に喜んだ。
笑顔で語る彼らを見て、いつかは本当の家族のもとへ帰りたいと願った。だが、その願いは叶わず、最後には力を奪われて殺された。
私は目をつぶり、手を胸の上に置き、深く息を吐くも。少し前に見たナイフ、痛みがよみがえり、手がカタカタと震えた。
(そうよね怖いわよね。でも大丈夫。前の記憶と前世の記憶、この世界が小説の中だと知り、内容だって知っている)
この食事に魔女の粉は入っていない。
だから食べても安心。
私はパンを手にとる。
(絶対にあいつらの思い通りになんてならない、生きてここからでてやる)
空腹は考えを鈍らせる。いまを生き抜くために、固いパンへ思いきりかぶりついた。




