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風立つ季節に君咲え  作者: 森陰 五十鈴
二の季 倒葵
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26/27

十二、流去川澄

 兼盛(かなもり)の家の玄関には、紫の番傘を携えた汀花(ていか)が立っていた。襲撃に遭った玄門の妖祓いが、頭首に報告したらしい。汀花は顔を顰めながら燈架(とうか)の様相を嘗め回し、手振りで庭を回るように示した。自分は家人に案内を依頼し、家の中を上がっていく。

 彼らは、まだ襲撃のあった部屋に固まって座っていた。顔色を青くし、呆然としていた。


「どうして、あの子は妖なんかに……」


 燈架の印象として、兼盛の連中はまるで話が通じなかった。美弥(みや)があれほど憤りを口にしていたというのに、誰もその想いの一端さえも理解していなかった。

 数回の訪問を通した程度の関係性だが、燈架は兼盛に幻滅せざるを得なかった。


「彼女は、しばし我らが預かりましょう」


 座敷の入口に座し、腕を組んで背を伸ばし。まるでこの家の主人であるかのように堂々とした有り様で兼盛の親子に対峙する汀花に、美弥の父は戸惑い気味に顔を上げる。


「いや、嫁入り前の娘をそちらに預けるわけには……」

「どのみち婚約は白紙でしょう。妖を仕向けるほどの恨みを持つ相手と、今後うまくいくはずもない」


 一同揃って縮こまって項垂れた。揃いも揃ってまだ現状を理解していないように、燈架には見えた。唯一、美弥の元婚約者が顔色を青くしていたので、彼だけはまだ見込みがあるだろうか。約束の相手とは違う女に手を出すようなひとでなしだが、己の愚を理解しない者たちよりは遥かに良いのかもしれない。


「彼は妹君と懇意になさっているようですから、そちらとのお話を進めることをお勧めしますよ」


 皮肉げな汀花の言葉に、美弥の両親は不意を突かれたといわんばかりに下の娘を凝視し、美弥の妹は疲れた表情の中に若干の気色を浮かべて姉の婚約者を見上げていた。その後、婚約者がどういう反応をしたかも、彼らの間でどんな話し合いが行われるかにも興味を持てず、燈架も汀花もそそくさと兼盛の家を辞した。


「人が良い」


 汀花と連れ立った帰途の道中、燈架は溢す。汀花は傘の下で涼し気な顔をしていた。恨めしくなるも、今の燈架には傘も用をなさず、みじめな気分で雨に打たれる。さすがにそろそろ、燈架も身体が冷えてきた。


「妖と関わった相手をどうにかするのも、我らの仕事だろう。それに、沙耶(さや)が気に病む」


 どうやら後者が本音と見えるが、それを茶化す気分にもなれず、燈架は肩を竦めた。疲れも出てきて、黙々と歩く。水浸しの道に水浸しの靴は、普段以上に体力を削ぐ。


「ああ、そうだ。紮烯(さつき)には、衣の話は別口を探しておくと伝えておいてくれ」

「……切り捨てるので?」


 兼盛は玄門の遠縁で、汀花の衣を融通してくれる商家であったが。

 醜く野卑なものを嫌う玄門の頭首は、皮肉げな笑みを漏らす。


「あの婿殿ではな。先は知れるだろうよ」




 汀花と別れ朱門の詰所に戻ると、煌利(こうり)の部屋に、主の他には先に行かせた三人と、熾保(しほ)が居た。狐面を被った奇天烈な志炯(しけい)の姿はない。

 雨の中を歩いた三人は、熾保の計らいだろうか、乾いた服に着替えられている。颯季(さつき)と美弥は、朱袴に。緋坦(ひたん)は、別の一門だからだろうか、袴は履かずに着流し姿だ。

 燈架もまた、この部屋に来るまでに新しい着物に着替えている。薄墨の着流しを濡らした燈架は、朱門らしく朱袴姿に戻っていた。

 煌利の部屋に集められた全員には、白湯が配られていた。服を変えてもまだ冷えていた身体が芯から温められる。


「昨日、帰る前に、あの(ヒト)に声を掛けられたの」


 障子も閉じられた部屋の中で、美弥がようやく経緯を語り始める。(ゆら)を間接的に殺めたことで気を病んでいた彼女だが、兼盛の家から離れたことで重石が一つなくなったのか、湖岸にいたときよりはずいぶんと落ち着いていた。はじめて対面したときのように背筋を伸ばし、強い光の入った目に戻っていた。生来より芯の強い娘なのだ。――彼女の家族はそれに甘えきっていた。


「ずっと抱えていたこの苦しみを、全部ぶつけてしまえば良いと囁かれて……その通りだと思ってしまって」


 それどころか、妖を従えていたことも疑問にさえ思っていなかったらしい。家の者を襲う狗猿が代弁者のようにも感じられた、と美弥は言う。


「正常な判断力を失ってしまっていたのだな。……惑いの力で操られたのだろうか」


 納得したとばかりに緋坦が頷くが、燈架には彼の認識が正しくないように感じられた。まだ〈花守〉の事情を知らないからか。蔭把(かげは)を知らないからか。燈架とて、あの女のことをよく知っているわけではないのだが。

 おそらく、妖を従えていたことに関しては、美弥自身の願望も拍車をかけていたのだろう、と燈架は思う。しかし、飽くまで推測に過ぎなかった。美弥の口からは、それ以上新しい話は出てこなかったからだ。

 緋坦に美弥と牛鬼の関係を改めて説明したところで、一同はまた、揺の喪失の事実に沈んだ。


「美弥さん、ごめんなさい。私たちがもう少し、気持ちを分かってあげられていたら――」


 熾保は項垂れ、消え入りそうな声とともに頭を下げる。直接関わっていないなりに、熾保も責任を感じているようだった。むしろ自分の所為だとも思っているかもしれない。


「いいえ。だって、まだ二回しか会っていないのよ? それなのにこれだけ親身になってくれたこと、本当に嬉しかった」


 彼女のほうが熾保を励ますように、優しくも力強く声を掛ける。とはいえ、彼女の負った傷はやはり深く、その肩はすぐに落ちてしまう。


「……でも、あと少し冷静になれていたら、こんなことにはならなかったのに。あのヒトも死ぬことなんて――」

「押し流して欲しい、と揺さんは言っていました」


 割って入った颯季の言葉に、顔を上げたのは美弥だけではなかった。燈架も、煌利も緋坦も、この中でもっともか弱く見える少年を凝視した。

 颯季は一同の驚きの眼に気付くことなく、まっすぐに美弥を見つめている。


「押し流す……?」

「澱んでいては病む。だから、ときに強引でもその澱みを押し流すべきだ、と。美弥さんもきっと、その時だったんです」


 婚姻話の時点で、彼女の人生は行き詰まっていた。家族の負債をその身に抱え、身動きが取れずにいた。限界だったのは、初対面時の乱れた姿からも充分に察せられた。外からでも内からでも強引に、濁流が岩を動かすように()()()()でもしなければ、彼女はあのまま潰れていたことだろう。


「確かに揺さんは、あの(ヒト)の所為でなくなってしまったけれど……だからこそ、美弥さんは変わるときなんだと思います」


 揺との出逢いと別れは、悲しくはあるが、大きなきっかけとなった。現に彼女は今、兼盛の家から解き放たれている。

 新たな重石を抱えるべきではない、と颯季は説いた。


「……そうね。せっかくあのヒトがくれた機会なのだもの。絶対に無駄にはしない」


 すべてを失った彼女の瞳は清流のように澄み渡り。

 そうして美弥は、玄門のもとで過ごすことになった。

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