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18話 華やぎの裏側

上層外縁保守路へ続く細い通路を抜けた瞬間、空気が変わった。


それは比喩ではなかった。ほんとうに、空気そのものが別物になったのだ。さっきまでの通路には、金属の内側に閉じこもった熱と、配管を流れる気体の匂いと、長く閉じていた場所特有の乾いた錆の匂いが混ざっていた。だが、一歩外へ出た途端、その重たさが抜ける。代わりに頬へ触れたのは、わずかに冷えた、流れのある空気だった。


アリスは思わず足を止めた。


「……え」


声が、勝手に漏れる。


目の前に広がっていたのは、それまでの通路や区画とはまるで違う景色だった。壁がない。天井がない。金属の箱の中を延々歩いていた感覚が、そこで急に断ち切られる。頭上には、灰色がかった広い空があった。透き通って青い空ではない。薄い雲のようなものが流れ、ところどころで光がにじんでいる。けれど、それでもそれは、間違いなく空だった。


風が吹いている。


アリスの前髪が揺れる。頬の脇を、冷たい流れが抜けていく。


下層にいた時も、中層にいた時も、風はなかった。あったのは送風機の吐き出す空気と、熱された管の隙間を流れる圧だけだ。こんなふうに、どこから来たのか分からない風が、空間を横切っていく感覚は初めてだった。


「……外……?」


自分でも信じられないような声だった。


レンが横に並ぶ。


「上層外縁だ」


短い言葉だったが、どこかいつもより慎重だった。アリスはその横顔を見て、レンも少しだけ緊張しているのだと分かった。下層や中層ならともかく、上層外縁はレンにとっても“慣れた庭”ではないのだろう。


アリスはゆっくりと前へ進む。保守路の出口は、上層の外縁部へ開く保守用の張り出し通路に繋がっていた。床は幅広い金属板で、縁には腰の高さまでの細い柵がある。だが柵があるから安心できるような高さではなかった。むしろ、その低さがかえって下の広がりを強調していた。


アリスは柵の向こうへ視線を落とす。


中層が見えた。


それは“下に街がある”という程度の見え方ではなかった。広い。信じられないほど広い。工房が並んでいる。屋根の上にまた別の屋根がかぶさり、その間を太い管が走り、橋のような鉄骨通路が何本も渡されている。蒸気が白く吹き上がり、光を受けて薄くたなびいていた。あちこちで歯車が回り、巻き上げ機が動き、赤や橙の灯りが小さく瞬いている。街全体が、巨大な機械の内臓みたいに動いていた。


アリスは息を呑んだ。


「……すごい」


ただ、それしか言えなかった。


さっきまで、あの中にいたのだ。工房の匂いと、蒸気と、路地と、追われる足音の中に。中にいるときには一つ一つの建物や道しか見えなかったものが、こうして上から見ると、ひとつの巨大な都市として繋がっている。


ここまで来たんだ。


その実感が、胸の奥からゆっくりと湧いてくる。中層工房A区画の外れにあったヘイズの予備工房。そこから下層へ潜り、コミュニティを抜け、停止区画を回り、大空洞の縁を通って、静かな層を越えてきた。あの時はただ必死で前へ進んでいただけだったのに、今その“通ってきた街”が足元に広がっている。


レンはアリスが止まったのを見て、柵へ片手を置いた。


「遠えな」


ぽつりと、独り言のように言う。


アリスは少しだけ笑いそうになった。


「レンでもそう思うんだ」


「思うだろ、そりゃ」


彼は視線を下へ向けたまま言う。


「下から上がる時は、どこまで来たかなんて考えねえからな」


その言葉が、妙に胸に入ってきた。ほんとうにそうだ。下にいたときは、上へ行くことだけで精一杯だった。上がってきて、初めて距離が分かる。遠かった。とても遠かった。


その時だった。


風が少しだけ強く吹き、アリスは反射的に顔を上げた。


視界の先、娯楽区画らしい建物の群れのさらに向こう。空の下、街の中心に、それは立っていた。


中央塔。


アリスは思わず息を止めた。


初めて見た時と同じ形だ。いや、同じ形のはずなのに、まったく別物に見えた。


塔というより、細い煙突を何本も束ね、その周囲に足場と管と梯子を貼りつけたような、不思議な構造。だが今こうして全体を見上げると、それは“変わった塔”なんてものでは済まなかった。あまりにも巨大で、どこまでが一本で、どこからが別の構造なのかも分からない。煙突の束に見えるものは、一本一本が建物みたいな太さを持ち、その間を何十本もの管が橋みたいに繋いでいる。足場はただ貼りついているのではなく、層になり、段になり、塔の周囲を取り巻く街の一部みたいに増殖していた。梯子は人が上るためのものというより、塔の皮膚に刻まれた傷跡みたいに無数に走っている。


見ていると、高さの感覚がおかしくなる。


上へ伸びているはずなのに、途中から横にも膨らみ、また細くなり、さらに別の構造が絡みついている。作りながらやめられなくなった巨大な機械の塊が、そのまま空へ向かって立ち上がっているようだった。


「……でか……」


アリスはそれしか言えなかった。


レンが、少しだけ目を細める。


「中央だ」


その声にも、軽さはなかった。


綺麗ではない。整ってもいない。むしろ雑多で、継ぎ足しだらけで、歪だ。なのに、それが街の中心にそびえているだけで、全部の視線を持っていってしまう。見上げるというより、こちらが見定められているような気分になった。


アリスはしばらく塔から目を離せなかった。あそこにヘイズがいるかもしれない。あそこに、ズレの中心があるかもしれない。そう思うだけで、畏怖と嫌悪と好奇心が混ざったような妙な熱が胸に広がる。


「……見とれてる場合じゃねえぞ」


レンの声で、ようやく現実に引き戻される。


アリスははっとして頷いた。


「うん」


「ルートを確認する」


レンは柵の脇、風が少しだけ弱まる位置へ移動し、地図プレートを開いた。淡い線が浮かび、立体的なルートが再び描き出される。


「今いるのがここ。上層外縁の保守出入口だ」


指先が外周に近い部分を押さえる。


「このまま真っ直ぐ中央寄りに行くと、管理区画に正面からぶつかる。無理だ」


「じゃあ?」


「回る」


レンの指が外縁沿いのラインを滑る。


「ここが娯楽区画。上層市民の遊び場だ」


アリスは少しだけ目を見開く。


「遊び場?」


「見りゃ分かる」


レンは顎で前方を示した。


「ああいう場所は人が多い。警備もいるが、人の流れに紛れれば保守路よりは動きやすい」


さらに指が中央寄りの線へ移る。


「娯楽区画を抜けると、中央外縁管理帯に入る。こっから先は明るさは減る。監視が増える。で、ここ」


一点を軽く叩く。


「中央外縁収容区画の裏手だ」


アリスの視線もそこへ落ちる。


「ヘイズはそこ?」


「可能性は高い」


レンは言い切らない。だが、声にはいつもより強い確信があった。


「正面から入れば終わる。だから裏から入る。ここに管理管路が走ってる。たぶん使える」


アリスは頷く。今までみたいに、ただ“ついていく”だけではなく、今どこにいて、どう進むのかが少しずつ形になる。


「……分かった」


レンはプレートを閉じる。


「行くぞ」


二人は上層外縁の通路を進み出した。


最初に入ったのは、娯楽区画の外れだった。


空気がまた変わる。


今度は匂いだ。油でも金属でもなく、甘い香りが混ざっている。焼いた糖みたいな匂い、酒精の強い匂い、香料の匂い。さらに少し進むと、音が増えた。下層や中層の騒がしさとは違う。もっと軽い。人の笑い声、楽器のような旋律、金属球が転がる乾いた音、蒸気弁の抜ける短い吐息。その全部が混ざって、通りの空気を明るくしている。


通りは広く、石と金属を組み合わせた舗装の上を、人々がゆっくり行き交っていた。男も女も、着ているものが違う。布の量が多く、色も豊かで、金属飾りや歯車意匠があちこちに入っている。帽子の縁に薄い真鍮板が巻かれていたり、杖の頭に細工が入っていたり、コートの留め具が小さな機械仕掛けになっていたりする。靴も磨かれていて、汚れがない。


その通りの左右には、光るガラス管を這わせた看板が並んでいた。回転する歯車をそのまま意匠にした店。真鍮の飾りが光る酒場。蒸気仕掛けの観覧機のようなものがゆっくり回っている広場。高い位置には橋のような歩道が渡され、その上でも人が歩いている。


そして、あちこちで金属球を使った遊戯が行われていた。


最初、アリスにはそれが何なのか分からなかった。だがよく見ると、どれも“金属球をどう走らせるか”で勝ち負けを決める遊びらしい。細いレールの上を球が走り、分岐で左右に分かれ、歯車の噛み合いで跳ね上がり、傾斜を転がり、最後にどの穴へ落ちるかを当てる。見た目は複雑な機械仕掛けだが、やっていることは賭け事に近い。客たちは札やコインを握りしめ、次に球がどこへ行くか叫んでいる。


「右だ!」

「いや、次で跳ねる!」

「三番に落ちろ!」


歓声と金属音が入り混じる。


アリスは思わず足を緩めた。


「……なにここ」


「上の遊び場だ」


レンは前を見たまま答える。


「……遊びって、こういうの?」


「他に何がある」


あまりにも雑な返しで、アリスは少しだけ口を尖らせた。


「いや、なんかもっと、普通の……」


「普通が分からん」


レンがそう言った直後、金属球の一つがレールを外れ、カン、と乾いた音を立てて二人の足元へ転がってきた。


「……?」


アリスが見る。


奥の装置では、銀色の球が何本ものレールの上を高速で走っていた。歯車が分岐を切り替え、蒸気圧でレバーが跳ね、球の行き先が変わる。どうやら次の分岐や落ちる場所を当てて賭ける遊びらしい。


「おい!触るな!」


係員の声が飛ぶ。


レンは反射的に足で球を止めた。


それだけだった。


だが、その一瞬で流れが狂ったらしい。装置の方から、甲高い噛み外れた音が鳴る。


「……あ?」


レンが足元を見る。


「触るなって言ってんだろ!」


係員が走ってくる。


レンは無言で球を拾い、軽く投げ返した。


だが、その角度がほんの僅かにズレていた。


球は本来のレールに乗らず、別の分岐へ滑り込む。カン、カン、カン、と規則的だった音が急に乱れ、歯車の回転が狂う。


「待て、それ違――」


ガシャン、と大きな音。


装置の一部が止まり、通りの空気が一瞬だけ凍りついた。


何人もの視線がこちらへ集まる。


レンが小さく舌打ちした。


「……行くぞ」


「え、ちょっ」


アリスの腕を掴み、そのまま人混みの逆方向へ歩き出す。


背後で怒声が上がる。


「誰だ今の!」

「止めろ!」


アリスは慌ててついていく。


「レン何やってんの!?」


「返しただけだ」


「止まっちゃったよ!」


「……知らん」


そのやりとりに、危機感のわりに妙な可笑しさがあって、アリスは半分呆れながらも少しだけ緊張がほぐれた。だが同時に、この区画の空気の危うさも感じていた。楽しむための場所のはずなのに、少し外れた瞬間、全員の目が一斉にこちらへ向く。その切り替わりの早さが、妙に冷たかった。


二人はそのまま通りの流れに紛れ、娯楽区画の中心を抜けていく。


中央塔は建物の隙間に何度も現れた。近づいているのに、近づいている感じがしない。見上げるたびに、煙突の束は増え、足場は複雑さを増し、塔そのものが街の中心で脈打っているみたいに見える。


やがて、人の流れが薄くなる。


音が減る。


光が減る。


同じ上層でも、娯楽区画の華やかさが嘘みたいに、建物の表情が硬くなっていく。装飾は消え、壁は滑らかになり、窓は小さくなる。道を歩く人の数も減り、服装も地味になる。巡回の気配が増える。


「ここから先、管理帯だ」


レンが低く言う。


「もう紛れるのは難しい」


アリスは頷いた。


二人は目立たない脇道へ入り、中央外縁収容区画の裏手へ回り込む。表の通りから外れると、一気に音が遠ざかった。建物と建物の隙間には細い整備路が走り、壁面には番号と区画記号が並んでいる。


その途中、足音が近づいた。


レンがぴたりと止まる。


「……来る」


狭い整備路に、隠れる場所はほとんどない。壁際に張り付いても、巡回が正面から来れば顔を見られる。


「どうするの」


アリスが小声で言う。


「動くな」


レンは短く返し、そのままアリスの肩を掴んだ。


「え――」


次の瞬間、ぐっと引き寄せられる。アリスの背中が壁につき、レンがその前に立つ形になる。外から見れば、壁際で言い争いでもしている二人か、寄り添っている二人にしか見えない距離だった。


「そのまま」


レンの声が低く落ちる。


巡回の影が伸びる。


アリスは息を止めた。顔が近い。レンの呼吸がかすかに頬にかかる。肩へ置かれた手に力が入っていて、逃がさないためではなく、揺れないように支えているのが分かった。


巡回の局員が角を曲がる。


一人の視線が、二人の方へ向いた。


ほんの一拍。


だが、そのまま通り過ぎる。


足音が遠ざかる。


完全に消えたところで、レンがゆっくりと手を離した。


「……行ける」


アリスはすぐに動けなかった。


「……今の……」


「顔見られてねえ」


「そうじゃなくて!」


アリスが小声で抗議すると、レンはわずかに目を逸らした。


「今さら騒ぐな」


「騒いでないよ!」


「声でかい」


「小さいでしょ!」


その小さな言い合いが、逆に張り詰めた空気を一瞬だけ和らげた。


アリスは頬を押さえながら、小さく息を吐いた。


緊張と、別の何かが混ざって、うまく言葉にならなかった。


やがて、レンが地図プレートをもう一度開く。


「ここだ」


壁の一部を指す。


一見するとただの構造壁だが、よく見ると継ぎ目がある。


「この裏が収容帯。管理管路を一つ挟んで、その先に監視記録室がある」


「そこから入る?」


「ああ。正面よりマシだ」


レンは周囲を確認し、短く息を吐いた。


「今なら巡回が切れてる。行くぞ」


レンが工具を取り出し、壁面の小さな保守蓋に手をかける。細い金属音。外れる。中は暗いが、人ひとりは通れそうな幅があった。


二人は身を滑り込ませる。


内部の空気は冷たかった。


外の風も、娯楽区画の匂いも、そこで急に切れる。金属の内側に閉じ込められた、均一で乾いた空気。管理された施設の匂いだ。


管路を抜け、さらに一枚の薄い隔壁の向こうへ出ると、そこは細い管理通路だった。床も壁も継ぎ目が少なく、灯りは弱いのに影がほとんど出ない。音が吸われるように小さい。


「……やだな、ここ」


アリスが小声で言う。


「正常だ」


レンの返事も小さい。


通路の脇には、透明な観察窓が等間隔で並んでいた。その向こうが収容室らしい。


アリスは足を止める。


「……見える」


「やめとけ」


レンが言うが、アリスはほんの少しだけ身を寄せた。


一つ目の部屋には、誰もいなかった。白い椅子と、壁に固定された机だけ。


二つ目。人影があった。


壁際に座っている。顔は伏せられていて、最初は眠っているようにも見えた。だが、アリスが見つめた瞬間、その人がゆっくり顔を上げる。


目が合う。


その瞬間、アリスの背筋が凍った。


顔は人間だ。だが、位置が微妙に合っていない。首と肩の繋がりが、ほんの僅かにズレている。輪郭が揺れている。次の瞬間、目の位置が数センチだけ横へ滑り、すぐ戻る。


「……っ」


アリスは思わず後ずさる。


「見たか」


レンが低く言う。


アリスは答えられない。


あれは生きている。けれど、完全にこちらの世界に固定されていない。


別の部屋には、壁を見つめ続けている人がいた。さらに別の部屋には、床へ膝を抱えて座り、こちらに気づきもしない人がいる。どの部屋にも、空気が違った。正常ではない。けれど壊れているとも言い切れない、その中途半端さが余計に怖い。


その先、壁面に埋め込まれた表示装置がいくつか並んでいた。そこだけがわずかに明るい。人の姿はない。だが、誰かがいつ来てもおかしくない静けさだった。


レンが一つの端末の前にしゃがむ。


「見張れ」


アリスは通路の両端へ意識を向けながら頷く。レンの指が端末に触れ、薄い表示が立ち上がる。


最初に見えたのは番号と記録だった。


《外縁収容管理区画/監視記録サブライン》

《偏差進行率:上昇》

《調整段階:第四段階移行準備》


アリスは眉を寄せる。


「……偏差進行率?」


レンは画面を流しながら、今度は止めた。


「進んでるってことだろうな」


次の表示。


《完全偏差到達予測:段階二つ》


アリスの喉が鳴る。


「完全偏差……」


この言葉を意識するのは初めてだった。意味は分からない。けれど、“到達予測”という言い方が嫌だった。まだ起きていないのに、起きる前提で記録されている。


「段階って、何を数えてるんだろう……」


アリスが言う。


「知らん。だが、止める気はなさそうだな」


レンの答えも低い。


さらにスクロール。


《外縁区画消失事例:記録済》

《原因分類:偏差拡大》

《観測不能状態移行確認》


アリスの指先が冷える。


「……観測不能……」


「消えたんじゃなくて、見えなくなった」


思わず言葉が漏れる。


あの黒い区画が頭に浮かぶ。あそこは“無”じゃなかった。まだあった。ただ、こちらからは見えなくなっていただけだ。


「やっぱり知ってたんだ」


アリスが息のように言う。


レンの顔つきも硬い。


「事故じゃねえってことだな」


さらに表示を追っていく。


《偏差観測部隊SEEKERS》


「……シー……」


アリスが小さく声に出す。


見慣れない綴りを、ゆっくり追っていく。


「……シーカーズ?」


口にした瞬間、その名前だけが妙にはっきりと残る。


レンの目が少し細くなる。


「……やっぱその名前か」


アリスが小声で聞く。


「知ってるの?」


「噂で聞いたことあるだけだ」


レンは首を振る。


「ズレを追う連中がいるって話はあった。名前までは確かじゃなかったが……こいつらだろ」


記録の下には、簡単な指示系統が並んでいた。


《SEEKERS:観測・追跡・回収支援》

《優先事項:偏差源/適応反応個体》


アリスの背筋が冷たくなる。


適応反応個体。


自分のことだと、直感で分かった。


その時、端末の下部に新しい行が流れた。


《収容対象:HAYES》

《移送保留》

《収容位置:外縁収容第六列/区画C》


「いた」


アリスの声が震えた。


レンも画面に顔を寄せる。


「第六列……区画C」


位置情報を地図に重ねると、今いる場所からそれほど遠くない。管理通路を二本、収容帯を一つ越えた先だ。


「近い」


アリスが言う。


「思ったより」


「近い分、守りも厚いだろ」


レンはそう言いながらも、目の奥にわずかな熱が宿る。ここまで来て、ようやく“ヘイズに届く場所”が形になったのだ。


だが、その瞬間だった。


アリスの手の中でシフトが、ごく小さく震えた。


「……っ」


レンが顔を上げる。


通路の奥。


最初は、音がなかった。


それが逆に異様だった。


さっきまでの巡回は、規則的な足音で先に気配を知らせていた。だが今、気づいた時には“そこにいる”感じがした。


通路の角の向こう、影の切れ目に、白い輪郭が現れている。


一人ではない。


二つ、三つ。


静かに、滑るように近づいてくる。


やがて灯りの下へ出たそれを見て、アリスは息を呑んだ。


再編局員とは違う。


装甲は同じ白だが、肩や胸に細い黒の補強線が走り、その上を観測機の環状構造が半ば身体と一体化したように囲んでいる。手に持つ観測機も、これまで見たものよりずっと複雑だった。細い環が幾重にも重なり、その中心に小さな結晶のようなものが浮いている。淡く回転し、周囲の空気そのものを測っているみたいだった。


レンが端末の表示を落とす。


「……来たな」


先頭の一人が足を止める。


観測機の環が、微かに高い音を鳴らした。


「反応を確認」


低い声。


別の一人が応じる。


「偏差観測対象、近接」


レンがごく小さく呟く。


「……あいつらだな」


「シーカーズ?」


「たぶんな」


確信のある声ではない。だが、その名前が今ここで妙にしっくりきた。


シーカーズの一人が、こちらへ顔を向ける。


「未登録機、反応上昇」


「適応反応を確認」


その瞬間、通路の空気が変わった。


見つかったのだと、説明より先に身体が理解する。


レンは短く言う。


「走るぞ」


アリスは頷く。


ヘイズの場所は分かった。偏差が進んでいることも分かった。シーカーズが、自分たちを追うための部隊だということも分かった。


つまり、ここから先は迷っている暇がない。


二人は同時に動いた。


静かだった管理通路に、追跡の気配が走る。

外の開放感も、娯楽区画の光も、もう遠かった。

その代わり、塔の中心へ近づいている感覚だけが、はっきりと身体の中に残っていた。

硬貨に裏表があるようにどんなものにも、理由、人間、概念的なもの、裏表がありますよね。

裏が隠すものだとしたら、真に大切なものは裏側にあるのかもしれませんね。

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