表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

3話 煤の匂いのする場所

路地は、どこまでも似たような形をしていた。


細く、暗く、曲がりくねっている。上を見上げても空はほとんど見えず、建物と管に塞がれている。ところどころで蒸気が漏れ、白い煙がゆっくりと漂っていた。


アリスはレンの後ろを歩いていた。


足取りはまだおぼつかない。さっきまで走っていたせいか、足の奥がじんじんと痛む。それでも止まるわけにはいかなかった。


「遅れんなよ」


前を歩くレンが、振り向かずに言う。


「……うん」


小さく返事をする。


レンは歩くのが速い。迷いもない。まるでこの入り組んだ道を全部覚えているみたいだった。


アリスは時々、周囲を見た。


壁に寄せかけられた壊れた機械。錆びた歯車。ひしゃげた金属板。どれも使われなくなったもののはずなのに、どこかでまた使われることを待っているようにも見える。


そのすべてに、煤の匂いが染みついていた。


「……ねえ」


思わず声が出る。


レンは少しだけ歩調を緩めた。


「なんだ」


「……ここ、どこ」


レンが小さく息を吐く。


「さっきも言っただろ。街だよ」


「……街、のどこ」


少し考えてからの言い直しだった。


レンは肩をすくめる。


「端っこだな。あんまり人が来ない場所」


「……」


「表通りはもっとマシだぞ。まあ、お前はあそこ行かない方がいいけどな」


その言い方に、少しだけ棘が混じる。


アリスは黙った。


自分がここにいてはいけない存在みたいに感じる。


その感覚は、さっきからずっと消えなかった。



やがて、レンが足を止めた。


古びた鉄の扉の前だった。


他の建物と同じように煤けていて、特別なものには見えない。ただ、取っ手のあたりだけがやけに擦れている。


レンは周囲を一度確認してから、扉を軽く叩いた。


コン、コン、と二回。


少し間を置いてから、もう一回。


中から、鈍い音がした。


何かが動く音。


鍵のようなものが外れる音。


扉が、ゆっくりと開く。


「……おせえ」


中から声がした。


低く、気だるそうな声。


扉の隙間から現れたのは、ひとりの男だった。


年は、レンよりずっと上だろう。三十代か、それより少し上。無精ひげが伸び、髪は適当に後ろへ流されている。着ている服は作業着に近いが、ところどころに補修の跡があった。


目だけが、妙に鋭い。


「また変なもん拾ってきたのか」


男の視線が、アリスに向く。


一瞬で全身を見られた気がした。


アリスは思わず肩をすくめる。


「拾ってねえよ。勝手についてきただけだ」


「嘘つけ」


男はため息をついた。


「子供拾ってくんなって言ったよな」


「拾ってねえって」


同じやり取りを、慣れたように繰り返している。


アリスはその様子を、ただ見ていた。


男はもう一度アリスを見る。


「……名前は」


短い問いだった。


「……アリス」


かすれた声で答える。


男は一瞬だけ眉を動かした。


「アリス、ね」


それだけ言って、少し考えるように顎に手を当てる。


「で、どっから来た」


答えられない。


言葉が詰まる。


レンが横から口を挟む。


「表で突っ立ってた。巡回に目つけられてたから連れてきた」


男がちらりとレンを見る。


「お前なあ……」


呆れたような声。


けれど、完全に怒っているわけではない。


「で、どうする」


レンが言う。


「どうするって……」


男は扉の枠にもたれかかる。


視線がもう一度アリスに向く。


その目は、疑っているようで、同時に何かを測っているようでもあった。


しばらくの沈黙。


やがて男は小さく息を吐いた。


「……入れ」


短く言った。


レンが肩をすくめる。


「ほら」


アリスに顎で合図する。


アリスは少しだけ迷ってから、扉の中へ足を踏み入れた。



中は、思っていたより広かった。


外から見たときよりも、奥行きがある。


天井は低いが、空間自体は複雑に広がっている。壁際には棚が並び、そこには大小さまざまな部品が雑多に積まれていた。歯車、管、ネジ、見たことのない形の金属片。


中央には作業台のようなものがあり、その上には分解された機械が置かれている。


油の匂いが強い。


けれど外よりは、少しだけ落ち着く空気だった。


「そこ座れ」


男が適当に指差す。


古びた椅子だった。


アリスはゆっくりと腰を下ろす。


足が少し震えているのに気づいた。


「……水」


男がぼそりと言って、奥の方からコップを持ってくる。


透明ではない。少し濁った色の水。


それでも、喉が渇いていた。


アリスは両手で受け取る。


「……ありがとう」


小さく言う。


男は何も返さなかった。


ただ、アリスが水を飲む様子をじっと見ている。


「……変なやつだな」


ぽつりと呟く。


レンが笑う。


「だろ」


「お前もだ」


「なんでだよ」


軽いやり取り。


その空気が、ほんの少しだけ場を和らげた。



男は椅子を引いて腰を下ろす。


「ヘイズだ」


短く名乗る。


「ここは、俺のとこだ」


それだけで十分だと言うように、それ以上は説明しない。


アリスは小さく頷いた。


「……アリス」


もう一度、自分の名前を言う。


ヘイズはそれを聞いて、わずかに口の端を上げた。


「知ってる」


レンが横で肩をすくめる。


「さっき言った」


「聞いてた」


どうでもいいやり取りだった。


けれど、それが少しだけ心地よかった。



しばらくして、ヘイズが口を開く。


「で、アリス」


視線がまっすぐ向く。


「お前、何者だ」


問いは静かだった。


けれど、逃げ場がない。


アリスは言葉を探す。


けれど、見つからない。


森のこと。


おじいちゃんのこと。


転移のこと。


どこから話せばいいのかわからない。


「……わからない」


ようやく出た言葉は、それだった。


ヘイズはしばらく黙ってから、小さく息を吐いた。


「そうか」


それ以上は追及しなかった。


その代わり、レンの方を見る。


「お前はどう思う」


「知らねえよ」


即答だった。


「でも、放っとくとまた捕まる」


ヘイズは頷く。


「だろうな」


少し考える。


そして、ゆっくりと言った。


「……しばらく置くか」


レンが少しだけ驚いた顔をする。


「いいのかよ」


「よくはねえ」


ヘイズは肩をすくめる。


「だが外に出す方が面倒だ」


その言い方は投げやりだった。


けれど、拒絶ではなかった。


アリスはその言葉を聞いて、小さく息を吐く。


張りつめていたものが、少しだけほどけた。


完全に安心できるわけじゃない。


でも、少なくとも――


追い出されなかった。


それだけで、今は十分だった。



どこかで、金属が鳴る音がした。


外の音だろう。


この街は、止まらない。


けれど、その中でほんの少しだけ、アリスは座る場所を得た。


まだ、仮の場所。


それでも、確かに“中”だった。

小さな子どもにとって頼れる大人がいると言うのはそれだけで安心できるものですよね。

けど我々大人にとっても頼れる人がいることは大切です。

あなたの居場所とも言える頼れる人はいますか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ