六人だった夏
Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第67話
六人だった夏
⸻
前書き
思い出すのは、
事件だけではない。
くだらない喧嘩。
好きだったジュース。
誰が足が速かったか。
誰が一番よく遅刻したか。
そんなものまで、
記憶という。
むしろ。
人を人として残しているのは、
そういう、
どうでもいい記憶なのかもしれない。
⸻
午後五時十二分。
海鳴町。
神社前。
蝉の声が、少しずつ弱くなっていた。
昼間の刺すような日差しも傾き始め、境内には長い影が伸びている。
悠たちは、しばらく誰も動かなかった。
秋山透は石段へ座っていた。
両肘を膝に乗せ、
俯いている。
もう泣いてはいなかった。
ただ。
目元には赤みが残っている。
悠は少し離れたところから、その背中を見ていた。
何を言えばいいのか分からない。
八年間。
死んだとも、生きているとも分からない弟を探し続けた男。
その弟が。
消えた日の一分後。
一度だけ戻っていた。
そして。
兄へ謝った。
そんな事実を今さら知らされて、
何を言えばいい。
「……腹減った。」
レイだった。
悠が振り返る。
「お前さぁ。」
「いや。」
レイは真顔だった。
「こういう時だからだよ。」
透も顔を上げる。
「人間。」
レイは腹を押さえる。
「どんだけヤバいことあっても腹は減る。」
榊原が鼻で笑った。
「ええこと言うた風にまとめんな。」
「いや名言でしょ。」
「ただの腹減ったや。」
宮本まで小さく笑った。
その時。
ぐぅぅぅ。
誰かの腹が鳴った。
全員が止まる。
悠ではない。
レイでもない。
榊原でもない。
視線が。
一人へ集まる。
「……。」
透。
「お前かよ。」
悠が吹き出した。
透は顔を逸らす。
「昨日から食べてない。」
「はぁ!?」
今度は榊原が怒鳴った。
「アホかお前!」
「食欲なかった。」
「そら倒れるわ!」
「倒れてない。」
「そういう問題ちゃう!」
榊原は立ち上がった。
「飯!」
「え?」
「全員飯!」
「いやでも捜査――」
「腹減った状態でまともな頭回るか!」
刑事なのか母親なのか分からない。
レイが悠の肩を叩く。
「決定。」
悠も笑った。
「そうだな。」
メアリーが透の横へしゃがむ。
「透くん。」
「なに。」
「昔もご飯忘れてたよね。」
「……。」
「写真撮ってる時。」
「忘れてない。」
「忘れてた。」
「集中してただけ。」
「それをご飯忘れてるって言うんやよ。」
透が。
ほんの少しだけ。
笑った。
⸻
午後五時三十分。
喫茶店「つばめ」。
カラン。
ドアベルが鳴る。
柏木修一が顔を上げる。
「いらっしゃ――」
止まった。
悠。
レイ。
榊原。
宮本。
そして。
最後に入ってきた透。
柏木の目が大きくなる。
「……透くん。」
透は少し気まずそうに頭を下げる。
「久しぶりです。」
「久しぶりって。」
柏木は呆れたように笑う。
「店の前は毎日のように通っとるやないか。」
「……。」
「一回も入らんけど。」
レイが横から言う。
「そういう奴なんですよ。」
「今日知り合ったみたいな言い方すんな。」
透が返す。
柏木が笑った。
本当に。
嬉しそうに。
「座れ。」
「今日は奢りや。」
榊原が即答する。
「警察が奢られるわけには――」
「刑事さんに言うてへん。」
「え?」
「透くんだけ。」
レイが吹き出す。
悠も笑った。
榊原だけ。
「なんやねん。」
と不満そうだった。
⸻
奥の大きなテーブル。
五人が座る。
悠。
レイ。
透。
榊原。
宮本。
そして。
誰にも見えない六人目。
メアリー。
透だけは。
当たり前のように。
一席分を空けた。
悠はそれに気付いた。
「……そこ。」
「メアリー。」
透が答える。
メアリーが笑う。
「ありがとう。」
悠は。
少し胸が痛くなった。
昔も。
こんなふうだったのだろうか。
六人。
いや。
十二年前は。
もう一人。
白石紗季。
そして春人。
人数が合わない。
まだ。
記憶の中の席が。
埋まっていない。
⸻
柏木が料理を運んでくる。
ナポリタン。
カレー。
サンドイッチ。
オムライス。
そして。
透の前。
大盛りカツカレー。
透が目を丸くする。
「多い。」
柏木。
「昨日から食ってないんやろ。」
透が悠を見る。
「言った?」
「俺じゃねぇ。」
榊原が親指を立てる。
「私や。」
「……。」
「食え。」
透は。
しばらくカレーを見る。
そして。
スプーンを持った。
一口。
二口。
最初はゆっくり。
やがて。
黙々と食べ始める。
メアリーが笑う。
「お腹空いてたんやん。」
「……うるさい。」
「昔と一緒。」
「だからうるさい。」
悠も笑った。
「お前。」
「高校の時もこんなだった?」
メアリー。
「もっと喋らんかった。」
レイ。
「これ以上?」
透。
「お前誰だよ。」
「レイ。」
「知ってる。」
「じゃあ聞くなよ。」
少しずつ。
空気が戻る。
事件のない。
普通の会話。
⸻
食事が半分ほど進んだ頃。
柏木が。
古いアルバムを持ってきた。
「これ。」
「何です?」
悠。
「さっき探した。」
テーブルへ置く。
写真館のものではない。
喫茶店で撮った。
スナップ写真。
常連客。
高校生。
家族。
「昔。」
柏木が言う。
「店で使い捨てカメラ置いとったんよ。」
「客が勝手に撮って。」
「現像したらアルバムに入れる。」
ページをめくる。
九年前。
十年前。
十一年前。
そして。
十二年前。
「……あ。」
悠の指が止まる。
写真。
高校生たち。
春人。
透。
メアリー。
白石紗季。
そして。
悠。
五人。
いや。
写真の端。
もう一人いる。
男子高校生。
短い髪。
少し日に焼けている。
笑顔。
悠の胸が。
強く鳴った。
「……誰。」
メアリーも。
写真を見る。
顔色が変わる。
「……。」
透は。
目を伏せた。
「透。」
悠が聞く。
「誰なんだ。」
透は答えない。
「六人目だろ。」
沈黙。
柏木が不思議そうに言った。
「何言っとるんや。」
悠を見る。
「友達やろ。」
「いつも一緒やった。」
「名前。」
悠の声が。
少し震える。
「名前は?」
柏木が答えようとする。
その瞬間。
店内の時計。
カチ。
止まった。
午後五時五十八分。
六時十分ではない。
榊原が立ち上がる。
「……またか。」
照明が。
一度。
二度。
点滅する。
そして。
柏木が。
「あれ?」
首を傾げる。
写真を見る。
「……誰や。」
悠の背筋が冷える。
「今。」
「知ってるって言っただろ。」
柏木。
「言うた?」
「この人!」
写真の少年を指す。
柏木は。
本当に分からない顔をしている。
「知らん。」
レイ。
「嘘だろ。」
「今さっき――」
透が低く言う。
「始まった。」
悠。
「何が。」
透。
「消される。」
「記憶が。」
⸻
メアリーが。
写真へ手を伸ばす。
その指が。
少年の顔へ触れる。
瞬間。
彼女の視界が変わった。
⸻
十二年前。
喫茶店。
六人。
春人。
透。
紗季。
悠。
メアリー。
そして。
少年。
「俺ナポリタン!」
「また?」
メアリーが笑う。
少年も笑う。
「ええやん。」
春人。
「お前昨日も食ってただろ。」
「好きなんやからしゃーない。」
透が。
カメラを構える。
少年が。
「撮んなや!」
カシャ。
笑い声。
悠。
「明日の祭りどうすんの?」
少年。
「時計台。」
紗季の表情が変わる。
「やめた方がいい。」
少年が笑う。
「なんで?」
紗季。
「……嫌な感じする。」
少年は。
メアリーを見る。
「大丈夫。」
そして。
笑う。
「俺がおるから。」
⸻
現在。
メアリーが。
写真から手を離す。
「……思い出した。」
悠が立ち上がる。
「誰。」
メアリー。
涙。
「……圭介。」
透が。
目を閉じる。
「そう。」
「名前は。」
「三浦圭介。」
悠の頭に。
激痛。
「っ……!」
床が揺れる。
いや。
記憶。
⸻
十二年前。
夕焼け。
六人。
走っている。
圭介が先頭。
「早く!」
春人。
「待て!」
メアリー。
「圭介!」
透。
カメラ。
紗季。
泣いている。
そして。
悠自身。
「行くな!」
圭介が振り返る。
笑う。
「大丈夫。」
時計台。
六時九分。
そして。
六時十分。
⸻
悠が。
テーブルへ手をつく。
「……圭介。」
名前を口にした瞬間。
何かが。
戻った。
友達。
幼馴染。
小学校。
中学校。
高校。
海。
自転車。
喧嘩。
ゲーム。
夏休み。
何百もの記憶。
一気に。
「なんで……。」
悠の涙が。
落ちる。
「なんで俺。」
「忘れてた。」
透は。
答えた。
「忘れたんじゃない。」
「忘れさせられた。」
榊原。
「誰に。」
透。
「分からない。」
「でも。」
写真を見る。
「十二年前。」
「六時十分。」
「最初に消えたのは。」
全員。
透を見る。
「メアリーじゃない。」
透の声が。
震える。
「圭介だ。」
⸻
静寂。
これまで。
メアリーの死が。
事件の中心だと思っていた。
違った。
その前に。
一人。
消えていた。
そして。
その存在そのものが。
町の記憶から。
消されている。
悠。
「圭介は。」
「どうなった。」
透は。
しばらく答えない。
「時計台で。」
「俺たちは。」
声が掠れる。
「圭介が消えるところを見た。」
メアリーが。
震える。
「……私。」
頭を押さえる。
「そのあと。」
「追いかけた。」
透が頷く。
「そう。」
「メアリーが。」
「圭介を追って。」
「六時十分の向こうへ入った。」
悠の呼吸が止まる。
だから。
メアリーも。
死んだ?
いや。
消えた?
まだ。
そこは分からない。
透。
「春人は。」
「メアリーを追った。」
「紗季も。」
「俺は。」
拳を握る。
「怖くて。」
「動けなかった。」
悠。
「俺は?」
透が。
悠を見る。
長い沈黙。
そして。
ついに。
悠がずっと避けていた問いへ。
答えた。
「お前は。」
「俺を殴った。」
「……は?」
レイが。
「え?」
透は。
少し笑った。
「思いっきり。」
悠。
「なんで。」
「俺が行こうとしたから。」
「どこへ。」
「向こう。」
透は。
目を伏せる。
「お前。」
「俺を殴って。」
『お前は残れ!』
そう叫んだ。
悠の胸が。
強く鳴る。
透。
「それから。」
「自分が行った。」
メアリーが。
悠を見る。
透の声。
「お前が守ろうとしたのは。」
「メアリーじゃない。」
「春人でも。」
「圭介でもない。」
悠。
「じゃあ。」
透。
「俺だ。」
静寂。
「お前は。」
「俺を残した。」
透の目から。
涙が落ちる。
「全部覚えてる人間を。」
⸻
悠は。
何も言えなかった。
十二年間。
なぜ透だけが。
記録していたのか。
なぜ透だけが。
全員を覚えていたのか。
なぜ写真を撮り続けたのか。
答え。
悠自身が。
透を。
こちら側へ残した。
「だから。」
透が。
泣きながら笑う。
「腹立ってんだよ。」
悠。
「……。」
「お前。」
「勝手に俺残して。」
「自分は全部忘れて。」
「十二年後。」
「何も知らない顔して戻ってきやがって。」
声が震える。
「ふざけんなよ。」
悠は。
何も言い返せない。
透。
「俺。」
「ずっと待ってたんだぞ。」
その言葉で。
悠の中の何かが。
崩れた。
「……ごめん。」
透。
「謝んな。」
「でも。」
「謝んなよ。」
透は。
顔を伏せた。
「戻ってきたんだから。」
「それでいい。」
⸻
メアリーが。
二人の間へ。
そっと立つ。
触れられない。
でも。
悠の肩へ。
透の肩へ。
両手を置く。
「二人とも。」
笑う。
泣きながら。
「アホやなぁ。」
悠も。
透も。
少し笑った。
十二年ぶり。
ようやく。
友達に戻った。
⸻
その時。
店の時計が。
カチ。
再び動いた。
午後六時一分。
止まっていた時間。
三分。
それだけ。
柏木が。
「あれ?」
写真を見る。
そして。
「圭介くん。」
全員が振り返る。
柏木。
「三浦圭介くんや。」
記憶が。
戻っている。
透が。
「名前。」
「思い出したから。」
榊原。
「名前を呼べば戻る?」
透。
「たぶん。」
「記憶は。」
「完全には消えてない。」
「隠されてるだけ。」
悠は。
写真を見る。
六人。
春人。
透。
メアリー。
紗季。
圭介。
悠。
六人だった。
ようやく。
人数が合った。
⸻
午後七時十八分。
外。
祭り前夜。
提灯が灯り始める。
町内会の人々。
屋台。
子ども。
太鼓の練習。
海鳴町は。
明日の夏祭りへ向けて。
動いている。
悠と透は。
二人で。
海沿いのベンチへ座っていた。
レイたちは。
少し離れたところ。
メアリーも。
今日は。
二人にしてくれた。
悠。
「透。」
「何。」
「十二年前。」
「俺。」
「なんでお前を残した。」
透は。
海を見る。
「分からない。」
「でも。」
「最後に言った。」
悠。
「何て。」
透は。
十二年前の。
親友の言葉を。
そのまま返した。
「誰か一人くらい。」
「全部覚えてないと。」
悠は。
目を閉じた。
自分らしいのか。
自分らしくないのか。
分からない。
でも。
その言葉だけは。
胸へ落ちた。
「そっか。」
透。
「うん。」
少し沈黙。
悠。
「ありがとな。」
透。
「何が。」
「覚えててくれて。」
透は。
海を見る。
「仕事だから。」
悠が笑う。
「何の仕事だよ。」
透も。
少し笑った。
「知らん。」
⸻
遠く。
時計台。
六時十分を指したまま。
止まっている。
だが。
町の時計は。
動いている。
午後七時二十二分。
明日。
八月十五日。
十二年前と同じ祭り。
そして。
六時十分。
今度は。
逃げない。
悠は。
そう決めた。
⸻
その夜。
午後十一時四十七分。
宿。
悠は眠っていた。
夢。
十二年前。
夏祭り。
六人。
笑っている。
圭介。
初めて。
顔がはっきり見える。
「悠。」
「ん?」
圭介が。
ラムネを飲む。
「明日さ。」
「何。」
「もし。」
少し笑う。
「俺のこと忘れても。」
悠。
「何言ってんだよ。」
「忘れるわけねぇだろ。」
圭介。
「そっか。」
笑顔。
でも。
どこか寂しい。
「じゃあ。」
「約束。」
「何。」
圭介が。
小指を出す。
「もう一回。」
「見つけて。」
悠は。
目を覚ました。
暗い部屋。
荒い呼吸。
涙。
「……圭介。」
スマートフォン。
午前零時。
日付が変わる。
八月十五日。
十二年前。
すべてが始まった日。
そして。
今年。
すべてを終わらせる日。
窓の外。
遠くから。
祭り太鼓が。
一度だけ。
聞こえた。
ドン――。
⸻
――第67話・完――
後書き
ここでようやく、六人目・三浦圭介の名前が戻りました。
ただし彼は「終盤に突然追加された新しい謎」ではなく、これまで存在していた削られた六人目そのものです。
そして重要なのは、悠が十二年前に守ろうとした相手。
それはメアリーではなく、秋山透でした。
「誰か一人くらい、全部覚えてないと。」
その役目を透は十二年間、本当に果たしてきた。
ここからは残り19話。
次回第68話は、いよいよ八月十五日の朝。
ただし、すぐ決戦には入りません。
祭りの朝。
商店街。
浴衣。
屋台。
懐かしい人たち。
そして十二年前の回想。
ここから第74話まで、現在と過去が徐々に重なりながら、午後六時十分へ向かっていきます。




