142.足掻く命の輝き
あらすじ
ダンジョンを徘徊する複製体を警戒していた黒餡は、凶悪な威力の罠に引っかかり死にかけてしまう。咄嗟に私が発動したDPブーストによって一命は取り留めたが、私がDPブーストを解除すれば、ほどなくして黒餡は死ぬ。だが、DPを大量に消費するDPブーストを使い続けることは出来ない。『加速思考』を使ったことが災いして、私は黒餡が死ぬことで死の感触が私へも送られてくることを理解してしまった。黒餡を死なせることは、私が死を体験することでもある。いっそ絆を断ち切ることも考えたが、万が一、黒餡が生き延びたら、私は相当に恨まれるだろう。
考えれば考える程に、私の思考は泥沼に陥っていった。
名前:――――
種族:ダンジョンコア
年齢:21
カルマ:+9
ダンジョンLV:10
DP:789,815DP
マスター:無し
ダンジョン名:病魔の森のダンジョン
スキル:『不老』『精神的苦痛耐性LV10』『空想空間LV8』『信仰LV8』『地脈融和性LV1』『気配察知LV9』『魔力感知LV10』『伝心LV9』『読心LV10』『記憶LV9』『土魔法LV3』『加速思考LV8』『並列思考LV8』『敵意感知LV5』『感覚共有LV5』『魔力精査LV3』『地脈探査LV1』
称号:【異世界転生者】【□□□□神の加護】【時の呪縛より逃れしモノ】【聖邪の核】【鼠の楽園】【惨劇の跡地】【D級ダンジョン】
残りDPはだいたい、八十万DP。それは今もゆっくりと消費され続けている。とはいえ、それは私の認識下においてのことで、『加速思考』を解いてしまえば、あっという間に全てが消費され尽くすだろう。つまり、たとえこのままDPブーストを解除しなかったとしても、黒餡が活動できるのはどちらにしてもあと僅かだということだ。しかし、それが分かっても尚、私はDPブーストを解くことはせず、勿論、黒餡との絆を断ち切ることもしていない。
さんざん悩んだ末に私が選んだのは、事態を見守ることだった。こちらから指示が出来ない以上、全ては黒餡任せだ。期限は私の手持ちのDPがゼロになるまで。それまでに黒餡が持ち直すか、何かを発見出来れば、まだ何とかなるだろう。そうでなければ、私がこれまで貯めてきたDPはゼロになり、私は絆を通して黒餡が感じた死の感触を体験することになる。
これはきっと、考えうる限りで最悪の選択だ。うまくいく可能性はごく僅かで、失敗すれば必要以上に多くを失う。だが、DPブーストの解除にしろ、絆の切断にしろ、どちらからも死の可能性を感じる以上、私にはこの選択しか選べなかった。
要するに、この選択はひたすら後ろ向きな消去法なのだ。正直、私自身もうまくいくとは思っていない。実質的に、私はこれから一時だけの自らの心の平穏の為に、八十万ものDPを使うのだ。奇跡が起きることを願いながら。
もしかしたら、未だ心の内にある黒牙という存在が、私にそれを選ばせたのかもしれない。黒牙はどんな窮地であっても、奇跡的に生き延びてくれたから。そんな黒牙の過去と同種族である黒餡を、重ねてしまっているのかもしれない。
黒餡はその場で何とか身体を起こすと、周囲の様子を確認する。その過程で、どうやら黒餡自身の身体の状態も理解したようだ。DPブーストで強化された魔力を、『影魔法』と『身体強化』に注ぎ込み、今までのように姿を隠しながらも出来る限り早く、ダンジョン内の移動を開始した。致命傷を受けていながらも、それらの動きは決して遅いわけではない。むしろ、先ほどまで以上に研ぎ澄まされ、無駄の消えた素早い動きだ。それでも、今の私にはその一つ一つの動作が、どうしても緩慢に感じてしまう。
黒餡が状況判断に使う僅かな時でさえ、今も私には無駄に思えてしまった。私が今の状況を説明できれば、もっと早く行動に移らせることが出来たのに。こちらから情報を伝える術が無いという今の状況は、非常にもどかしい。
黒餡は来た道と先へ続く道を確かめると、少し悩んだ末に先へ続く道に足を向けた。
私としてもその判断に異存はない。身体の傷を癒す術を見つけられなければ、どのみち黒餡の生存は絶望的だ。ならば、今更戻ったところで、そちらに希望があるとは思えない。
あるとしたらこの先。回復の泉のような傷を癒すダンジョンの施設か、或いは設置された宝箱の中から出てくるかもしれない傷を癒すポーションなどの薬類。私が知る範囲では、この二つだ。ダンジョンコアとしての格が大きく違っていようとも、ダンジョンの基本的な部分は同じはず。ならば、それらがこのダンジョンに存在する可能性はある。私のダンジョンにそれらがあることを、黒餡も知っているから、きっと今の状況なら同じ結論に至っているはず。
あるかどうかも分からないそれらを、このダンジョンの第一階層から見つけ出す。しかも、きっと黒餡を襲ったような致死性の罠は、まだこのダンジョンに存在しているはずだ。黒餡はそれらにも注意を払いながら、進まなくてはならない。
見る間に減っていくDPを意識の端で確認しながら、私は黒餡から送られてくる感覚へさらに集中する。私がここから出来る事などもはや何一つありはしないのだが、それでも確認せずにはいられなかった。
私は現在、黒餡の三つの感覚を共有している。しかし、それだけで実際にダンジョンを探索する黒餡の気持ちを完全に理解することは出来ないだろう。視覚、聴覚、嗅覚という五感の内の三つを感じ取っていても尚、あまりに足りていない。なにせ、この世界の感覚は五感だけでは無いのだ。残る五感の味覚、触覚に加えて、魔力、気配。もしかしたら、それ以外にも存在している可能性はある。それら全ての感覚を総動員して、黒餡は今や死に物狂いでダンジョンをひた走っていた。
この異常な状況が長く続かないと、何らかの感覚で勘づいたのだろう。先ほどから罠への警戒を止め、ただ進むことだけに集中していた。当然のことながら、このままだと罠にかかって死ぬ可能性は高い。実際、黒餡は道中で幾度か罠を発動させてしまったが、その全てをギリギリのところで察知し、躱している。
敵の気配を感じ取れば、『影魔法』を駆使して一瞬の隙を生み出しては走り過ぎ、罠は引き金に触れた際の違和感を全身で感じ取り、発動の寸前に避けていく。
全ての動きが分の悪い賭けの連続だ。一つでもしくじれば、DPの枯渇を前にして、死にかねない。それでも黒餡はその綱渡りのような状況で、何とか生き延びている。DPブーストによる恩恵か、それとも死を前にして潜在的な力が解放されたのか。なんにしても有難い。
そうして必死にダンジョンを進み続ける黒餡だったが、それらしきものは一向に見つからない。共有した感覚の端々から、黒餡の焦燥が感じられる。こちらとしても、気持ちは同じだ。DPはもう残り半分を切っている。
このまま、何一つ見つけることなく、終わってしまうのか。見ているだけの私が、そう思った直後だ。
黒餡が何かを発見した。
通路の先の小部屋には、木製の箱が置かれている。私のダンジョンで使っているものとは少し違うが、あの形状は恐らく、宝箱だ。しかし、お目当ての物を発見したというのに、黒餡はすぐそこへ向かおうとはしなかった。それどころか、今までの鬼気迫る走りが嘘のように、慎重な足取りでその小部屋へと近づいていく。
黒餡の視界には、宝箱の置かれた小部屋が映るだけ。しかし、聴覚と嗅覚からは、その小部屋にある異常が伝えられてきた。それは僅かな物音と、何かの臭い。
人間のそれよりも幾分か敏感なその二つの感覚が、それを共有する私へ黒餡の警戒する何かの存在を伝えてくる。
この音と臭い。ダンジョン内で幾度か感じたものと同じ。そう、複製体の魔物タウロスだ。あの小部屋には、敵が隠れている。恐らく宝箱を見つけて、走り込んできた侵入者を襲う気だろう。なるほど、私のダンジョンでも使われている手法だ。
さすがにあの宝箱を開けようとすれば、如何にアサシンラットの隠密技能だろうと敵に発見されるだろう。そうなれば戦いは必至。正面からの戦闘を苦手とする黒餡が、敵に見つかれば万に一つの勝ち目も無い。今までならば。
しかし、今の黒餡は先ほどまでの黒餡とは違う。DPブーストの効果により、今の黒餡はBランクに近い力を宿している。そうなれば、Cランクのタウロスは格下だ。倒すことは出来る。ただし、依然として黒餡は致命傷を受けた状態ではあるのだが。
果たして、黒餡は戦えるのか?
だが、ここから通路を戻り、別の何かを探すにはいい加減、時間が足りない。残りDPを知らない黒餡が今の状況をどう判断しているのかは不明だが、私からすれば、もはやあの宝箱の中身に賭けるしかない。
ここにきて、黒餡が生き残る可能性は大きく絞られた。まず、黒餡にもあの宝箱に賭けてもらうこと。次に何とかしてあの小部屋の敵を排除し、宝箱を開けること。最後に、その宝箱の中身が黒餡の傷を癒すことのできる薬類であること。この三つの難関を突破することが、今の黒餡に残された生存への僅かな道筋だ。それに加えて、時間制限もある。
どれか一つでもダメならば、もう黒餡はお終いだろう。
黒餡が小部屋に向けて近づいていく。そうして、そっと覗き込んだ小部屋の中には、通路と繋がる入り口の左右の暗がりに、それぞれ一体ずつ魔物が配置されていた。片方はタウロスだが、もう一方は別の魔物だ。幸いというべきか、私はその魔物を知っていた。以前、エルロンドの探索者としてダンジョンにやってきた事のある種族、邪妖トロールだ。その強みは分厚い毛皮と強靭な肉体。そして、『超回復』という魔力を集中することで自らの傷を癒すスキルを持つ。非常に頑丈な魔物である。タウロスと共にここへ配置されているのだから、恐らく複製体なのだろうが、少なくとも楽な相手ではない。
黒餡は二体の姿を確認すると、慎重な足取りで小部屋の中へと侵入していく。少なくともこの時点で、黒餡の中から宝箱を避けるという選択肢は消えたようである。だが、問題はここから。
黒餡は小部屋に入り込むと、今までよりもさらに慎重な足つきで、小部屋の端まで進んでいく。明らかにもう視認されてしかるべきだというのに、何故か複製体たちは黒餡の姿に気が付いていない。どうやら黒餡は『影魔法』をうまく使って、小部屋の端に落ちる影へ、自らの身体をうまく溶け込ませながら移動しているようだ。操る影が濃すぎれば、違和感を持たれるだろうし、薄すぎればその身はすぐに見つかってしまう。黒餡は『影魔法』の繊細な操作に集中することで、丁度良い塩梅の影を生み出しているのだ。もしかしたら、これもまた自らの死を前にしたことにより、強められた生存本能が尋常ならざる集中力を生み出しているのかもしれない。
だが、それからどうするつもりなのだろう。見つからないように隠れつつ、あの宝箱を開けるのか? 宝箱があるのは、小部屋の中心よりも少し奥まった地点だが、壁に設置されている松明により、煌々と照らされている。陰に潜むやり方では、宝箱へ近づいた時点で発見されてしまうだろう。
それとも、まさか……あの状態で倒す気か?
私がそう考えた次の瞬間、黒餡はタウロスの背後からその首を狙い、一気に跳躍した。そうして首筋に食らいつき、一息で噛み切る。
アサシンラットの真骨頂『暗殺術』。それは敵に発見されていない状態で、相手の急所を狙った際に効果が発揮されるスキルだ。その効果は、攻撃の威力を必殺と呼べるほどに昇華させるというもの。それがたとえ、格上の相手であろうとも、気づかれず、避けられることが無ければ、確実に通じる程の高威力となる攻撃だ。
その上、タウロスはDPブーストで強化された黒餡にとっては、格下も同然。ここまで有利な条件が揃ってしまえば、もはや効かない道理が無い。
タウロスの太い首は黒餡のその一撃によって跳ね飛び、その身体は魔力へと分解されていく。だが、その結果、もう一体の敵、トロールの複製体にその存在がばれてしまった。トロールはすぐさま手にした鉄の棍棒で黒餡に攻撃してくる。それはアサシンラットの命を刈り取るのに、十分な威力と速度を有していた。しかし、今の黒餡を仕留めるには素早さが僅かに足りない。それが予想していた攻撃ならば、尚更に。
攻撃を避けた黒餡が、トロールと対峙する。この状況で正面からの殴り合いを得意とするトロールを相手に、不意打ちが主戦場の黒餡は明らかに不利である。しかし、黒餡の動きからは、この状況を想定していたことが伺えた。
時が進むにつれて、周囲の暗さが増していく。明らかに小部屋全体の明度が二、三段階は下がった。恐らくこれは、黒餡の『影魔法』による現象だ。しかし、通常の『影魔法』にそこまでの力は無かったはず。少なくともアサシンラットの操る『影魔法』で、そこまでの現象は起こせなかったはずだ。ならば、これもまたDPブーストの力なのだろう。
ただ、トロールの視線は依然として、黒餡を捉え続けている。見つかる前ならいざ知らず、さすがに見つかった後では、少し暗いぐらいでその姿を見失ったりしないようだ。黒餡は小部屋の中を素早く動き回るが、トロールの視線を切ることは出来ない。むしろ、トロールからの攻撃を避けるだけで精一杯だ。
しかし、黒餡の視線は常にトロールの全身を観察し続けている。大きく頑丈な体毛に覆われた身体の中から、狙えそうな場所を探しているようだ。そうして、次の瞬間、黒餡が小部屋の端にある影へとその身を潜ませる。当然のことながら、そんな黒餡の行き先を確認したトロールは、黒餡の潜んだ影に向かって、鉄の棍棒を振り下ろす。だが、もうそこに黒餡はいない。陰に潜り込んだ黒餡は、すぐにそこから影を通じ、別の小部屋の端にある影へと移動していたのだ。どうやら濃い影に潜り込むことが出来れば、トロールの視線から逃れることが出来るらしい。
そのまま黒餡はトロールの背後に回り込むと、その背に向けて飛び掛かった。トロールの不意を突く黒餡の一撃だ。あとは急所を狙えるかどうかだが……いや、ダメだ。
ダメだった。
名前:――――
種族:ダンジョンコア
年齢:21
カルマ:+9
ダンジョンLV:10
DP:0DP
マスター:無し
ダンジョン名:病魔の森のダンジョン
スキル:『不老』『精神的苦痛耐性LV10』『空想空間LV8』『信仰LV8』『地脈融和性LV1』『気配察知LV9』『魔力感知LV10』『伝心LV9』『読心LV10』『記憶LV9』『土魔法LV3』『加速思考LV8』『並列思考LV8』『敵意感知LV5』『感覚共有LV5』『魔力精査LV3』『地脈探査LV1』
称号:【異世界転生者】【□□□□神の加護】【時の呪縛より逃れしモノ】【聖邪の核】【鼠の楽園】【惨劇の跡地】【D級ダンジョン】
黒餡の動きはそこで失速し、攻撃がトロールへ届く前にその身体が地面へと落ちていく。そうして倒れた黒餡の身体へ、トロールの持つ鉄の棍棒が勢いよく振り下ろされる。
黒餡の命が消えた。
その瞬間、冷たい死が絆を通して私の内に満ちていく。
全てが消えていく感覚。
怖い。ああ、怖い。
怖い、怖い、怖い――――っ!!
私は咄嗟に黒餡と繋がっていた絆を引き千切ろうとしたが、どう頑張っても絆は切れなかった。切れないのも無理はない。そもそも、黒餡が死んだ段階で、絆などもう何処にも無いのだ。無いものを切ることは出来ない。
なら、この死の感覚は何処から流れ込んできているのか?
何もかもが、死の感覚に塗りつぶされていく。
じわじわと、私を蝕む死。
夕日の街並み。ナイフの感触。赤い赤い血。
『記憶』が暴走して、後から後から絶望が湧き出てくる。
消えたくない。
消えたくない。
叫び出したい衝動に襲われるが、私にはそれを吐き出すための口が無かった。
精神的な苦痛は『精神的苦痛耐性』のスキルが緩和してくれる。
それでも尚、絶え間なく襲い来る死の恐怖が、私のを深く深く蝕んだ。




