【第5話】外堀、埋められる
事態は、私が想像していた最悪を軽々と超えていった。
ある平日の夜、風呂上がりにスマホを開いた瞬間——
通知の数を見て、心臓が止まりそうになった。
LINE:未読 31件
インスタDM:未読 18件
通知「メンションされました」:大量
「……何これ。誰か死んだ?」
震える指で、友人からのLINEを開く。
『おめでとう!!!』
『え、聞いてないんだけど!』
『何勝手に匂わせカップルやってんの』
『佐藤と付き合ってるって本当?』
何の話だ。
スッと血の気が引いていくのを感じながら、インスタを開いた。
◇
一番上に表示された通知をタップする。
@satou_XXXX があなたをタグ付けしました
嫌な予感しかしない。
飛んだ先にあったのは、オシャレ気取りのカフェ写真だった。
白い皿に盛られたパンケーキ。
ラテアートのハート。
窓際の席から見える街並み。
全部、見覚えがある。
私が以前、友達と行ったときにストーリーに上げた店だ。
そのとき送った、店内の写真。
それを、佐藤が綺麗にトリミングして、自分の投稿に使っていた。
問題は、そこじゃない。
キャプションだ。
> 『彼女が行きたがってたカフェにやっと連れてこれた☕️
> 念願叶って嬉しそうな顔が可愛かった
> #彼女とデート #幸せ #俺たちの思い出 #カップル』
タグ付け:@私
一瞬、視界が白くなった。
「…………は?」
声が出た。誰もいない部屋で。
恐る恐るコメント欄をスクロールする。
『おめでとう!!』
『え、いつから付き合ってたの!?』
『やっぱりそうだと思ってた〜』
『美男美女カップル〜』
『幸せそう』
いいね数は、見慣れない三桁。
誰も疑ってない。
誰も「本当に?」と聞かない。
前提が「付き合ってる」で、全員が会話してる。
私の意思は、そこに一ミリも存在しない。
これはもはやテロだ。
デジタルテロリズムだ。
私の人生が、リアルタイムで改変されている。
震える手で、佐藤にDMを送った。
「佐藤さん。勝手に私を『彼女』と書いてタグ付けしてますけど、これ普通に迷惑なんで、今すぐ消してください」
すぐに既読がついた。返信もすぐ来た。
『あ、ごめん!嫌だった?でも顔写ってないし、みんな喜んでくれてるからいいじゃん』
いいじゃんって何ですか。私の人生勝手に改変しないでください。
「嫌です。肖像権とプライバシーの侵害です。訴訟の準備始めていいですか?」
『そこまで言う?ていうかさ、みんな祝福してくれてるんだし、良くない?』
良くないです。事実じゃないことを拡散するのは虚偽表示です。
「消してください。今すぐ」
『だって、〇〇を彼女って紹介できるの、嬉しくてさ』
自慢って何ですか。私、あなたの戦利品でしたっけ?トロフィー?剥製?
「本気で嫌なんですけど」
『そう言いながら、ちゃんと返してくれるところ、ほんと優しいよね』
会話が成立しない。
その間にも、通知は増え続けていた。
友人A『やっぱり佐藤と付き合ってたんだね!おめでとう!』
友人B『聞いてないんだけど!?いつから??』
友人C『佐藤の投稿見た。まさかの匂わせカップルだったとは』
友人D『お似合い〜!』
否定しようとして、指が止まる。
(「付き合ってない」ってここで言ったら、説明が地獄だな……)
「いや、違うんだよ。実は佐藤が勝手に……」から始まる長文説明を、私のメンタルは今処理できない。
「ありがとうございます」
とだけ返す自分に、ちょっと吐き気がした。
否定する気力より、「面倒くさい」の方が勝ってしまった。
本当のことを説明するエネルギーより、「とりあえず合わせる」を選んでしまった。
それが、決定的なミスだった。
佐藤くんは、完璧な罠を仕掛けてきた。
外堀を埋めて、内堀も埋めて、最後は本丸に旗を立てる作戦。
でも、その本丸には、まだ誰も住んでいないのに。
◇
数日後。
またインスタの通知が来た。
@satou_XXXX があなたをタグ付けしました
心拍数が上がるのを感じながら開く。
そこには、見慣れた写真があった。
私がストーリーに上げた、オムライスの写真。
キャプションに「至高」とだけ書いた、あの一皿。
それを、綺麗にスクショして切り抜いた画像。
また、地獄の文章が乗っていた。
> 『彼女の好きなオムライス。
> 俺も好きになった。
> 同じものを好きになれるって幸せ
> #カップルあるある #俺たちの日常 #シェア』
タグ付け:@私
「カップルあるあるじゃない。ストーカーあるあるだよそれ」
思わず口に出た。
即座にDMを送る。
「本気でやめてください。私のストーリーを勝手に保存して『カップル投稿』にするの、普通に気持ち悪いです」
『だってさ、俺と君の思い出だし』
「思い出って何?私、あなたとオムライス食べに行ったこと一回もないですけど」
『でも、君が好きな店は、俺にとっても特別じゃん』
「勝手に特別扱いしないでください。私の生活をあなたのドラマの材料にしないで」
『ちょっと大げさじゃない?彼氏として普通のことしてるだけじゃん』
彼氏じゃない。そこがスタートラインだ。
そして、翌日にはまた別の投稿。
今度は、私が友人と行ったイタリアンの写真。
> 『彼女とディナー
> いつもより少しおめかしした君が可愛かった
> #記念日 #俺たちの時間』
私、そこ行ってない。
あなたと一緒に行ってない。
もはや、現実と妄想の区別がついていない。
◇
週末、友人Aとカフェにいたときのこと。
「そういえばさ」
友人がストローをいじりながら言った。
「こないだ職場の飲み会で、佐藤と同じ会社の人と一緒になったんだわ」
嫌な予感しかしない。
「で、その人に『ああ、〇〇ちゃんでしょ?佐藤くんの彼女』って言われた」
「……」
「私、『え、違いますよ』って言ったんだけどさ」
「ありがとう」
「でもその人、『え、でもいつも佐藤くん、彼女の話してますよ?』って」
やっぱりか。
「どんな話してたか聞いてもいい?」
「『ちょっと口悪いけど、そこがまた可愛い』だって」
「口悪いのは事実だけど、『そこが可愛い』って思われるのは恐怖でしかない」
「あと、『将来は同棲して、いずれは結婚も』みたいな話も普通にしてたっぽい」
友人Aは、申し訳なさそうに顔をしかめた。
「正直、その時点で一発ぶん殴りたかったわ」
「殴ってよかったのに」
「会社の人相手だからさすがにね」
完璧な包囲網だった。
そして、決定打が来た。
佐藤くんからのLINE。
『そろそろ、君のご両親に挨拶したいんだけど、いつ都合いい?ちゃんとした男だってこと、分かってもらいたいから』
ご両親。
挨拶。
私の手が震えた。
「付き合ってないって何回言えば理解するんですか。脳の構造、バグってます?」
『またまた。そういう照れ隠し、もういいから』
照れ隠しじゃない。マジの拒絶です。
「私の親に会う資格、あなたにはゼロです。マイナスです。負債です」
『親に挨拶するのって、彼氏として当然じゃない?ちゃんとしたいんだよ、俺』
彼氏じゃない。
「佐藤さん、あなたが『ちゃんとしたい』と思ってる関係、そもそも存在してないんですよ。ゼロにいくら掛けてもゼロです。算数からやり直してください」
『あはは、数学の例え好き。やっぱり頭いいよね』
褒めてない。罵倒してるんです。
その夜、友人Aに電話した。
「もう限界」
開口一番、それだった。
「親に挨拶しに行くって言い出した」
「うわ、ついに来たか」
「これさ、放置したらマジでやばくない?」
「やばい。とっくにやばいラインは越えてるけど、まだギリ戻れる」
「どうやって?」
「オフラインで、第三者の前で、ハッキリ言う」
友人Aはあっさりと答えた。
「本人と、共通の友人がいる場で『付き合ってないですよね?』って」
「そんなこと言ったら……」
「空気悪くなる?でも、このまま放置したら、お前の人生乗っ取られるよ」
図星だった。
「SNSで『婚約しました』って勝手に書かれて、周りから『おめでとう』って言われ続けたら、否定しづらくなるよ。今まさにそれじゃん」
「……そうだね」
「自分の人生の話なのに、『否定するのが悪いこと』っぽい空気にされるんだよ」
私はため息をついた。
「今度の飲み会、行く」
「マジで?」
「そこで終わらせる」
◇
電話を切ったあと、ベッドに倒れ込んだ。
「これ、放置したらダメなやつだ」
やっと、口に出して言えた。
このままいけば、次は本当に親だ。
実家に押しかけてくる。
「娘さんをください」とか言い出す。
第三者の前で、ハッキリ言うしかない。
「付き合ってないですよね?」
逃げ道を全部断ち切る、一言を。
私はスマホを開いて、飲み会のグループLINEにメッセージを送った。
「今度の飲み会、絶対参加する。佐藤も来るんだよね?」
『来るよー。てか最近いつも一緒じゃん、あんたら』
一緒じゃない。勝手についてきてるだけです。
「分かった。じゃあ、絶対行く」
送信ボタンを押した指が、少しだけ震えていた。
公開で、終わらせる。
その決意が、次の飲み会での地獄絵図に直結するとも知らずに——
いや、知っていた。
分かっていた。
でも、それでもやるしかなかった。
このまま放置したら、私の人生が本当に「佐藤くんの物語」に乗っ取られる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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次回、公開処刑。




