【第7話】崩壊と拡散
翌朝、目覚ましより先にスマホの通知音で起こされた。
画面には、友人からのLINEが山ほど。
『昨日のやつ、バズってるんだけど』
寝起きの脳には、情報量が多すぎる一文だった。
◇
布団の中でリンクを開く。
とある匿名アカウントの投稿が、やたら伸びていた。
> 『付き合ってないのに彼氏面してた男が、飲み会で女の子に
> 「付き合ってないですよね?」
> って公開処刑されてた現場にいた。
> その後、「『俺たちさ』って、一人称ですよね?」ってトドメ刺されてて草』
いいねとRTの数が、普通に怖い桁になっている。
リプ欄は地獄だった。
『それ彼氏面男やん』
『俺も同じタイプに粘着されたことある』
『「俺たち」は一人称、名言すぎる』
『これ言えるメンタル欲しい』
私は布団に顔を埋めた。
「いや、拡散力どうなってんのこの国……」
ただの飲み会の一場面が、気づけば見知らぬ誰かのタイムラインを汚染している。
恐る恐る、飲み会メンバーのグループLINEを開いた。
未読、98件。
地獄の予感しかしない。
スクロールすると、昨日の帰り道あたりから既に盛り上がっていた。
友人A『さっきのやつ、マジで笑い死ぬかと思った』
友人B『「付き合ってないですよね?」の言い方、完全に裁判長だった』
友人C『「異議あり!」ってAA貼りたかった』
そこから、佐藤くんの「供養会」が始まっていた。
友人A『てかさ、これ見て』
過去のグループトークのスクショが貼られる。
佐藤『今日も彼女が可愛かった件』
友人B『誰?』
佐藤『〇〇(私の名前)』
私『彼女じゃないです』
佐藤『またまた〜』
今見ると、寒気しかしない会話だった。
さらに、次々と過去ログが掘り起こされていく。
友人C『はい証拠②』
佐藤『既読ついてるよね?』
友人C『これ今見ると普通に怖いな』
友人A『これ、私ちゃんから相談されてたやつじゃん』
私『そう、それ。普通にしんどかったやつ』
友人B『この時点で「ただの心配性」って擁護してたの、正直すまん』
私『いや、私も「ちょっと重い人」くらいに思おうとしてたから、お互い様』
さらに別スクショ。
佐藤『俺たちの将来、ちゃんと考えないと』
友人D『これ一番笑った』
友人B『どの段階の将来だよって話』
友人A『0話の時点で最終回の話すんな』
友人C『チュートリアルスキップすな』
私『これ、カフェで真顔で言われたんですよ。普通にホラー』
友人D『よく笑わずに座ってたな…』
「耐えてたんじゃなくて、フリーズしてただけだよ……」
私はスマホを持ったまま、天井を見上げた。
タイムラインは、佐藤くんの「最後の抵抗」も記録していた。
昨日の深夜、私がグループを見てない間に、彼は長文を投下していた。
佐藤『いや、でもさ。俺たち、普通にカップルだったじゃん?
毎日連絡取り合ってたし、記念日も祝ったし、将来のことも話してたし…
俺だけの勘違いじゃないと思うんだけど』
友人A『毎日連絡→お前が一方的に送りつけてただけ』
友人B『記念日→お前が一方的に祝ってただけ』
友人C『将来の話→お前が一方的にプレゼンしてただけ』
友人D『全部「単独犯」です』
私、画面見ながら笑ってしまった。
さらに追撃。
佐藤『でもさ、心は繋がってたじゃん。あの空気感とかさ』
友人A『空気感で付き合えるなら、俺今ご近所全員と婚約してる』
友人B『電車の向かいの席の人とも結婚してるわ』
友人C『店員さんに「袋いりますか?」って聞かれただけで結婚しちゃう世界線』
友人D『「俺はそう思ってた」ってだけで関係成立するなら、世界、地獄だぞ』
最後の一撃。
友人B『てかさ、「心が繋がってた」って言うけど、昨日本人に真顔で否定されてたよね?』
佐藤『……』
そのまま、既読が増えていき——
「佐藤がグループから退出しました」
静かな退場ログだけが残っていた。
◇
問題の匿名ポストは、さらに派生していた。
『彼氏面男の名言まとめ』
という画像付きまとめまで作られている。
1. 「既読ついてるよね?」
2. 「俺たちの将来、ちゃんと考えないと」
3. 「彼女が行きたがってたカフェに来ました #彼女とデート」
4. 「俺たちさ」
5. (オチ)「それ、一人称ですよね」
リプ欄が地獄だった。
『②の時点でホラー映画の匂いする』
『4と5の流れ、コントとして完璧すぎる』
『「俺たち」は一人称、今年一番のパンチライン』
中には、自分の体験談を語り始める人も出てきた。
『私も昔、勝手に彼女認定されて地獄見たことある』
『うちの職場にもいる、彼氏面おじさん』
『「彼氏として当然でしょ?」って言われたから「彼氏じゃないですよね?」って返したら黙った』
画面の向こう側に、見えない被害者たちがいる。
佐藤だけの話じゃない。
どこにでもいるタイプなんだ、これは。
昼過ぎ、友人Aから電話が来た。
「出て大丈夫?」
「大丈夫。今は平和だから」
スピーカーから、苦笑混じりの声が聞こえる。
「昨日さ、マジでスカッとしたわ」
「私の胃は死にかけてたけどね」
「でも、あれ言わなかったら、多分ずっと続いてたよ」
「……だろうね」
「私さ、実はちょっと前からイラついてたんだよね」
「何に」
「お前が悪者っぽくされてる空気に」
一瞬、言葉に詰まった。
「お前さ、佐藤と距離取ろうとしてたじゃん。なのに、周りから見ると"ツンツンしてる彼女"にしか見えなくてさ」
図星だった。
「正直、ちょっと罪悪感あった。止めなかった側として」
「それは……まあ、お互い様でしょ」
「でもさ、昨日全部言ってくれて、なんかスッキリしたわ」
「私もスッキリはした。胃薬欲しいけど」
電話の向こうで、友人が笑う。
「あとさ」
「ん?」
「『俺たちさ』を一人称って言い切ったの、マジで感動した」
「そこ?」
「そこ。今後一生使うから」
電話を切ったあと、ソファに沈み込んだ。
「スカッとした」は、本音だ。
でも、同時に、どこか胸の奥がざわついていた。
佐藤くんは、確かに迷惑だったし、怖かった。
支配しようとしてきたし、私の意思を無視し続けた。
でも——
(あの人なりに、本気ではあったんだろうな)
方向性も手段も、100点満点で間違っていたけれど。
「だからって、許す気はないけど」
口に出してみると、少し楽になった。
「悪い人じゃない」と「やっていいことではない」は、別問題だ。
佐藤くんは、後者を盛大に踏み抜いた。
私は、その線を引いただけ。
日曜の夜、ふと気づいた。
スマホが、静かだった。
いつもなら
6:30「おはよう」
12:00「お昼何食べた?」
18:00「お疲れ様」
23:00「おやすみ」
と、律儀に鳴り続けていた通知が、一切来ない。
当然だ。
アカウントを消したのだから。
画面を見つめながら、小さく息を吐いた。
「……平和」
寂しさは、一切なかった。
むしろ、肩から何か巨大なものが外れたような感覚だけが残っていた。
◇
月曜の朝、会社へ向かう電車の中。
窓に映る自分の顔を見て、少し驚いた。
前より、表情が柔らかい気がした。
(あー、本当にストレスだったんだな)
自覚してなかっただけで。
その瞬間、ようやく心の中で言えた。
「終わったな」
長かった茶番が終わった。
でも、その直後に、別の考えが浮かぶ。
(…いや、終わらせたの、私か)
ずっと「どうしよう」と悩んで、
毒を吐いても笑いに変えられて、
ごまかし続けて、
最後の最後で、「付き合ってないですよね?」と言った。
あれは、完全に私の選択だった。
「まあ……よく言ったよ、私」
誰も褒めてくれないから、自分で自分を褒めておいた。
電車が揺れる。
外の景色が流れていく。
その流れに乗って、過去のモヤモヤも少しずつ遠ざかっていく気がした。
昼休み、友人からスクショが送られてきた。
『「俺たちさ」って言いながら、相手の意思ゼロなの、マジで怖い。
俺の中だけで成立してる関係性に、勝手に他人巻き込むのやめてほしい。
「俺たち」は一人称って言葉、ほんと刺さる。』
昨日の匿名ポストに付いていた、一般ユーザーのコメントだった。
短い文章なのに、妙に胸に残った。
(そう、そこなんだよな)
佐藤くんだけの問題じゃない。
「俺たちさ」
「私たちってさ」
そう言いながら、その「私たち」に、相手の意思が一ミリも入っていない人間。
恋愛でも、仕事でも、友人関係でも、どこにでもいる。
「俺たち=俺」
その図式を、言葉にしてしまった瞬間——
やっと自分の中で、色々なものがカチッとはまった気がした。
私はコーヒーを一口飲んだ。
窓の外は、いつも通りだった。
世界は何も変わっていない。
変わったのは、多分、私の中だけだ。
次、もしまた誰かが同じことをしてきたら——
今度は迷わず、もっと早い段階で言える気がした。
「付き合ってないですよね?」
あるいは、もっとシンプルに。
「その『俺たち』、私入ってないです」
そう言えるだけで、世界はだいぶマシだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
拡散され、笑われ、ミーム化した。
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