夏祭りの前日
Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第61話
夏祭りの前日
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前書き
夏祭りは、
始まる前が一番楽しい。
屋台を組み立てる人。
提灯を吊るす人。
浴衣を選ぶ子ども。
明日が来ることを、
誰も疑わない。
だからこそ、
悲劇は突然やって来る。
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午前六時。
海鳴町。
夜明けの光が、ゆっくりと町を照らし始めていた。
海から昇る朝日はまだ低く、商店街のアーケードを斜めに染めている。
潮風は夜よりも柔らかく、魚市場から運ばれてきた海の匂いと、焼きたてのパンの香りが混ざり合っていた。
昨日まで事件の舞台にしか見えなかった町が、朝になるとまるで別の顔を見せる。
シャッターが一枚、また一枚と開き始める。
ガラガラ……。
パン屋「さえき」。
店主の佐伯健三が、いつものように粉まみれの腕でシャッターを押し上げた。
「ふぅ……今日も暑くなりそうやな。」
その声に、向かいの花屋から西園寺美和が顔を出す。
「おはようさん。」
「また早いねぇ。」
「パンは朝が勝負や。」
「花も一緒や。」
二人は笑い合う。
そんな何気ない朝の景色を、悠は宿の窓から眺めていた。
「……普通なんだよな。」
事件なんて起きていない町。
少なくとも、朝だけは。
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朝七時。
喫茶店「つばめ」。
柏木修一は店を開ける前に、いつも店先を掃いている。
そこへ、榊原たちが姿を見せた。
「もう仕事ですか。」
柏木は驚きもせず笑った。
「刑事は朝が早いんです。」
榊原も苦笑する。
「コーヒー頼めるか。」
「もちろん。」
店内には、焙煎したばかりの豆の香りが満ちていた。
玲子は昨日見せてもらった自由帳をもう一度開く。
破られた最後のページ。
そこだけがどうしても気になっていた。
柏木がカップを置きながら言う。
「……思い出したことがあります。」
全員が顔を上げる。
「最後のページを破ったの。」
「春人くんじゃありません。」
「じゃあ誰です?」
柏木は静かに答えた。
「秋山くんです。」
悠の手が止まる。
「透が?」
「ええ。」
「でも。」
「泣いていました。」
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その言葉に、店の空気が少しだけ重くなる。
柏木は窓の外を見た。
「あんなに泣く子じゃなかった。」
「だから忘れられない。」
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その頃――
十二年前。
夏祭り前日。
海鳴高校。
写真部部室。
「よし!」
春人が模造紙を広げる。
祭りの撮影担当表。
町役場から依頼された公式記録。
透は真剣な顔でカメラを確認していた。
新品のフィルムを一本。
二本。
三本。
慎重に鞄へ入れる。
メアリーはその様子を覗き込む。
「そんなに撮るの?」
「足りない。」
透は短く答えた。
「祭り全部だから。」
「全部?」
「準備から片付けまで。」
「すごーい。」
春人が笑う。
「透は写真になると別人だからな。」
その時。
部室のドアが開いた。
「失礼します。」
入ってきたのは、一人の女性教師だった。
三十代前半。
写真部顧問。
新キャラクター
橘 依子(34)
国語教師。
写真部顧問。
落ち着いた口調で、生徒からの信頼も厚い。
「みんな。」
「明日は楽しみだけど。」
「危ない場所には近づかないこと。」
春人が笑う。
「先生。」
「俺たち高校生ですよ?」
「だから心配なの。」
依子も笑った。
しかし、その笑顔はどこかぎこちなかった。
透だけが気付く。
「先生?」
依子は一瞬だけ窓の外を見る。
時計台が遠くに見えていた。
「……六時十分には。」
教室が静まり返る。
依子はすぐに笑顔へ戻った。
「ううん。」
「何でもない。」
「忘れて。」
しかし。
透は忘れなかった。
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現在。
玲子がメモ帳へ書き込む。
「先生も。」
「六時十分を知っていた。」
榊原は腕を組む。
「つまり。」
「町の年寄りだけやない。」
「学校も知っとった。」
事件は少しずつ広がっていく。
時計台。
役場。
写真館。
学校。
すべてが一本の線で繋がり始めていた。
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その時。
喫茶店のドアベルが鳴る。
カラン……。
一人の老人が新聞を買いに入ってくる。
白髪。
杖。
小柄な体。
「柏木さん。」
「朝刊。」
「はいはい。」
何気ない朝の光景。
しかし、その老人は悠を見るなり立ち止まった。
「……。」
目を細める。
「君。」
「神崎さんとこの坊ちゃんか?」
悠は驚く。
「父をご存じなんですか?」
老人はゆっくり頷いた。
「昔。」
「時計台で会った。」
その一言に。
店内の空気が、
再び静まり返った。
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喫茶店「つばめ」の店内には、朝の柔らかな光が差し込んでいた。
窓際の席では年配の常連客が新聞を広げ、店内にはコーヒー豆を挽く音と、控えめなジャズが流れている。
事件の匂いなど微塵も感じさせない、穏やかな朝だった。
しかし、その穏やかさとは裏腹に、悠たちの空気だけが張り詰めていた。
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「神崎さんの坊ちゃん……。」
老人は悠の顔をじっと見つめていた。
皺だらけの目が細くなる。
「面影がある。」
悠は椅子から立ち上がる。
「父をご存じなんですか?」
老人は静かに頷いた。
柏木が紹介する。
「こちらは……」
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新キャラクター
河村義一(84)
元・海鳴町役場建設課職員。
時計台の保存工事に携わった最後の技師の一人。
現在は年金暮らし。
毎朝「つばめ」で新聞を読むのが日課。
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河村はコーヒーカップを両手で包むように持ち、小さく笑った。
「お父さんとは。」
「時計台でよう会うた。」
悠の胸がざわつく。
父は海鳴町の出身ではない。
それなのに、なぜ時計台に?
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榊原が静かに尋ねる。
「仕事ですか?」
「いや。」
河村は首を振った。
「仕事やない。」
「頼まれごとや。」
「誰に?」
河村は少し黙った。
その沈黙は短かったが、店内の誰もが長く感じた。
「写真屋の中村さんや。」
全員が顔を見合わせる。
写真館。
またその名前だった。
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「何を頼まれたんです?」
悠が思わず身を乗り出す。
河村は遠い記憶を辿るように窓の外を見る。
「時計台の鍵を。」
「新しく作ってくれ。」
「そう頼まれた。」
悠は無意識にポケットへ手を入れた。
そこには、久我から預かった真鍮の鍵がある。
河村はその動きに気付いた。
「その鍵か。」
「え?」
「それ。」
「お父さんが仕上げた鍵や。」
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誰も言葉を発せなかった。
玲子がゆっくりと鍵を受け取る。
光にかざす。
「確かに……。」
「内側の削り方が途中から違う。」
「修復されている。」
河村は頷く。
「元の鍵は折れた。」
「だから。」
「神崎さんが直した。」
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悠は息を呑む。
父は何も話さなかった。
海鳴町のことも。
時計台のことも。
鍵のことも。
何一つ。
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「どうして黙っていたんでしょう。」
悠の問いに、
河村はすぐには答えなかった。
代わりに、新聞をゆっくり畳む。
「……あの人は。」
「口が堅かった。」
「それだけや。」
しかし、その目はどこか寂しそうだった。
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十二年前――祭り前日・夕方
夏の西日が、海鳴高校の校舎を赤く染めていた。
写真部の部室では、透が最後の機材確認をしている。
フィルム。
露出計。
交換レンズ。
一本一本を丁寧に布で拭く。
「透。」
春人がペットボトルを放る。
「休め。」
透は片手で受け取り、小さく礼を言った。
「ありがとう。」
「お前。」
「写真撮る時だけ別人だな。」
春人が笑う。
「緊張してる?」
透は少し考えた。
「……分からない。」
「でも。」
「今年は失敗したくない。」
「町の記録だから?」
透は首を横に振る。
窓の外を見る。
時計台が夕日に照らされていた。
「違う。」
「残したい。」
春人は不思議そうな顔をする。
「何を?」
透は答えなかった。
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部室のドアがノックされた。
コンコン。
「失礼します。」
入ってきたのは、一人の少年だった。
中学一年生くらい。
痩せた体。
野球帽。
「兄ちゃん。」
透が振り返る。
「あ、蓮。」
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新キャラクター
秋山蓮(13)
透の弟。
兄とは正反対で明るく活発。
野球部所属。
兄を心から尊敬している。
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「母さんが。」
「晩ご飯だって。」
透は時計を見る。
「もうそんな時間か。」
蓮は部室を見回し、春人とメアリーへ元気よく頭を下げた。
「こんばんは!」
「透兄ちゃん。」
「今年も優勝だね。」
「優勝?」
メアリーが笑う。
「写真コンテスト!」
蓮は胸を張る。
「兄ちゃん毎年入賞してるんだ!」
透は照れくさそうに帽子を被る。
「余計なこと言うな。」
部室が笑いに包まれる。
その笑顔を、
廊下の角から、
誰かが静かに見つめていた。
制服姿。
長い髪。
表情は見えない。
その人物は、
誰にも気付かれないまま、
ゆっくりと立ち去っていく。
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現在
喫茶店を出る頃には、時計は午前九時を回っていた。
悠は歩きながら鍵を見つめる。
父が修理した鍵。
父が関わっていた時計台。
父が何も話さなかった理由。
頭の中で新しい疑問が次々に生まれる。
その時。
メアリーがふと立ち止まった。
商店街の角。
古い電柱。
そこを見つめている。
「どうした?」
悠が尋ねる。
メアリーは小さく震える声で答えた。
「……思い出した。」
「ここで。」
「透くん。」
「誰かとケンカしてた。」
悠と榊原が同時に振り返る。
「誰と?」
メアリーは苦しそうに目を閉じる。
頭を押さえる。
「帽子……。」
「黒い帽子。」
「でも。」
「顔が思い出せない。」
その瞬間だった。
商店街のスピーカーから、正午を知らせる試験放送が流れ始める。
その音に混じって。
どこからか。
カシャッ。
小さなシャッター音。
全員が音の方を見る。
商店街の屋根の上。
一瞬だけ。
カメラを構えた青年が立っていた。
秋山透だった。
しかし。
彼はシャッターを切ると同時に、
悠へ向かって、
静かに右手を上げた。
まるで。
「急げ。」
そう伝えるように。
次の瞬間。
姿はもう消えていた。
悠は拳を握る。
「透……。」
「お前は。」
「何を守ろうとしてるんだ。」
潮風が、ゆっくりと商店街を吹き抜ける。
そして時計台では、
誰も触れていない鐘が、
一度だけ。
静かに鳴った。
ゴォン――。
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――第61話・完――
あとがき
今回は「親世代」と「兄弟」という新たな人間関係を加えました。
新登場人物は、
* 河村義一(84)…時計台の保存工事と鍵の修復を知る元役場職員。
* 秋山蓮(13・回想)…秋山透の弟。兄を尊敬する明るい少年。
ここで明らかになったのは、悠の父が時計台の鍵の修復に関わっていたこと、そして秋山透には守るべき「家族」がいたという事実です。
次の第62話からは、いよいよ秋山透自身の視点へ入ります。




