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Appearing ― 突然、君からのメッセージ ―  作者: 和泉發仙


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66/90

開かなかった箱

Appearing


― 突然、君からのメッセージ ―


第65話


開けなかった箱


⸻


前書き


人は、


大事なものほど隠す。


盗まれたくないから。


壊されたくないから。


見られたくないから。


でも。


本当に大切なものは、


隠したままでは意味がない。


いつか。


誰かに見つけてもらわなければならない。


⸻


午後一時十五分。


海鳴町。


中村写真館。


午後の日差しが古いガラス戸を白く照らしていた。


店先には、相変わらず何十年も前の七五三や成人式の写真が並んでいる。


笑う家族。


泣きそうな子ども。


ぎこちない新婚夫婦。


この町で生きてきた人たちの時間。


悠は店の前で、一度だけ足を止めた。


ほんの数日前。


ここへ来た時には、


何も知らなかった。


秋山透はただの監視者に見えた。


中村老人は何かを隠している怪しい人物に見えた。


写真は不気味な証拠にしか見えなかった。


だが今は違う。


透は十二年間、


一人で記録を取り続けていた。


弟まで失った。


それでもやめなかった。


「行くで。」


榊原が先に戸を開ける。


カラン。


古いベルが鳴った。


店の奥から中村老人が顔を出した。


額にはまだ薄い包帯。


前よりも少し小さく見えた。


「……また来たか。」


榊原は軽く頭を下げる。


「体、大丈夫なん?」


「年寄りは案外しぶとい。」


老人はそう言って笑った。


だが。


悠が口を開いた瞬間。


その笑顔は消えた。


「秋山蓮のことです。」


静寂。


老人の目が変わる。


「……どこまで知った。」


「2018年8月15日。」


悠は答える。


「蓮はここへ何か預けていませんか。」


中村老人はしばらく悠を見つめていた。


やがて。


深く息を吐いた。


「来い。」


それだけ言うと、


店の奥へ歩き始めた。


⸻


写真館の裏手。


普段は客を入れない倉庫。


紙。


フィルム。


額縁。


古い三脚。


段ボール。


何十年分もの物が所狭しと積み上げられている。


老人はその中を迷いなく進んだ。


一番奥。


大きな棚。


下段。


布が掛けられている。


その布をゆっくり外す。


木箱。


古い。


小さな旅行鞄ほどの大きさ。


南京錠。


そして。


蓋には、


黒いマジックで書かれていた。


『秋山』


レイが小さく息を呑む。


「これ……。」


老人は頷いた。


「透が置いていった。」


「いつ?」


「八年前。」


全員が顔を上げる。


八年前。


蓮が消えた年。


「蓮が消えた三日後や。」


老人は続ける。


「透が来た。」


「あの子。」


「泣きもせんかった。」


「ただ。」


『これ預かってください』


そう言った。


「何が入ってるか聞いた?」


老人は首を横に振る。


「聞くなと言われた。」


「開けるなとも。」


「誰が取りに来る?」


「その時は。」


老人は悠を見る。


「黒瀬悠が来たら渡してくれ。」


悠の胸が重く沈む。


「俺……?」


「そうや。」


老人は静かに頷いた。


「透は。」


「お前がいつか戻ってくると思っとった。」


⸻


榊原が南京錠を見る。


「鍵は?」


「ない。」


「透が持っとる。」


宮本が腕を組む。


「壊しますか。」


老人は少し迷った。


だが。


「今さら止めても意味ないやろ。」


そう言って、


工具箱から金槌と太いドライバーを持ってくる。


榊原が手袋をはめる。


一度。


二度。


三度。


ガンッ!


南京錠が外れた。


木箱の蓋へ手を掛ける。


「開けるで。」


誰も止めなかった。


ギィ……。


長い間閉じられていた木の匂いが広がる。


中。


一番上にあったのは、


野球帽だった。


紺色。


色褪せている。


白い刺繍で、


小さく名前。


REN


メアリーが口元を押さえる。


「蓮くん……。」


その下。


野球のグローブ。


写真。


手紙。


小さなUSBメモリ。


そして。


カセットテープ。


レイが首を傾げる。


「なんでカセット?」


中村老人が答える。


「透の家。」


「親父さんが古いオーディオ好きでな。」


「子どもの頃から録音しとったらしい。」


箱の底。


一冊のノート。


表紙。


『兄ちゃんへ』


悠は、しばらくそれを開くことができなかった。


これは証拠ではない。


弟が兄へ残した言葉。


榊原も急かさない。


「……読む?」


メアリーが小さく聞いた。


悠は頷く。


ゆっくり。


一ページ目。


⸻


兄ちゃんへ。


勝手にカメラ使ってごめん。


でも、


兄ちゃんが何見てるのか、


俺も見たかった。


⸻


悠の胸が締め付けられる。


次のページ。


⸻


最近、


兄ちゃん変。


毎年8月15日になると、


ずっと時計台見てる。


母さんも心配してる。


でも、


理由聞いても教えてくれない。


⸻


次。


⸻


だから俺が調べた。


2018年8月13日。


時計台の北側。


6時10分。


窓に女の子がいた。


高校生くらい。


でも。


写真に写らなかった。


⸻


メアリーが息を呑む。


榊原は黙ってページを見ている。


⸻


2018年8月14日。


昨日の女の子をまた見た。


今度は写真に写った。


でも。


顔が変だった。


兄ちゃんに見せようとしたら、


写真が真っ黒になった。


⸻


そして。


最後。


2018年8月15日。


⸻


兄ちゃんへ。


もし僕がいなくなったら。


時計台じゃなくて。


神社の裏を見て。


そこに、


変な扉がある。


俺は一人で行く。


ごめん。


でも。


兄ちゃんがずっと一人でやってるから。


今度は俺が手伝う。


⸻


文章はそこで終わっていた。


誰も喋らない。


神社。


また。


そこへ繋がる。


レイが小さく呟く。


「蓮……。」


「兄ちゃん助けたかっただけじゃん。」


メアリーは俯いたまま。


「透くん。」


「だから。」


「ずっと……。」


声が震える。


悠には分かった。


秋山透は、


メアリーを守れなかった。


春人も救えなかった。


そして。


弟まで失った。


その全部を、


自分のせいだと思っている。


だからやめられない。


写真を。


記録を。


十二年間。


⸻


「USB。」


玲子がいないため、


宮本が証拠袋へ入れる。


「役場で確認しましょう。」


その時。


中村老人が言った。


「待て。」


全員が振り返る。


老人は木箱の底を指差した。


「二重底や。」


榊原が眉を上げる。


板を持ち上げる。


その下。


一枚だけ。


古い写真。


カラー。


十二年前。


祭りの日。


場所は、


時計台ではない。


神社。


裏手。


森。


そこに。


黒い帽子の男が写っている。


今までで一番、


顔がはっきりしていた。


五十代くらい。


角張った顔。


口元に髭。


作業着。


右頬に、


古い傷。


榊原の表情が変わる。


「ようやく。」


宮本も写真を見る。


「顔が出ましたね。」


だが。


中村老人だけが。


青ざめていた。


「……。」


悠が気付く。


「知ってるんですか。」


老人は答えない。


「中村さん。」


榊原の声が低くなる。


「誰や。」


老人の手が震える。


「その人。」


「……。」


「死んどる。」


静寂。


「いつ?」


宮本が聞く。


老人は写真を見つめる。


「十五年前。」


「事故で。」


悠の背筋が冷える。


「じゃあ。」


「十二年前の祭りに。」


「いるはずない……?」


老人は頷く。


その男の名前。


老人は絞り出すように言った。


「瀬川宗一。」


榊原がメモを取る。


「何者?」


「元。」


老人の声が掠れる。


「時計台管理人や。」


⸻


空気が変わった。


時計台。


六時十分。


黒い帽子。


十五年前に死んだ管理人。


悠は写真から目を離せない。


榊原はすぐ宮本へ指示を出す。


「死亡記録確認。」


「事故の詳細も。」


「了解。」


宮本が電話をかけるため外へ出る。


レイが呟く。


「もう完全に幽霊じゃねぇか。」


榊原が振り返る。


「まだ決めつけんな。」


「でも。」


「死んだ奴が写真に――」


「そっくりな別人。」


「昔の写真の日付違い。」


「加工。」


「考えられるもん全部潰してからや。」


「相変わらず強ぇな。」


「怖いから調べんねん。」


榊原はそう言った。


その言葉に、


悠は少しだけ彼女を見る。


怖くないわけではない。


この女刑事も。


ただ。


怖くても、


仕事を続ける。


それだけなのだ。


⸻


その時。


カシャ。


小さな音。


全員が止まった。


店の表。


写真館。


誰かがカメラを切った。


榊原が即座に走る。


「宮本!」


悠たちも後を追う。


店外。


午後の日差し。


通行人。


自転車。


誰も逃げていない。


しかし。


向かい側。


喫茶店「つばめ」の前。


男が一人立っている。


黒いパーカー。


カメラ。


秋山透。


「透!」


悠が叫ぶ。


透は逃げなかった。


初めて。


真正面から、


悠を見る。


疲れた顔。


頬は痩せている。


目の下に深い隈。


でも。


十二年前の映像にいた少年の面影は、


確かに残っている。


「透。」


悠は道路を渡る。


榊原が止めようとする。


「黒瀬!」


「大丈夫です。」


透は動かない。


十メートル。


五メートル。


悠は彼の前へ立った。


「逃げんな。」


透は少し笑った。


「逃げてない。」


「ずっと逃げてただろ。」


「違う。」


「お前らを近付けなかった。」


「同じだろ。」


透は何も言わない。


悠は拳を握る。


「蓮の箱。」


その名前を聞いた瞬間。


透の顔から、


すべての表情が消えた。


「……開けたのか。」


「あぁ。」


透は目を閉じた。


長い。


長い沈黙。


「そうか。」


それだけ。


悠は苛立った。


「そうかじゃねぇよ。」


「お前。」


「一人で何やってんだよ。」


透が顔を上げる。


「十二年前から。」


「全部。」


「なんで何も言わなかった。」


「言った。」


透は静かに答えた。


「何度も。」


「誰に。」


「警察。」


「町。」


「学校。」


「役場。」


榊原の顔が険しくなる。


「でも。」


透は笑った。


乾いた笑いだった。


「誰も信じなかった。」


⸻


メアリーは。


その横で、


透を見ていた。


「透くん。」


当然。


透には聞こえない。


はずだった。


しかし。


透の瞳が。


ゆっくり。


メアリーのいる場所へ向いた。


「……。」


メアリーが固まる。


悠も。


「透。」


「お前。」


透は何もない空間へ向かって、


小さく言った。


「久しぶり。」


メアリーの瞳から。


涙が落ちた。


「見えてる……?」


透は微笑んだ。


ほんの少し。


「最初から。」


⸻


誰も動けなかった。


悠の中で、


今までバラバラだったものが、


一つ繋がる。


透はなぜ、


メアリーの動きを知っていたのか。


なぜ、


悠たちが海鳴町へ来た瞬間から監視できたのか。


なぜ、


彼女を守るような行動を取れたのか。


全部。


見えていた。


「じゃあ。」


悠が言う。


「最初から言えよ。」


透は首を横に振る。


「言ったら。」


「メアリーはもっと早く思い出した。」


「それの何が――」


「思い出したら。」


透の声が強くなる。


「消える。」


静寂。


メアリーの顔が青ざめる。


悠の呼吸が止まる。


「……何?」


透はカメラを握る。


「十二年前。」


「同じことがあった。」


「誰に。」


透は答えない。


その代わり。


悠の目を見る。


「白石紗季。」


風が吹く。


「紗季も。」


「一度死んだことを忘れて戻ってきた。」


誰も言葉を発せない。


そして。


透は。


もっと恐ろしいことを言った。


「全部思い出した次の日。」


「消えた。」


⸻


メアリーが、


一歩後ずさった。


「……私も?」


透にはその声が聞こえている。


「分からない。」


「でも。」


「だから止めたかった。」


透は悠を見る。


「お前が。」


「メアリーに思い出させるのを。」


悠は拳を握る。


「じゃあ何も知らないままにしろって?」


「生きてる奴は。」


「知らなくても生きられる。」


「死んだ奴は。」


透の声が震えた。


「思い出したら。」


「もう残れない。」


その言葉には。


経験した人間の重さがあった。


透は紗季を見送ったのだ。


そして。


それをもう一度、


メアリーで繰り返したくない。


「でも。」


悠が低く言う。


「本人が知りたいって言ってる。」


透がメアリーを見る。


彼女は泣いていた。


でも。


目を逸らさなかった。


「透くん。」


「私。」


「知りたい。」


透の表情が歪む。


「……そう言うと思った。」


メアリーが少し笑った。


昔みたいに。


「昔からやろ?」


透も、


ほんの少し笑った。


「昔から。」


⸻


榊原が口を開いた。


「秋山。」


透が彼女を見る。


「話してもらうで。」


「十二年前。」


「白石紗季。」


「弟の蓮。」


「瀬川宗一。」


「全部。」


透はしばらく黙った。


そして。


ポケットから一本の鍵を取り出した。


古い。


小さな鍵。


時計台のものとは違う。


「先に。」


「神社へ行く。」


榊原が眉を寄せる。


「何がある。」


透は答えた。


「蓮が。」


「最後に見つけたもの。」


悠の胸が鳴る。


「神社の裏?」


透が頷く。


「でも。」


透は全員を見渡した。


最後に。


メアリー。


そして悠。


「六時までに戻る。」


「絶対に。」


「六時十分を。」


低い声。


「神社で迎えたら終わりだ。」


⸻


遠く。


時計台。


その文字盤が。


午後一時四十七分を示していた。


六時十分まで。


あと四時間二十三分。


初めて。


物語に。


明確な時間制限が生まれた。


⸻


――第65話・完――


後書き


ここでようやく、秋山透が真正面から悠たちと合流しました。


そして重要なことがいくつか判明しました。


透には最初からメアリーが見えていた。


さらに、白石紗季もかつてメアリーと似た状態で「戻ってきた」ことがあり、すべてを思い出した翌日に消えた。


だから透は、メアリーの記憶回復そのものを止めようとしていました。


そして黒い帽子の男――瀬川宗一。


十五年前に死亡した元時計台管理人。


にもかかわらず、十二年前の祭りの写真に写っている。


残り21話。


ここからは新しい大謎を増やしません。


次回、第66話。


「神社の裏」


透が初めて仲間として同行し、八年前に蓮が見つけた「扉」へ向かいます。


そしてここから、六時十分までのカウントダウンが始まります。

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