最初に忘れられた人
Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第74話
最初に忘れられた人
前書き
誰かが最初に忘れられた時、
それはまだ、
小さな出来事だったのかもしれない。
一人が忘れる。
二人が忘れる。
記録から名前が消える。
写真から顔が消える。
そしていつか、
誰も、
「忘れた」ということすら、
覚えていなくなる。
でも。
どれだけ長い時間が経っても。
名前が残っているなら。
その人は、
まだ完全には消えていない。
⸻
午後五時二十三分。
海鳴町。
時計台。
古い木製の扉が、
ゆっくりと閉まった。
ガチャ――。
外から聞こえていた祭りのざわめきが、
途端に遠くなる。
蝉。
屋台。
子どもの声。
太鼓。
それらが厚い煉瓦の壁に遮られ、
時計台の内部には、
歯車の動く低い音だけが残った。
カチ。
カチ。
カチ。
ただし。
文字盤の針は、
六時一分。
そこで止まったままだ。
悠は頭上を見上げる。
細い螺旋階段。
その先。
鐘楼。
さらに。
誰も入っていないという、
最上階の部屋。
久我達郎が、
工具箱を持ち上げた。
「鐘の裏まで。」
「十五分くらいや。」
榊原が腕時計を見る。
「現実は五時二十三分。」
「時間はある。」
透が首を横に振る。
「向こう側は分からない。」
誰も反論できない。
先ほど届いた写真。
そこには、
午後五時五十分。
そう刻まれていた。
この塔の中だけ。
現実とは違う時間が、
すでに進み始めている可能性がある。
「急ごう。」
悠が言った。
その隣。
メアリー。
彼女の姿は。
朝より。
明らかに薄い。
以前なら、
普通の人間と見分けがつかないほどだった。
今は。
背後の壁が。
わずかに透けて見える。
悠は。
見ないふりをした。
今。
それを口にしたら。
本当に。
別れが始まってしまう気がした。
⸻
階段。
ギシ。
ギシ。
足音が。
塔の中へ響く。
先頭。
久我。
続いて。
榊原。
宮本。
悠。
メアリー。
透。
レイ。
最後に。
柏木。
柏木修一は、
いつもの喫茶店のマスターには見えなかった。
額に汗を浮かべ、
何度も。
壁へ手をついている。
年齢のせいだけではない。
十二年間。
自分たちが隠したもの。
その中心へ。
自ら戻っている。
「柏木さん。」
悠が声を掛ける。
「はい。」
「無理なら。」
柏木は。
苦笑した。
「ここまで来て。」
「戻った方が。」
「もっと後悔します。」
透が前を向いたまま言う。
「十二年前も。」
「そう言えばよかったのに。」
空気が。
少し張り詰める。
柏木。
立ち止まる。
「……そうですね。」
言い訳しない。
透も。
それ以上言わなかった。
怒っていないわけではない。
許したわけでもない。
ただ。
今。
先にやることがある。
⸻
一階。
二階。
駆動室。
巨大な歯車。
本来なら、
規則正しく動いているはずの機構。
今は。
止まっていた。
完全に。
音すらない。
レイが。
顔をしかめる。
「さっきまで動いてたよな?」
久我。
「あぁ。」
榊原。
「止まったんは。」
「町の記憶が戻り始めてから?」
透。
「たぶん。」
柏木が。
歯車を見る。
「時計が。」
「必要なくなってる。」
悠。
「どういう意味。」
柏木。
「六時十分という時刻を。」
「町が覚えたから。」
「それまでは。」
「時計が代わりに。」
「覚えていた。」
誰も。
すぐには理解できなかった。
メアリーが。
時計機構へ近付く。
触れられない手。
歯車の表面を。
そっと撫でる。
「だから。」
「毎年。」
「止まった?」
柏木。
頷く。
「忘れた町の代わりに。」
「ここだけが。」
「十二年前を。」
「繰り返していた。」
悠は。
時計を見上げた。
故障ではない。
呪い。
という言葉だけでも足りない。
これは。
記憶。
忘れた側と。
忘れられた側。
その境界に。
時計台が。
置かれていた。
⸻
さらに上。
鉄梯子。
久我が。
上る。
榊原。
その後。
一人ずつ。
鐘楼。
午後五時三十五分。
時計塔の巨大な鐘。
青銅。
長年の風雨で。
表面は黒ずんでいる。
窓から。
海鳴町。
見える。
祭り。
人。
屋台。
神社。
海。
どこまでも。
穏やか。
「こんな日に。」
レイが呟く。
「世界終わりそうなことするなよ。」
榊原。
「世界までは終わらん。」
レイ。
「町は?」
榊原。
一瞬。
黙る。
「終わらせへん。」
播磨弁。
でも。
妙に。
頼もしい。
⸻
久我が。
鐘へ近付く。
「裏や。」
「どこ。」
「ここ。」
鐘の支柱。
その奥。
普通に立っていては。
見えない。
壁との隙間。
わずか。
人一人。
通れる程度。
久我が。
古い木板を外す。
ギィ……。
埃。
舞う。
その裏。
煉瓦壁。
そして。
びっしり。
文字。
悠たち。
息を呑む。
名前。
何十。
いや。
何百。
古い。
墨。
鉛筆。
彫刻。
明治。
大正。
昭和。
平成。
名前。
名前。
名前。
久我。
「時計台の。」
「歴代管理人が。」
「残した。」
榊原。
「行方不明者?」
久我。
「違う。」
「忘れられた人。」
静寂。
「忘れられた……。」
悠。
久我。
「昔。」
「誰かの名前が。」
「町から消え始めるたび。」
「管理人が。」
「ここに書き残した。」
柏木。
「名前だけでも。」
「残るように。」
透が。
壁を見る。
これ。
写真と。
同じ。
記録。
忘れないため。
誰か。
必死。
だった。
「一番古いのは。」
透。
「どれ。」
久我。
壁の下。
指。
大正。
明治。
さらに。
その下。
煉瓦。
一部。
新しく見える。
「塞がれとる。」
榊原。
「いつ。」
久我。
「ワシが。」
全員。
振り返る。
「何で。」
老人。
黙る。
手。
震える。
「十五年前。」
「瀬川に。」
「頼まれた。」
悠。
「瀬川宗一?」
久我。
「あぁ。」
「死ぬ前の日。」
全員。
固まる。
十五年前。
瀬川が。
事故死する。
その前日。
「何て。」
久我。
目を閉じる。
⸻
十五年前。
夜。
時計台。
瀬川宗一。
六十代。
黒い帽子。
作業着。
久我。
まだ六十代。
二人。
鐘楼。
瀬川。
『ここ。』
煉瓦。
指。
『塞いでくれ。』
久我。
『なんで。』
瀬川。
『名前がある。』
『誰の。』
瀬川。
答えない。
『消した方が。』
『いい名前がある。』
久我。
『お前がそんなこと言うんか。』
瀬川。
苦笑。
『俺も。』
『ずっと。』
『名前があれば救えると思っとった。』
久我。
『違うんか。』
瀬川。
『名前は。』
『帰るための道になる。』
『なら。』
『帰したらええ。』
瀬川。
『帰したらあかん奴もおる。』
⸻
現在。
悠の胸。
ざわつく。
「瀬川さんが。」
「名前を隠した。」
久我。
「あぁ。」
柏木。
「知らなかった。」
久我。
「誰にも言わんかった。」
榊原。
「今日まで?」
老人。
頷く。
榊原。
「なんで今。」
久我。
鐘。
見る。
「瀬川が。」
「死ぬ前。」
「もう一つ言うた。」
⸻
『いつか。』
『この町が。』
『忘れた奴らを。』
『自分で思い出す日が来たら。』
『その時だけ。』
『開けろ。』
⸻
久我。
悠たちを見る。
「今日や。」
誰も。
反対しなかった。
⸻
工具。
ハンマー。
ノミ。
久我。
煉瓦へ。
一打。
ガンッ!
古い塔。
音。
響く。
二打。
ガンッ!
三打。
煉瓦。
ひび。
レイ。
「俺やる。」
久我。
「腰やるぞ。」
「それはそっち。」
レイ。
工具。
受け取る。
ガンッ!
悠。
「意外と。」
「力あるな。」
レイ。
「誰だと思ってんだ。」
榊原。
「知らん。」
「ちょっと。」
透。
珍しく。
笑う。
ほんの一瞬。
そして。
煉瓦。
外れる。
一個。
二個。
空洞。
中。
古い。
木板。
包み。
油紙。
久我。
手。
伸ばす。
出す。
薄い。
板。
表。
文字。
消えかかっている。
中村写真館で見た。
昔の筆跡。
しかし。
もっと古い。
透が。
懐中電灯。
照らす。
最初。
読めない。
汚れ。
柏木。
布。
軽く。
拭く。
文字。
浮かぶ。
⸻
昭和二十八年八月十五日
⸻
榊原。
「1953年……。」
久我。
「瀬川より。」
「二十五年前。」
その下。
名前。
一人。
⸻
水城 千尋
⸻
誰も。
その名を知らない。
「みずき……ちひろ。」
悠。
声に出す。
瞬間。
時計台。
ドンッ!!
全体。
揺れる。
「うわっ!」
レイ。
鐘。
鳴っていない。
なのに。
塔そのものが。
軋む。
メアリー。
「……この名前。」
悠。
「知ってる?」
「知らない。」
でも。
震えている。
「でも。」
「怖い。」
透。
カメラ。
構えない。
久我。
板。
裏返す。
そこ。
文章。
短い。
⸻
水城千尋 十六歳
昭和二十八年夏祭りの夜に消失。
六日後、帰還。
⸻
悠。
「帰ってきた?」
榊原。
「なら。」
「その後どうなった。」
次。
⸻
帰還後、本人は自らを水城千尋とは名乗らず。
⸻
静寂。
透。
「……。」
柏木。
顔。
青ざめる。
久我。
続きを読む。
⸻
家族を認識せず。
友人を認識せず。
ただし町の住民全員の名を知る。
⸻
榊原。
「何それ。」
宮本。
「別人?」
悠。
顔のないもの。
誰の顔でも。
使う。
柏木。
小さく。
「帰ってきたのは。」
「本人じゃない。」
その瞬間。
最上階。
上。
誰も。
いないはず。
足音。
コツ。
コツ。
コツ。
全員。
顔を上げる。
久我。
「……来た。」
⸻
だが。
まだ。
板には。
続き。
悠。
「最後。」
読む。
⸻
水城千尋の名を呼んではならない。
帰還したものは、名を与えられるたび、その人間になる。
⸻
透。
「……。」
メアリー。
顔。
真っ青。
「だから。」
悠。
「名前が欲しい。」
柏木。
「違う。」
みんな。
見る。
柏木。
震える。
「名前が欲しいんじゃない。」
「名前を。」
「奪う。」
⸻
上。
足音。
止まる。
ちょうど。
天井。
真上。
誰か。
いる。
榊原。
「最上階。」
久我。
頷く。
「秘密の部屋。」
悠。
真鍮の鍵。
握る。
その鍵。
突然。
熱い。
「っ!」
落としそうになる。
メアリー。
「悠ちゃん。」
「鍵。」
真鍮。
表面。
六時十分。
刻印。
そこ。
今までなかった。
文字。
ゆっくり。
浮かぶ。
CHIHIR0
透。
「……千尋。」
榊原。
「呼ぶな!」
だが。
遅い。
時計台。
最上階。
少女の声。
「はい。」
全員。
凍る。
⸻
声。
若い。
十六歳。
天井。
向こう。
「ずっと。」
「待ってた。」
メアリーが。
悠の腕へ。
触れようとする。
触れない。
でも。
近付く。
「やっと。」
「名前。」
足音。
一歩。
「思い出してくれた。」
時計。
文字盤。
六時一分。
カチ。
動く。
今度は。
逆ではない。
六時二分。
透。
「まずい。」
カチ。
六時三分。
「名前呼んだから。」
柏木。
「繋がった。」
久我。
「違う。」
老人。
壁の板を見る。
「瀬川が。」
「だから。」
「塞いだ。」
メアリー。
「名前を思い出したら。」
「帰ってくる。」
悠。
「でも。」
「それが。」
「本人じゃない。」
上。
少女。
笑う。
クスクス。
「本人だよ。」
静寂。
「私は。」
「水城千尋。」
メアリー。
首を横に。
「違う。」
声。
止まる。
メアリー。
ゆっくり。
天井を見る。
「あなた。」
「自分が誰か。」
「分からんのやろ。」
透。
メアリーを見る。
少女。
返事なし。
メアリー。
「ずっと。」
「人の顔。」
「人の声。」
「人の名前。」
「借りて。」
「だから。」
少し。
悲しそう。
「最初の自分。」
「忘れたんや。」
上。
ドン!!
天井。
強く。
叩かれる。
レイ。
「怒った!」
榊原。
「見りゃ分かる!」
少女の声。
今度は。
メアリー。
「黙って。」
悠。
「……。」
同じ声。
完全に。
メアリー。
「悠ちゃん。」
もう一度。
悠の横。
本物のメアリー。
「聞かないで。」
悠。
目を閉じる。
透。
カメラ。
構える。
上。
階段。
カシャ!
液晶。
誰も。
写っていない。
透。
「偽物。」
少女。
今度は。
春人。
「悠!」
続いて。
圭介。
「助けて!」
蓮。
「兄ちゃん!」
透の顔。
歪む。
でも。
カメラ。
握る。
「聞かない。」
紗季。
「透くん。」
透。
目を閉じる。
「聞かない。」
直哉。
「父ちゃん。」
そして。
大石。
「榊原さん。」
榊原。
「私。」
「そいつに名前呼ばれた覚えないんやけど。」
レイ。
「そこ?」
緊張。
少しだけ。
崩れる。
その瞬間。
天井。
沈黙。
榊原。
口元。
少し。
上がる。
「効いとる。」
悠。
「何が。」
「こいつ。」
榊原。
上を見る。
「人の記憶使って。」
「怖がらせるしかできへん。」
「ほな。」
「怖がらんかったら。」
「ただの声や。」
少女。
低い。
別の。
何十人もの声が。
重なる。
「ダボ。」
榊原。
眉。
動く。
レイ。
「播磨弁覚えられた。」
榊原。
「そこだけは許さん。」
悠。
「何でだよ!」
⸻
カチ。
時計。
六時四分。
あと。
六分。
現実。
午後五時三十八分。
時間が。
二つ。
近付き始めている。
宮本。
「先輩。」
腕時計。
「向こうの時計が。」
「現実に追いついたら。」
透。
「六時十分。」
「扉が開く。」
悠。
「なら。」
「その前に。」
上。
見る。
「終わらせる。」
久我。
秘密の部屋への階段。
示す。
「行くか。」
榊原。
「当然。」
柏木。
「私は。」
「残ります。」
悠。
振り返る。
柏木。
板。
水城千尋。
見る。
「ここ。」
「名前を。」
「守る。」
「呼ばれすぎても。」
「忘れられても。」
「ダメ。」
透。
「どうやって。」
柏木。
少し笑う。
「記録屋ですから。」
紙。
ペン。
取り出す。
「本当のことだけ。」
「書きます。」
写真ではなく。
言葉。
水城千尋。
十六歳。
消えた。
帰った。
でも。
帰ってきたものは。
本人ではなかった可能性。
嘘を。
増やさない。
名前を。
神にも。
怪物にも。
しない。
ただ。
一人の少女として。
残す。
悠。
「お願いします。」
柏木。
頷く。
「今度こそ。」
⸻
久我も。
「ワシも残る。」
榊原。
「大丈夫?」
「階段。」
「もう。」
「しんどい。」
レイ。
「それは正直。」
久我。
笑う。
「上は。」
「若いもんで行け。」
榊原。
「私も若い扱い?」
久我。
「十分。」
「よっしゃ。」
レイ。
「嬉しそう。」
「うるさい。」
⸻
最上階へ。
悠。
メアリー。
透。
榊原。
宮本。
レイ。
六人。
階段。
細い。
一段。
また。
一段。
上る。
十二年前とは。
違う六人。
でも。
奇妙に。
人数。
同じ。
メアリー。
気付く。
「六人。」
透。
「罠かも。」
悠。
「でも。」
「この六人は。」
振り返る。
「俺たちが選んだ。」
榊原。
「ええこと言うやん。」
レイ。
「俺も含まれてんの?」
悠。
「帰りたいなら今。」
「今さら無理。」
透。
「決定。」
レイ。
「お前ら。」
でも。
笑っている。
怖い。
全員。
怖い。
でも。
進む。
⸻
踊り場。
注連縄。
最上階。
扉。
以前。
開けなかった。
メアリーが。
「待って。」
と言った。
今日は。
彼女。
扉の前。
自分から。
立つ。
「開けよ。」
悠。
「大丈夫?」
メアリー。
「大丈夫じゃない。」
正直。
「でも。」
「開ける。」
悠。
鍵。
差す。
六時四分。
カチ。
六時五分。
鍵。
回す。
ガチャ。
扉。
まだ。
開けない。
透。
カメラ。
一枚。
撮る。
カシャ。
悠。
「最後の一枚?」
透。
「まだ。」
「本当に最後は。」
前を見る。
「帰ってきた時。」
悠。
少し笑う。
「それでいい。」
⸻
ドアノブ。
冷たい。
悠。
握る。
開ける。
ギィィィ……。
部屋。
暗い。
狭い。
窓。
一つ。
そして。
中央。
椅子。
少女。
背中。
長い髪。
白いワンピース。
十六歳くらい。
「水城……。」
榊原が。
言いそうになる。
透。
「名前呼ばない。」
榊原。
「分かっとる。」
少女。
ゆっくり。
立つ。
振り返る。
顔。
メアリー。
悠。
息を呑む。
次。
顔。
紗季。
次。
蓮。
圭介。
春人。
直哉。
大石。
瀬川。
最後。
悠。
悠自身。
そいつは。
悠の顔で。
笑う。
「どれが。」
「本当の私だと思う?」
悠。
答えない。
怪異。
顔。
変わる。
「選んで。」
メアリー。
前へ。
「選ばない。」
怪異。
顔。
メアリー。
「……。」
メアリー。
「誰かになる必要。」
「ないやろ。」
怪異。
笑顔。
消える。
メアリー。
「名前がなくても。」
「顔がなくても。」
「あなたは。」
一歩。
「あなたや。」
悠。
彼女を見る。
怪異。
身体。
震える。
「嘘。」
メアリー。
「嘘じゃない。」
「名前がないと。」
「誰も覚えてくれない。」
メアリー。
「そうやね。」
「怖いよね。」
透。
カメラ。
下ろす。
メアリー。
「私も。」
「みんなに忘れられた。」
「でも。」
悠を見る。
「見つけてもらった。」
怪異。
悠を見る。
顔。
ない。
初めて。
完全に。
何もない。
白い。
輪郭だけ。
「私も。」
「見つけて。」
悠。
息。
止まる。
第1話。
メアリー。
突然。
現れた。
会いたい。
見つけて。
この物語。
ずっと。
同じ。
だった。
忘れられた誰かが。
誰かに。
見つけてもらう。
話。
⸻
悠。
「なら。」
怪異へ。
一歩。
「名前を奪うな。」
怪異。
「……。」
「誰かの顔も。」
「人生も。」
「奪うな。」
「お前が。」
「水城千尋じゃないなら。」
怪異。
身体。
揺れる。
「自分の名前を。」
悠。
「自分で決めろ。」
静寂。
榊原。
小さく。
「……無茶苦茶やな。」
レイ。
「幽霊に改名勧める主人公初めて見た。」
透。
「でも。」
「正しいかも。」
怪異。
俯く。
そして。
突然。
笑う。
「遅いよ。」
時計。
カチ。
六時六分。
部屋。
床。
揺れる。
窓。
外。
夕方。
ではない。
向こう側。
町。
誰もいない。
永遠の夕暮れ。
そこ。
時計台広場。
圭介。
春人。
紗季。
蓮。
直哉。
大石。
立っている。
メアリー。
「みんな……。」
怪異。
「もう。」
「扉は開いてる。」
時計。
六時七分。
透。
「あと三分。」
怪異。
「三分?」
笑う。
「違う。」
壁。
現実の時計。
午後五時四十六分。
だが。
向こう。
六時七分。
怪異。
「こっちは。」
「あと三分。」
「そっちは。」
顔。
悠。
「あと二十四分。」
悠。
「……。」
怪異。
「どっちの六時十分が。」
「本物だと思う?」
扉。
背後。
バタン!!
閉まる。
榊原。
「開かへん!」
宮本。
「鍵!」
悠。
鍵。
効かない。
透。
窓。
向こう側。
見る。
「悠。」
「こっち。」
窓ではない。
境界。
手。
入る。
透の指。
向こうへ。
透。
「行ける。」
メアリー。
「でも。」
「罠。」
悠。
「知ってる。」
圭介。
向こう。
悠を見る。
口。
「来るな。」
本物?
透。
カメラ。
撮る。
カシャ。
液晶。
圭介。
写る。
「本物。」
圭介。
首を横に。
必死。
でも。
その後ろ。
春人。
指。
別方向。
出口。
六時十分。
帰るための。
一分。
悠。
気付く。
「行くんじゃない。」
透。
「何。」
悠。
「迎えに行くんじゃない。」
「向こうから。」
「出す。」
最初から。
そうだった。
六時十分は。
出口。
なら。
こちら側が。
向こうへ入ったら。
また。
繰り返す。
「俺たちは。」
悠。
床。
踏む。
「ここに残る。」
怪異。
初めて。
焦る。
「……。」
悠。
「六時十分になったら。」
「名前を呼ぶ。」
メアリー。
気付く。
「こっちから。」
透。
「向こうの全員を。」
榊原。
「引っ張り出す。」
レイ。
「どうやって。」
悠。
「知らん。」
レイ。
「そこ考えとけよ!」
榊原。
「ええ。」
窓。
向こう。
六人。
見る。
「やってから考える。」
レイ。
「刑事まで!」
宮本。
苦笑。
「いつものことです。」
榊原。
「宮本!」
少しだけ。
空気。
戻る。
怪異。
怒り。
部屋。
震える。
時計。
六時八分。
あと。
二分。
そして。
現実。
午後五時四十八分。
祭り。
始まる。
太鼓。
ドン。
ドン。
ドン。
町中。
名前。
呼ぶ声。
まだ。
続いている。
直哉。
圭介。
春人。
紗季。
蓮。
メアリー。
瀬川。
声。
時計台。
届く。
向こう側の人々。
少しずつ。
輪郭。
濃くなる。
怪異。
弱くなる。
透。
「効いてる。」
悠。
「あと。」
時計。
六時九分。
一分。
メアリー。
悠の隣。
薄い。
かなり。
でも。
笑う。
「悠ちゃん。」
「何。」
「今度こそ。」
「ちゃんと。」
悠。
「言うな。」
「まだ。」
「だから。」
メアリー。
涙。
「まだ言ってない。」
悠。
前を見る。
「六時十一分に。」
「言え。」
メアリー。
笑う。
「うん。」
時計。
秒針。
五十。
五十一。
五十二。
怪異。
叫ぶ。
何人もの声。
「忘れろ!!」
五十三。
「全部!!」
五十四。
透。
カメラ。
握る。
五十五。
圭介。
向こう。
手。
伸ばす。
五十六。
春人。
メアリーを見る。
五十七。
蓮。
兄を見る。
五十八。
紗季。
泣く。
五十九。
直哉。
父の名。
呟く。
そして。
⸻
午後六時十分。
⸻
時計台の鐘が。
鳴った。
⸻
――第74話・完――
後書き
ここで、怪異の起点が判明しました。
1953年8月15日に失踪した十六歳の少女、水城千尋。
しかし六日後に戻ってきた存在は、本人ではなかった可能性が高い。
その「名を失った存在」が、長い年月の中で他人の顔や声、記憶を借り続け、六時十分の現象を生み出していました。
ただし、この存在を単純な悪霊にはしません。
根底にあるのは、
「誰にも忘れられたくない」
という感情です。
そして今回の最後。
向こう側の時計がついに、
六時十分
へ到達しました。
ここから第75話より、完全に真相編・最終局面へ入ります。
六時十分から六時十一分まで。
たった一分。
その一分の中で、
圭介。
春人。
紗季。
蓮。
直哉。
大石。
そしてメアリー。
全員の運命が動き始めます。




