六時十分
Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第75話
六時十分
前書き
一分は短い。
でも。
その一分を、
十二年間待っていた人がいる。
八年間待っていた人がいる。
帰れなかった人。
帰る場所を忘れた人。
名前を忘れられた人。
そして。
ずっと、
「帰ってこい」と言われるのを、
待っていた人。
⸻
午後六時十分。
その瞬間。
時計台の鐘が鳴った。
ゴォォォォン――。
一度。
空気そのものが震えた。
悠の身体を、低い振動が突き抜けていく。
胸。
骨。
鼓膜。
まるで塔そのものが、
十二年間溜め込んできた何かを、
一気に吐き出したようだった。
窓の向こう。
いや。
窓ではない。
その先に広がっていたのは、
海鳴町だった。
ただし。
今、自分たちがいる町ではない。
空は夕焼け。
太陽は西の海へ沈む寸前で止まり、
町全体が橙色の光に染められている。
人はいない。
車も。
自転車も。
祭りの屋台もある。
提灯もある。
けれど。
誰もいない。
時間だけが、
あの日の夕方に固定されている。
そして。
時計台広場。
そこに。
彼らが立っていた。
三浦圭介。
神崎春人。
白石紗季。
秋山蓮。
佐伯直哉。
大石俊郎。
六人。
少し離れた場所。
黒い帽子。
瀬川宗一。
彼だけは。
他の者とは違い。
時計台の壁へ背を預け、
こちらを見ていた。
「……。」
悠の喉が鳴る。
全員。
いる。
十二年前。
八年前。
今日。
別々の時間から消えた人間たちが。
一つの場所に集まっている。
「圭介……。」
悠が呼ぶ。
向こう側。
少年が顔を上げた。
十二年前の姿。
日に焼けた顔。
短い髪。
ナポリタンばかり食べていた友人。
圭介は。
悠を見た瞬間。
泣きそうな顔で笑った。
「……遅ぇよ。」
声が。
聞こえた。
距離なんて関係ない。
まるで。
すぐ隣で話しているように。
悠の胸が、
強く締め付けられる。
「悪い。」
圭介。
「十二年。」
「悪いで済むかよ。」
「覚えてなかった。」
「それは知ってる。」
「ごめん。」
圭介が。
少し笑う。
「だから。」
「謝んなって。」
その言葉。
透と同じ。
悠は。
笑いながら。
涙を拭った。
⸻
その隣。
春人。
メアリーを見ていた。
一言も。
言わない。
メアリーも。
同じ。
二人。
長い間。
ただ。
見つめ合う。
十二年間。
届かなかった時間。
言葉より先に。
全部。
そこにあった。
やがて。
春人が。
少し笑う。
「……変わってないな。」
メアリーも。
笑う。
「春人先輩も。」
「俺。」
「十二年経ってるんだけど。」
「見た目そのままやもん。」
「それ言う?」
メアリー。
泣きながら。
「言う。」
春人。
目を伏せる。
「ごめんな。」
メアリー。
「何が。」
「守れなかった。」
メアリー。
首を横に振る。
「それ。」
「私も言おうとしてた。」
春人。
顔を上げる。
「春人先輩。」
メアリー。
笑う。
「みんな。」
「守ろうとしすぎ。」
悠。
透。
春人。
みんな。
少しだけ。
目を逸らした。
榊原が。
小さく。
「ほんまや。」
⸻
時計。
秒針。
十秒。
透が。
秋山蓮を見る。
少年は。
兄を見て。
笑う。
「兄ちゃん。」
透。
「蓮。」
それだけ。
名前。
もう一度。
「蓮。」
少年。
「うん。」
「秋山蓮。」
「はい。」
透の声が。
震える。
「帰ってこい。」
蓮。
笑顔。
少し。
崩れる。
「うん。」
一歩。
こちらへ。
進もうとする。
しかし。
足。
止まる。
何か。
見えない壁。
「……。」
透。
「蓮?」
少年。
手。
前へ。
壁。
押す。
「出られない。」
悠。
「何で。」
その瞬間。
後ろ。
顔のない存在。
ゆっくり。
立ち上がる。
さっきまで。
部屋の中にいた。
はず。
なのに。
今。
向こう側の広場。
全員の後ろ。
顔。
ない。
白い。
何もない。
でも。
声。
町中。
響く。
「一人。」
悠。
「……。」
「一人だけ。」
「残して。」
メアリー。
「何。」
怪異。
「一人。」
「名前を。」
「置いていけば。」
「ほかは帰す。」
榊原。
即答。
「却下。」
怪異。
「選んで。」
「選ばへん。」
「誰でもいい。」
「もっとあかん。」
レイ。
「交渉になってねぇ。」
榊原。
「こんなもん交渉ちゃう。」
宮本。
「人質です。」
榊原。
「せや。」
悠。
怪異を見る。
「誰も置いてかない。」
怪異。
悠の顔。
変わる。
「十二年前。」
「一人置いていった。」
透。
表情。
揺れる。
悠。
「……。」
十二年前。
透。
残した。
『誰か一人くらい全部覚えてないと。』
怪異。
「また。」
「同じことをすればいい。」
透が。
一歩。
悠の前。
「しない。」
怪異。
「あなたは。」
「残された。」
透。
「そうだよ。」
カメラ。
握る。
「だから。」
「分かる。」
「置いてかれる側が。」
「どんな気持ちか。」
怪異。
顔。
蓮。
「兄ちゃん。」
透。
目を閉じる。
「それ。」
「弟の顔で言うな。」
カシャ。
透。
撮る。
液晶。
何も写らない。
「偽物。」
怪異。
顔。
戻る。
白。
⸻
秒針。
二十秒。
久我の声。
下階から。
「悠!」
微か。
でも。
聞こえる。
「鐘の!」
「鐘の裏!」
柏木。
何か。
叫ぶ。
「名前!」
悠。
「何?」
階下。
柏木。
「水城千尋の!」
「続きがある!」
榊原。
「何やて!」
柏木の声。
紙。
めくる。
古い記録。
「本人の名前だけやない!」
「帰ってきたものにも!」
ノイズ。
塔。
揺れる。
「名前が――!」
声。
途切れる。
怪異。
大きく。
振り返る。
初めて。
明確に。
焦る。
悠。
気付く。
「お前。」
怪異。
「……。」
「名前。」
「あるんだな。」
怪異。
身体。
震える。
「水城千尋じゃない。」
「でも。」
「別の名前が。」
「付けられてた。」
柏木。
階下。
また。
声。
「昭和二十八年!」
「六日後!」
「家族が!」
「帰ってきたものへ!」
紙。
読み上げる。
「千尋じゃないと!」
「気付いて――!」
怪異。
部屋。
大きく揺らす。
窓。
ひび。
「黙れ!!」
初めて。
一つの声。
だった。
少女でも。
男でも。
何人でもない。
掠れた。
細い。
子どもの声。
悠。
息を呑む。
本当の声。
柏木。
「家族が呼んだ名前――!」
時計。
三十秒。
柏木。
声。
「ヨル!」
⸻
すべて。
止まった。
風。
祭り。
夕焼け。
向こう側。
怪異。
完全に。
動かなくなる。
悠。
「ヨル。」
怪異。
震える。
「……違う。」
メアリー。
「ヨル。」
「違う。」
透。
「ヨル。」
「やめて。」
圭介。
向こう。
気付く。
「ヨル。」
春人。
「ヨル。」
蓮。
「ヨル。」
紗季。
「ヨル。」
直哉。
「ヨル。」
大石。
口。
震える。
「……ヨル。」
瀬川宗一。
黒い帽子。
ゆっくり。
笑った。
「やっと。」
初めて。
声。
「思い出したか。」
怪異。
いや。
ヨル。
瀬川を見る。
「あなた。」
瀬川。
帽子を取る。
「久しぶり。」
その顔。
老人ではない。
十七歳。
1978年。
最初に。
六時十分へ巻き込まれた少年。
「お前。」
瀬川。
「俺が来た時から。」
「ずっとおった。」
ヨル。
「……。」
「名前。」
「忘れてたな。」
「忘れたんじゃない。」
「捨てた。」
瀬川。
「同じや。」
「違う!」
声。
子ども。
怒る。
悲鳴。
「ヨルなんて!」
「人間じゃない!」
「犬みたいな名前!」
メアリー。
目。
揺れる。
柏木。
階下。
記録。
読む。
「水城家は。」
「帰ってきた存在を。」
「娘とは認められず。」
「名前を呼ばず。」
「夜にだけ現れるもの。」
「そういう意味で。」
「ヨル。」
悠。
胸。
苦しい。
名前。
与えた。
でも。
人としてではない。
怪異。
として。
ヨル。
「誰も。」
「私を。」
「人間として。」
「呼ばなかった。」
メアリー。
一歩。
ヨルへ。
「だから。」
「他の人の名前を。」
ヨル。
「名前があれば。」
「家族がいる。」
「友達がいる。」
「誰かが呼んでくれる。」
悠。
「でも。」
「奪ったら。」
ヨル。
「……。」
「その人が。」
「お前になるんじゃない。」
「お前が。」
「また。」
「誰かを消すだけだ。」
ヨル。
顔。
次々。
変わる。
圭介。
春人。
メアリー。
悠。
透。
蓮。
紗季。
直哉。
大石。
瀬川。
最後。
何もない。
「ヨル。」
悠。
声。
穏やか。
「それ。」
「お前の名前だろ。」
「嫌い。」
「なら。」
「変えればいい。」
レイ。
小声。
「また改名案。」
榊原。
「黙っとけ。」
悠。
「でも。」
「まず。」
「ヨルって呼ばれてた自分を。」
「なかったことにすんな。」
ヨル。
身体。
揺れる。
「誰かに。」
「忘れられた自分を。」
「お前まで。」
「忘れたら。」
「本当に。」
「誰もいなくなる。」
⸻
時計。
四十秒。
向こう側。
紗季。
叫ぶ。
「悠!」
足元。
亀裂。
夕暮れの町。
崩れ始める。
圭介。
「時間!」
透。
「あと二十秒!」
悠。
「全員!」
窓。
境界。
前。
立つ。
「名前呼ぶぞ!」
榊原。
「順番!」
悠。
「圭介!」
町。
外。
祭り。
どこか。
トメ。
本屋。
住民。
「三浦圭介!」
向こう。
圭介。
身体。
光。
一歩。
境界へ。
「春人!」
花屋。
美和。
「神崎春人!」
メアリー。
「春人先輩!」
春人。
前へ。
「紗季!」
母。
和菓子屋。
家。
「紗季!」
中村。
「白石紗季!」
紗季。
一歩。
「蓮!」
透。
叫ぶ。
「秋山蓮!!」
魚屋。
「蓮!」
町。
「秋山蓮!」
少年。
泣く。
兄へ。
一歩。
「直哉!」
遠く。
佐伯健三。
祭り本部。
マイク。
奪う。
「佐伯直哉!!」
妻。
妹。
「直哉!」
「兄ちゃん!」
直哉。
両手で顔。
泣く。
前へ。
「大石!」
一瞬。
全員。
止まる。
榊原。
眉。
上げる。
「俊郎ォ!!」
大石。
向こう。
驚く。
榊原。
「勝手に消えて罪から逃げんな!!」
レイ。
「名前の呼び方。」
宮本。
「先輩らしいです。」
町。
駐在。
人々。
「大石さん。」
「俊郎さん。」
大石。
泣き笑い。
前へ。
⸻
秒針。
五十秒。
まだ。
全員。
境界。
越えられない。
ヨル。
後ろ。
立つ。
「私が。」
全員。
見る。
「残れば。」
「出られる。」
悠。
「……。」
ヨル。
「名前。」
「戻った。」
「もう。」
「誰かにならなくても。」
メアリー。
「ヨル。」
怪異。
少女。
少しずつ。
姿。
固定。
十六歳くらい。
白いワンピース。
でも。
水城千尋とは。
違う顔。
誰からも借りていない。
初めての。
彼女自身の顔。
ヨル。
笑う。
少し。
寂しい。
「私。」
「ここにいる。」
「だから。」
「みんな帰って。」
悠。
「それじゃ。」
「また一人。」
ヨル。
「いい。」
「よくない。」
「私は。」
「駄目だ。」
悠。
即答。
ヨル。
驚く。
「お前も。」
「帰る。」
「どこに。」
悠。
言葉。
詰まる。
帰る場所。
1953年。
家族。
もう。
いない。
知っている人。
ほとんど。
いない。
町も。
変わった。
ヨル。
「ほら。」
悠。
「町。」
「……。」
「海鳴町。」
ヨル。
「でも。」
「お前の名前。」
「今日。」
「みんな。」
「覚えた。」
外。
祭り本部。
文江。
マイク。
突然。
声。
「水城千尋!」
柏木。
慌てる。
「違う!」
文江。
「ほな。」
聞く。
「ヨル!」
町中。
「ヨル?」
「誰?」
「ヨル。」
「時計台の?」
「ヨル。」
名前。
知らない人。
でも。
呼ぶ。
子ども。
「ヨルー!」
誰か。
笑う。
「帰ってこーい!」
ヨル。
目。
大きくなる。
町。
何百人。
「ヨル!」
「ヨル!」
「ヨル!」
知らない。
でも。
名前を。
呼ぶ。
覚える。
今日。
初めて。
怪異ではなく。
一人として。
ヨル。
涙。
落ちる。
「……帰って。」
「いいの?」
メアリー。
笑う。
「当たり前やろ。」
⸻
秒針。
五十五。
透。
「五秒!」
悠。
「全員!」
手。
伸ばす。
向こう。
圭介。
春人。
紗季。
蓮。
直哉。
大石。
瀬川。
ヨル。
一斉に。
こちらへ。
五十六。
境界。
光。
五十七。
圭介。
手。
悠へ。
五十八。
蓮。
透。
五十九。
春人。
メアリー。
ヨル。
一歩。
そして。
⸻
午後六時十一分。
⸻
カチ。
時計。
一分。
進んだ。
鐘。
鳴らない。
ただ。
針が。
静かに。
六時十一分を指した。
その瞬間。
境界が。
砕けた。
ガラスのように。
音もなく。
夕暮れの町。
光へ。
消える。
悠。
目を閉じる。
身体。
何か。
ぶつかる。
誰か。
倒れる。
声。
何人も。
榊原。
「痛っ!」
レイ。
「うわ!」
宮本。
「大丈夫ですか!」
透。
「蓮!」
春人。
「メアリー!」
圭介。
「悠!」
全部。
混ざる。
そして。
静寂。
⸻
時計台。
最上階。
現実。
午後五時五十三分。
悠。
床。
倒れている。
目。
開く。
「……。」
隣。
レイ。
榊原。
宮本。
透。
全員。
いる。
そして。
床。
人。
圭介。
春人。
紗季。
蓮。
直哉。
大石。
瀬川。
そして。
少女。
ヨル。
実体。
ある。
息。
している?
悠。
起きる。
「メアリー。」
返事。
ない。
「……メアリー?」
周囲。
見る。
いない。
悠。
顔。
青ざめる。
「メアリー!!」
春人。
起き上がる。
「待て。」
悠。
「どこ!」
春人。
泣いている。
「違う。」
「何が!」
「メアリーは。」
声。
震える。
「こっちには。」
「戻れない。」
悠。
「なんで。」
春人。
「だって。」
その言葉。
聞きたくない。
でも。
春人。
言う。
「メアリーは。」
「十二年前。」
「本当に。」
「死んでる。」
悠。
動けない。
「……。」
春人。
「時計台じゃない。」
「六時十分でもない。」
「でも。」
「そのあと。」
悠。
拳。
震える。
メアリー。
海へ。
落ちた。
佐伯直哉。
事故。
それから。
彼女の身体。
どうなった。
まだ。
最後まで。
見ていない。
「じゃあ。」
悠。
声。
小さい。
「今まで。」
春人。
「メアリー本人だ。」
「それは。」
「間違いない。」
透。
起き上がる。
「写真に。」
「写ってた。」
春人。
「あぁ。」
「でも。」
「帰るって。」
春人。
悠を見る。
「生き返るって意味じゃない。」
静寂。
時計。
六時十一分。
動く。
カチ。
カチ。
カチ。
もう。
止まらない。
悠。
「……メアリー。」
その時。
ポケット。
スマートフォン。
震えた。
一件。
新着メッセージ。
送り主。
Mary
悠の呼吸が。
止まる。
画面。
開く。
⸻
『悠ちゃん。』
⸻
次。
⸻
『まだ終わってないよ。』
⸻
そして。
三通目。
⸻
『六時十二分を思い出して。』
⸻
悠。
顔を上げる。
春人。
「何。」
悠。
スマホ。
見せる。
透。
榊原。
全員。
画面。
そして。
四通目。
⸻
『私を殺した人を、ちゃんと見つけて。』
⸻
時計。
現実。
午後五時五十四分。
向こう側。
解放。
六時十分の怪異。
終わった。
でも。
人間の事件。
まだ。
終わっていない。
榊原が。
ゆっくり。
立ち上がる。
制服。
埃。
髪。
乱れている。
でも。
目。
完全に。
刑事。
「ほな。」
拳。
握る。
「第二ラウンドや。」
大石。
床。
顔。
青ざめる。
直哉。
俯く。
柏木。
階下。
まだ。
知らない。
十二年前。
六時十二分から。
メアリーが死ぬまで。
空白。
その時間に。
本当の犯人。
いる。
悠は。
スマートフォンを。
握り締める。
そして。
小さく。
笑った。
「分かった。」
画面。
Mary。
「今度こそ。」
「最後まで。」
時計台の外。
祭りの太鼓が。
鳴り始めた。
十二年ぶりに。
六時十分を。
越えた町で。
⸻
――第75話・完――
後書き
六時十分から六時十一分。
十二年間止まっていた「一分」が、ようやく動きました。
圭介、春人、紗季、蓮、直哉、大石、瀬川、そして「ヨル」は向こう側から帰還。
そして時計台の怪異そのものも、倒すのではなく、名前を返すことで終わらせる形になりました。
ただし、物語はここでは終わりません。
メアリーだけは戻らなかった。
理由は単純です。
彼女は六時十分の怪異によって消えたのではなく、その後、現実世界で命を落としているから。
ここから残り11話。
第76話からは、完全に人間側の真相編です。
次回――
第76話「雨の海沿い」
十二年前の午後六時十二分から、メアリーの死まで。
大石。
柏木。
橘依子。
佐伯直哉。
そして、まだ誰も名前を出していない人物。
今までバラバラだった証言を並べ直し、メアリーの最後の数十分を再構成していきます。
ここからは、怪物よりも人間の方が怖い時間になります。




