六時十二分
Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第71話
六時十二分
前書き
一分という時間は、
短い。
信号を待てば終わる。
コーヒーを一口飲めば終わる。
誰かに電話をかけても、
まだ話は始まったばかりだ。
でも。
生きるか死ぬかの境目では、
一分は、
人生より長いことがある。
⸻
午後二時三十一分。
中村写真館。
暗室を出たあとも、
誰もすぐには動かなかった。
現像された最後の一枚。
午後六時十二分。
そこには、
確かにメアリーがいた。
立っている。
自分の足で。
春人と向き合って。
生きている。
少なくとも。
悠がこれまで信じていた、
「六時十分にメアリーは死んだ」
という記憶は、
間違っていた。
悠は写真を何度も見た。
見れば見るほど。
そこに写るメアリーは、
幽霊ではなく、
ただの女子高校生だった。
髪は雨に濡れている。
肩で息をしている。
顔には恐怖が浮かんでいる。
けれど。
生きている。
「六時十二分……。」
悠が呟く。
メアリーは隣で、
写真を見つめていた。
自分自身を。
「私……。」
指先が震える。
「ここ。」
「覚えとる。」
透が顔を上げる。
「本当に?」
「うん。」
メアリーは目を閉じる。
呼吸を整える。
すると。
周囲の音が。
少しずつ遠ざかっていった。
⸻
十二年前。
午後六時十二分。
時計台地下。
冷たい空気。
石の壁。
遠くで。
誰かが叫んでいる。
『メアリー!』
春人。
走ってくる。
メアリーは。
壁へ手をつきながら。
必死に息をしている。
「春人……。」
声が出ない。
喉が痛い。
耳鳴り。
頭が。
割れそうに痛い。
春人が。
メアリーの肩を掴む。
『大丈夫か!?』
メアリー。
頷く。
でも。
身体が震えている。
『圭介は!?』
春人。
答えられない。
『紗季は!?』
また。
答えられない。
ただ。
後ろを見る。
暗闇。
そこから。
誰かの声。
圭介。
『悠……。』
そして。
別の声。
同じ圭介。
『メアリー。』
二つ。
同時。
春人が。
『聞くな!』
メアリーの腕を掴む。
『外へ出るぞ!』
走る。
階段。
上。
扉。
光。
⸻
現在。
メアリーが。
大きく息を吸う。
「外へ出た。」
悠。
「時計台から?」
「うん。」
「春人先輩と。」
透。
「俺は?」
メアリー。
「いなかった。」
「悠は?」
「……いない。」
悠の胸がざわつく。
榊原が静かに言う。
「続き。」
「無理せんでええ。」
「思い出せるとこまででええ。」
メアリーは。
ゆっくり頷く。
⸻
十二年前。
時計台外。
雨。
祭りは。
まだ続いている。
屋台。
人。
音楽。
誰も。
異変に気付いていない。
時計台から。
メアリーと春人。
二人。
飛び出す。
春人が。
周囲を見る。
『悠!』
返事なし。
『透!』
返事なし。
春人。
舌打ち。
『メアリー。』
『ここにいろ。』
『嫌。』
『俺が探してくる。』
『一人にせんといて。』
春人。
止まる。
メアリー。
泣いている。
『お願い。』
春人。
少し迷う。
そして。
『分かった。』
二人。
時計台裏。
石段。
その時。
誰か。
立っている。
制服。
いや。
警察。
青い制服。
一人の男。
四十代くらい。
制帽。
雨具。
『君たち!』
春人が。
ほっとした顔。
『警察……!』
男が。
近付く。
『何してる。』
春人。
『友達が!』
『中で――』
男の顔が。
変わる。
『時計台へ入ったのか?』
春人。
『はい。』
男。
『何を見た。』
静寂。
春人が。
怪訝な顔。
『え?』
男。
もう一度。
『中で何を見た。』
メアリー。
その声。
聞き覚え。
現在。
「……。」
メアリーの肩が。
大きく震えた。
悠。
「メアリー?」
「この声。」
「知ってる。」
榊原の表情が変わる。
「誰。」
メアリー。
目を閉じる。
「待って……。」
記憶。
⸻
警察官。
雨。
顔。
口元。
右眉の上。
小さな傷。
男は。
周囲を見る。
そして。
低い声。
『君たちは何も見ていない。』
春人。
『何言ってるんですか。』
男。
『帰れ。』
春人。
『友達が中にいる!』
男。
『帰れと言っている!』
怒鳴る。
メアリー。
後ずさる。
男。
メアリーを見る。
『君。』
『名前は?』
メアリー。
答えない。
男。
『名前。』
春人が。
前へ。
『やめてください。』
警察官。
春人を。
押す。
春人。
『何すんだよ!』
周囲。
祭り。
人。
でも。
時計台裏。
見えない。
音も。
届きにくい。
男。
無線。
『……確認した。』
『子どもが入った。』
ノイズ。
誰かの声。
『何人。』
男。
春人と。
メアリーを見る。
『二人。』
メアリーの記憶が。
一瞬。
止まる。
現在。
悠。
「二人?」
メアリー。
「違う。」
声。
震える。
「この人。」
「嘘ついた。」
「私たち。」
「もっといた。」
榊原。
「誰と無線しとった。」
「分からない。」
「声は。」
「男。」
「年齢。」
「分からん。」
透。
「顔は?」
メアリーが。
ゆっくり目を開く。
「警察官。」
「右眉の上。」
「傷。」
榊原の顔が。
完全に変わった。
「宮本。」
「はい。」
「十二年前。」
「海鳴町夏祭り。」
「警備配置表。」
「時計台周辺担当。」
「全員出せ。」
宮本。
すぐ電話。
「了解です。」
⸻
メアリーの身体。
輪郭が。
少し薄くなる。
悠が気付く。
「メアリー。」
彼女。
手を見る。
「大丈夫。」
「大丈夫じゃない。」
「まだ。」
「その言い方もう聞いた。」
メアリー。
笑う。
「でも。」
「思い出さな。」
悠。
「急がなくていい。」
メアリー。
「急ぐよ。」
悠。
「なんで。」
彼女は。
写真を見る。
六時十二分。
生きていた自分。
「だって。」
「私。」
「ずっと。」
「自分がどう死んだか分からんまま。」
「十二年。」
少し笑う。
「幽霊やっとるんやよ?」
レイが。
小さく呟く。
「幽霊やっとるって言い方。」
メアリー。
「他に何て言うん。」
レイ。
「……確かに。」
ほんの少し。
空気が緩む。
その時。
宮本。
「出ました。」
全員。
見る。
宮本のスマートフォン。
十二年前。
夏祭り警備。
富山県警。
地元交番。
応援。
民間警備。
時計台周辺。
午後五時から七時。
担当。
三名。
一人。
すでに死亡。
一人。
退職。
そして。
最後。
現役。
榊原。
画面を見る。
名前。
大石俊郎。
悠の表情が変わる。
「大石……。」
海鳴町の駐在。
第53話。
穏やかな男。
町で三十年。
あの時。
言った。
『殺人事件なんて無かった。』
誰も。
殺人とは。
言っていなかったのに。
榊原が。
低く。
「繋がった。」
宮本。
「ただ。」
「当時の写真。」
画面。
若い大石。
四十代半ば。
右眉。
小さな傷。
メアリーの顔が。
真っ青になる。
「……この人。」
悠。
「間違いない?」
メアリー。
「うん。」
涙。
「この人。」
「時計台の外におった。」
榊原。
「殺したのも?」
メアリー。
頭を押さえる。
「そこ。」
「まだ。」
「見えん。」
「でも。」
「この人。」
声。
震える。
「私が時計台から帰ったことを知っとった。」
⸻
榊原は。
すぐに電話を取った。
「交番。」
宮本。
「先輩。」
「待ってください。」
榊原。
「何。」
「大石俊郎。」
「本日。」
端末。
顔が曇る。
「休暇です。」
榊原。
「家は。」
「連絡つきません。」
「携帯。」
「電源オフ。」
空気が。
一気に変わる。
逃げた?
それとも。
榊原。
「手配。」
「ただし。」
宮本を見る。
「まだ犯人扱いすんな。」
「重要参考人。」
「了解。」
レイ。
「もう事件じゃん。」
榊原。
「最初から事件や。」
「幽霊がおっても。」
「人間がやったことは。」
「人間の事件や。」
⸻
午後二時四十七分。
写真館を出る。
祭り。
さらに。
賑わっている。
人。
浴衣。
屋台。
笑い声。
その中を。
警察が。
静かに動き始める。
誰にも。
気付かれないように。
大石俊郎。
探す。
悠は。
歩きながら。
昔の駐在を思い出していた。
第53話。
『殺人事件なんて無かった。』
あれ。
ただの言い間違い。
ではなかった。
知っていた。
最初から。
⸻
透が。
隣。
「悠。」
「何。」
「大石。」
「俺。」
「昔。」
「話した。」
悠。
「いつ。」
「事件の翌日。」
透の表情。
硬い。
「メアリーがいない。」
「圭介も。」
「春人も。」
「紗季も。」
「悠は。」
「何も覚えてなかった。」
悠。
「俺。」
「その時から?」
透。
「翌朝。」
「お前。」
「普通に。」
『メアリー?』
『誰だっけ。』
そう言った。
悠の身体。
冷える。
透。
「だから。」
「俺。」
「警察へ行った。」
「写真も。」
「全部。」
悠。
「大石に?」
透。
頷く。
「最初に。」
「大石さん。」
悠。
「写真は?」
透。
「返ってこなかった。」
静寂。
「証拠。」
榊原。
話を聞いていた。
「十二年前。」
「秋山が提出した写真を。」
「大石が持っとった可能性。」
宮本。
「捜査資料に。」
「秋山透から写真提出の記録。」
端末。
「……ありません。」
榊原。
「ダボ。」
低い。
怒り。
「握り潰したんか。」
透。
「だから。」
「誰も信じてくれなかった。」
今になって。
透の十二年間。
また。
意味が変わる。
警察へ行かなかった。
のではない。
行った。
信じてもらえなかった。
だけでもない。
証拠そのものが消された。
⸻
その時。
悠のスマートフォン。
震える。
知らない番号。
全員。
止まる。
悠。
画面。
SMS。
一通。
⸻
『思い出させるな。』
⸻
榊原。
「見せて。」
続けて。
二通目。
⸻
『今度こそ、あの子を行かせろ。』
⸻
メアリー。
顔が。
青ざめる。
三通目。
⸻
『六時十分。時計台。』
⸻
透。
「誘導。」
悠。
「誰。」
榊原。
「返信すんな。」
宮本。
「発信元照会します。」
その瞬間。
四通目。
画像。
一枚。
悠が。
開く。
写真。
現在。
時計台。
その前。
一人の男。
私服。
帽子。
後ろ姿。
しかし。
横顔。
分かる。
大石俊郎。
そして。
彼の隣。
高校生。
三浦圭介。
悠。
息を呑む。
「圭介……。」
透。
カメラを構える。
遠い。
時計台。
望遠。
ファインダー。
大石。
一人。
透。
「……圭介は。」
「写ってない。」
つまり。
悠のスマホへ送られた画像。
偽物。
加工?
怪異?
分からない。
ただ。
大石は。
本当に。
時計台にいる。
榊原。
無線。
「全員!」
「時計台へ!」
走る。
祭りの人混み。
浴衣。
子ども。
屋台。
その中を。
悠たちは。
逆方向へ。
走る。
午後三時二分。
時計台。
まだ。
三時間以上。
なのに。
大石は。
もう。
そこへ向かっている。
⸻
時計台広場。
遠く。
大石俊郎。
一人。
塔を見る。
悠。
「大石さん!」
男が。
振り返る。
穏やかな。
いつもの顔。
少し。
驚く。
「黒瀬くん。」
榊原。
「動くな!」
周囲。
ざわつく。
祭り客。
警察。
榊原が。
手帳。
「大石俊郎。」
「十二年前のことで話がある。」
大石。
榊原を見る。
宮本。
透。
悠。
そして。
彼には見えない。
メアリー。
「十二年前?」
大石。
笑う。
「何の話です。」
榊原。
「時計台。」
大石の笑顔。
消える。
「午後六時十二分。」
榊原。
一歩。
「白人の女子高生。」
「メアリー・アンダーソン。」
大石の顔。
ほんの一瞬。
変わった。
透。
見逃さない。
榊原も。
「知っとるな。」
大石。
「……行方不明の子。」
悠。
「違う。」
大石。
見る。
悠。
「メアリーは。」
「六時十二分。」
「時計台から出てる。」
大石の顔。
完全に。
固まる。
「誰から。」
声。
低くなる。
「誰から聞いた。」
榊原。
「やっぱり知っとるやん。」
大石。
「……。」
そして。
時計台を見る。
「思い出したのか。」
悠。
「何を。」
大石。
もう。
笑っていない。
「あの子が。」
「自分が死んだ理由を。」
メアリー。
大きく。
息を呑む。
悠。
拳を握る。
榊原。
「署で聞く。」
大石。
「遅い。」
「何が。」
「もう。」
時計。
午後三時五分。
大石。
「始まってる。」
その瞬間。
時計台。
ゴォン――。
鐘。
一度。
誰も。
鳴らしていない。
祭り客。
驚く。
大石。
目を閉じる。
「今年は。」
「早すぎる。」
榊原。
「何を知っとる。」
大石。
悠を見る。
そして。
その隣。
何もない場所。
メアリー。
見えていない。
はずなのに。
視線が。
彼女の位置で。
止まる。
「メアリー。」
全員。
凍る。
悠。
「見えるのか。」
大石。
「見えん。」
「でも。」
「分かる。」
メアリー。
震える。
大石。
続ける。
「十二年前。」
「私が。」
声。
掠れる。
「君を。」
悠。
一歩。
榊原。
構える。
大石。
ゆっくり。
言った。
「車に乗せた。」
⸻
メアリーの記憶。
一気に。
戻る。
雨。
パトカーではない。
白い車。
後部座席。
春人。
いない。
自分。
一人。
大石。
運転。
『送っていく。』
『友達は警察が探す。』
メアリー。
泣いている。
『悠ちゃん……。』
大石。
『大丈夫。』
走る。
町。
離れる。
海。
道路。
そして。
大石。
ルームミラー。
顔。
怖い。
『何を見た。』
メアリー。
『……。』
『時計台で。』
『何を見た。』
メアリー。
泣きながら。
『人が。』
『二人。』
大石。
「……。」
『同じ人が。』
車。
急に。
止まる。
⸻
現在。
メアリーが。
叫ぶ。
「思い出した!」
悠。
「何!」
メアリー。
涙。
「この人。」
大石を見る。
「私を。」
「車に。」
「それから。」
記憶。
ドア。
海沿い。
雨。
倉庫?
いや。
違う。
「……。」
メアリー。
身体。
急に。
透ける。
悠。
「メアリー!」
透。
「止めろ!」
榊原。
「思い出すな!」
メアリー。
苦しそう。
「でも。」
「もう。」
「止められん。」
記憶。
車外。
大石。
もう一人。
誰か。
傘。
顔。
見えない。
大石。
『この子は見てる。』
もう一人。
『なら。』
その声。
聞いたことがある。
町。
毎日。
誰か。
メアリー。
目。
見開く。
「……。」
大石が。
叫ぶ。
「思い出すな!!」
全員。
大石を見る。
彼の顔。
恐怖。
罪悪感。
「思い出したら。」
「メアリーは消える!」
透。
「知ってたのか!」
大石。
「知ってる!」
怒鳴る。
「だから十二年間!」
拳。
震える。
「名前を消した!」
「写真も!」
「記録も!」
「町から!」
榊原。
「何の権利で!!」
大石。
「残すためだ!!」
静寂。
「忘れられれば。」
大石。
メアリーの位置を見る。
「ここにいられる。」
「だから。」
悠。
「お前。」
「メアリーを助けるために。」
「事件を消した?」
大石。
「……。」
返事。
ない。
それ自体が。
答え。
だが。
殺したのは。
誰。
まだ。
分からない。
大石。
「私は。」
「殺してない。」
榊原。
「なら誰や。」
大石の顔。
苦痛。
「言えない。」
「言え!」
「言ったら。」
時計台。
見る。
「また。」
「扉が開く。」
鐘。
二度目。
ゴォン――。
時計。
午後三時七分。
だが。
文字盤。
針。
動き始める。
勝手に。
高速。
三時。
四時。
五時。
そして。
六時十分。
止まる。
町の人々。
ざわめく。
祭り。
まだ。
始まってすらいない。
透。
「来る。」
悠。
「何が。」
大石。
震える声。
「六時十二分の続きが。」
⸻
――第71話・完――
後書き
ここで、大石俊郎が十二年前の事件に深く関与していたことが確定しました。
ただし、大石自身がメアリーを殺したとはまだ確定していません。
分かったのは、
* 六時十二分、メアリーは時計台から生還していた。
* 大石は彼女を車へ乗せた。
* 大石は事件後、透の写真や捜査記録を意図的に消していた。
* その理由の少なくとも一つは、「メアリーが自分の死を思い出せば消えてしまう」と知っていたから。
* そして車を降りた先には、もう一人の人物がいた。
つまり大石は、犯人そのものというより、長年「真相を隠した側」にいます。
次回、第72話は**「もう一人」**。
十二年前、雨の中で大石がメアリーを連れて行った相手。
その声を、メアリーは町へ戻ってからすでに何度も聞いています。
そしてここからは、怪異側の核心と人間側の犯人が、ようやく別々の輪郭を持ち始めます。




