午前四時の海
前書き
夜って、
少しだけ人を正直にする。
昼間なら笑って誤魔化せることも、
深夜の帰り道では急に胸へ刺さったりする。
今回は、
“止まっていたもの”が、
少しだけ動き始める話です。
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Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第8話
午前四時の海
午前三時五十分。
新子安の湾岸は、夜と朝の境目みたいな色をしていた。
黒瀬悠は、運河沿いの自販機の前に座り込んでいた。
隣にはメアリー。
足元には飲みかけの氷結。
対岸では工場の灯りが水面に滲み、遠くの煙突に赤い航空障害灯が点滅している。
ときおり、大型車の走る低い音が聞こえてくる。
眠れなかった。
ここ最近ずっとそうだ。
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「ねぇ」
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メアリーが海を見ながら呟く。
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「横浜の海って黒いね」
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「夜だからだろ」
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「富山の海もっと青かった」
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「昼ならここも青い」
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「でもなんか違うちゃ」
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メアリーは膝を抱えた。
風で金髪が揺れる。
その姿は、
昔より少し大人っぽく見えた。
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「……悠ちゃん」
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「ん」
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「最近ちょっと元気なった」
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「気のせい」
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「またそれ」
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メアリーは笑う。
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「でも前より死にそうな顔してない」
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悠は黙った。
昔から、
メアリーはこういうことを普通に言う。
遠慮がない。
でも悪意もない。
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「……お前さ」
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「ん?」
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「なんで戻ってきたんだろうな」
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メアリーは少し考える。
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「わからん」
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「でも」
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「会いたかった」
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その言葉が、
夜風より静かに胸へ落ちた。
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その時だった。
後ろからバイク音が近づいてくる。
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「うわマジでいた」
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レイだった。
スカジャン姿のまま、
コンビニ袋を片手に歩いてくる。
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「お前ら老人かよ」
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「こんな時間に海とか」
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「……お前も来てんじゃん」
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「眠れねーんだよ」
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レイは隣へ座った。
缶コーヒーを開ける。
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「ほら」
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「……サンキュ」
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「今日だけな」
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メアリーは嬉しそうにレイを見ていた。
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「レイちゃんやっぱ優しい」
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「怖い顔しとるけど」
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悠は少しだけ吹き出す。
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「なに笑ってんの」
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「……別に」
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「はい禁止ワード」
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レイは笑いながら氷結を奪った。
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「うわ甘っ」
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「お前よくこんなん飲めるな」
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「安いから」
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「終わってんな人生」
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「うるせ」
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三人分の笑い声が、
夜明け前の海へ溶けていく。
その瞬間だった。
悠はふと思った。
あぁ。
昔もこんな感じだったな、と。
海鳴町。
夏休み。
深夜の海。
コンビニ。
将来の話。
何者にもなれていないのに、
何にでもなれると思っていた頃。
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「……なぁ悠」
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レイがぽつりと呟く。
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「お前さ」
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「最近ちょっとだけ戻ったよな」
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「は?」
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「前ずっと死んだ魚みたいだったし」
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「失礼だな」
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「事実じゃん」
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レイは缶コーヒーを見つめる。
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「正直さ」
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「ちょっと安心してる」
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悠は黙る。
レイはこういう時、
真面目な顔をする。
だから苦手だった。
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「お前、なんか」
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「そのまま消えそうだったし」
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風が吹く。
波の音。
遠くでトラックが走る。
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「……そんな顔してた?」
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「してた」
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「ずっと」
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レイは笑わなかった。
悠は視線を海へ逃がす。
何も言えなかった。
図星だったから。
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「でもまぁ」
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レイが立ち上がる。
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「ちょっとマシになったなら良かったわ」
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「……どした急に」
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「別にー」
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レイは照れ隠しみたいに笑った。
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「朝になったら仕事だし帰る」
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「だる」
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「お前も働け」
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「……考えとく」
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「それ絶対行かないやつ」
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レイはヘルメットを被る。
エンジン音。
赤いテールランプ。
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「また連絡する」
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「おう」
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「死ぬなよ」
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「誰が」
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「お前」
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レイは笑って走り去った。
静けさだけが残る。
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「レイちゃん優しいねぇ」
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「……まぁ」
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「昔っから悠ちゃんのこと好きやもん」
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悠の動きが止まる。
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「は?」
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「え?」
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メアリーも固まる。
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「……あれ?」
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「なんで私こんなこと言ったんやろ」
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悠は黙った。
メアリー自身も、
少し驚いた顔をしている。
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「……なんか変」
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メアリーは自分の胸元を押さえる。
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「最近さ」
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「時々、自分じゃないみたいになる」
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夜明け前の風が吹いた。
空が少しだけ白くなり始める。
悠はその横顔を見ながら、
胸の奥に小さな不安が広がっていくのを感じていた。
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後書き
第8話でした。
今回は、
「止まっていた時間が少し動き始める」
回です。
悠だけじゃなく、
レイもまた、
過去に囚われた側の人間なんですよね。
そしてメアリーの中でも、
少しずつ“違和感”が大きくなり始めています。
ただまだ、
誰も“死”を直視していません。
だからこそ、
今の時間が少し切ない。
ではまた次回。




