監視者の夏
第62話
監視者の夏
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前書き
写真には、
撮る人の心が映る。
笑っている人を撮れば、
写真も明るくなる。
泣いている人を撮れば、
写真まで涙を流しているように見える。
だから。
同じ景色でも、
誰が撮るかで、
世界はまるで違う。
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八月十四日。
十二年前。
海鳴町。
午前八時。
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朝日が海面を黄金色に染めていた。
まだ観光客の姿は少なく、
港では漁船が静かに戻り始めている。
カモメが空を旋回し、
市場では魚を並べる音が響いていた。
町全体が、
祭りの前日特有の高揚感に包まれている。
提灯を吊るす青年たち。
屋台を組み立てる大工。
浴衣屋の店先では、
色鮮やかな反物が風に揺れていた。
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その町を、
一人の少年が歩いていた。
首から一眼レフ。
肩には重そうなカメラバッグ。
白い半袖シャツ。
少し長めの前髪。
秋山透。
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彼は歩きながら、
何度も立ち止まる。
そして、
何気ない景色へレンズを向ける。
カシャ。
市場で笑う魚屋。
カシャ。
朝顔へ水をやる老婆。
カシャ。
神社の石段を駆け上がる子ども。
どれも、
事件とは関係ない。
けれど透は、
一枚一枚を大切そうに撮っていた。
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「透兄ちゃーん!」
遠くから元気な声が飛ぶ。
弟の蓮だった。
グローブを抱え、
全力で駆けてくる。
「今日も撮ってる!」
「仕事だから。」
「仕事じゃなくても撮ってるじゃん。」
透は苦笑した。
「癖なんだ。」
蓮は首を傾げる。
「そんなに写真好き?」
透は少しだけ考えた。
そして、
海を見る。
「忘れたくないから。」
短い返事だった。
蓮には意味が分からない。
「変なの。」
笑いながら走っていく。
透はその後ろ姿にも、
静かにカメラを向けた。
カシャ。
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写真の裏には、
誰にも見せないように、
小さな番号を書き込む。
No.318
弟が笑った朝。
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現在
午前十時。
海鳴町役場。
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藤代真琴の案内で、
悠たちは地下の資料保管庫へ降りていた。
古いコンクリートの階段。
少し湿った空気。
天井の蛍光灯が低く唸っている。
「こちらです。」
重い鉄扉を開ける。
中には、
何十年分もの段ボールが積み上げられていた。
町の歴史。
祭りの記録。
工事図面。
新聞。
寄付台帳。
一つひとつに、
年代が書かれている。
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「時計台関係は……。」
真琴が棚を探す。
「あ。」
一冊のファイルを抜き出した。
時計台保存工事 平成二十六年度
玲子が手袋をはめる。
「開けます。」
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中には、
工事写真が何枚も綴じられていた。
壁。
歯車。
鐘。
階段。
そして。
最後のページ。
工事完了写真。
時計台の前で並ぶ作業員たち。
悠は何気なく見ていた。
その時だった。
「……待って。」
メアリーが震えた声を出す。
悠が写真を見る。
作業員は六人。
いや。
七人。
一番端に、
カメラを持った高校生が写っている。
秋山透だった。
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「なんで……。」
榊原が写真を近づける。
工事は、
祭りの数日前。
高校生がいる理由がない。
真琴も首を横に振る。
「この写真。」
「今まで気付きませんでした。」
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玲子は写真をルーペで拡大する。
すると、
さらに奇妙なことに気付いた。
「この写真。」
「誰が撮ったんでしょう。」
全員が黙る。
透が写っている。
つまり、
透本人は撮れない。
では。
シャッターを押した人物は。
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その瞬間だった。
保管庫の奥で。
ガタン。
段ボールが崩れる音。
宮本が素早く振り向く。
「誰!」
懐中電灯を向ける。
誰もいない。
ただ。
床へ一冊の古い台帳が落ちていた。
埃をかぶった、
革張りの台帳。
表紙には。
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時計台 来訪者記録
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悠の胸が大きく鳴った。
「来訪者……?」
榊原がゆっくり台帳を開く。
最初のページ。
明治四十三年。
大正。
昭和。
平成。
ずっと続いている。
町の人が、
時計台へ入るたび、
名前を書いていた記録。
悠はページをめくる。
平成二十六年。
八月。
そこには。
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八月十四日
秋山透
神崎春人
メアリー・アンダーソン
白石紗季
そして、
最後に。
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黒瀬 悠
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悠の呼吸が止まった。
「……そんな。」
「俺。」
「来てない。」
その名前は、
確かに自分だった。
筆跡も。
父の字でもない。
他人の字でもない。
まるで。
自分自身が書いたような字だった。
メアリーは、
そのページを見つめたまま、
静かに涙を流した。
「……違う。」
「悠。」
「来てる。」
「私。」
「思い出した。」
その言葉と同時に。
悠の頭の奥で、
何かが音を立てて動き始めた。
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地下資料室は驚くほど静かだった。
古い蛍光灯が低く唸り、
壁際の除湿機だけが規則正しい音を立てている。
それ以外、
誰も口を開かなかった。
悠の前には、
百年以上続く時計台来訪者名簿。
その一冊だけが、
今までの事件とは違う重みを持っていた。
榊原はページをめくろうとして、
手を止めた。
「……黒瀬。」
「この字。」
悠も見ていた。
間違いない。
丸みのある筆跡。
高校生の頃の自分が、
ノートへ書いていた文字に酷似している。
「俺……。」
「書いた……?」
玲子が静かに首を振る。
「思い込みは危険。」
「でも。」
「否定もできない。」
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メアリーだけは、
その名前を見つめたまま、
涙を流していた。
「悠……。」
「ごめん。」
悠は驚く。
「何で謝る?」
メアリーは唇を噛む。
「思い出した。」
「少しだけ。」
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その瞬間だった。
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世界が揺れる。
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悠の視界が、
突然白く染まった。
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蝉。
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祭囃子。
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焼きそばの匂い。
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ラムネ。
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人混み。
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「悠!」
誰かが笑っている。
春人だ。
「早く来い!」
高校生の悠が、
笑いながら走っている。
メアリーもいる。
透もいる。
白石紗季も。
四人で時計台へ向かっている。
そして。
時計台の扉を開ける。
その時。
誰かが言った。
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「六時十分までには戻れ。」
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声だけ。
顔は見えない。
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「悠!」
玲子の声で現実へ戻る。
悠は床へ膝をついていた。
呼吸が荒い。
額から汗が滴る。
「大丈夫!」
宮本が支える。
悠は何度も頷いた。
「思い出した。」
「俺……。」
「時計台へ行ってる。」
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榊原の目が変わる。
「誰と。」
悠は答える。
「みんな。」
「春人。」
「透。」
「メアリー。」
「紗季。」
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全員が名簿を見る。
確かに。
四人の名前はある。
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しかし。
玲子がページを指差した。
「違う。」
「五人じゃない。」
悠が見る。
名簿の下。
消された跡がある。
誰かが。
名前を一つだけ、
丁寧に削っている。
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「……六人いた。」
榊原が低く呟く。
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その時だった。
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資料室の入口から、
若い男性職員が慌てて走ってきた。
「藤代さん!」
息を切らしている。
「これ!」
抱えていた段ボール箱を机へ置く。
「倉庫の奥から出てきました!」
藤代真琴が蓋を開ける。
中には、
大量のビデオテープ。
VHS。
ラベルには。
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海鳴町夏祭り
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平成二十年。
二十一年。
二十二年。
毎年ある。
そして。
平成二十六年。
一本だけ。
赤いシールが貼られていた。
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『未確認』
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全員が息を呑む。
「祭りを撮影した映像……。」
玲子が呟く。
「残っていたんだ。」
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男性職員が頭を掻く。
「映るか分かりませんけど。」
「古い機械なので。」
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榊原は笑った。
「それでも。」
「見る価値はある。」
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新キャラクター
森下拓海(24)
海鳴町役場・総務課。
資料整理担当。
機械いじりが趣味。
古い映像機器にも詳しい。
少しおっちょこちょいだが、
仕事は真面目。
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拓海は照れくさそうに笑う。
「実家が電気屋だったんです。」
「VHSなら。」
「まだ再生できます。」
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その言葉に、
玲子が珍しく笑顔を見せた。
「お願いできる?」
「もちろん。」
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その頃。
町の外れ。
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古いアパート。
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カーテンの閉まった一室。
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畳。
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古いブラウン管テレビ。
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その部屋で。
一人の青年が、
静かに写真を見ていた。
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秋山透。
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机いっぱいに並べられた写真。
何百枚。
いや。
何千枚。
その一枚一枚へ、
日付と番号を書き込んでいる。
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「……もう少し。」
小さく呟く。
「もう少しだから。」
写真の一番上。
そこには。
高校時代の悠が、
笑顔でメアリーへラムネを渡している写真があった。
透は、
その写真だけを、
誰よりも大切そうに撫でる。
その目には、
敵意も狂気もない。
あるのは、
十二年間、
たった一人で守り続けてきた人間だけが持つ、
深い疲れだった。
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その時。
机の上の携帯電話が震える。
非通知。
透は少しだけ迷い、
電話へ出た。
「……はい。」
受話器の向こうから聞こえた声に、
透の表情が変わる。
驚き。
焦り。
そして。
恐怖。
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「……来る。」
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その一言だけ残し、
電話は切れた。
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透は立ち上がる。
壁を見る。
そこには、
海鳴町の航空写真。
そして、
赤い糸で結ばれた、
時計台。
写真館。
桟橋。
学校。
神社。
すべてが、
一本の線で繋がっていた。
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透は静かにカメラを首へ掛ける。
「始まった。」
「今年も。」
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窓の外では。
時計台の鐘が。
誰も触れていないのに。
ゆっくりと、
六回鳴り始めていた。
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ゴォン……。
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――第62話・完――
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次回予告
第63話
「祭りのビデオテープ」
いよいよ十二年前の映像が再生されます。
そして読者のみなさんは初めて、
「動いている春人」「笑っているメアリー」「カメラを構える秋山透」
を見ることになります。
ここから第3章はさらに加速し、「誰が消えたのか」ではなく、「誰が最後まで残ろうとしたのか」という物語へと変わっていきます。




