136.第十階層
あらすじ
神命を受けた博愛の聖女ミーシェは、護衛の聖騎士たちと道半ばで別れると一人、呪われた森へと向かっていく。森に辿り着いたミーシェはそこで魔物たちに襲われるが、強力な『神聖魔法』の障壁により、その攻撃がミーシェに届くことは無かった。その後、ミーシェは魔物たちを前にして、説教を開始する。しかし、人間の言葉が魔物に通じるはずも無く、それでも滾々と説教を続けるミーシェに対して、魔物たちは次第に恐怖を増大させていった。
弱いとしか感じないのに、全く歯が立たない存在。
いつしかその感情は二匹の中で、畏怖へと変わっていく。恭順を示す二匹を友としたミーシェは、その証としてそれぞれに名前を与える。ミーシェが名付けた瞬間、魔物とミーシェの間にある絆が生まれた。そうして、ミーシェは二匹の魔物を従えると、森の奥深くへと進んでいく。
自身の思い通り進む状況に、半ば当初の目的を忘れながら。
最近、ダンジョンを探索する魔物たちから得られるDPの量が急激に増加している。それ自体は非常に喜ばしい事だ。得られるDPが増えれば、その分だけダンジョンコアである私の出来ることは増えていくのだから。しかし、今はそれを安易に喜べない自分がいる。
その原因は、DPの回収量が増えた理由にあった。
魔王レティシアの支配する魔物たちの王国、エルロンドからやってくる探索者たちの強さが少しずつ上がってきたのだ。強い探索者が増えたことで、一度に回収できるDPは増えた。しかし、探索者が強くなったということは、私の危険が増えたということでもあるのだ。
いくら、探索者たちの背後にいるであろう魔王レティシアが、私をまだ破壊する気が無いのだとしても、私を害せる可能性のある侵入者がダンジョン内に増えていくという状況は、私の心を少しずつ乱していた。
ダンジョンコアという無機物に転生したことで、肉体的な疲労とはおさらばした私だったが、精神的な疲労は未だに健在だ。まあ、『精神的苦痛耐性』というスキルのお蔭で、前生の頃よりは耐えられるようになったとは思うが、それでもそれはあくまで耐えているだけであり、心に蓄積していく疲労が消えるわけではない。癒す時間も無いままに、連続して疲労を与えられ続ければ、いくらスキルによる耐性があったとしても、いずれは限界を超えてしまう。
高ランクの探索者がダンジョンの深層付近へ長く滞在するようになってからは、時に『精神的苦痛耐性』のスキルを貫いて、苦しみを感じる時さえあった。恐らくこれは、ダンジョンコアとしての本能のようなものなのだろう。探索者たちがダンジョンコアへ近づく度に、死の足音がはっきりと聞こえてくるのだ。
特にBランクの探索者パーティーがダンジョンを訪れ、第五階層で十日程滞在していた時などは、本当にきつかった。相手は連携に優れたBランクの魔物たちのパーティー。たとえ、我がダンジョンの切り札たるBランクの魔鼠フィアーナイトラットの黒牙であっても、厳しい戦いになるであろう相手だ。当然のことながら、黒牙の魔力を感じた程度で、撤退するようなことも無かった。
このままではいつか、私の心が耐えられなくなる。そう痛感した私は、以前後回しにした階層の追加へ、早急に取り掛かることにした。とにかく、あの恐ろしい力を持った者たちから、少しでも離れる事だけを考えて。
それから一年。
この一年の間に、私のダンジョンには第七階層と第八階層が追加された。探索者のお蔭で回収できるDPが増えたとはいえ、この一年で回収できたDPの八割はこれに費やされている。
数字にして、二百七十八万七千DP。これにより、ダンジョン全体の魔力供給量は少しずつ増え、各階層の拡張限界も少し増えた。しかし、それが消費したDPに見合った成果だとは思えない。一応、階層が二つ追加された時点で、高ランクの探索者がやってくることは無くなったが、これ程のDPがあれば、もっと他に戦力を増強する手段はあったはずだ。
何とも歯がゆい思いのする一年だったが、それでもその甲斐あって私の心は一時的に落ち着きを取り戻した――――が、それから数百日ほどが経つと、また高ランクの探索者が上の階層を目指してやってきたのだ。そうしてまた、まだ複製体の配置もしていない何もない階層で、長く滞在を始めた。
ここまで露骨にやられると、さすがの私でもその意図が分かってくる。そう、これには確実にエルロンドを支配する魔王レティシアの意図が含まれていた。そうでなければ、せいぜいDランク辺りまでが鍛錬の適正ランクである私のダンジョンへ、わざわざBランクの魔物がやってきて、狙ったようにダンジョンコアのある階層の一つ下の何もない階層で長い間、滞在する意味が無い。
では、その意図は何なのか? そこまで考えた時、私はようやくその意図を察した。魔王レティシアは私にダンジョンの階層を増やさせようとしているのだ、と。
何故、魔王レティシアはあの時、私という仇を討たなかったのか。
何故、魔王レティシアは私に百年の猶予を与えたのか。
何故、魔王レティシアは探索者というDPの収入源を送ってきたのか。
やはり、魔王レティシアは私にダンジョンとしての成長を望んでいるのだ。だとすれば、時折やってくる高ランクの探索者たちがダンジョンコアを破壊する可能性は低い。つまり、死の足音さえ無視できれば、わざわざこれ以上、魔王の意図に沿ってダンジョンの階層を増やす必要は無いということだ。理屈の上では。
しかし、現実はそう言う訳にはいかない。たとえ、魔王レティシアの意図がそうであったとしても、その配下たちが完全にそれを守るなんて保証はないのだ。もしも、高ランクの探索者たちが気まぐれを起こして、ダンジョンコアを破壊しに来たら、私の生はその瞬間に終了する。それに、それが無かったとしても、死の恐怖だけは如何ともしがたい。
そう。最初から、私に選択肢など無かったのだ。
そうして私は、また魔王の意図通り、ダンジョンの階層を増やしていく。
とまあ、悲観的な話はこのくらいにしよう。
ここまで色々と厄介な現状を思い返してきたが、実のところ、階層の追加以外にDPを全く割いていないという訳ではないのだ。
幸いなことに高ランクの探索者たちが増えたことで、DPは潤沢に増えつつある。そこで、私は余ったDPを少しずつ蓄え、一定量が集まる度に、既存の階層にも少しずつ手を加えていった。最初は手探りの状態から少しずつ、気づかれない部分を変更していったのだが、思いのほか、エルロンド側の反応が無い。どうやら一定の周期で階層の追加さえ出来てれば、他へDPを回すことに関して、特に問題はないようだ。
それに気が付いてからは、かなり大胆に余剰DPを使って、DP回収の効率強化や配下たちの育成を行っていった。
各階層で増えた魔力供給量に合わせ、配置した複製体の数を増加し、各階層で増えた拡張限界に合わせて、階層を広げていく。他にもダンジョン内で育成したゴーストやレイスを第三階層の守護者として設置し、第四階層の守護者とすべく、Eランクの魔茸ファンガスやFランクの魔茸ミニファンガスを召喚。さらに第五階層には新たな複製体として、Fランクの魔蜘蛛リトルスパイダー、魔蟷螂グラススラッシャー、魔蜂ワークビーの複製召喚を順次、行っていった。
複製体を増やしていけば、その分だけ探索者の戦闘は増え、回収できるDPも増えていく。その結果、現在ではなんとか第五階層までダンジョンとしての形が出来つつあった。
そうして、さらに一年程が経過した頃。
ついに第十階層を追加する日がやってきた。第十階層の追加に必要だったDPは、第九階層の分も加えると、実に三百五十八万三千DP。しかし、それも今ではそこまで莫大なDPという訳ではない。なにせ、今では一年で大よそ五百万DP程を回収できている。最初の頃とは比べ物にならない程の回収量と消費量だ。そう思うと、それなりに感慨深いものがある。
とはいえ、その日は特に何かを強く意識していた訳ではない。そろそろ、慣れつつある階層の追加はもはや作業と言ってよく。一応、階層を増やす瞬間には、知覚系統のスキルやダンジョンコアの知覚を使い、ダンジョン内に起こる変化を確認してはいたけれど、それも通常の対応の範囲内。
しかし、そうして始まった第十階層の追加は私に新たな変化を齎した。
私の認識の中にあるメニューの項目からダンジョン拡張を選び、階層追加を選択した瞬間、随分と久しぶりに私の意識が暗転する。
それは第五階層の追加をした際に、ダンジョンコアとして覚醒した時と同じような感覚だった。何もかもが唐突に消える。そして、ふと、意識が戻った頃には、私に多くの変化が訪れていた。
意識を取り戻した私は、すぐに自分へ何が起こったのかを確認していく。そうして分かったのは、私がダンジョンコアとして、大きな壁を越えて成長したということだった。それを言い表すなら、ダンジョンコアとしての器が広がったというべきか。その中には地脈から新たな機能と知識が注がれていた。
その知識によれば、ダンジョンの階層が第十階層にまで到達すると、ダンジョンコアにその現象が起きるらしい。ある種、ダンジョンコアの進化と言ってもいいだろう。その変化は、今まで階層を追加した時の比ではない。毎度のの階層追加の際と同様に、ダンジョンへの魔力供給量と各階層の拡張限界は増えていたが、その上昇量はいつもとまったく違う。かなり大きく増えているようだ。それから、ステータスにも変化はあった。
名前:――――
種族:ダンジョンコア
年齢:21
カルマ:+9
ダンジョンLV:10
DP:65,487DP
マスター:無し
ダンジョン名:病魔の森のダンジョン
スキル:『不老』『精神的苦痛耐性LV10』『空想空間LV8』『信仰LV7』『地脈融和性LV1』『気配察知LV9』『魔力感知LV10』『伝心LV9』『読心LV10』『記憶LV9』『土魔法LV3』『加速思考LV8』『並列思考LV8』『敵意感知LV5』『感覚共有LV5』『魔力精査LV3』『地脈探査LV1』
称号:【異世界転生者】【□□□□神の加護】【時の呪縛より逃れしモノ】【聖邪の核】【鼠の楽園】【惨劇の跡地】【D級ダンジョン】
ダンジョンLVがまた一つ上がった他に、称号【E級ダンジョン】が【D級ダンジョン】へと書き換わっている。これで、これから次第にダンジョンへ配置できる複製体や守護者のランク制限が緩和されていくはずだ。
さらに意識が途絶えていた間に、長らく変化の無かった『地脈親和性』のスキルが、新たに『地脈融和性』という上位スキルへ変化していた。それに加えて、『地脈融和性』の派生スキルらしき、『地脈探査』というスキルも合わせて習得している。これらのスキルの詳細については、『地脈探査』の効果により、あっさりと地脈から探り出すことが出来た。どうやら地脈から情報を得るのが、以前より随分と楽になっているようだ。
と、ここまでは大よそ、通常のダンジョンコアにも現れる第十階層へと至った際の追加要素らしい。だが、ここから先は少しだけ、私仕様に異質な変化――というよりも、私の内で揺蕩う力が、未だ形を定められていないと言った方が正しいか。
ダンジョンコアのダンジョンLVが十に至った時、ダンジョンコアの器は大幅に成長し、それと共に地脈から新たな情報と機能が追加される。その時、ダンジョンコアにはそのダンジョンコアを所有するダンジョンマスターの性質に根差した独自の機能が追加されるらしい。
そのダンジョンマスターがどのようにダンジョンコアを操り、どのようなダンジョンを構築し、どのようにして外敵を倒すのか。それらがダンジョンコアの情報から読み取られ、その方向性によって、元々あった機能が拡張されたり、全く新しい機能が追加されたりと、自動的に選ばれるようだ。
が、今の私はダンジョンマスターを持たぬダンジョンコア。その上、そこには通常のダンジョンコアには無い、私という存在がある。その辺りがおかしな作用をして、システムにエラーが発生しているらしい。その結果、本来は機能となるはずの力が、未だダンジョンコアの内で形を定められぬまま揺蕩っているようだ。
一応、間違ってはいないと思うが、私自身も曖昧に状況から読み取っているだけなので、あまり詳しい事は分からない。
む、今ならこの力に干渉して自分の望む方向へ、ある程度の方向性を弄ることが出来そうだ。とは言っても、万能という訳ではない。ダンジョンコアの器には、それぞれに大きさがあり、それを超える機能を追加することは出来ないようだ。しかも、この辺りは非正規な動作のようで、弄るのは私自身の感覚に頼る部分が大きい。
ふむ、欲しい力を願えばいい感じだろうか。
だが、あまり特殊な形を願い過ぎると、悪いことが起こりそうだ。
難しいな、これ。
私は『空想空間』のスキルを思考の補助として使い、ダンジョンコアの内部に干渉していく。『空想空間』の効果による疑似的な視覚化は、物事を分かりやすい形にまとめてくれる。曖昧な力を認識し、意思の力で明確な形へと変えていく。分かってくるとなかなかに面白い。成長したばかりの器は、未だしっかりとした形を採っていないからこそ、今ならそこからあちこちの機能に干渉が出来そうだ。干渉の仕方によっては、非常に凶悪な変化も起こせそう。
と、そこで私は、出来ることが急激に増えたことでワクワクしている自分を感じて、一旦、気持ちを落ち着けることにした。不用意な機能への干渉は、ダンジョンやダンジョンコアに致命的な傷を残す可能性がある。今の私は、以前に第四階層で起きたことを思い出さなければいけない。魔力供給路の歪みは非常に厄介だった。これも同じ。いや、あの時以上に危険な状況へ陥る可能性すらある。ここは慎重にいかなければいけない場面だ。
無理をしない範囲で、出来そうな部分を慎重に選び、干渉してみる。全く新しい機能の開発に手を付けるのは止めて、既存の機能を既定路線の範囲で変えていく。これだけでもうまくいけば、ダンジョンコアの機能にあった制限を幾つか外せるかもしれない。それと共にダンジョンコアの機能の強化も行っていく。
私は意識の喪失と同時に切れていた『並列思考』と『加速思考』を起動させ直すと、その細かな作業に挑み始めた。




