14 ブリスコーの日常
アイルは明け方に目が冷めテントから這い出た。空は紫色染まり、遥か高い空には長い尾を引いた巻雲が朝焼けの光を受けて虹色に輝いていた。
アイルは昨日の焚き火の漕げ跡に、再び薪をくべて火をおこした。そして火の上に土瓶をかざして、昨夜の出がらしのお茶を温めた。彼は草むらからいくつも突き出た石灰岩の石のひとつに腰を下ろすと、お茶をすすった。彼は頬に冷たい空気を感じた。朝方の高山地帯は夏でも冷え込んだ。彼の目線の先には、遠くウルゴーン山脈の堂々たる山並みが、刃の崩れた歴戦のつるぎのように刻んでいた。
アイルがそうしていると、アベルがテントから這い出てきた。彼の長い金髪が朝焼けの横日を受けて美しい橙色に輝いた。
「おあよう」アイルは欠伸をしながら声をかけた。
「おはよう」アベルは応えた。彼はうんと伸びをすると、アイルの隣りに腰を下ろした。「昨日はよく眠れた?」
「まあまあかな。昨日はまあ、とことん疲れたから」
「そうだったね」
「そういえば、ルー君は見つかったの?」アベルは一息ついていった。
「ああ、見つかったよ。先にこっちに来てたんだ。今はテントで寝てるよ」
「そりゃよかった。」
アイルはアベルのためにお茶を注ぐと、朝の市街地を見下ろした。朝方の広場は人がまばらだったが、すでにいくつかの家の煙突からは白い煙が立ち上っていた。きっとそれは、飯屋だろう。
アイルは思いついて言った。「なあ、お前の剣見せてれない?」
「いいけど、君のも見してよ」アベルは言い、テントの中から細剣を持ってきた。
アイルはそれを受け取り、鞘から引き抜き朝の陽光に照らした。細身の刃が朝焼けの茜色の光を反射した。金細工の持ち手はなめらかな曲線で輝いていた。
「綺麗な剣だな」アイルは言った。「振ってもいいか?」
アベルはうなずいた。
アイルは剣を振るった。細剣はまたたく光の軌跡を描きながら、軽やかにしなった。
アイルは剣を仕舞い、尋ねた。
「アリア達は?」
「テントの中で寝てるよ」アベルは応えた。
「そいえばさ、あいつら昨日飯一緒に食ってなかったな」
「ああ、本当は市街地で宿を取って寝泊まりする予定だったんだ。だけどアリアがそれを断ったんだよ。そもそもそんなことする金もないしね」
「飯は食ってんの?」
「軽くは食べたらしいけど」
「ふーん。じゃああいつらの分も作ってやるか。パンでいいか?」
「いいと思うけど、パンなんて作れるの?」
「パンなんか簡単だよ。昨日仕込んでおいたんだ」
彼はテントの中に戻ると、パン種を乗せた鉄板と、ついでに短剣も持って来た。
彼は短剣をアベルに手渡すと、焚き火の周囲に石を積み簡単な竈門を作ると、パン種を竈門の上に乗せて焼いた。
彼はパン種に切れ込みを入れると、干し肉を隙間に挟んだ。肉は熱を受けて、油が段々と染み出し、そのうちじゅうじゅうと音を立てた。
そのうちにすばらしい香りが漂ってきた。
「いい匂いだね」アベルが言った。
「そうだね。そういえばエルフって肉食厳禁なんだっけ?」
「一応戒律ではそうなってるけど、もうどうでもいいや」
「だよな。今更だよな」
やがてパンの表面は黄金色に色づき、そろそろ食べ頃になった時、坂の上からトグマとカイが降りてきた。
「いい匂いだなあああああ!!!」とぐまは大声で呟いた
「お前、喉はもう大丈夫なのか?」アイルが訊いた。
「ああだいじょうぶだいじょぶ。それよりうまそうだなああああああ!!!」
「じゃあ食えば」アイルは苦笑いしながら言った。
トグマはパンを掴むと、「あっつ、あっつ」と叫びながら、慌てて口に運んだ。
「うんめえええええ」
「あ、ほんとに美味しいね、これ」アベルは自分のかじったパンを見つめた。「俺アリア達起こしてくるわ」彼はそう言い、テントに走っていった。
おいしいいい
ぱくぱくもぐもぐ
こうやってみんなで朝食をたべた
ありがとう私達金欠だったから
ああ。兼ねないなら夜警の仕事でも受けたら
俺夜警のしごと受けるつもりだけど
でももし戦闘になったら、言いつけに背かないか
でももしブリスコーに敵が侵入してきたら、どうする
戦う?
そう。だからどっちみち変わんえーよ。まあ実際のところ夜警って突っ立ってるだけだから
そうかなあ
じゃあやってみようかな
こうして三人がたわいもない話をしていると、斜面の下から女が登ってきた。彼女はまっすぐアイルたちに向かって歩いてきた。彼女は背が高く、黒い髪をした女性だった。
彼女がだいぶ近づいた跡、ようやくアイルたちはそれが団長だと気づいた
甲冑を着ないその姿は、華奢だった。とてもあの大剣を振り回していたと人間とは思えなかった。彼女は焚き火のそばまで寄ると、言った。
「ほかのやつらはいるか?」
「呼んできます」アリアはそう言うと、三軒上の建物に駆けていった。
「家があるのにテントで寝てるのか」団長は言った。
「家の修繕が終わるまでは、テント暮らしですね」アイルは答えた。
「みんなそのまま住んでるし大丈夫だと思うがな……」団長は小声で言った。
しばらく待っていると、アリアはセーラ達魔法学校の生徒を連れて、家から出てきた。
「全員揃ったか」エリスは話し始めた。「まず義勇兵団についてだが、9月14日までは活動はしない。訓練はまとまった人数が揃った後始めるから、それまでは体を休めておけ。貴様、確かテオといったな」
テオは名前を呼ばれて顔をあげた。
「貴様は既に兵士として遜色ない技量がある。訓練課程は飛ばして直接兵団に参加してもらう。異存はあるか?」
「いえ」テオは短く答えた。
「ではついてこい。ほかの者は二週間後に会おう」エリスはそう言うと、彼らに背中を向けて斜面を下って行った。
テオが去ると、アイルはアリアに話しかけた。「よう、お前飯食ってんの?」
「別に食べてるよ?」アリアは答えた.
「なんでみんなと食わんの?エルフって本当は菜食主義者なんだっけ?」
「う~ん、肉を食べないというより殺生がだめなんだけど」
「ほ~ん坊さんみたいなもんか。でも肉食って体力つけないと義勇兵なんかやれねえだろ」
「う~ん」
「何?お前義勇兵にならないのか?」
「いや?なる……う~ん、なると思う」
「なんだそりゃ。兵士になったらさ、食うもんなんか選べねえだろ。今のうちに肉食って慣れとけよ」
「う~んまぁ、うん」彼女はなんとも煮え切らない返事をした。そのうちにエルフの女に呼ばれて、アリアはまた家の中に引っ込んでしまった。
テントで寝ていた村人たちもちらほらと起きだした。アイルは手持無沙汰でやることもないので、村仕事の手伝いを申し出たが、怪我の大事を取って断られた。彼らは三人で釣りに出かけることにした。
彼らは城門を出た。門前には馬車を引いた商人の群れが列をなして並んでいた。荷車の中には果物などの食料品のほか、剣や黒光りする甲冑を載せた荷馬車もあった。昨日戦闘があったばかりなのに、前線基地までやって来て商売する彼らの商魂には恐れ入った。アイルはその場で果物商と交渉し、りんごを3つ買った。
「お~い釣りかあっ!?」城門の上の兵から声がかけられた。
「釣り!!!」アイルは棹を掲げて応えた。
「俺も行きてえぞっ」兵は笑いながら大声で言った。
門を出てすぐ眼前にラインベルクの鷹揚とした流れが広がっていた。人間界の争いごとなどは露知らず、自然はあるがままの姿で何万年も変わらぬその営みを続けていた。土手の草むらは日差しを浴びて美しい緑を一面にたたえていた。しかし一しばらく歩くと、鼻をつく刺激臭が上流から漂ってきた。
土手の上流でオークの死体が一箇所に積み上げられ燃やされていた。煙とともに肉の焼ける甘ったるい匂いが漂ってきた。硬質の肌が裂け、腸詰めの様に弾けた皮膚からピンク色の肉がむき出しになっていた。彼らは下流へ移動した。
積み上げた彼らの遺体の中心で簡単な木組みの火葬塔が燃えていた。
「あの塔は?」アベルが訊いた
「あれはバデっていうんだよ。言い伝えでは俺たちは死んだ後に焼かれて煙になってまたどこかの土地で生まれ変わるんだと。だからなるべく高く煙を上げれるように高い塔と一緒に燃やすんだよ」アイルが答えた。
「へえ。オークもそうなの?オークも生まれ変わる?」
「そうだよ。オークも人間に生まれかわるかもしれないし、人間もオークに生まれ変わるかもしれない」
「君も生まれ変わってオークになる?」
「なるかもしれないし、元はオークだったかもしれない」
「普通オークも弔うものなのか?」
「普通はしないよ。まあ誰か博愛主義者でもいるんじゃね?」アイルはそう言うと下流へ歩き出した。
アイルは歩きながら餌を探した。アイルは道ばたの草むらのふくらみに目をつけた。霜をつけた土のようにこんもりと盛り上がり、穴の空いた茶色い土くれの塊があった。アイルは素手で湿った土をえぐった。膨らんだ土は簡単にほぐれ、掘り返された土の上には大量のドバミミズがうねうねとうねっていた。
「お~」アイルはひとりにやにやした。アイルは木箱に大量のミミズを確保すると、土手の下に降りていった。土手の草むらはまだ朝露に湿っていた。彼らは下流へと歩き小さな流れ込みまで歩いていった。
「岸に近づくなよ」アイルが言った。彼は草むらにかがんで針にミミズをつけた。硬質な感触で手の中で暴れまわるミミズにアイルは期待を膨らませた。これは”いいミミズ”だ。彼は水面を目視できない位置から餌を川面に投入した。竿先にすぐに反応があった。
「よっ」アイルが勢いよく竿を立てた。ぬっとりとした荷重に竿はしなり、小気味よい振動がアイルの腕から肩に伝わった。彼の心臓が高鳴った。「ナマズかな?」アイルは言った。
水中から魚を引きずり出すと、果たしてそれはナマズだった。ピチピチと爆ぜるような音を立てて草の上で転がり回り、身をくねらせると葦の間をかき分け逃げようとした。アイルはスカリにナマズを入れると、それを水中に放った。
「よくわかったね」アベルは言った。
「感覚。釣りは得意だからね」アイルは応えた。
「一発で釣れたな」ジェイが言った。
「餌がいい。かなり生きのいいドバミミズだよ。四日前に雨降ったばっかだから。これ使ってみ」アイルはアベルのために大きなミミズを選んで針に付けた。
アベルはアイルの指示で流れ込みの奥へ移動した。そしてアイルのやったように岸から離れて池の淀みに餌を入れた。しかし反応はなかった。アベルが立ち上がろうとすると、アイルが手振りで待てと静止させた。
『一分待て』アイルは小声でそう言った。
そうして一分間茂みに座っていると、突然竿先に強烈な荷重がかかり竿のされた。
「思いっきり引け!!立っていい!!」アイルは叫んだ。
はたして言うとおりにアベルは立ち上がり全力で竿を立てた。全長二フィートはある巨大なレンギョがごぼう抜きになった。
「ハクレンだ」アイルは言った。「今夜は土鍋だなあ」
彼らはそれから三時間ほど釣りをして二十匹のナマズを釣った。アイルはホクホク顔で足を踊らせながら家路についた。あまりの喜びように他の3人までつられて笑った。
昼飯は昨日と同じく家の外で作られた。ドワーフたちが運んできた大きな鍋に火がくべられ、煮炊きの雑炊が振る舞われた。ネネたちは市場でシソの葉を買ってきた。あいかわらず具の少ない雑炊だったがシソの香りに食がすすんだ。ナマズはまたぶつ切りにされスープにされた。女衆が下町の店から使われない鶏ガラをたくさん確保してきた。鶏の脂が浮くナマズのスープは滋養たっぷりで身体に染み渡った。
昼飯の後、アイルたち四人はブリスコー全体を回ってみることにした。
彼らは村の中央を流れる小川を遡って水源を見に行った。川は山間に入るとすぐに細くなり、時々礫石の地下に隠れた。か細く流れる水源の最上流に水源を示す石柱が立っていた。彼らはさらに山を上ったが、先が急峻な崖になっていたので引き返した。
彼らは谷を下りアイル達の住居と反対側、西側の斜面の尾根伝いに歩いた。街の西側には長く住人が住んでいるのだろうか、屋根は補修され赤く統一された瓦で覆われていた。家と崩れた遺跡の壁との間に、洗濯物が紐にくくられて風にぱたぱたとはためいていた。
「そういや風呂入ってないな。お前着替え持ってんの?」アイルはアベルに訊いた。
「まったく持ってない」アベルが応えた。
「ていうかさ、お前ら金持ってんの?」
「いやまったく持ってないんだ……だからこれからどうしようかって話てるとこ」
「市場に質屋とかあるけどいまはまだ金に変えないほうがいいよ。足元見られるから。しばらくは仕事で稼ごうぜ」
彼らがさらに尾根を下ると職人街があった。屋根の煙突からもうもうと白い煙があがっていた。日干し煉瓦が広場一面に干してあり、焼いた屋根瓦がその横にきれいに並べられていた。アイル達の耳に鉄を打つ金属音が聞こえた。工場の入り口を覗くと、赤く光る金属を叩いている鍛冶屋の作業場が見えた。
かれらはさらに尾根を降りて、職人区と市場の間のスラム街にたどり着いた。飲んだくれのおっさんどもが昼から石畳に寝そべって豪快にいびきをかいていた。ここは見習い職人や流れ者が住み着く日陰の街だった。金のない新参冒険者や傭兵稼業の 荒くれ者もこういう界隈に好んで住んだ。血と喧騒が渦巻く下っ端区域はどんな都市にも存在した。
アイルは峰の上からスラムの路地を眺めていると、煙管をくわえている髭面の浮浪者に目を留めた。彼は小道へ降りると、男に声をかけた。
「おっちゃん、葉っぱどこで買えんの?」
彼はうつむいたまま右手の方向を指差さした。
アイルたちが薄暗い路地をぶらぶらと進んでいると、少年が狭い路地裏を走ってきた。
少年はアイルたちの手前で、待てと叫ぶ男に後ろから肩を掴まれ、地面に引き倒された。少年は両手にたくさんのりんごを抱えていた。そのりんごが引き倒された拍子に腕から転げ落ちた。少年は男に馬乗りにされ、顔面をタコ殴りにされた。
アイル達が割って入り、男を少年から引き離した。
「なんだてめぇら!!見ねえ顔だな。新参もんか!?」男は叫んだ。そしてアイルたちの腕の呪痣に目を留めた。
「けっ。お前ぇら義勇兵か。その餓鬼が悪ぃんだよ、人の売りもんかっぱらいやがってよ」
アイルはポケットをまさぐり銭を取り出した。
「いくら?」
「5カパーだよ。いっとっけどな、こんなことやってもキリねえぞ」男は言って、金を受け取りその場を去った。
アイル達は少年を助け起こした。少年の体は痩せ細り、腹がへこみ頬は痩せこけ汚れていた。
「君は難民か?」アイルが訊いた。
少年はうなずいた。
「僕らもそうだ。明日の朝、君に会いに行くよ。住所教えてくれるか?」
少年はうなずいた。彼の足取りはふらふらとおぼつかなかったので、アイル達は彼を家まで送り届けた。
アイル達は入り組んだ路地裏の暗い店で大麻の小袋を買った後、市場をぶらぶらと廻った。活気に溢れた街の通りは屋台や売り子が立ち並び、とても昨日戦争があったばかりとは思えないほどだった。アイルは昨日見た屋台で串焼きを買い二人におごった。彼らは城壁へと続く階段を見つけ、そこに立ってみたが誰も咎めなかったので、そのまま上へ登った。そして城門の上から外を眺めた。
ラインベルクの対岸には、果てしない平原が広がっていた。この平原では、ラインベルクの豊かな水量を生かした大規模な農耕が何度か試みられてきたが、その度に火竜の襲撃を受け、やがて土地は放棄された。地平線の奥にはロードラン南部の都市ヴェリザードの高い城壁がうっすらと見えた。
アイルは小袋に手を突っ込み、大麻をひとつまみ取り出しもみほぐした。
「ここで吸うのか?」アベルが訊いた。
「別にだいじょぶだろ」アイルは言った。そして紙を取り出し大麻を巻いて棒状にすると、櫓の炎に突っ込んで火をつけた。
アイルは大きく煙を吸い込んだ。そして肺でしばらく味わったあと、長々と煙を吐いた。
「はい、アベルも吸って」彼はそう言いアベルに紙巻きを差し出した。
アベルは燃えさしばらくじろじろと眺めた後、それを咥えて息を吸い込んだ。
「衛兵さーん、ここで悪い事してる人いますよ~」ジェイが両手を口に当て、衛兵に向かって大声で叫んだ。
アベルは口から紙巻きを放しむせこんだ。二人はそれを見て大笑いした。ジェイはアイルの手から紙巻きを摘み取ると、慣れた様で口に咥え、深々と煙を吸いながら城壁の向こうの遠くを眺めた。
彼らがそうしていると、櫓の兵士たちの動きが騒がしくなった。川の上流を見ると、道の遠くに騎馬兵の隊列が見えた。
南部連隊の兵士たちが帰還したのだ。
街の広場では町人総出で帰還兵たちの大歓迎会が行われた。兵士達には酒が振る舞われ、彼らの腕を引っ張り甘い声をかける女の子たちがいた。
広場ではお祭り騒ぎが始まった。屋台の肉や、店から料理が運ばれて、酒盛りが始まった。とうとう酒によった兵士たちが乱痴気騒ぎを始めたのを見て、アイルは段々と気分が悪くなってきた。
もちろんブリスコーの住人が兵を歓迎するのは当然だ。しかし、スホルトもアロンゾも敵に占領されたままだった。スホルトの住人たちは既に皆殺しにされているだろう。
アイルたちはその場を離れた。
アイルが家に戻ると、ネネが家にいた。彼女は家の壁に鏡を立てかけ、見たことのないスカーフを頭にかぶせてポーズを取っていた。よそ行きだろうか。
「どこか出かけるのか?」アイルが訊いた。
「うん、仕事始めたの」ネネが応えた。
「もう?どんな仕事?」
「『キッピス亭』っていう兵舎の隣の酒場で、ウェイターの仕事よ」
「へえ。でも大丈夫なの?酔っ払いに絡まれたりしない?」
「心配しないで。あたしはそんなにか弱い女の子じゃないから」
「ふうん……」
「今日は初仕事だから。早めに出かけなきゃ」ネネはそういうと、荷袋を肩に下げて家を出た。
アイルはアベルとジェイを連れて酒場『キッピス亭』へやってきた。アベル曰く、どこかの言葉で”乾杯”という意味らしい。
中は南部連隊の帰還兵でごった返していた。すでに何人もの酔っ払いが顔を真っ赤にして床に倒れ、おが屑まみれになって床でいびきをかいていた。
「席とれるかな」アイルは言った。
女性のウェイターは、兵士たちには愛想の良い笑顔を向けていたが、アイルたちを見ると笑顔は消え、アイルたちの身なりを上から下までじろじろと見ると、鼻を鳴らして部屋の一番奥を親指で指した。アイル達は便所の隣のカビ臭い小さなカウンターへ案内された。
「なんか便所臭えな」アイルが言った。
「ま、今日はしょうがねえよ。兵士にゆずってやろうぜ」ジェイが言った。
「まあもともと兵士御用達しの酒場っぽいけどね。兵舎の隣だし」アベルが言った。
「そうかね」ジェイは言い、手を上げて大声でウェイターを呼んだ。
ネネが注文を取りに来た。胸の大きく空いた黒いブラウスに白いフリルの付いた、子供っぽいデザインのエプロンを着ていた。短いスカートにの下にはハイソックスに締めつけられた肉厚の白い太ももが弾けていた。
ネネはウインクしながらメニューを手渡すと、猫なで声で言った。
「ご注文はいかがですかあ?」
「……ビール」アイルが頬杖を付きながらぶっきらぼうに言った。
「俺もビールで」アベルが言った。
「じゃあ俺も」ジェイが笑った。「お前不機嫌すぎだろう」
ネネはビールを運ぶと、すぐに他の注文を取りに戻った。店は満員でてんてこ舞いだ。立ち飲みをしている兵士も沢山いた。
ネネはカウンターの奥から出てきて大皿を運んできた。表面に塗られた油がジュウジュウと音を立てている小豚の丸焼きが、玉ねぎや青菜などの上に鎮座していた。酒の匂いが充満している酒場でさえその香ばしい匂いがアイル達の席まで届いてきた。
「これはお店のおごりで~す」ネネは言った。
彼女は皿をテーブルに下ろし、ナイフを手に取り豚の皮に切り込みを入れた。黄金色の皮がはじけ、熱々の脂が肉汁とともに滴り落ちた。
おーっ、と歓声が上がった。
アイル達にはもちろんそんなものを買う金はないので、ただよだれを垂らして肉を眺めているだけだった。
「お姉ちゃん新入りか?いいけつしてんなぁぐへへ」鼻を真っ赤にしたハゲた兵士が目尻を垂らしながらネネの欠をぽんと叩いた。「俺の母ちゃんよりでけえケツ!ぐへへへ」
「あの野郎……」アイルがテーブルから立ち上がろうとしたが、ジェイがその袖を掴んで引っ張った。
「まあまあ。今日ぐらいいいじゃん、大目に見ようぜ」
「……ああ」
しかしネネは大テーブルの兵士達に袖を掴まれると、長々とちょっかいをかけられた。
「姉ちゃんすっげー美人だなあ。おれっちの嫁にならないか」
「姉ちゃん胸でかいね~、そのデカメロンはいくらで買えんのよ。グヘヘ」
「お姉ちゃんのそのピチピチタイツ売ってくださいぃぃ家でシコシコして家宝にしますうううっ」
彼女は次から次へと浴びせらる卑猥な言葉を、軽く笑って受け流していた。
「美人って大変だな」ジェイは言った。
ネネがようやく開放された直後に、となりのテーブルの若い兵士がさらに調子に乗って話しかけてきた。
「お姉ちゃ~ん次は俺と遊ばな~い?このでっかいおしりに俺の」
若造はそう言いながら、テーブルから身を乗り出してネネの尻を指先でつーっと撫でた。ネネは「きゃっ」と叫び声を上げ、愛想笑いしながら若造に振り返った。若造が椅子に座りなおすと、そばに誰かが立っていることに気づいた。
若造が顔をあげると、アイルがそばに立って見下ろしていた。
アイルは兵士の顔面をぶん殴った。
兵士は倒れ、食器がガチャりと音を立てた。他の兵士達は目を丸くし、店は静まり返った。
「てんめぇ」
男はアイルの顔面を殴り返した。そうして取っ組み合いの喧嘩が始まった 。
アベルとジェイは、他の兵士が加勢するかと思い、立ち上がった。しかしそうはならなかった。
「やれぇ!やれぇ!」「殺せええええ!」「いてまええええ!!!」「勝手に俺の女の尻、触るんじゃねええええ!!!!」
周りの兵士たちは兵士達が乗っかり、大声で囃し立てた。
若造の仲間が二人の間に割って入った。
「おいおい、やめろやめろ」彼はそういい強い腕っ節で二人を引き離したが、若造は仲間の後ろから手を伸ばしアイルのアゴをぶん殴った。
アイルは後ろに倒れ椅子に激突した。しかしすぐに身を起こし、その仲間ごとテーブルに突き飛ばした。
若造はつんのめって食器の上に倒れた。スープが飛び散り男の顔にこびりついた。
若造は皿をつかむと、上手投げでアイルに投げつけた。
アイルは頭を逸して避けた。
皿そのままテーブルの間を飛んでいき、喧騒を無視して飯を食っていた兵士の後頭部にぶち当たった。
「ってめ何すんだクソ野郎!!!」
彼は目の前にあったサラダボウルを手に取りアイル達に向かって投げた。
しかしそれは山なりの放物線を描きアイルたちの頭上を飛んでいった。そして部屋の反対側の兵士たちにぶつかった
「テンメェこの野郎!!!」
兵士はお返しに手持ちのビールジョッキを放り投げた。
そしてテーブルの上を跨いで 走り出し、さらにはアイルたちを通り過ぎてサラダを投げた兵士をぶん殴った。
仲間の兵士がそれに応戦した。
そこからはもう大混乱だった。
方方で大立ち回りの喧嘩が始まった。皿が空中を飛び、テーブルが倒され、幾多もの拳が舞った。
アイルと若造は互いに腕を絡め組み合っていたが、ふたりとも後ろから羽交い締めにされて引き剥がされた。
アイルはそのまま店の外に連れ出された。
「触んじゃねえ」アイルは腕を振りほどいた。
「お前、しばらくここ近づくなよ」若い茶髪の兵士がアイルに言った。
「うっせぇ指図すんな」アイルは叫んだ。そして気づいた。「あんた中洲にいたっけ?デインだったか?」
「そうだ」デインが言った。「お前正体バレたら弁償させられるぞ。犯人が見つかんなきゃ騎士団が代わりに弁償するんだからしばらくすっこんどけ」
「チッ」アイルはそう吐き捨てて店の前から去った。
「いや~若いやつらは熱気がすごいね」デインが言った。
「若かったな」ルドルフが言った。二人はもともと南部連隊の一員だったため、補充要員としてすぐに招集がかかり、輜重隊としてラインベルクを上り、そして交代要員とともに今日帰ってきたのだ。
「まあこうやってどんちゃん騒ぎでもしてさ、スカっとして英気を養う。それがいいんじゃないの」
「ああ、そうだな……」ルドルフは浮かない顔をして応えた。
「どうした、元気ないな」デインはそれを見て言った。「なあ、ちょっと歩かないか」
二人は陽の落ちた暗い路地裏を歩いた。表通りはまだ祭りの喧騒に騒がしかったが、路地裏はしんと静まり返り虫の音だけが響いていた。
二人は城壁につながる階段を登り、話しだした。
「なあ、俺たちは、この戦争に勝ってると思うか?」デインは訊いた。
「どうだかな。ネーヴェもパルパットも落とした。南東領域は防御が手薄すぎる」ルドルフは応えた。
「そういえば、オランドの駐屯兵ニ千人を南に移すそうだよ」
「ほんとか?それは心強いな」
「だがすぐに兵を前線まで動かせるわけじゃない。とにかくクワナンの進入路をみつけないと、的はずれな場所に兵士を配置してもしょうがないしな。クワナンは完璧に補給線を隠匿している。それは補給線を隠す事自体は当然なんだろうが、ここまで完全に補給線の隠匿に成功していることが、逆にやつらの補給線が脆弱であることを示唆してると思う」
「隠匿がうまく言っているのは国賊のせいもあるだろう」ルドルフが指摘した。
城壁から草原を眺めているデインたちの顔をそよ風がなでた。この高山地帯の砦は晩夏も過ぎたばかりだというのにもう肌寒かった。晴れた空には幾万の星の光が空一面に瞬いていた。
「なあ、俺も前線に出たい」デインは言った。「あれだけ訓練を積んだ後で輜重隊なんてやってられっか」
「輜重隊も重要だが……」ルドルフ言った。
「俺は前線に出たいんだ。親父みたいに魔物と剣を交えてみたい。そして勇敢に戦って、死にたい……」デインはルドルフを振り返った。「なあ、義勇兵団に参加してみないか。おれ達二人で前線に立とう」
アイルは家に帰った。家はまだ壁の割れ目を埋めただけの補修しかしていなかった。寝室には、床に直接並べた木の板の上に、藁を敷いただけの簡素なベッドがあった。彼はその上に身を投げだした。彼は興奮して寝れず、何度も何度も寝返りを打った。
そして幾度目かの寝返りの後、気配を感じドアを見ると、そこにネネが立っていた。彼女は給仕服を脱ぎ、麻のワンピースだけの無防備な格好で立っていた。
彼女はベッドのそばまで来ると、アイルの顔の真横に尻を置き座った。ワンピースの薄い生地は、彼女の肢体の豊満なラインを隠さなかった。
「お店で助けてくれてありがとね。うれしかったよ」彼女は言った。
「ああ」アイルは応えた。
「でも、あたしはああいうのは平気だから」
「平気なのか」
「平気っていうか、我慢できる。男の人だけに働かせる訳にはいかないし。男は死んでるのに、女はこんなことで泣き事いうわけにはいかないでしょ」
「強いな」
「全然強くないよ、こんなの。村のみんなや、父さんのほうがずっと強い」
「まだ話してなかったな、ヤゴーがどう死んだか」
「うん」
「詳しく話すよ……」アイルはそう言い、ヤゴーの死に様を語った。彼女は黙って聞き、終わり際では鼻をすすっていた。
「じゃあ、父さんは立派に死んだんだね」
「そうだ。王女が生きてるのもヤゴーのおかげだ」
「うん、そうだね」ネネは言った。「……ねえ、今晩一緒に寝ていい?」
「え?」アイルが言葉に詰まっていると、彼女はアイルの真横に身を横たえた。
そして彼女はアイルの頭を抱いた。
彼女の乳房の谷間から乳臭い女の匂いが立ち上ってきた。
アイルは勃起した。心臓が高なり呼吸が早くなった。
アイルは彼女を犯そうと思った。そして彼女の腰に手を回した。
そのとき、ネネの声が聞こえた。彼女はすすり泣いていた。
アイルの陰茎はたちまちしおれた。
彼はそのまま胸に顔をうずめ眠った。




