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風立つ季節に君咲え  作者: 森陰 五十鈴
二の季 倒葵
17/22

三、婚前憂鬱

颯季(さつき)、任せる」

「でも、何を言えば?」

「まずは牛鬼に会ったことを伝えろ。反応次第では、牛鬼の敵ではないことを伝えるんだ」


 とにかく自分たちが味方であることを訴える必要がある、と燈架(とうか)は思っている。


 苔生す石が見える中庭に面した廊下。固く閉ざされた障子越しに母親が美弥(みや)に燈架たちの訪いを告げた。返事はない。困り果てたみつえを、汀花(ていか)が宥めて下がらせた。

 今、嫁入り前の娘の部屋の前に男が三人というあまり外聞のよろしくない状況だ。しかし、このほうが燈架たちには都合が良い。おそらく娘にとっても。

 颯季が障子の前に膝を着く。燈架と汀花は少し離れたところで様子を見守ることにした。


「あの、はじめまして、美弥さん。僕は紮烯(さつき)と言います」


 雨に紛れてしまいそうな声に、返事はない。


「その……(ゆら)さんに会って」

「……揺?」

「最近あなたとお話している、妖です。牛の頭の……あなたに、傘を貸したという」


 障子が少しだけ開いた。颯季が顔を上げ、隙間を凝視する。おそらく美弥がそこから覗いているのだろう。


「あなた、妖祓いだ、と」


 問い詰める娘の声は、思いの外はっきりとしていた。妖に惑わされ、気を病んでいるとは思えない。


「そうです。でも、むやみに祓うわけじゃありません。揺さんも、僕の育ててくれたヒトの知り合いで、その縁でお話を聞いて」


 少し間が開いた。雨音の支配する沈黙の中に、様子を窺う気配がした。


「そこにいる、他の方たちは?」

「相手が妖だからと、いきなり酷いことをする人ではありません。僕たちを助けてくれました」


 燈架は苦笑した。最終的にはそうなったが、燈架は惟織(いおり)が九尾の狐と知ったときは、刀を向けていた。それは『いきなり酷いこと』に当てはまると思うのだが、颯季は忘れてしまったのだろうか。

 だが、余計なことを口にする必要はないだろう。黙っていると、障子戸がさらに開かれた。美弥の顔が覗く。長い髪は櫛の入れられた様子がなく、方々に乱れていたが、意外にもそれ以外はきちんとしていた。着物はしっかりと着られ、眼差しには強い意志が宿っている。

 美弥は頭だけ隙間から出すと、左右に首を捻り廊下を確認した。燈架たちに一度目を留め見分したあと、緊張した様子の颯季を見上げる。


「……入って。ただし、家の人には何も教えないと約束して」


 颯季が燈架を窺う。燈架は頷き、汀花に目配せした。


「私は廊下に残ろう。見張りが必要だろう」


 ただし聞き耳は立てさせてもらう、と汀花は告げる。美弥はそれに承諾し、燈架と颯季は部屋に入った。

 部屋の中はじめついた影が落ちていたが、娘と同じでそれなりに整理されていた。布団は部屋の隅に畳まれているし、畳の上に(ごみ)も見当たらない。桐の箪笥も、鏡台の上も片付けられている。

 美弥は部屋の真ん中に座し、颯季と燈架は並んで向かいに座った。美弥は藍の着物の背筋をしっかりと伸ばし、落ち着いた様子で二人を見据えた。多少の警戒心はやむなしといったところか。そのような賢明な娘であるほうが、燈架としても安心できる。


「あのヒトは、無事?」


 詰問に、颯季はいささか面食らったようだったが、すぐに牛鬼のことと気が付き頷いた。


「ええ。街の中を歩いてて。……傘を差してはいましたけど」

「危ないから明都(あきと)から出たほうが良いって、言ってるんだけど」


 美弥は、聞き分けのない子どもに呆れるような溜め息を溢した。ここまでの様子を見ても、とても妖に縋るような娘に見えなかった。


「……私ね、今度結婚するの」

「聞いています。そのことでお悩みだとか」

兼盛(かなもり)の商いの都合でできた婚約者。別にそのことは良いの。ずっとそうなると思っていたし、他に想う相手がいるわけでもないし。……でもね」


 またしても、溜め息。今度は憂鬱そうな。


「その人、妹とも懇意にしているみたいなの」


 颯季は目を瞬かせ、燈架は唖然としかけたのを必死で取り繕った。

 燈架たちの反応をどう見たのか、美弥は鼻で笑い飛ばす。


「陳腐な話よ。でも、まさか自分に降りかかってくると思わなかった。美智(みち)のことが好きなら、私じゃなくてそっちと結婚すれば良いのに――でもあの人、何も言ってこないの。なんでだろうって思っている間に、準備がどんどん進んで……もう、戻れないところまで来てしまった」

「……それを牛鬼に話したのか?」

「心配してくれたから、つい甘えてしまって」


 燈架は喉の奥で唸った。そりゃあ、牛鬼とて悩むだろう。誰かに相談したくなるのも理解できる。相談相手が颯季のような()()()なのはどうかと思うが。

 美弥は牛鬼との出逢いを語った。

 梅霖のはじめ、まさにこの家で婚約者と妹が想いを確かめ合っているのを見てしまった美弥は、衝撃のあまり家を飛び出した。雨の中にもかかわらず、傘を持たず、裸足で外を駆け――そのまま草地まで行ったそうだ。

 そこで立ち尽くし、なんとか冷静になろうと雨に打たれていたところに、声を掛けられた。傘で必死に頭を隠していたその者が牛の頭を持つことは、すぐに発覚したそうだ。


「悪いヒトではないのは、目を見て分かった。牛の顔で、何を考えているかは分からないけど。真っ直ぐで、純粋な目で」


 真剣な顔で、夢見る乙女なことを言う美弥を、燈架は止めざるを得なかった。


「人間と妖では価値観が違いますよ。悪意なく貴女に危害を与える可能性も捨てきれない」

「そうかもしれません。……それでも、今の私には救いだった。独りで抱えるのは苦しくて」


 藁にも縋りたい想いを、それこそ美弥はしていたのかもしれない。今こうして落ち着いているのも、もしかすると牛鬼に話を聴いてもらっていたからか。


「一応訊きますけれども、彼に襲わせようと考えたりはしてませんよね?」


 颯季が弾かれたように顔を上げ、視線だけで燈架を非難する。


「え? まさか、そんなこと……」


 心外だ、とばかりに顔を顰められ。しばらく堪える表情をしていた美弥は、やがてゆるゆると頭を振った。


「そんなことさせられません。良いヒトなんです、本当に」


 相談に乗ってもらっていることさえ申し訳なく感じているような。そんな謙虚ともいえる様子を見て、燈架は胸を撫で下ろした。美弥の様子、牛鬼の様子からして、妖祓いが剣を抜くような事態になることはないだろう。燈架としては、それが一番の気懸かりだった。

 燈架は美弥に頭を下げた。


「失礼を申し訳ない。牛鬼の件は、こちらでどうにかします。貴女は何かあったら、我々に声をかけてください。ただ、お家のことは……」


 さすがに婚姻については、お節介はできない。汀花であっても口出しできないはずだ。


「分かっています」


 美弥もはじめから、この件に関して燈架たちに期待はしていなかったようだった。頷くとき、憂鬱そうではあったが。

 燈架たちは部屋を辞した。汀花に目配せして、美弥の部屋の前から離れる。

 廊下をある程度進み、ひとけのない影の落ちる角で、燈架は汀花相手に溢した。


「俺たちの出る幕ですかね?」

「畑違いだな」


 汀花は直衣(のうし)の袖の下に手を差し込み、肩を竦めた。


「妖が関わったことで、家の問題がよりややこしいことになってしまったようだな」

「たぶん親切心だと思うんですけど……」


 颯季が牛鬼を庇う。燈架としても、それに異論はない。敢えて誰かを責めるのであれば、不誠実な婚約者こそ(なじ)ってやりたいとも思う。

 ……が、これは家の問題だ。部外者が喧しくできることではない。


「我々にできるのは、牛鬼の説得だな。紮烯くんが適任だろう」


 牛鬼のほうから相談を持ち掛けてきたことであるし、颯季は同じ〈花守〉でもある。ときに妖の敵となるただの妖祓いより良いだろう。……本人は、不安そうだが。


「彼女に関しては、()け口を用意してあげると良いかもな」


 愚痴を溢せる相手。可能であれば、相談できるような友人をあてがうのが良いだろう、という。


朱門(うち)で適任なのは熾保(しほ)くらいだが……」


 朱門(しゅもん)は男所帯に近い。妙齢の女は、彼女しか居なかった。


「こちらはちょうど妹が来ている。護衛や目付け役としては適任だろう」


 汀花の妹は、お転婆娘だ。妖祓いとしても腕が立つ。護衛としても十分だ。明都に滞在する兄と違い、彼女は北の玄門(げんもん)(さと)で暮らしていたはずだが……そうか、こちらに来ていたか。

 何にせよ方針が決まった。あとは汀花から兼盛に提案して貰えば良い。


「家に居ても鬱屈するばかりだろう。茶でも飲みに行かせるか」


 燈架は、その光景を想像する。しっかり者だが愚痴を溢したい状況にある美弥と、朗らかだがお節介な熾保と、お転婆な汀花の妹と。


「女三人、姦しい……てね」


 微笑ましくも巻き込まれたくない女同士の歓談の妄想(ようす)を思わず評すると。


「本当に花の愛で方を知らん奴らだな、お前たちは。そういうところが野蛮で粗野だと言っているんだ」


 雅人(がじん)を名乗る汀花は、ずいぶんと気取ったことを言うので、燈架としては面白くなかった。

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