開かなかった箱
Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第65話
開けなかった箱
⸻
前書き
人は、
大事なものほど隠す。
盗まれたくないから。
壊されたくないから。
見られたくないから。
でも。
本当に大切なものは、
隠したままでは意味がない。
いつか。
誰かに見つけてもらわなければならない。
⸻
午後一時十五分。
海鳴町。
中村写真館。
午後の日差しが古いガラス戸を白く照らしていた。
店先には、相変わらず何十年も前の七五三や成人式の写真が並んでいる。
笑う家族。
泣きそうな子ども。
ぎこちない新婚夫婦。
この町で生きてきた人たちの時間。
悠は店の前で、一度だけ足を止めた。
ほんの数日前。
ここへ来た時には、
何も知らなかった。
秋山透はただの監視者に見えた。
中村老人は何かを隠している怪しい人物に見えた。
写真は不気味な証拠にしか見えなかった。
だが今は違う。
透は十二年間、
一人で記録を取り続けていた。
弟まで失った。
それでもやめなかった。
「行くで。」
榊原が先に戸を開ける。
カラン。
古いベルが鳴った。
店の奥から中村老人が顔を出した。
額にはまだ薄い包帯。
前よりも少し小さく見えた。
「……また来たか。」
榊原は軽く頭を下げる。
「体、大丈夫なん?」
「年寄りは案外しぶとい。」
老人はそう言って笑った。
だが。
悠が口を開いた瞬間。
その笑顔は消えた。
「秋山蓮のことです。」
静寂。
老人の目が変わる。
「……どこまで知った。」
「2018年8月15日。」
悠は答える。
「蓮はここへ何か預けていませんか。」
中村老人はしばらく悠を見つめていた。
やがて。
深く息を吐いた。
「来い。」
それだけ言うと、
店の奥へ歩き始めた。
⸻
写真館の裏手。
普段は客を入れない倉庫。
紙。
フィルム。
額縁。
古い三脚。
段ボール。
何十年分もの物が所狭しと積み上げられている。
老人はその中を迷いなく進んだ。
一番奥。
大きな棚。
下段。
布が掛けられている。
その布をゆっくり外す。
木箱。
古い。
小さな旅行鞄ほどの大きさ。
南京錠。
そして。
蓋には、
黒いマジックで書かれていた。
『秋山』
レイが小さく息を呑む。
「これ……。」
老人は頷いた。
「透が置いていった。」
「いつ?」
「八年前。」
全員が顔を上げる。
八年前。
蓮が消えた年。
「蓮が消えた三日後や。」
老人は続ける。
「透が来た。」
「あの子。」
「泣きもせんかった。」
「ただ。」
『これ預かってください』
そう言った。
「何が入ってるか聞いた?」
老人は首を横に振る。
「聞くなと言われた。」
「開けるなとも。」
「誰が取りに来る?」
「その時は。」
老人は悠を見る。
「黒瀬悠が来たら渡してくれ。」
悠の胸が重く沈む。
「俺……?」
「そうや。」
老人は静かに頷いた。
「透は。」
「お前がいつか戻ってくると思っとった。」
⸻
榊原が南京錠を見る。
「鍵は?」
「ない。」
「透が持っとる。」
宮本が腕を組む。
「壊しますか。」
老人は少し迷った。
だが。
「今さら止めても意味ないやろ。」
そう言って、
工具箱から金槌と太いドライバーを持ってくる。
榊原が手袋をはめる。
一度。
二度。
三度。
ガンッ!
南京錠が外れた。
木箱の蓋へ手を掛ける。
「開けるで。」
誰も止めなかった。
ギィ……。
長い間閉じられていた木の匂いが広がる。
中。
一番上にあったのは、
野球帽だった。
紺色。
色褪せている。
白い刺繍で、
小さく名前。
REN
メアリーが口元を押さえる。
「蓮くん……。」
その下。
野球のグローブ。
写真。
手紙。
小さなUSBメモリ。
そして。
カセットテープ。
レイが首を傾げる。
「なんでカセット?」
中村老人が答える。
「透の家。」
「親父さんが古いオーディオ好きでな。」
「子どもの頃から録音しとったらしい。」
箱の底。
一冊のノート。
表紙。
『兄ちゃんへ』
悠は、しばらくそれを開くことができなかった。
これは証拠ではない。
弟が兄へ残した言葉。
榊原も急かさない。
「……読む?」
メアリーが小さく聞いた。
悠は頷く。
ゆっくり。
一ページ目。
⸻
兄ちゃんへ。
勝手にカメラ使ってごめん。
でも、
兄ちゃんが何見てるのか、
俺も見たかった。
⸻
悠の胸が締め付けられる。
次のページ。
⸻
最近、
兄ちゃん変。
毎年8月15日になると、
ずっと時計台見てる。
母さんも心配してる。
でも、
理由聞いても教えてくれない。
⸻
次。
⸻
だから俺が調べた。
2018年8月13日。
時計台の北側。
6時10分。
窓に女の子がいた。
高校生くらい。
でも。
写真に写らなかった。
⸻
メアリーが息を呑む。
榊原は黙ってページを見ている。
⸻
2018年8月14日。
昨日の女の子をまた見た。
今度は写真に写った。
でも。
顔が変だった。
兄ちゃんに見せようとしたら、
写真が真っ黒になった。
⸻
そして。
最後。
2018年8月15日。
⸻
兄ちゃんへ。
もし僕がいなくなったら。
時計台じゃなくて。
神社の裏を見て。
そこに、
変な扉がある。
俺は一人で行く。
ごめん。
でも。
兄ちゃんがずっと一人でやってるから。
今度は俺が手伝う。
⸻
文章はそこで終わっていた。
誰も喋らない。
神社。
また。
そこへ繋がる。
レイが小さく呟く。
「蓮……。」
「兄ちゃん助けたかっただけじゃん。」
メアリーは俯いたまま。
「透くん。」
「だから。」
「ずっと……。」
声が震える。
悠には分かった。
秋山透は、
メアリーを守れなかった。
春人も救えなかった。
そして。
弟まで失った。
その全部を、
自分のせいだと思っている。
だからやめられない。
写真を。
記録を。
十二年間。
⸻
「USB。」
玲子がいないため、
宮本が証拠袋へ入れる。
「役場で確認しましょう。」
その時。
中村老人が言った。
「待て。」
全員が振り返る。
老人は木箱の底を指差した。
「二重底や。」
榊原が眉を上げる。
板を持ち上げる。
その下。
一枚だけ。
古い写真。
カラー。
十二年前。
祭りの日。
場所は、
時計台ではない。
神社。
裏手。
森。
そこに。
黒い帽子の男が写っている。
今までで一番、
顔がはっきりしていた。
五十代くらい。
角張った顔。
口元に髭。
作業着。
右頬に、
古い傷。
榊原の表情が変わる。
「ようやく。」
宮本も写真を見る。
「顔が出ましたね。」
だが。
中村老人だけが。
青ざめていた。
「……。」
悠が気付く。
「知ってるんですか。」
老人は答えない。
「中村さん。」
榊原の声が低くなる。
「誰や。」
老人の手が震える。
「その人。」
「……。」
「死んどる。」
静寂。
「いつ?」
宮本が聞く。
老人は写真を見つめる。
「十五年前。」
「事故で。」
悠の背筋が冷える。
「じゃあ。」
「十二年前の祭りに。」
「いるはずない……?」
老人は頷く。
その男の名前。
老人は絞り出すように言った。
「瀬川宗一。」
榊原がメモを取る。
「何者?」
「元。」
老人の声が掠れる。
「時計台管理人や。」
⸻
空気が変わった。
時計台。
六時十分。
黒い帽子。
十五年前に死んだ管理人。
悠は写真から目を離せない。
榊原はすぐ宮本へ指示を出す。
「死亡記録確認。」
「事故の詳細も。」
「了解。」
宮本が電話をかけるため外へ出る。
レイが呟く。
「もう完全に幽霊じゃねぇか。」
榊原が振り返る。
「まだ決めつけんな。」
「でも。」
「死んだ奴が写真に――」
「そっくりな別人。」
「昔の写真の日付違い。」
「加工。」
「考えられるもん全部潰してからや。」
「相変わらず強ぇな。」
「怖いから調べんねん。」
榊原はそう言った。
その言葉に、
悠は少しだけ彼女を見る。
怖くないわけではない。
この女刑事も。
ただ。
怖くても、
仕事を続ける。
それだけなのだ。
⸻
その時。
カシャ。
小さな音。
全員が止まった。
店の表。
写真館。
誰かがカメラを切った。
榊原が即座に走る。
「宮本!」
悠たちも後を追う。
店外。
午後の日差し。
通行人。
自転車。
誰も逃げていない。
しかし。
向かい側。
喫茶店「つばめ」の前。
男が一人立っている。
黒いパーカー。
カメラ。
秋山透。
「透!」
悠が叫ぶ。
透は逃げなかった。
初めて。
真正面から、
悠を見る。
疲れた顔。
頬は痩せている。
目の下に深い隈。
でも。
十二年前の映像にいた少年の面影は、
確かに残っている。
「透。」
悠は道路を渡る。
榊原が止めようとする。
「黒瀬!」
「大丈夫です。」
透は動かない。
十メートル。
五メートル。
悠は彼の前へ立った。
「逃げんな。」
透は少し笑った。
「逃げてない。」
「ずっと逃げてただろ。」
「違う。」
「お前らを近付けなかった。」
「同じだろ。」
透は何も言わない。
悠は拳を握る。
「蓮の箱。」
その名前を聞いた瞬間。
透の顔から、
すべての表情が消えた。
「……開けたのか。」
「あぁ。」
透は目を閉じた。
長い。
長い沈黙。
「そうか。」
それだけ。
悠は苛立った。
「そうかじゃねぇよ。」
「お前。」
「一人で何やってんだよ。」
透が顔を上げる。
「十二年前から。」
「全部。」
「なんで何も言わなかった。」
「言った。」
透は静かに答えた。
「何度も。」
「誰に。」
「警察。」
「町。」
「学校。」
「役場。」
榊原の顔が険しくなる。
「でも。」
透は笑った。
乾いた笑いだった。
「誰も信じなかった。」
⸻
メアリーは。
その横で、
透を見ていた。
「透くん。」
当然。
透には聞こえない。
はずだった。
しかし。
透の瞳が。
ゆっくり。
メアリーのいる場所へ向いた。
「……。」
メアリーが固まる。
悠も。
「透。」
「お前。」
透は何もない空間へ向かって、
小さく言った。
「久しぶり。」
メアリーの瞳から。
涙が落ちた。
「見えてる……?」
透は微笑んだ。
ほんの少し。
「最初から。」
⸻
誰も動けなかった。
悠の中で、
今までバラバラだったものが、
一つ繋がる。
透はなぜ、
メアリーの動きを知っていたのか。
なぜ、
悠たちが海鳴町へ来た瞬間から監視できたのか。
なぜ、
彼女を守るような行動を取れたのか。
全部。
見えていた。
「じゃあ。」
悠が言う。
「最初から言えよ。」
透は首を横に振る。
「言ったら。」
「メアリーはもっと早く思い出した。」
「それの何が――」
「思い出したら。」
透の声が強くなる。
「消える。」
静寂。
メアリーの顔が青ざめる。
悠の呼吸が止まる。
「……何?」
透はカメラを握る。
「十二年前。」
「同じことがあった。」
「誰に。」
透は答えない。
その代わり。
悠の目を見る。
「白石紗季。」
風が吹く。
「紗季も。」
「一度死んだことを忘れて戻ってきた。」
誰も言葉を発せない。
そして。
透は。
もっと恐ろしいことを言った。
「全部思い出した次の日。」
「消えた。」
⸻
メアリーが、
一歩後ずさった。
「……私も?」
透にはその声が聞こえている。
「分からない。」
「でも。」
「だから止めたかった。」
透は悠を見る。
「お前が。」
「メアリーに思い出させるのを。」
悠は拳を握る。
「じゃあ何も知らないままにしろって?」
「生きてる奴は。」
「知らなくても生きられる。」
「死んだ奴は。」
透の声が震えた。
「思い出したら。」
「もう残れない。」
その言葉には。
経験した人間の重さがあった。
透は紗季を見送ったのだ。
そして。
それをもう一度、
メアリーで繰り返したくない。
「でも。」
悠が低く言う。
「本人が知りたいって言ってる。」
透がメアリーを見る。
彼女は泣いていた。
でも。
目を逸らさなかった。
「透くん。」
「私。」
「知りたい。」
透の表情が歪む。
「……そう言うと思った。」
メアリーが少し笑った。
昔みたいに。
「昔からやろ?」
透も、
ほんの少し笑った。
「昔から。」
⸻
榊原が口を開いた。
「秋山。」
透が彼女を見る。
「話してもらうで。」
「十二年前。」
「白石紗季。」
「弟の蓮。」
「瀬川宗一。」
「全部。」
透はしばらく黙った。
そして。
ポケットから一本の鍵を取り出した。
古い。
小さな鍵。
時計台のものとは違う。
「先に。」
「神社へ行く。」
榊原が眉を寄せる。
「何がある。」
透は答えた。
「蓮が。」
「最後に見つけたもの。」
悠の胸が鳴る。
「神社の裏?」
透が頷く。
「でも。」
透は全員を見渡した。
最後に。
メアリー。
そして悠。
「六時までに戻る。」
「絶対に。」
「六時十分を。」
低い声。
「神社で迎えたら終わりだ。」
⸻
遠く。
時計台。
その文字盤が。
午後一時四十七分を示していた。
六時十分まで。
あと四時間二十三分。
初めて。
物語に。
明確な時間制限が生まれた。
⸻
――第65話・完――
後書き
ここでようやく、秋山透が真正面から悠たちと合流しました。
そして重要なことがいくつか判明しました。
透には最初からメアリーが見えていた。
さらに、白石紗季もかつてメアリーと似た状態で「戻ってきた」ことがあり、すべてを思い出した翌日に消えた。
だから透は、メアリーの記憶回復そのものを止めようとしていました。
そして黒い帽子の男――瀬川宗一。
十五年前に死亡した元時計台管理人。
にもかかわらず、十二年前の祭りの写真に写っている。
残り21話。
ここからは新しい大謎を増やしません。
次回、第66話。
「神社の裏」
透が初めて仲間として同行し、八年前に蓮が見つけた「扉」へ向かいます。
そしてここから、六時十分までのカウントダウンが始まります。




