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風立つ季節に君咲え  作者: 森陰 五十鈴
二の季 倒葵
16/21

二、内々相談

「それにしても、客人に茶も菓子もないのか。まったく気が利かない」


 唐突に不遜な態度が顔を出し、汀花(ていか)は催促するように畳を掌で叩いた。煌利(こうり)の口の端がひくりと動く。


「そういうお前は図々しいな。突然来ておいて」

「事前に報せを入れただろう」

「半刻で何ができるっていうんだよ」


 再び始まった言葉の応酬に、先ほどからずっと黙り込んでいる黒狐面が空を仰いだ。うんざりしている彼に共感しつつ、燈架(とうか)は腰を浮かせる。


「まあ、もう少し待ってくださいよ。今、買いに行かせて――」


 執り成す燈架を助けるかように、廊下から軽い足音が聞こえだした。小柄な影が閉め切った障子の向こうに差し込み、失礼します、と遠慮がちな少年の声が掛けられる。

 三回に分けて障子が開き、黒い詰襟姿の少年が正座で一礼をした。傍らには、口が折られた紙袋と茶器の載った四角盆がある。


「すみません。お待たせしてしまって」

「気にするな。突然来たのはこちらの方だ」


 恐縮する颯季(さつき)に対し、汀花は人好きのする笑みを浮かべた。颯季を除く朱門の男たちは、汀花に白い目を向ける。

 中に入った颯季によって、男たちに茶と菓子が配られた。朱門に属してから礼儀作法を教わった少年は、辿々しい手付きながらも丁寧に仕事をこなす。汀花が満足そうだったのが、なんとなく癪に障った。

 颯季が燈架の隣に座したところで、汀花は居住まいを正した。


「さて。はじめましてだな。玄門(げんもん)が頭首、汀花という」

「はじめまして。〝紮烯(さつき)〟です」


 颯季の名乗りを聞いた汀花は目を瞬かせ、しばし眉根を寄せて考え込んだ。それから若干の非難を込めて燈架を見る。


「……同じ音にしたのか」


狩名(かりな)』というものが、妖祓いにはある。狩りをする際の名。真の名を隠すための仮の名。二つの意味を併せ持つ。妖はときに霊的な力を操るため、真の名を隠すことで魂を握られることを防ぐ――というのが名目。

 妖祓いとして颯季を迎え入れたことで、彼にもまた狩名を与える必要があった。燈架が颯季と話し合った結果、決まったのが〝紮烯〟。音は同じくして、異なる字を当てたのだ。


緋坦(ひたん)殿の前で何度か呼んでしまったので」


 燈架は苦笑いする。颯季の字だけ変えた名付けにした理由の一つが、これだった。朱門の中では既に颯季で通り、外部にも知れている。妖側も、颯季の名を呼んでいる。少年に(まじな)いは、もはや無意味だった。

 それでも字を変えたのは、形式に一応則ったことと――


「ずいぶんと迂闊じゃないか、灯知佳(ともちか)よ」

「虐めないでくださいよ、(みぎわ)さん」


 汀花の悪ふざけに、一同いい加減うんざりしたところで。汀花の用向きの筋を颯季にも伝えた。正座姿で真剣に話を聴いていた颯季は、〈花守〉がらみと知って眉を垂らし、助けを求めるように燈架を見上げた。


「あの……僕、さっきその妖に会いました」

「何?」

「〈花守〉のよしみで、相談に乗って欲しいと言われて。人間の娘さんを励ましたいのだけれど、どうすればいいのか、と」


 誰もが困惑し、この場にいる全員がそうであることを、顔色を見て確かめた。その〈花守〉の妖の相談事が、あまりにも人間味溢れたものだったので。


「励ます?」


 人に取り憑き悪さをしている、というのが、汀花の聞いた話であったが。


「その(ひと)は、結婚相手のことで悩んでいるらしく。何度か話を聴いているそうなのですけれど、自分にできることが思いつかないからって」


 だから、同じ〈花守〉であるが故に気安く、人間でもある颯季に頼った。そこは理解できる。できるが。


「それは……なんとも親身な妖だな」


 颯季の語る牛鬼は、汀花の持ち込んだ話とまるで結びつかない。そもそも、牛鬼が人に取り憑いているというのも奇妙な話で。

 妖が人間の人生相談に乗っていること、相談する娘がいることも、また奇怪で。

 双方の話で唯一共通しているのは、〝婚前の娘が妖と関わっている〟という点だけだ。


「まあ、良い。その件も含めて、話を聞いてみようではないか」


 膝を叩き、汀花は立ち上がる。眼差しだけで急かされて、燈架もまた立ち上がった。

 雨の中に出掛けるのは、あまり気が進まない。火の気質を持つ燈架は、湿ったこの季節が得意ではなかった。




 その家は、兼盛(かなもり)という。現在は織物の問屋を営んでいるが、先祖を辿れば玄門に行き着くらしく、血筋もあって古くから懇意にしていたらしい。汀花の直衣(のうし)も、兼盛の扱う生地から仕立て上げられたものであるらしい。


「良ければ、紮烯の衣も融通してもらうよう、頼んでみよう」

「え? ……そんな、申し訳ないですよ」

「遠慮はするな。朱門の輩に任せていては、野蛮で粗野になるばかりだからな。こういうのは、まだ染まっていない今のうちに仕込んでおかなければ」

「さりげなく我々を貶めるのはやめてくれませんかね」


 とまあ、そんな汀花が懇意にしているだけあって、兼盛の邸は大きなものだった。白漆喰で塗り固められた白壁の塀に周囲を囲わせ、入口には切妻屋根の棟門を置いている。引き戸を開け、石畳を渡って玄関で声を掛けると、無地の着物に前掛けをした使用人が三人を出迎えた。

 よく磨かれた光沢のある床を渡り、緑の畳の間に案内される。見るからに重そうな黒檀の座卓に、白髪混じりの髪を結い上げた婦人が着いていた。


「これは御頭首、よくいらっしゃいました」


 兼盛の当主の妻みつえは、畳に手を付いて深く叩頭する。


「いやいや。訪問が遅くなったこと、お詫びさせてもらうよ」


 鷹揚に頷いた汀花は畳に踏み入り、それから障子の向こうで待つ燈架と颯季を示した。


「こちらは朱門の者たちだ。万が一荒事になった際、役に立つかと思って連れてきた」

「左様でございましたか」


 みつえは、直ちに使用人に追加の座布団を用意させた。上座に着いた汀花に連なるように座る。真新しい畳と、顔が映りそうなほど艷やかな座卓に、颯季はすっかり臆しているらしく臙脂の座布団の上で縮こまっていた。配られた湯呑にさえ、手を伸ばすこともできない様子だ。励まそうと燈架が軽く背を叩くと、上から引っ張られたように背筋を伸ばし、かえって身を固まらせてしまった。こうなっては、放っておくしかあるまい。


「さて、此度のこと」


 燈架たちのことを他所に、汀花が切り出した。腕を組んだ、客人とは思えぬほどの尊大な振る舞いに、燈架は呆れる。とはいえ、妖祓いの五家の頭首ともなると、家格はそれなりに高い。兼盛の女主人も汀花の態度への不満を見せなかった。


「聞いたところによると、確か長女の――」

「はい。美弥(みや)についてでございます」


 それこそ、梅霖(ばいりん)の初めのことである。雨季の訪れに伴って、その娘美弥は塞ぎ込むようになったそうだ。部屋の中に閉じ籠もり、かと思えば、雨の中でも構わずふらりと外に出ることもあり。どちらにしても変わらず、思い詰めた表情をしていたとのこと。


「そこで、使用人に見張らせたのです」


 ふらりと出掛けた美弥を密かに追わせた。美弥は明都の中心の湖の南東の岸まで下りていき、立葵の繁る中で誰かを待っているようだった。そこに現れたのが――


「……牛鬼、か」


 まるで恋人の逢瀬のようであった、とみつえは報告を受けたのだという。一つの傘の下で、こそこそと話し込んでいたようであった、と。


「何を話していたのだろう?」

「……分かりません。問い詰めたら気色ばんで、いっそう部屋に籠もるようになってしまって……」


 最近では、食事の時にさえ顔を出すこともなくなったそうだ。それこそ家の者すべてを拒むほどであるという。


「明るかったあの子が、あれほど人が変わったように……だから、あの妖に何かされているのではないか、と。もしかしたら取り憑かれている可能性もあるのではないかと思って、ご相談した限りです」

「ふむ。……なるほど」


 汀花がこちらに視線を向ける。続くように、燈架も颯季に目を向けた。先程、朱門で颯季が語った話。牛鬼に寄せられた娘の人生相談こそ、その内緒話の中身なのではないだろうか。

 とはいえ、それをそのまま母親に告げるわけにもいくまい。燈架はみつえに切り出した。


「美弥殿と、お話させてはいただけないだろうか」


 みつえは、眉間を寄せて頬に手を当てた。


「私は構いません。でも、あの子が部屋から出てくるかどうか……」


 縋りたい気持ちと無駄だった時の失望の予感に、悩んでいるようであったが、そこに敢えて燈架は踏み込んだ。


「襖越しでも構いませんよ。ひとまず、我々が力になれることを伝えたいのでね」


 妖に相談するほど思い詰めている娘がいるのだ。多少なり強引に物事を進めるべきだろう、と燈架は判断した。

 それに、本当に結婚相手に悩んでいるのなら――家族よりも部外者のほうが、彼女だって話しやすいだろう。

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