【第6話】公開処刑
共通の友人たちとの飲み会の日が来た。
店に向かう足取りは、正直、軽くはなかった。
でも、逃げるつもりもなかった。
ここで終わらせる。
そのために、この日を選んだのは私だ。
◇
店に入ると、既に半分くらい集まっていた。
「おー、来た来た!」
手を振ってくれたのは友人A。
その隣の席には——
「こっちこっち」
当然のような顔で手を挙げる男、佐藤。
はい出た。自動的に隣キープ。
「お疲れ」
勝手に私のグラスにドリンクを注ぎながら、佐藤が言う。
「ビールでよかった? いつもこれ飲んでるよね」
「聞いてから注いでもらえます?」
「照れんなって」
会話、成立してない。
「てかさ、遅かったね。心配したよ」
「集合時間の5分前ですけど。どこの時空で生きてるんですか」
「俺、君のことになると、1分でも遅いと不安になっちゃうんだよね」
「重い通り越して気持ち悪いって、自覚は?」
「そういうツンなとこ、やっぱ可愛い」
今日で終わりだから、まあいいか。
私はビールを一口飲んだ。
乾杯が終わり、しばらくは普通の飲み会だった。
仕事の話、上司の愚痴、最近のニュース。
ただ一つ違うのは——
佐藤がことあるごとに、**「彼氏目線コメント」**をぶっ込んでくることだ。
「こいつ、こう見えて酒弱いんだよ」
「その情報、どこで仕入れました?」
「この前、二人で飲んだときさ、顔真っ赤にして可愛かったから」
「その『二人で飲んだ』やつ、相談と称した半ストーカー行為の釈明会ですよね」
周りが「仲いいな」と笑うたび、胃が少しずつ削れていく。
友人Aが、そっと目線だけで聞いてきた。
(大丈夫?)
私はグラスを持ち上げて、小さくうなずいた。
(今日はやるから)
2時間制のコース、残り30分くらいになった頃だった。
佐藤が、ふっと立ち上がった。
「あ、ちょっといい?」
自然に皆の視線が集まる。
私の背中に、嫌な汗が流れた。
(来るな。これ、多分来るな)
佐藤は、わざとらしく咳払いをした。
「前からみんなにちゃんと言おうと思ってて」
その時点で、すでに嫌な予感しかしない。
「え、なに、プロポーズとかじゃないよね?」
友人Bが冗談めかして笑う。
「まだそこまでは早いけどさ」
「まだ」?
佐藤は、私の肩に自然な動作で手を回そうとした。
「こいつ、俺の彼女なんで」
◇
一瞬で、世界から音が消えた。
店内のざわめきも、近くの席の笑い声も、BGMも、全部。
テーブルの上にあるグラスと皿だけが、やけに鮮明に見える。
彼の手が、私の肩に触れる直前で——
私の中の何かが、完全に切れた。
私は、反射的にその手を払った。
バシッ、と乾いた音がした。
その音で、凍っていた時間がまた動き始める。
「……あの」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「私たち、付き合ってないですよね?」
空気が、物理的に冷える音がした気がした。
佐藤の笑顔が、ゆっくりと引きつる。
「え……?」
私は、淡々と続けた。
「一度も『付き合ってください』と言われていませんし、私も『はい』と言ってません」
「いや、でも、その、雰囲気が——」
「キスもしてません。手も繋いでません。デートもしてません。二人で会った回数、まだ片手で数えられます」
周りが息を呑む気配が伝わってくる。
「でも、毎日連絡してたじゃん」
佐藤が、声を荒げ始めた。
「おはようもおやすみも、やりとりしてたし——」
「あなたが一方的に送りつけてきただけです。私は、人質でした」
「人質って何だよ!」
横から友人Cが小声で言った。
「比喩が重いのに意味は分かるの草」
友人Aが困惑した顔で口を開いた。
「え、違うの?SNSで彼女って……」
「勝手に書かれただけです。私、承諾してません。肖像権侵害で訴訟準備してたレベルです」
「記念日も祝ったじゃん!」
佐藤は必死だ。
「一ヶ月記念、ケーキだって——」
「勝手に『記念日』を作って、勝手にケーキを買ってきて、勝手に『付き合ってる前提』で祝っただけですよね」
私は首をかしげた。
「私はただ、その場で糖分を摂取しただけです」
友人Bが噴き出す。
「言い方!」
友人Dが、佐藤に向き直って言う。
「それ、ただの『彼氏面』じゃん」
彼氏面。
その言葉が場に響いた瞬間、凍りついた空気が一瞬にして爆笑の渦へと変わった。
「うわー!完全に彼氏面男!」
「怖っ!勘違い乙!」
「一人で彼氏やってたんだwww」
「ていうか」
友人Aが思い出したように言う。
「前に『俺たちの将来、ちゃんと考えないと』とか言ってなかった?」
「言ってました。結婚とか同棲とか、スマホにメモまでしてました」
「メモしてたのwww」
「『2026年春:同棲開始』『2028年秋:結婚式』って」
「基礎工事ゼロで高層ビル建設www」
「しかも『子供は2人くらいがいい』って聞かれました」
「子供の人数www」
友人たちの笑いが止まらない。
「あと、『既読ついてるよね?』って詰められるのもありました」
「監視社会怖すぎwww」
「女子会にも『俺も行く』って乗り込もうとしてきました」
「女子会の意味www」
佐藤くんはなおも食い下がる。
「でもさ、心は繋がってたじゃん。あの空気感とか——」
「繋がってないです。あなたの心が、一方的に私にくっついてきてただけです」
私は淡々と切り捨てた。
「私が『嫌です』『無理です』『やめてください』って何回言っても、全部『ツンデレ』って変換してましたよね」
「あれ、照れ隠しかと——」
「違います。純度100%の拒絶です。毒です。青酸カリです」
友人Eが、テーブルを叩きながら笑い出した。
「青酸カリwww」
「私の毒舌、あなたの中で全部『可愛いツンツン』に変換されてましたけど、あれガチの罵倒ですから」
佐藤の顔から、血の気が引いていく。
少し間を置いてから、私は言った。
「佐藤さん」
あえて、少しだけトーンを落とす。
「ずっと『俺たちさ』って言ってましたよね」
佐藤が、ビクッと肩を震わせた。
彼がよく口にしていた、あの決まり文句。
『俺たちさ、将来どうする?』
『俺たちの場合はさ』
『俺たちってさ』
その全部を、私は覚えている。
「『俺たちの将来』とか、『俺たちの思い出』とか、『俺たちの日常』とか」
私は、ひとつひとつなぞるように言葉を並べた。
「でも、私、一度もその『俺たち』に参加した覚えがないんですよね」
テーブルの上のグラス越しに、佐藤の顔がゆがんで見えた。
「だから、多分——」
私はハッキリと言った。
「その『俺たち』って、一人称ですよね」
一瞬の静寂。
そして次の瞬間、テーブルが揺れるほどの笑い声が起きた。
「一人称wwww」
「複数形じゃなかったwww」
「新ジャンルの日本語出たww」
「『俺たち』=『俺』はさすがに草」
友人Bが涙を拭きながら言う。
「怖ぇよそれ!幽霊かよ!見えてるの自分だけじゃん!」
友人Cが追い打ちをかける。
「『俺たちさ(俺)』www」
「新しいホラーじゃん」
「見えない彼女と会話する男」
笑いの渦の中、佐藤だけが固まっていた。
顔は真っ赤で、でも唇だけが青白い。
自分の中だけで完結していた「恋愛ドラマ」が、全員の前で「一人コント」だったと宣告された。
その瞬間だった。
「……ふざけんなよ」
絞り出すような声で、佐藤が言った。
「そんな言い方、ひどくない?」
ようやく出てきた、「怒り」。
でも、もう遅い。
「事実を言っただけですよ」
私はグラスを置いた。
「勝手に『俺たち』って言って、勝手に将来まで決めて、勝手にSNSで『彼女』って書いて、勝手に周りに話して」
一気に続ける。
「私、一度もその会議に呼ばれてないんですよね」
友人Aが、小さくうなずいた。
「それな」
「もしそれで私が『ひどい』なら、その感覚のズレこそが一番怖いです」
そう言い切った瞬間、ふっと体が軽くなった気がした。
佐藤は、何か言おうとして——
結局、何も言わないまま、視線を逸らした。
「……帰る」
捨て台詞も、謝罪も、会計もなく——
佐藤は逃げるように店を出ていった。
◇
ドアが閉まる音がして、ようやく店内に普通のざわめきが戻ってきた。
しばらくの間、私たちのテーブルだけが、ぽっかりと静かだった。
先に口を開いたのは、友人Bだった。
「……お会計、あいつの分どうする?」
友人Cが即答する。
「彼氏面税で割り勘でいいだろ」
「それただの被害者負担なんだよな」
ちょっと笑いが起きる。空気が少しだけ戻ってくる。
友人Aが、私のグラスにそっと飲み物を注いだ。
「お疲れ」
「……うん」
その一言だけで、少し泣きそうになったから、慌ててビールを一気に飲んだ。
「マジでさ」
友人Cが、真顔で言った。
「よく今まで耐えたな、お前」
「耐えてたっていうか、どう止めればいいか分かんなかっただけ」
「毒舌聞いてる限り、止めようとしてたのは分かるけどな」
友人Bが笑う。
「でも、全部『ツンデレ』に変換されてたからな、あいつの中で」
「それが一番のホラーだったわ」
やっと、終わった。
長かった地獄が、ようやく終わりを迎えた。
◇
飲み会の帰り道、一人で夜風を受けながら歩く。
脳内で、さっきの場面が何度もリプレイされた。
『こいつ、俺の彼女なんで』
『付き合ってないですよね?』
『それ、一人称ですよね』
思い出すたびに、胃の辺りがキリキリする。
でも同時に、胸のあたりがスッと軽くなる。
あの場で言葉にした瞬間——
やっと、私の中の「意味不明なモヤモヤ」に、名前がついた。
「俺たち」という一人称。
私を巻き込んだつもりで、最初から最後まで独りで完結してた関係。
あれは、恋愛じゃない。
一方的な物語への、勝手なキャスティングだ。
「……終わったな」
口にすると、ようやく実感が湧いてきた。
家に着いて、靴を脱いで、玄関に座り込んだ。
冷たい床が、やけに心地よかった。
「長かったな、マジで」
でも、それはもう過去形だった。
自由だった。
本当に、自由だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
「付き合ってないですよね?」
この一言で、全部終わった。
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