神社の裏
Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第66話
神社の裏
⸻
前書き
扉は、
開けるためにある。
でも。
中には、
閉じたままの方がいい扉もある。
問題は。
それを決めるのが、
いつも扉の外にいる人間だということだ。
中にいる誰かは、
ずっと。
開けてもらうのを待っているかもしれない。
⸻
午後二時十分。
海鳴町。
中村写真館前。
透が先頭に立っていた。
黒いパーカー。
首からカメラ。
細い肩。
昔よりずっと痩せた。
けれど歩き方には迷いがなかった。
悠は、その背中を見ながら妙な感覚を覚えていた。
ついさっきまで。
追う側と追われる側だった。
監視されていた。
逃げられた。
何度も。
それが今では。
同じ方向へ歩いている。
「なんか変だな。」
悠が呟く。
透が振り返らずに答える。
「何が。」
「お前が普通に一緒にいるの。」
レイが横から口を挟む。
「たしかに。」
「さっきまで完全に不審者だったからな。」
透は少しだけ笑った。
「今も大して変わらない。」
「自覚あんのかよ。」
「ある。」
その短いやり取りに。
ほんの少しだけ。
十二年前の空気が混ざった気がした。
メアリーも、それを感じたのだろう。
透の横顔を見ながら。
小さく笑った。
「懐かしい。」
悠が聞く。
「何が?」
「透くん。」
「昔からこんなんやった。」
透がメアリーを見る。
「余計なこと言うな。」
「ほんとやもん。」
その一瞬だけ。
事件を忘れた。
でも。
透はすぐに前を向いた。
「急ぐ。」
「六時までに戻る。」
榊原が腕時計を見る。
午後二時十二分。
「残り三時間四十八分。」
宮本が言う。
「神社までは?」
「徒歩十五分。」
透が答える。
「裏手から入るなら。」
榊原が眉を寄せた。
「裏手?」
「正面から行くと。」
透は言葉を切る。
「見られる。」
全員が足を止めた。
「誰に?」
悠が聞く。
透は答えない。
代わりに。
商店街の屋根の上を見る。
「誰かに。」
レイがため息を吐く。
「その言い方やめろ。」
「怖ぇんだよ。」
透はそれ以上言わなかった。
⸻
神社へ向かう道。
昼間。
住宅街。
洗濯物。
庭先の自転車。
犬の鳴き声。
どこにでもある町。
だからこそ。
今から向かう場所が。
余計に異物に感じられた。
途中。
駄菓子屋の前。
木村トメが椅子へ座り。
扇子で顔を仰いでいた。
悠たちを見る。
そして。
透を見た瞬間。
扇子の動きが止まる。
「……透ちゃん。」
透も立ち止まる。
「トメさん。」
老人は。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
小さく笑った。
「やっと。」
「一緒に歩けるようになったんやね。」
透は返事をしなかった。
トメは、悠へ視線を移す。
「黒瀬くん。」
「はい。」
「今日は。」
扇子を閉じる。
「六時十分まで。」
声が少し低くなる。
「時計見たらあかんよ。」
榊原がすぐ反応する。
「なんで?」
トメは首を横に振る。
「見るから。」
「何が。」
「昔の人。」
それだけ言うと。
「ラムネ持ってき。」
いつもの顔に戻った。
レイが思わず苦笑する。
「情報とラムネの差がすげぇな。」
トメは笑う。
「暑いやろ。」
悠はラムネを受け取る。
一本多い。
五本。
悠。
レイ。
榊原。
宮本。
透。
メアリーには。
本来いらない。
でも。
トメは当然のように。
悠の横へ一本差し出した。
「メアリーちゃんの分。」
メアリーが目を丸くする。
「……ありがとう。」
聞こえないはずの声。
でも。
トメは。
少しだけ笑った。
⸻
午後二時三十五分。
神社。
正面ではない。
裏手。
透の案内で。
古い住宅の間を抜け。
細い坂道へ入る。
道というより。
獣道に近い。
雑草。
竹。
木の根。
夏の湿気。
虫の声。
空気が一気に変わる。
「こんな道あったか?」
悠が聞く。
透が答える。
「昔からある。」
「地元でもほとんど使わない。」
「蓮はなんで知ってた。」
「野球のボール。」
「え?」
「中学の時。」
「ここまで飛ばした。」
レイが笑う。
「どんなホームランだよ。」
透も少し笑った。
「本人はそう言ってた。」
兄弟の話。
それだけで。
透の表情が少し柔らかくなる。
だが。
その柔らかさは。
すぐ消えた。
「八年前。」
「蓮が。」
「ここに入った。」
道の先。
木々の隙間から。
古い石垣が見えた。
苔。
ひび。
その奥。
小さな祠。
屋根は半分崩れている。
神崎文江が世話をしている表の神社とは。
明らかに違う。
「これ何だ。」
宮本が聞く。
透は答えた。
「旧社。」
「今の神社ができる前。」
「ここにあった。」
榊原が周囲を見る。
「いつの?」
「明治より前。」
「祭神は。」
「分からない。」
「記録が消えてる。」
榊原が透を見る。
「消えた?」
「役場の古文書。」
「一部だけ。」
「旧社に関するページが切り取られてた。」
新しい大謎を増やさない。
悠は自分にそう言い聞かせるように。
今あるものだけを見る。
蓮が来た場所。
透が避けてきた場所。
そして。
「扉は?」
悠が聞く。
透は祠の裏へ回る。
雑草を掻き分ける。
土。
石。
木の根。
その下。
鉄板。
いや。
扉。
地面へ埋め込まれた。
古い金属扉。
大人一人が通れる程度。
取っ手。
鍵穴。
「これ……。」
榊原がしゃがむ。
「地下?」
透は頷く。
「蓮が見つけた。」
「お前は入ったのか。」
透は数秒黙る。
「一度だけ。」
全員が透を見る。
「いつ。」
「蓮が消えた翌日。」
「中に何があった。」
透の顔が強張る。
「覚えてない。」
悠が眉をひそめる。
「覚えてない?」
「入った。」
「階段を降りた。」
「その先。」
「……気付いたら。」
透は自分の手を見る。
「時計台の前にいた。」
「午後六時十一分。」
空気が冷える。
メアリーが小さく言う。
「一分。」
透が頷く。
「俺のカメラには。」
「四百六十三枚。」
「写真が増えてた。」
榊原の目が変わる。
「何が写ってた。」
「全部。」
透は答える。
「真っ黒。」
⸻
悠は地面の扉を見る。
開けたくない。
それが自然な感情だった。
だが。
蓮のノート。
『もし僕がいなくなったら、時計台じゃなくて神社の裏を見て』
少年が。
兄を助けるために残した言葉。
透はポケットから。
小さな鍵を出す。
「これ。」
「蓮の机にあった。」
鍵穴へ差す。
回す。
ガチャン。
誰も動かない。
透は。
悠を見る。
「ここから先。」
「お前は。」
言葉を切る。
「何を見ても。」
「自分の記憶だと思うな。」
悠は眉を寄せる。
「どういう意味だ。」
「ここは。」
透が扉へ手を掛ける。
「見たいものを見せる。」
「それが。」
「一番怖い。」
扉が開く。
ギィィィ……。
下。
石段。
闇。
冷たい空気。
土の匂い。
そして。
かすかに。
海の匂い。
「なんで海の匂いすんだよ。」
レイが呟く。
誰も答えない。
榊原が懐中電灯を点ける。
「私が先。」
「いや。」
透が止める。
「俺。」
「道を知ってる。」
「覚えてないんじゃなかったのか。」
榊原。
透は。
少し皮肉っぽく笑った。
「身体は覚えてる。」
悠には。
その言葉が嫌だった。
⸻
地下。
一段。
二段。
三段。
石段は。
思った以上に深い。
懐中電灯の光が。
前方数メートルだけを照らす。
壁は。
削られた岩。
人工的。
ところどころ。
古い木材で補強されている。
「防空壕?」
宮本が言う。
透は首を横に振る。
「もっと古い。」
「地下道?」
「たぶん。」
歩く。
空気が冷たい。
夏の汗が。
逆に寒さへ変わる。
レイが。
「これ絶対。」
「Tシャツ一枚で来る場所じゃねぇ。」
悠が答える。
「今さら言うな。」
「薄着のお前に言われたくねぇ。」
小さな会話。
緊張している。
だから喋る。
悠にも分かる。
その時。
メアリーが止まった。
「……。」
悠も止まる。
「どうした。」
メアリーの目。
壁。
「ここ。」
そこには。
何かが彫られている。
古い。
文字。
ひらがな。
いや。
名前。
榊原が光を当てる。
一つ。
二つ。
何十。
人名。
年代。
昭和。
平成。
古いものは。
戦前。
「何だこれ。」
宮本が呟く。
透は見ない。
「見ない方がいい。」
「理由は。」
「名前が。」
透の声が。
少し震えた。
「増えるから。」
全員が黙る。
榊原が壁を見る。
「増えるって何や。」
透。
「俺が八年前に入った時。」
壁を指す。
「蓮の名前はなかった。」
メアリーが息を呑む。
悠は。
懐中電灯の光を。
ゆっくり下へ動かす。
新しい傷。
他の文字より。
明らかに新しい。
⸻
秋山 蓮
⸻
誰も声を出せなかった。
透は。
弟の名前を見なかった。
見ないようにしている。
「透。」
悠が呼ぶ。
「進む。」
透は答えた。
「見るな。」
自分に言っているようだった。
⸻
さらに奥。
通路が。
二つに分かれる。
右。
左。
透は迷わず右。
レイが聞く。
「左は?」
「行ったら。」
透。
「時計台に出る。」
全員が止まる。
「は?」
悠。
「時計台?」
「地下で繋がってる。」
「旧社と。」
「だから。」
透は振り返る。
「六時十分に。」
「時計台と神社。」
「両方で同じことが起きる。」
榊原が。
「じゃあ昔の管理人。」
「瀬川宗一も。」
透が頷く。
「たぶんここを知ってた。」
黒い帽子。
元時計台管理人。
十五年前に死んだ男。
十二年前。
そこにいた。
少しずつ。
役割が見えてくる。
犯人。
とは限らない。
むしろ。
この場所を管理していた側。
⸻
右の道。
突き当たり。
小さな木製扉。
透が止まる。
「ここ。」
「蓮が見つけた。」
鍵。
必要ない。
扉は。
少し開いていた。
榊原が。
「誰か入った?」
透は首を横に振る。
「昨日は閉まってた。」
「昨日来たのか。」
「毎日。」
レイが苦笑する。
「お前マジで寝てねぇだろ。」
透は無視する。
榊原がゆっくり扉を開く。
中。
狭い部屋。
机。
椅子。
棚。
そして。
大量の。
写真。
悠は息を呑む。
「また写真……。」
だが。
透のものではない。
もっと古い。
白黒。
セピア。
昭和。
平成初期。
同じ場所。
時計台。
旧社。
桟橋。
そして。
人。
どの写真にも。
同じものが写っている。
少し遠く。
子ども。
学生。
老人。
必ず。
誰か一人。
こちらを見ている。
玲子がいれば。
分析しただろう。
榊原は。
一枚ずつ見ながら。
「これ。」
「全部。」
「六時十分?」
透。
「裏。」
宮本が写真を裏返す。
日時。
18:10
次。
18:10。
次も。
18:10。
何十年分。
すべて。
「毎年?」
「いや。」
透が答える。
「最初は。」
「十数年に一度。」
「それが。」
「だんだん短くなった。」
悠の胸が。
嫌な音を立てる。
「今は?」
透。
「毎年。」
⸻
メアリーが。
部屋の隅へ歩く。
「……誰かいる。」
悠が振り返る。
「どこ。」
古い机。
下。
メアリーがしゃがむ。
そこ。
小さな箱。
野球のシール。
透の顔が変わる。
「蓮……。」
箱を出す。
鍵なし。
開ける。
中には。
カセット。
ボールペン。
そして。
写真。
蓮。
自撮り。
地下。
笑っている。
十七歳。
その後ろ。
扉。
さらに奥。
黒い帽子の男。
瀬川宗一。
だが。
今度の写真は。
怖くなかった。
男は。
蓮を追っていない。
手を伸ばしている。
まるで。
止めようとしている。
「……。」
透が写真を握る。
榊原が。
「この男。」
「助けようとしてる?」
透の声。
「俺も。」
「そう思う。」
黒い帽子。
敵。
ではない。
ようやく。
伏線の向きが変わる。
⸻
箱の底。
小さな録音機。
電池。
当然切れている。
だが。
森下から借りた。
携帯用再生機。
宮本が接続する。
「聞く?」
透は。
長く。
黙る。
「聞く。」
カセット。
回る。
ザー……。
蓮の声。
『兄ちゃん。』
透の指が。
震える。
『これ聞いてるなら。』
笑い声。
『たぶん俺、めっちゃ怒られてる。』
レイが。
少しだけ笑う。
透は笑えない。
『でも。』
『分かった。』
ノイズ。
『時計台じゃない。』
『あそこは入口。』
榊原。
身を乗り出す。
『本当の場所は。』
音が乱れる。
ザーッ。
『――の下。』
聞き取れない。
『六時十分は。』
蓮の声が。
急に真剣になる。
『時間じゃない。』
全員が固まる。
『合図。』
透が目を閉じる。
『誰かが。』
『六時十分に。』
その時。
録音へ。
別の音が入る。
足音。
『誰?』
蓮。
『……兄ちゃん?』
透の顔が。
変わる。
録音の中。
男の声。
低い。
『ここへ来るな。』
瀬川宗一。
おそらく。
蓮。
『あなた誰?』
『帰れ。』
『兄ちゃんのこと知ってる?』
沈黙。
そして。
男。
『秋山透を。』
『時計台から離せ。』
透の呼吸が。
止まる。
『どうして?』
『次は。』
ノイズ。
『あいつが――』
ガッ。
音が途切れる。
透が。
「続き。」
宮本。
「まだある。」
録音。
蓮が走る。
息。
階段。
『待って!』
『何なんだよ!』
その時。
女の声。
『蓮くん。』
透の目が見開かれる。
メアリーが。
「紗季……?」
白石紗季。
『こっち。』
蓮。
『白石先輩?』
『急いで。』
『なんでここに――』
そして。
最後。
蓮。
『兄ちゃん。』
『もし俺が帰れなかったら。』
泣き声ではない。
でも。
震えている。
『俺のこと探すな。』
透が。
顔を伏せる。
『お願いだから。』
『兄ちゃん。』
『もう。』
『自分のせいにしないで。』
ブツッ。
録音終了。
⸻
誰も動かない。
透の肩が。
小さく震えている。
十二年間。
いや。
八年間。
ずっと。
弟を探した。
自分のせいだと思って。
写真を撮り続けた。
記録した。
寝ることも。
人生も。
全部。
でも。
弟は。
最後に。
それを望んでいなかった。
「……ダボ。」
榊原が。
小さく呟いた。
誰に向けてか。
透か。
蓮か。
自分か。
分からない。
「一人で。」
「背負いすぎや。」
透は。
返事をしなかった。
⸻
その時。
宮本の無線。
ザッ。
『榊原さん。』
地上の警官。
『時間確認してください。』
榊原。
腕時計。
午後三時四十八分。
「何。」
『時計台の時計。』
ノイズ。
『止まりました。』
全員が固まる。
「何時で。」
沈黙。
『六時十分です。』
「今三時台やぞ。」
『分かってます。』
空気が。
変わる。
透が立ち上がる。
「早まった。」
悠。
「何が。」
「今年。」
透の顔。
初めて。
本気の恐怖。
「始まる時間が。」
「早まってる。」
榊原が。
「撤収。」
「全員戻るで!」
その瞬間。
地下の奥。
左の通路。
時計台へ続く方向。
ゴォォォン――。
鐘。
地下なのに。
すぐ近くから。
鳴った。
一度。
二度。
三度。
透が。
数える。
四。
五。
六。
そこで。
止まらない。
七。
八。
九。
メアリーの顔が。
真っ青になる。
十。
十一。
そして。
十二。
静寂。
悠。
「十二回……。」
透。
「違う。」
「十二じゃない。」
目を閉じる。
「呼んでる。」
「誰を。」
透の視線が。
悠へ。
「お前を。」
その瞬間。
左の通路。
暗闇。
誰かが立った。
高校生。
制服。
背が高い。
悠が。
「春人……?」
神崎春人。
十二年前の姿。
でも。
今回は。
透にも。
レイにも。
榊原にも。
宮本にも。
全員に見えた。
春人は。
悠だけを見る。
口を開く。
「来るな。」
次に。
メアリーを見る。
「まだ。」
悲しそうな顔。
そして。
透。
「蓮は生きてる。」
透の顔が。
崩れる。
「……何?」
春人。
もう一度。
「蓮は。」
「まだ向こうにいる。」
その瞬間。
通路奥から。
強烈な風。
懐中電灯が消える。
暗闇。
メアリーの悲鳴。
レイ。
「悠!」
榊原。
「動くな!!」
何かが。
悠の手首を掴む。
冷たい。
引っ張られる。
「っ!!」
透が。
悠の腕を掴む。
「行くな!!」
暗闇の中。
悠には。
見えた。
時計台。
六時十分。
そして。
その前。
一人の少女。
長い黒髪。
白石紗季。
その隣。
野球帽。
秋山蓮。
二人とも。
十二年前と。
八年前のまま。
そして。
その後ろ。
もう一人。
顔が見えない。
悠の頭が。
割れるように痛む。
「……六人目。」
声がした。
誰の声か分からない。
「思い出して。」
「悠。」
「お前が。」
「最後に――」
透が叫ぶ。
「聞くな!!」
その声で。
視界が戻る。
透。
榊原。
レイ。
メアリー。
全員。
悠を引っ張っている。
足元。
左の通路。
数センチ先。
床が。
ない。
深い穴。
もし。
あと一歩。
踏み出していたら。
落ちていた。
レイが。
青い顔で。
「マジかよ……。」
榊原。
「帰る。」
今度は。
誰も反対しない。
透は。
穴を見つめる。
そして。
小さく。
「蓮。」
返事はない。
ただ。
地下の奥から。
一度だけ。
カシャッ。
シャッター音が。
聞こえた。
⸻
地上へ戻る。
午後四時十三分。
まだ明るい。
蝉。
青空。
何事もなかったような夏。
全員。
しばらく。
何も言えなかった。
神崎文江が。
神社の境内に立っていた。
白い割烹着。
悠たちを見る。
そして。
透。
その顔を見て。
「聞いたんやね。」
透は。
何も答えない。
文江。
「蓮ちゃんの声。」
透の目が。
鋭くなる。
「知ってたんですか。」
老人は。
悲しそうに頷く。
「全部ではない。」
「でも。」
「八年前。」
「蓮ちゃんは。」
「ここから出てきた。」
透が。
固まる。
「……何?」
文江。
「六時十一分。」
「一分だけ。」
誰も。
息をしない。
「出てきて。」
「ワシに言うた。」
透の唇。
震える。
「何て。」
文江。
ゆっくり。
答える。
「兄ちゃんに。」
「ごめんって。」
透の膝から。
力が抜ける。
悠が。
支える。
透は。
初めて。
声を出して。
泣いた。
十二年間でも。
八年間でも。
なく。
少年のように。
ただ。
泣いた。
メアリーも。
隣で。
泣いていた。
誰も。
慰めなかった。
今は。
泣くべき時間だった。
⸻
時計台。
遠く。
止まった文字盤。
六時十分。
だが。
悠のスマホは。
午後四時十五分。
まだ。
二時間近くある。
しかし。
透が言った。
「もう。」
涙を拭いながら。
「今日じゃない。」
悠。
「何が。」
透。
時計台を見る。
「六時十分。」
「八月十五日。」
「本番は。」
「明日だ。」
風が吹く。
夏祭りの準備をする音が。
町の向こうから。
聞こえてきた。
提灯。
屋台。
太鼓。
十二年前と。
同じように。
海鳴町は。
明日の祭りを。
待っていた。
⸻
――第66話・完――
後書き
今回は、これまで積み上げたものをかなり回収しました。
黒い帽子の男・瀬川宗一は、少なくとも蓮を襲うために地下へいたわけではありません。むしろ「帰れ」「透を時計台から離せ」と警告していた。
そして八年前、秋山蓮は完全に消えたわけではなかった。
六時十一分に、一度だけ戻ってきている。
ここは今後かなり重要になります。
六時十分は「死の時刻」そのものではなく、何かが切り替わる合図。
そして一分後。
六時十一分。
そこに、まだ出口がある可能性が見えてきました。
残り20話。
次回第67話では少し空気を変えて、祭り前夜の海鳴町へ戻ります。
悠たちは一度休み、透も久しぶりに仲間と飯を食う。
そこで十二年前の五人+紗季の関係を、現在の会話から少しずつ取り戻していきます。
そして夜。
悠は、ずっと避けていた一つの質問を透へします。
「十二年前、俺は誰を守ろうとした?




