朝の海
第80話 朝の海
十二年前。
行くはずだった場所がある。
祭りが終わったら。
みんなで。
できれば。
二人で。
けれど。
あの日。
そこまで。
辿り着くことはなかった。
だから。
十二年後の朝。
二人は。
ようやく。
その続きを歩く。
⸻
午前六時〇二分
海鳴町。
黒瀬悠の部屋。
スマートフォンが。
震える。
一回。
二回。
三回。
悠。
布団の中。
動かない。
四回目。
画面。
点灯。
『起きて。』
数秒。
『六時です。』
さらに。
『約束。』
悠。
目を閉じたまま。
スマートフォンを掴む。
「……六時十五分って。」
掠れた声。
返事。
ない。
代わりに。
また。
震える。
『六時。』
悠。
目を開ける。
「鬼。」
画面。
すぐに。
『幽霊です』
悠。
天井を見る。
「……昨日も聞いた。」
ベッドの横。
誰もいない。
カーテンの隙間から。
朝の光。
悠。
起き上がる。
スマートフォン。
もう一度。
震える。
『海。』
少し間。
『行こ。』
悠。
その文字を。
しばらく。
見る。
「……はいはい。」
立ち上がる。
「行きますよ。」
⸻
午前六時二十一分
海鳴町。
住宅街。
夏の朝。
まだ。
町は。
完全には起きていない。
遠くで。
新聞配達のバイク。
蝉。
箒で。
家の前を掃く音。
昨夜。
祭りで埋まっていた道。
今は。
静か。
悠。
自転車を押して歩く。
その隣。
メアリー。
「遅い。」
「起きた。」
「二十一分遅刻。」
「六時に起きろとは言われた。」
「六時に海。」
「聞いてない。」
メアリー。
頬を膨らませる。
「屁理屈。」
「十二年待ったんだから。」
「二十分くらい待てるだろ。」
メアリー。
一瞬。
黙る。
悠。
しまった。
という顔。
けれど。
メアリー。
笑う。
「それ。」
「ずるい。」
「……悪い。」
「ううん。」
歩く。
二人。
昨夜とは違う道。
屋台。
片付けられている。
提灯。
まだ。
いくつか残っている。
道路の端。
祭りの紙くず。
昨日。
あれほど。
人がいた場所。
もう。
普通の朝へ。
戻り始めている。
メアリー。
「終わったね。」
悠。
「祭り?」
「うん。」
少し考える。
「でも。」
「ちゃんと。」
「最後まであった。」
悠。
「今年はな。」
「うん。」
メアリー。
笑う。
「今年は。」
⸻
午前六時三十四分
海鳴町。
海岸通り。
潮の匂い。
強くなる。
防波堤の向こう。
朝の海。
青。
昨夜の花火も。
人混みも。
何もない。
ただ。
波。
悠。
自転車を止める。
メアリー。
先に。
砂浜へ。
走る。
「悠ちゃん!」
振り返る。
「早く!」
悠。
「朝から元気だな。」
「十七歳やもん。」
「俺、二十九なんだけど。」
「おじさん。」
「帰るぞ。」
「待って待って。」
笑う。
メアリー。
砂浜を。
歩く。
足跡。
残らない。
悠の足跡だけ。
二つ。
三つ。
続く。
その横を。
何も残さず。
少女が歩く。
悠。
それを見る。
メアリー。
気づく。
「何?」
「いや。」
「……何でもない。」
「嘘。」
「何でもない。」
メアリー。
悠の足跡の上へ。
自分の足を。
重ねるように。
歩く。
当然。
何も。
残らない。
「これなら。」
悠。
「何が。」
「一緒。」
悠。
見る。
一本だけの。
足跡。
その上を。
メアリーが。
歩いている。
「……そうだな。」
⸻
午前六時四十一分
波打ち際。
メアリー。
海を見る。
長い金髪。
朝の風。
揺れる。
「ここ。」
悠。
「ん?」
「来たかった。」
悠。
隣に立つ。
「十二年前?」
「うん。」
メアリー。
少し。
首を傾げる。
「たぶん。」
「たぶん?」
「昨日から。」
「いっぱい。」
「思い出す。」
胸に。
手。
「全部じゃないけど。」
「祭り。」
「花火。」
「みんな。」
「それから。」
悠を見る。
「海。」
悠。
黙る。
メアリー。
「祭りが終わったら。」
「来ようって。」
「思ってた。」
「みんなで?」
メアリー。
一拍。
「……うん。」
目。
逸らす。
悠。
「今、間があった。」
「ない。」
「あった。」
「ない。」
「二人だった?」
メアリー。
「知らん。」
「絶対そうだろ。」
「知らんもん。」
「顔赤いぞ。」
「朝日。」
「まだそんな強くない。」
メアリー。
悠の肩を。
叩こうとする。
手。
すり抜ける。
二人。
止まる。
一瞬。
静かになる。
波。
寄せる。
引く。
メアリー。
自分の手を見る。
「……まだ。」
「こうなんやね。」
悠。
「ああ。」
「昨日。」
「いっぱい。」
「普通だったから。」
「忘れそうになった。」
悠。
何も。
言わない。
メアリー。
笑う。
少しだけ。
寂しく。
「私。」
「死んどるんやった。」
悠。
顔をしかめる。
「朝から言うなよ。」
「朝だから。」
「何で。」
「夜だと。」
「怖いから。」
その言葉に。
悠。
メアリーを見る。
少女は。
海を見ている。
⸻
午前六時四十八分
二人。
防波堤。
腰を下ろす。
悠。
自販機で買った。
缶コーヒー。
メアリー。
横から。
覗く。
「苦いやつ。」
「朝だから。」
「昔。」
「コーヒー飲めんかったのに。」
「十二年経った。」
「そっか。」
メアリー。
膝を抱える。
「十二年。」
波。
「悠ちゃん。」
「ん。」
「私。」
少し。
間。
「このあと。」
悠の手。
止まる。
缶。
口元まで。
上がらない。
メアリー。
続ける。
「どうなるんかな。」
悠。
海を見る。
答え。
出ない。
「……分からない。」
「うん。」
「昨日。」
「時計は動いた。」
「みんな帰ってきた。」
「瀬川さんも。」
「行った。」
「ヨルも。」
「残った。」
「うん。」
メアリー。
自分の手。
朝日に。
かざす。
透けている。
ようにも。
普通に見える。
ようにも。
「私は。」
「どっちなんかな。」
悠。
「残る方でいいだろ。」
すぐに。
言う。
メアリー。
悠を見る。
悠。
「何。」
「それ。」
「悠ちゃんが。」
「決めることじゃない。」
「分かってる。」
「じゃあ。」
「分かってるけど。」
悠。
缶を。
握る。
「残れよ。」
メアリー。
黙る。
悠。
「今さら。」
「全部終わりました。」
「はい、さよなら。」
「そんなの。」
「納得できるかよ。」
メアリー。
小さく。
「うん。」
「俺は。」
「十二年。」
言葉。
止まる。
違う。
十二年間。
待っていた。
とは。
言えない。
忘れていた。
逃げていた。
止まっていた。
それでも。
「……やっと。」
悠。
続ける。
「やっと。」
「会えたんだ。」
メアリー。
目を伏せる。
「うん。」
悠。
「だから。」
「まだ。」
「いてくれ。」
波。
少し。
大きく。
崩れる。
メアリー。
「私も。」
声。
小さい。
「いたい。」
悠。
見る。
メアリー。
泣いていない。
でも。
泣きそう。
「昨日。」
「楽しかった。」
「みんな。」
「バカみたいに。」
「騒いで。」
「透。」
「ご飯いっぱい食べさせられて。」
悠。
「蓮に。」
「うん。」
「春人先輩。」
「十二年遅れで。」
「花くれて。」
悠。
「ヘタレ。」
「ヘタレ。」
二人。
笑う。
「圭介。」
「金魚。」
「下手すぎ。」
「一秒だったな。」
「一秒。」
また。
笑う。
メアリー。
「もっと。」
「したい。」
悠。
「すればいい。」
「来年も祭り行って。」
「海来て。」
「飯は。」
「匂いだけだけど。」
メアリー。
「それは改善してほしい。」
「俺に言うな。」
「幽霊担当の病院とかないん?」
「知らん。」
「榊原さんに聞く?」
「怒られるぞ。」
メアリー。
笑う。
けれど。
笑い。
ゆっくり。
消える。
「でも。」
「もし。」
「今日。」
悠。
顔を上げる。
メアリー。
言い直す。
「もし。」
「もうすぐ。」
「私が。」
「いなくなるなら。」
悠。
「言うな。」
「聞いて。」
「嫌だ。」
「悠ちゃん。」
「嫌だ。」
子どもみたいに。
悠。
言う。
メアリー。
しばらく。
黙る。
「私も。」
「嫌。」
その一言で。
悠。
黙る。
「怖い。」
メアリー。
「昨日までは。」
「事件があった。」
「みんなを帰さなきゃって。」
「先生を見つけなきゃって。」
「誰が何したか。」
「何が起きたか。」
「ずっと。」
「次があった。」
悠。
聞く。
「でも。」
「終わった。」
「だから。」
胸。
押さえる。
「初めて。」
「考えた。」
「私。」
「このあと。」
「どうなるんやろって。」
悠。
何も。
言えない。
「消えるのか。」
「残るのか。」
「どこかに行くのか。」
「分からん。」
「ヨルも。」
「たぶん。」
「分からんと思う。」
悠。
「……聞いてみるか。」
メアリー。
首を振る。
「いい。」
「何で。」
「答え。」
「先に知るの。」
「怖い。」
悠。
「知らないのも怖いだろ。」
「うん。」
メアリー。
笑う。
「どっちも怖い。」
⸻
午前七時〇六分
朝日。
少し。
高くなる。
釣り人。
遠く。
犬の散歩。
ランニングする人。
普通の。
朝。
誰も。
二人を。
気にしない。
正確には。
悠しか。
見えていない。
メアリー。
「ねぇ。」
「ん。」
「今日。」
「どうする?」
悠。
「今日?」
「うん。」
「事件。」
「終わったんやろ。」
「警察のことは。」
「榊原さんたちがやる。」
「時計台も。」
「もう。」
「動いてる。」
悠。
「そうだな。」
「じゃあ。」
「私たち。」
「何するん?」
悠。
考える。
それは。
とても。
難しい質問だった。
世界を救う必要もない。
誰かを探す必要もない。
時間を戻す必要もない。
ただ。
今日を。
使えばいい。
悠。
「飯。」
メアリー。
「また?」
「朝飯。」
「大事だろ。」
「そのあと。」
「寝る。」
「寝るん!?」
「六時に起こされたから。」
「せっかく早起きしたのに!」
「じゃあ何するんだよ。」
メアリー。
考える。
「……分からん。」
悠。
笑う。
「同じじゃねえか。」
「だって。」
「十二年ぶりやもん。」
「何が。」
「予定のない日。」
悠。
笑い。
止まる。
そうだった。
彼女たちには。
十二年間。
明日がなかった。
予定。
というものが。
なかった。
「じゃあ。」
悠。
立つ。
「決めればいい。」
メアリー。
「今から?」
「今から。」
「何でも?」
「犯罪以外。」
「榊原さん怖いもんね。」
「そこ?」
メアリー。
立ち上がる。
海を見る。
「じゃあ。」
「私。」
「行きたいとこ。」
「ある。」
悠。
「どこ。」
メアリー。
答えようとして。
止まる。
遠く。
町の方。
その向こう。
見えない場所。
見る。
「学校。」
悠。
「学校?」
「うん。」
メアリー。
「海鳴高校。」
悠。
眉を寄せる。
「何で。」
メアリー。
しばらく。
考える。
「昨日。」
「みんな。」
「帰ってきた。」
「圭介も。」
「紗季も。」
「春人先輩も。」
「蓮も。」
「直哉も。」
「でも。」
「十二年前の私たち。」
「まだ。」
「途中な気がする。」
悠。
「途中。」
「うん。」
メアリー。
少し。
笑う。
「私たち。」
「学校。」
「ちゃんと。」
「終わってない。」
悠。
彼女を見る。
「卒業式でもする気か。」
メアリー。
目。
丸くする。
そして。
笑う。
「それ。」
「いい。」
「いや。」
「冗談。」
「いい!」
「待て。」
「行こ。」
「誰が許可するんだよ。」
「校長先生。」
「今から?」
「お願いする。」
「何て。」
メアリー。
胸を張る。
「十二年遅刻しました。」
悠。
吹き出す。
「怒られるぞ。」
「十二年くらい。」
「許してくれるかも。」
「どんな校長だよ。」
メアリー。
歩き出す。
海から。
町へ。
悠。
その背中を見る。
足跡は。
やっぱり。
残らない。
それでも。
今は。
追いかけられる。
「メアリー。」
少女。
振り返る。
「何?」
悠。
一瞬。
何かを。
言いかける。
好きだった。
今も。
たぶん。
ずっと。
けれど。
まだ。
言葉に。
できない。
「……何でもない。」
メアリー。
怪しそうに。
見る。
「またそれ。」
「行くぞ。」
「逃げた。」
「朝飯食ってからな。」
「学校が先。」
「飯。」
「学校。」
「飯。」
「学校!」
二人。
歩く。
十二年前。
行けなかった海から。
十二年前。
終われなかった学校へ。
朝。
七時十二分。
海鳴町。
今日という日が。
始まっていた。
⸻
第80話「朝の海」 了
次回 第81話
十二年前。
卒業できなかった生徒たち。
帰ってきた者。
歳を重ねた者。
そして。
もう。
卒業証書を受け取れない者。
海鳴高校で。
十二年遅れの。
「卒業式」が始まる。




