第二章 善意
四人が宿の一室で向かい合って座っていた。
いつも作戦会議に使う机だったが、その上には地図も依頼書も置かれていない。
エリシアは両手を膝の上に置き、しばらく指を組んだり離したりしていた。
レオンは急かさなかった。
やがて彼女が顔を上げる。
「レオン」
「うん」
「白銀の翼を、抜けてほしい」
それだけを言うのに、ずいぶん長い時間がかかった。
レオンは一度目を伏せ、それからセドリックとミレイユを見る。
二人とも否定しなかった。
「理由は」
問いかけると、エリシアが答えるより早く、セドリックが口を開いた。
「戦力差だ」
「セドリック」
エリシアが低く名を呼んだが、彼は表情を変えなかった。
「曖昧にする意味はない。白銀の翼は、次の査定でSランクへの昇格が見込まれている。依頼の危険度も上がる」
「それで」
「最近の戦闘では、僕たちは君を守るために行動を変えている」
レオンは黙っていた。
反論する言葉がなかった。
知っていたからだ。
エリシアが戦いながら何度も自分の位置を確認していることも、セドリックが広域魔術を放つ前にレオンの退路を確かめていることも、ミレイユが防護の祈りを自分へ多く割いていることも。
「レオンさん」
ミレイユが静かに続けた。
「あなた自身が危険なのです。これから先、私の治癒が間に合わない攻撃も増えていきます」
「俺を守るため、か」
ミレイユは頷いた。
レオンは最後にエリシアを見た。
彼女は視線を合わせようとしなかった。
「お前も?」
その言葉で、ようやくエリシアが顔を上げた。
「……」
「俺に抜けてほしい?」
長い沈黙の後、彼女は小さく頷いた。
「……うん」
レオンは一度だけ息を吐いた。
「分かった」
それ以上は何も言わなかった。
共有装備をひとつずつ外し、机へ置いていく。
魔法鞄。
上級回復薬。
パーティ資金で買った短剣。
手元に残ったのは、自分の金で買った古い剣と、何年も使い続けている旅道具だけだった。
扉へ向かったところで、エリシアが椅子を引いた。
「レオン」
足を止める。
「……ごめん」
しばらく扉の取っ手へ手を置いたまま、レオンは何も言わなかった。
「謝るくらいなら、言わなきゃよかっただろ」
振り返らずに出た。
翌朝から、レオンはソロ冒険者になった。
冒険者証にはAランクと記されているものの、それは白銀の翼と共に積み上げた実績によるところが大きい。一人になったレオンに、ギルドが高難度の仕事を回すことはなかった。
薬草採取。
荷物運び。
街道警備。
害獣退治。
報酬は以前とは比べものにならないほど少なくなった。
それでも、生活はできた。
一人で森へ入れば、誰かの動きを気にする必要もなく、自分が危険だと思えば引き返せた。
足跡を確かめ、折れた枝を見て、風向きを読み、薬草を見分ける。
白銀の翼の中では、いつの間にか価値を失っていた知識が、自分一人の命を支えていた。
一か月もすると、レオンはこの生活を悪くないと思い始めていた。
そんなある朝。
いつものようにギルドへ入り、Cランク相当の討伐依頼へ手を伸ばした時だった。
「レオンさん」
受付嬢に呼び止められた。
「申し訳ありません。その依頼はお渡しできません」
「何か問題が?」
「討伐依頼全般について、しばらく受注制限がかかっています」
レオンの手が依頼書の上で止まった。
「理由は」
受付嬢はためらった後、一枚の書類を机へ置いた。
【要保護冒険者指定】
重大な事故の危険がある冒険者に対し、一時的に依頼の種類を制限する制度。
その下に申請者の名前があった。
エリシア・レインフォード。
「……これは」
受付嬢は視線を下げた。
「エリシアさんから、レオンさんが一人で無理をする可能性があるため、当面は採取、輸送、調査を中心にしてほしいと申請がありました」
「俺には?」
「知られれば反対するだろうから、できれば伏せてほしいと」
しばらく、レオンは何も言わなかった。
その日の午後。
エリシアを呼び出した。
広場の外れで向かい合い、書類を差し出す。
「これ、お前が出したのか」
エリシアは紙へ目を落とした後、静かに頷いた。
「……うん」
「どうして」
「心配だったから」
「俺は危険な依頼を受けてない」
「今はね」
レオンは顔を上げた。
「今は?」
「そのうち受けるかもしれない。あなたは昔から、自分ができないって認めるのが苦手だったでしょう」
「だから、俺に黙って仕事を制限した?」
「言えば反対するでしょう」
エリシアは、それが当然のことのように答えた。
レオンは書類を折りたたみ、しばらく自分の指先を見た。
「俺の仕事だぞ」
「あなたが死なないためよ」
エリシアの声が少し強くなった。
「追放したのもそう。これもそう。私はあなたに生きていてほしいの」
レオンは顔を上げた。
「だったら、俺がどうしたいかを先に聞いてくれ」
「危険なことをしたいって言われても、認められない」
短い沈黙が落ちた。
エリシアは少し息を整え、続けた。
「冒険者にこだわる必要だってないでしょう。ベルカへ帰ってもいい。農業でも、店でも、危険じゃない仕事はいくらでもある」
レオンの視線が、ゆっくり彼女から外れた。
十二歳の春。
二人で冒険者になろうと言った。
世界一になろうと笑った少女。
その記憶が、ひどく遠くにあるもののように思えた。
「そうか」
「レオン?」
「分かった」
「何が?」
レオンはもう一度エリシアを見た。
「お前は、俺がどう生きるかまで、自分が決めていいと思ってるんだな」
エリシアの表情が変わった。
「違う」
「俺には同じに見える」
「私はただ――」
「もういい」
彼女が伸ばしかけた手を、レオンは一歩下がることで避けた。
「俺の人生に、勝手に触るな」
その翌日。
討伐依頼を受けられなくなったレオンは、辺境のルグ村へ物資を運ぶ仕事を受けた。
ギルドの説明では、戦闘の危険がほとんどない、安全な後方任務だった。
後になって知ることになる。
その仕事もまた、
エリシアが「レオンに向いている」と推薦したものだった。




